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34. 防壁

 シャロというエルフの少女と男の方は、よほどのことがない限りライノールとキンシェでどうにかできそうだ。

 問題はこの出所不明の謎の瘴気と魔物の群れである。虫、鳥、小動物。大きく手強いものはいないのだが、細かくて数が多いのでいちいち弓で撃ち落としていられない。

 引き受けるとは言ったものの、ライノールのように完全な防壁はルルシアには作れない。その代わりに魔力を細い糸にしてネットを編み上げるイメージで展開する。一応の足止めにはなっているが、強度には不安しかない。ルルシアの魔力からしてもそれほど長くはもたないだろう。


(せめてもうちょっと集中する時間があれば…)


 弓に集中できれば、矢を散弾のように分裂拡散させて、この程度の魔物ならば殲滅までは行かないまでも大部分を倒せるはずだ。だが、ルルシアでは今構築しているネットを維持しながらそこまでの矢を撃つことができない。一度ネットを消さなければならないのだ。

 カリンが双子をかばいながら、ネットを組み上げる前に入り込んだ魔物をナイフで打ち払ってくれているが、彼女とて、ネットを解いてしまえばこの数の多さには対応しきれないだろう。

 高い位置にいた鳥を撃ち落としながらルルシアは歯噛みする。


(いつもライが壁を作って守ってくれてたから…)


 守る。守る?


 はたと気付いて自分の手首を見る。

 昨日もらったブレスレットのチャームが揺れる。防壁の文様を入れてある、お守り。

 入っている文様は防壁、増幅、安定。増幅と安定の効果で、少ない魔力で使うことができるはずだとディレルは言っていた。


 そっとブレスレットに触れる。あまり迷っている余裕はないのだ。

 チャームに魔力を流し、今展開しているネットに沿うように壁をイメージして作り上げる。魔力消費は驚くほど少ない。そもそも、ルルシアの魔力では普通ならネットと同時に展開などできないはずだが、全く問題なく維持できる。

 よし、とネットを消して防壁だけ残す。

 そして、弓に意識を集中しながら魔力を込めた矢を作り上げた。


 背後で、ゾワッと嫌な気配が膨れ上がり、少女の叫び声が聞こえた。ライノールたちの方で何かがあったのだ。

 だが魔物の群れを処理しなければ状況は悪くなるばかりだ。集中を切らしてはいけない。

 作り上げた矢を、放つ。


 矢は放たれた直後にパッと分裂して円錐状に広がり、魔物たちを貫いた。


 ガクン、と魔力を持っていかれた感覚に軽いめまいを覚える。防壁も維持できなくてかき消えてしまうが、魔物は殆ど残っていないのでそこまで影響はないだろう。数さえ減ればそれほど怖くない。


 だが、そこでほっと息をつくまもなく、背後を振り返る。嫌な気配――瘴気の気配がまだ膨れ上がっているのだ。


 そして。


「死んじゃえ!!」


 ルルシアが見たのはシャロが指をハオルに向ける瞬間だった。

 そして、誰も動けない中で、シャロの放った瘴気がハオルの体を突き抜けていった。

 ガクッと力を失ったハオルの体を、隣にいたルチアが「え!?」と慌てて支える。


 男は少しだけ顔を歪め、「シャロ、退避だ」と強い口調で言った。シャロはその言葉にビクッと体を震わせ、そして男とともにその場から掻き消えるように姿を消した。


 ――転移魔法を使ったのだろう。膨大な魔力量を必要とするため、今のエルフには使えないと言われている魔法の一つである。


「ハオ!ハオ!」


 ルチアがハオルに必死に呼びかけている声でルルシアは我に返る。

 ぱっと見たところでは外傷はないようだが、ハオルは意識を失い脂汗を流していた。


「…くそっ、瘴気を操るエルフなんて予想外がすぎるだろ…」


 ライノールが忌々しそうにつぶやくのが聞こえた。

 ハオルの体には、ルルシアが近づくのもためらってしまうくらいに高濃度の瘴気がまとわりついていた。信じられないことに、瘴気に弱いはずのエルフのシャロが瘴気を操り、ハオルを攻撃したのだ。


「これは、瘴気のせいなの?治療法は?」

「…瘴気による中毒状態、ですね。低濃度の瘴気であれば時間が経てば回復しますが、ここまで高濃度だと…」


 カリンの言葉に答えながら、ルルシアは途中で言葉を切った。

 エルフならばまず助からない。ハオルは人間なので助かる見込みが皆無ではないとは思うが、瘴気による中毒は基本的に治療法がない。ただ体内の瘴気が時間とともに薄くなっていくまで耐え抜くしかないのだ。


「すみません、私が知る限り自然回復以外の治療法はありません。ハオル様の体力にかけるしかないです。…ひとまず、これ以上瘴気に曝さないように清浄な場所――滞在スペースは結界があるのでそこへ移動した方がいいです。ここだと、森からの瘴気の影響が気になります」


 ルルシアがそう続けると、ルチアは一瞬泣き出す寸前という顔をしてからグッと口を引き結び、キンシェに「部屋まで運んでくれる?」と声をかけた。


 その時、何やら考え込んでいたライノールが顔を上げた。


「…神の子の癒やしは瘴気中毒には効かないのか?」


 問いかけられたルチアはそれに対して力なく頭を振る。


「…やったことがないからわかんない…それに私はできないし…癒やしの力が使えるのはハオだけだもん」

「たしか大昔の記録で、瘴気中毒に似た症状を治癒した話があったはずだ。治癒出来たってことは、体内の瘴気を消すなり中和するなりする能力を持ってるってことかもしれない。…ルチアサマはこいつの癒やしの力を増幅できるんだろ?それならこいつの自己治癒能力を増幅してやれるんじゃねぇの?」


 ライノールの言葉にルチアはしばし目を丸くしていたが、ぐっとハオルの体を抱きしめた。


「や…やってみる…!!」



**********



 念の為ルルシアは周囲の気配を探ったが、もう近くにシャロたちはいないようだった。

 しかしまだ清浄派の手先はどこに潜んでいるか分からない。警備員にセンナへの伝言を託し、周囲に人がいないのを確認しながら賓客用スペースに移動した。

 この場所は特に結界による出入りの制限が厳しく、司祭のマイリカの承認のない者は入れなくなっている。ここに入ってしまえばひとまず安心できる。


 襲撃の心配は減ったが、ベッドに横たえられたハオルは呼吸が弱く、顔色はすでに土気色になっていた。

 ルチアは泣きながらベッドの横にひざまずくと、ぐったりとしたハオルの手を両手で握って祈るように額に当て、目を閉じた。


 それをしばらく見守った後、部屋の入り口近くにいたライノールがキンシェを手招きで呼び寄せて部屋を出た。ついでに側にいたルルシアもそれを追って部屋を出る。


「ひとまず今ここで俺に出来ることはないから、司祭殿のところに行って来る。あっちは人手が必要だろ」

「…神の子の信用失墜を狙ってたようなこと言ってたし、清浄派の連中があらぬ噂を流し始めてるかもしれませんしね…」 


 ライノールの言葉にキンシェが頷く。確かに襲撃してきた男はそんな話をしていた。


「ああ。火種があれば早めにつぶしておくべきだろう」

「俺も行きます。センナ様が暴徒にやられたら大変ですし。まああの人なら逆に血祭りにしそうだけど…。ここは女性陣に任せて大丈夫ですよね」


 キンシェが目を向けてきたのでルルシアは頷く。どうにも不穏な言葉が混じっていた気がするが、そこには触れないことにする。


「何かあれば通信魔法があるので、ライに連絡します」

「ああ」

「お願いします」



 二人を見送って部屋に戻ると、ハオルの額に浮かんだ汗をタオルで拭っていたカリンが顔を上げた。


「キンシェ達は?」

「センナ様の手伝いをするといって下に」

「そっか。…私、替えのタオルとか着替えとか持ってくるから、ルルシアさんこっちについててもらえる?」

「わかりました」


 ルルシアは頷いてカリンと場所を変わる。尻尾を揺らして出ていくカリンを送り出すと、部屋の中は重苦しいほどの静寂で満たされてしまった。

 反対側ではルチアがじっとハオルの手を握り続けている。その彼女の手は小刻みに震えていて、ルルシアはそっと目を伏せた。

 ルルシアはお世話係を言い付かっているが、急場しのぎで人前に出るときの作法しか教わっていないので、こういう実際のお世話に関しては全く役に立たない。

 せめて何か話すべきだろうかと迷っている時、その静寂を破ったのはルチアだった。

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