表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
33/167

33. 瘴気

 日が落ち、魔術灯が灯された庭はなるほど素晴らしく美しかった。

 神の子の安全という重大な任務がなければルルシアも楽しめただろうが、今はこの風景に不安要素しかない。


 会場の配置は、森を背にした説教台のある場所を正面前方とすると、同じく森を背にした右手側前方が神の子の座る貴賓席になっている。

 背後に壁がない時点で絶望的なのだが、それに加えてキンシェとカリンは十メートルほど後方に離れた位置に追いやられている。隠し持った武器による不意の襲撃などがあっても対応しきれないだろう。そのため、ルルシアはなるべく貴賓席の傍に留まるように言われていた。


「…どうも森のほうがざわついてる気がする」


 神の子の双子に飲み物を提供するためカリンが用意したトレーを持って貴賓席へ行くと、双子の斜め後ろに控えたライノールが声を潜めてつぶやいた。ルルシアはわずかに頷く。やはり彼も違和感を感じているらしい。

 普段森の中に住んでいることもあり、エルフは森の異変に敏い。ただし、何がおかしいのかはライノールにもはっきりとわからないようだ。


「ハオル様、ルチア様、お飲み物をお持ちしましたが、いかがですか」

「ありがとうございますルルシアさん」

「いただきます。ありがとうございます」


 ハオルが嬉しそうに微笑んでルチアの分のグラスも受け取り、隣のルチアに手渡した。

 前方の説教台では先程ルルシアにセクハラをしてきた神官が、アルセア教の理念や教義について語っているところで、信者や教会スポンサーたちの目は概ねそちらに向いている。この説教が終わった後、食事会と称して軽食が振る舞われる。

 おそらくそのタイミングで人々が神の子に寄ってくる。人が入り混じったそのタイミングが最も危険だというのがセンナたちの予想だ。


 が、


(森の方、なんだろう…すごく嫌だ)


「そういえば食事会ではチアの作ったドーナツが提供されるんですよ。準備の人たちは一足先に食べたって聞きましたが、ルルシアさんも食べましたか?」

「いえ、まだ頂いていません。後でいただこうと思って別によけてもらいました」


 ハオルが話しかけてきたので笑顔で応じる。

 喉から手が出るほど食べたかったが、神経を研ぎ澄ませておきたい戦闘前に油で揚げたドーナツを食べるのは気が引けたので後で食べることにしたのだ。

 この不穏な気配に、食べなくて正解だったかもしれないな…と考えつつ、当たり障りのない会話を続けて留まる時間を引き伸ばすためにルチアの方に目を向ける。


「ルチア様は…。ルチア様、どうかされましたか」


 ルチアはしきりに背後の森の方をチラチラと見ていた。危険を検知しているのかもしれない。


「森の方、なんか…来る…?」


 そのルチアのつぶやきの、次の瞬間、森の闇の中から瘴気がどっと押し寄せてきた。


「瘴気…!?」


 ライノールが即座に庭全体を覆うように防壁を張る。少し遅れて大きな甲虫のような群れが森の中から現れ、その防壁にビシビシとぶつかり落下していった。


「ま、魔物だ!!」


 会場の誰かが悲鳴を上げるとそれを契機にして一気にパニックが広がっていった。我先にと三々五々に逃げ出そうとする人々に、センナや警備員たちが「建物内に退避してください!教会は結界で守られています!」と声を張り上げるのが聞こえる。


「私たちも建物の中に…」


 そう言って立ち上がったルチアに、ライノールが首を振る。


「いや、今はだめだ。あの一瞬であれを魔物だなんて判別できる一般人はまずいない。混乱を煽るために紛れ込んだやつがいるんだ」

「人混みで引き離されて後ろからブスリとかされたらたまんないですからね」


 駆けつけてきたキンシェがそう言いながら剣を抜き、周囲に鋭く視線を走らせた。ルルシアとカリンは双子を背にかばう形でそれぞれ森側と会場側を睨む。

 ルルシアたちと逃げ惑う人々を除き、会場に残っているのは警備員が三名。センナや他の警備員は建物内の混乱の鎮静に回ったのだろう。ルルシアが未だに瘴気の薄れない森の方に意識を向けながら弓を組み立てていると、とんっ、と背中にルチアがぶつかってきた。

 「ルチア様?」とちらりと目を向けると、ルチアの目は一人の人物を睨みつけていた。


「あ…の男、あぶない…」


 『あの男』とルチアが指さした男は、こんな状況だというのに慌てるでもなく、面白くなさそうな顔で会場の端に立っていた。茶色い髪を短く刈り込んだ、どこにでもいそうな風貌の壮年の男だが、慌てて建物に駆け込んでいる人々の中で普通に立っているその姿は恐ろしく周囲から浮いていた。


「ここは危険ですので、建物の中に…」


 警備員の一人が室内に誘導しようとその男に声をかけた次の瞬間、その警備員が「ぐっ!?」とくぐもった声を上げて頽れた。

 それを見たルチアとハオルがお互いを守るように身を寄せ合い、男の視線から逃げるようにカリンの陰に隠れた。護衛や警備員たちが武器を構えるのを見て、男は肩をすくめる。


「最初の襲撃で被害を出しておきたかったのに防がれるとはなぁ」


 無造作に頭をかきながら男は顔をしかめ、ひどく面倒くさそうにそう言った。


「…それは残念だったな。残念ついでに諦めて帰れよ」


 キンシェがハッと鼻で笑いながら男に言い放つ。


「そういうわけにも行かないんだよ。仕事だから。最初に信者たちにまんべんなく怪我させて、神の子に深手を負わせて、それで神の子の悪い噂を流して信用失墜っていうのを狙ってたんだ。一番平和的だし」

「…ご親切に計画を教えてくれるとは」

「計画変更するから問題ないんだ。信者に逃げられたからな。全くエルフを仲間に引き込むとは――シャロ!」


 男の声に応えるように、男の真横の、何もなかったはずの場所にパッと少女が現れた。

 白い髪に、黒曜石のようにつややかな黒い瞳の美少女で、髪から長い耳が覗いている。


(本当にエルフだった…)


 ルルシアは顔をしかめる。エルフが誰かを害する側に加担するなどというのを、本当は信じたくなかったのだ。

 そんなルルシアの落胆はお構いなしに、現れた少女はライノールに目を向けて「あー!」っと明るい声を出した。


「エルフだぁ。お仲間だね」

「仲間だと思われるのは心外だがな」


 無邪気とも言えるような少女――おそらくシャロというのが名前だろう――の言葉にライノールが顔をしかめると、シャロは「えー?ひどーい」と口を尖らせる。だがすぐに興味を失ったように男の方を振り返る。


「まあいいや。えっと、その子供達を殺せば勝ちね?」

「そうだ。重傷でいいがな」

「じゃあ、ゲームスタート!」


 スタートと言い終わるか否かのうちに、双子に向かってシャロの作った魔力の塊が飛ぶ。ライノールは新たに防壁を作ってそれを防いだ。


「チッ」


 ライノールが小さく舌打ちをする。

 新たな防壁を作った途端に庭全体を覆っていた防壁が大きく揺らいだ。シャロの放った魔力が強く、庭全体を守る壁の方を完璧には維持できなかったのだ。

 今まで防壁で押し止められていた瘴気と、それに誘われてやってきた魔物が庭に侵入してこようとしていた。


「魔物はこっちで引き受けるから、ライは向こうに集中して」

「…たのむ」


 ルルシアが森の方に向けて弓を引きながらライノールにそう言うと、揺らぎながらかろうじて形を保っていた防壁が消えた。

 ライノールがこんな風にルルシアを頼ることなどめったにない。それだけシャロの攻撃の威力が大きいのだ。ただ、彼女の魔法は魔力を叩きつけるようなものばかりで、威力は大きいが集中さえできれば防ぐのは難しくないだろう。

 シャロは魔力量は多いようだが、魔力操作がうまくできていない。ルルシアと同様にあまり魔法に向いていないタイプなのかもしれない。


 矢継ぎ早に繰り出される魔力の塊による攻撃をライノールが防壁で防ぐ。ただし、その防壁は広範囲を覆うものではなく、強度を上げて盾のように一部分だけを守る形のものだ。つまり、脇や後ろは無防備になる。

 その無防備な場所を狙って、先程までただ立っていただけの男が音もなく、電撃のような素早さで飛び込んできた。


 ギャリッ


 だが、男が繰り出した短剣はライノールに届く前にキンシェの剣によってはじき返された。


「刃物の戦いなら俺としようぜ?」

「チッ…面倒くせぇな」


 そう吐き捨て、男はキンシェから距離を取る。

 「そう言うなよ、つれないな」とキンシェは鼻で笑いながら、双子と男の間を遮る位置に立った。


「じゃあこっちは魔法の戦いだね!でもそっちは防いでばっかりだねぇ」


 キンシェと男のやり取りを見ていたシャロは楽しそうに笑みを浮かべた。ライノールは飛んできた攻撃を防ぎながらニッと笑い――「さあどうかな」と、手のひらに持っていたものをシャロの方へ投げつけた。

 投げられたのは短い棒で、シャロに当たることなく少し離れた地面に突き立った。それを見たシャロは「はずれー!」ときゃらきゃら笑いだす。


 次の瞬間、突然横から叩きつけるような強風が彼女の体を襲った。シャロは「ギャッ」と潰されたような声を上げながら横殴りに弾き飛ばされ、そして地面に引きずられるように叩きつけられた。


「…!」


 シャロの声に一瞬気を取られたのか、男の動きに隙が生まれた。それを逃さずキンシェが素早く踏み込み下段から斬り上げると、男は舌打ちをしながら後ろに飛び退り紙一重でそれを避けた。

 だが、避けたその先を狙い、放たれたライノールの電撃魔法が男に直撃した。電撃に撃たれた男は体をくの字に折り曲げ、体のバランスを崩して膝をついた。体が痺れて体勢を立て直せなかったのだ。


「っ…!!」

「やだ!アド!」


 男が膝をつくのを見た瞬間、シャロが悲鳴のような声を上げてよろめきながら男の方へ駆け寄った。

 今までの不自然なまでの明るい表情とは打って変わって泣き出しそうな顔で男にすがりつくと、彼女はギッとライノールたちの方を睨みつけた。


「よくも…!」


 シャロの周りの空気が陽炎のようにゆらぎ始める。


「あれは…瘴気…?」

「え?」


 ライノールのつぶやきにキンシェが疑問符を返した。シャロの周りの空気がみるみるうちに瘴気で染め上げられていく。エルフであるライノールにはそれがはっきり見えるのだが、人間であるキンシェは瘴気に強い半面、それを感じ取る能力が弱い。彼にはその様子は見えないのだ。


「…シャロ、やめろ!」


 男が止めようとするが、シャロが「死んじゃえ!!」と指をハオルに向けるほうが早かった。

 引き絞られた矢のようなスピードで瘴気の塊が指差す方へ向かって飛ぶ。


 予想外の出来事に誰も反応できず、シャロの放った瘴気はハオルの体を突き抜けていった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ