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157. 依頼の品

 事務局もシャロの勉強も休みで、ぽかりと予定の空いた日の午後。

 家事の手伝いも一段落ついてしまい、メリッサと二人、台所でのんびりお茶を飲んでいたところに珍しくディレルが顔を出した。


「ルル、魔術具屋に行くけど一緒に行く?」

「ついていっていいの?」


 ディレルが単純に『魔術具屋』という場合は、彼の幼馴染のセダムとジャスミン夫妻が経営している店のことを指している。

 彼は基本的にその店を通して仕事を受けているのだが、ここしばらくは商業ギルドの支部長からの依頼にかかりきりで、現在通常の仕事はストップしているはずだ。しかし、行くと言うからには再開の見通しが立ったのだろう。


「だめなら声かけないよ。ルルもサイカから戻ってきたあと一度も顔だしてないでしょ」

「うん。そういえば行ってないね。それなら行きたい」

「あ…メリッサ、ルルを借りて行って大丈夫?」


 ディレルがそう聞くとメリッサは思わずという感じでくすくすと笑った。


「ふふ、私に断りなんていりませんよディレルさん。むしろこちらがルルシアさんの手をお借りしてたんですから」


 この家にいる時、ルルシアはだいたいメリッサにくっついて細々とした手伝いをしているので、ルルシア自身を含めたランバート邸の住人の中で『ルルシアはメリッサの補佐』という認識になりつつある。


「ディレルさんは最近工房にこもりきりでしたし、せっかくだから二人でゆっくりデートでもしてきてはいかがです?」

「それじゃあお言葉に甘えて。――ルル、行こう」


 にこりと笑顔で手を振るメリッサに見送られ、ルルシアはディレルに連れられて昼下がりの街へと出かけることになった。



***



 昼を過ぎて、一番気温の高くなる時間帯だというのに、少し肌寒さを感じてルルシアは羽織ったマントの襟元を軽く押さえた。自分の吐いた息がほのかに白く空中に残る。

 それでもサイカの冷え込みと比べたらテインツはずっと温かい。向こうはそろそろ雪が降った頃だろうか。


 並んで歩きながら、ルルシアがなんとなくサイカ方面を見ていると、ディレルがふと思い出したように「そういえば…」と口を開いた。

 

「アドニスが戻ってきたってのは聞いたけど、手足の具合はどうなったのかって聞いた?」

「サイカにいたときより、やや回復したって言ってた」

「やや…」

「『多少良くなったかな?』程度で、始めのときみたいな劇的な改善はなかったみたい。ハオルたちは完全に治らなかったのが悔しかったみたいで、また二ヶ月くらい経ったら来いって言われたって」


 しかし、エフェドラとテインツ間を何度も行き来するのは大変なので、もうしばらくエフェドラに滞在していたらどうかとも提案されたようだ。だが、アドニスはそれを断ってテインツに戻ってきたらしい。アドニスとしては早くシャロに会いたかったのだろう。

 それと、事ある毎にキンシェの訓練相手として引きずり出されるのが嫌だったという事情もあったようだが。


「あ、それと、アドニスさん結局テインツの教会に住むことになったって」


 アドニス自身は冒険者ギルドが経営している冒険者用の宿に滞在してギルドの依頼を受けて暮らすつもりだったようだが、シャロが離れて暮らすのは絶対イヤだと駄々をこね、マイリカからは『ちょうど男手が欲しかったんです。嬉しいわ』とにこにこ微笑まれ、結局折れて教会の宿舎に部屋をもらったらしい。


「まあそうなるだろうね。シャロの熱狂的なファンに刺されなきゃいいけど」

「むしろ、マイリカ様としては教会にそういう人が押し込んできたときのボディーガード役が欲しかったみたい」

「ああ…それなら適任だね」


 アドニスがいれば大抵の侵入者は返り討ちにできる。

 教会は警備の人員を増やす必要がなくなり、シャロは喜び、なんだかんだでシャロの側にいられるアドニスも嬉しい。まさに三方良しである。



 そのアドニスたちと出会った夏の頃には魔術工芸祭で使う鳥の形のカードがたくさん並んでいた魔術具屋の店頭には、今は様々な形の暖房器具と思われる魔術具が並べられていた。

 

 ディレルがガラスの嵌められた入口ドアを押し開け入っていくのに付いて店内に足を踏み入れると、どこからかふんわりと暖かな風が流れてきた。

 暖炉やストーブとは違う感覚に驚き、思わず風の出どころを探してきょろきょろ見回すと、入口の脇にルルシアの腰くらいの高さのオイルヒーターのような形状のものが置かれていた。

 パネル部分にはびっしりと魔術文様が彫り込まれていて、うっすら光っている。どうやら装置内部の空気を火の魔術で温め、風の魔術で外部に送り出しているらしい。

 操作パネルを見ると、魔力を通す回路を切り替えることで冷風も出せるようだ。出力は弱いようで周辺しか温まっていないが立派なポータブルエアコンである。


「セダム」


 ルルシアがエアコンに感心して眺めている間に、ディレルはカウンターで書き物をしていた店主(セダム)の姿を見つけ声をかけた。

 その呼びかけに顔を上げたセダムは「おー」と手を挙げて応え、一度カウンターの奥に引っ込むと箱を抱えて戻ってきた。


「やっと来たな。随分忙しかったみたいじゃん」


 そう言いながらセダムはカウンターに持ってきた箱をゴトンと置いた。

 そして、入り口脇でエアコンを眺めるルルシアの姿に気付くとニカッと破顔した。


「ルルシアちゃんも久しぶりー。その冷暖房機興味ある? いる?」

「お久しぶりです。いりません」


 いらないかあ、と笑うセダムにぺこりと頭を下げ、ルルシアもカウンターの方へ向かう。

 ディレルの隣に立ってカウンターに置かれた箱を覗くと、一番上に紐でつづられた紙の束が入っており、その下に修理品であろう傷の入った魔術具が入っているのがちらりと見えた。先程セダムがこの箱を置いた瞬間、ルルシアだったらほんの少し持ち上げるだけで精一杯だろうな、というくらいに重そうな音がしていたので、恐らくこの箱いっぱいに魔術具が詰まっているのだろう。


「…たくさんありますね?」


 確か不在になる間、ディレルは仕事の受注は止めてもらったと言っていたはずだけど…と思いながらちらりとディレルの方を窺うと、彼はこの事態を予想済みだったらしく、苦笑を浮かべていた。

 セダムも同じく苦笑を浮かべ、肩をすくめる。


「ディルはしばらくテインツにいないから納期いつになるかわかんないよって言ったんだけど、『時間かかってもいい』って言った客が半分。もう半分はちょっと前にディルが戻って来たって聞きつけて早速依頼に来た客だよ」

「まあ…贔屓にしてもらえてるってことだしね。それはありがたい」

「まあな…そうそう、お前さ、オーキッドの仕事受けただろ? それでこっちの仕事やめるんじゃないかって心配して急いで来たって客もいたよ」

「あれ、もう噂が広まってるのか…あっちはそんなに数受けないって話にしてもらったからそんなに影響はないよ」

「支部長からしたら前からディルを狙ってたんだから、宣伝するでしょー」


 セダムの言葉にディレルが顔をしかめる。

 オーキッドというのは商業ギルドのテインツ支部の支部長が経営している店の名前である。

 サイカの件で、ディレルは支部長の力を借りる代わりに商品の受注制作を約束させられたのだ。

 オーキッドで取り扱っているのは魔術具ではなく装飾のためのアクセサリーが主である。商品の価格帯もだいぶお高くて、ファッションにほとんど興味がないルルシアなどは一生お世話にならないであろう店である。

 なぜ魔術具職人であるディレルに…と思わなくもないが、過去にディレルが作っていた髪留めなどはあの店に並んでいてもおかしくない出来だった。しかも魔術具として機能するというのだから、それは支部長も自分の店に置きたがるというものである。


「あそこは気に入った職人囲い込むのが普通だからな。『オーキッドと仕事』イコール『専属になった』って思われても仕方ない」

「俺が装飾品の職人だったらオーキッドの専属なんて夢みたいな話だろうけどね…」


 だがディレルは魔術具の職人だ。確かに見た目を良くするように心がけてはいるが、素材や魔術文様の特製を最大限に生かした魔術具を作りたいのであって、目を楽しませるための装飾品を作るのが主目的ではないのだ。

 

「ウチみたいな小さいとこと比べ物になんない規模だからね。ま、ディルには水が合わないだろうけど」


 棚の整理を終えたジャスミンが話に加わる。

 セダムの妻のジャスミンは日に焼けた肌と金色の長い髪が良く似合っていて、笑顔を浮かべると大輪の花のような華やかさがある女性だ。「ルルシアちゃん久しぶりー」とひらひら手を振った彼女に、ルルシアもつられてヘラりと笑顔を返した。


「合わないだろうね。規模が大きい分自由が利かないみたいだし」


 躊躇いもなく頷いたディレルは本当に専属契約には興味がないらしい。

 ルルシアには職人の事情はよく分からないが、自由が利かない、ということは作りたいものが作れなくなるということだろうか。確かにそれはディレルには合わなさそうだ。

 そんなディレルにセダムは苦笑いで返した。


「まあ今のお前みたいにふらっと魔物と戦いに行くなんてことはできないだろうな」

「いや、それはウチもやめて欲しいけどね!」


 ジャスミンが夫の言葉を引き取り、腰に手を当てて眉をしかめて見せる。

 どうやら作りたいもの云々の前に素材を取りに行ったり討伐に混じったりという方が問題のようだ。


「仕事の納期は守ってるじゃん」


 涼しい顔で笑顔を浮かべるディレルを睨みつけたジャスミンは大きくため息をついた。


「そういうことじゃない。分かってて言ってるからたちが悪いわこいつ。まあ今更だけど」


 彼の腕は大切な商売道具である。大きな怪我でも負ってしまったら今のように繊細な仕事はできなくなるかもしれない。そんなことになったらディレルだけではなくいろいろな方面で一大事である。ジャスミンもセダムも折に触れて口酸っぱく注意しているようだが、当の本人はどこ吹く風と言った面持ちである。

 ルルシアもじっとしていられないタイプなので残念ながらディレルの気持ちがよくわかってしまう。


「ま、そんなディルのご依頼の品だよ」


 大げさに肩をすくめて見せたセダムが、手のひらに収まるくらいの小さな箱を新しく出してきた。ディレルはそれを受け取り、中身を確認する。ルルシアからは見えないが、品物に問題はなかったらしくディレルは「ありがとう。向こうにも改めてお礼言っといて」と微笑んだ。


(ディルが依頼を受けたんじゃなくて、依頼をしたんだ?)


 そういうこともあるのか…と、意外に思いながら眺めていると、そのディレルと目が合った。


「ルル、手を出して」

「ん?」


 何の脈絡もなく差し出されたディレルの手のひらに、内心首を傾げつつ言われるままに手を重ねる。

 ルルシアの指先がディレルのもう片方の手で包まれた。


「あげる」

「………」


 指に冷たく固い感触が触れている。


「指輪…」


 ディレルの手が離れた後のルルシアの指に、銀色の指輪が輝いていた。

 繊細な蔦模様が施された地金に、澄んだ水を思わせる青の石が埋め込まれている。手を動かすと店内のランプの光を反射してきらりと輝きを放った。


「え、指輪!?」

「うん。婚約指輪。前に、もっとちゃんとしたものをあげるって言ったでしょ?」

「前…」


 今や大活躍のブレスレットをくれた時、確かにディレルはそんなようなことを言っていた。

 そして、受け取るのを申し訳なく思わないような理由を用意する、とも。


「残念ながら、さすがに宝石加工はできないから仕上げは別の職人に依頼したんだけどね」


 その職人との仲介をセダムがしたのだそうだ。

 依頼した時期はサイカに行く前。


 ルルシアがパッっとジャスミンを見ると、ニッコリと良い笑顔が返ってきた。

 ルルシアが結婚についてジャスミンに相談をしたときには、既に彼女はそれを知っていたのだ。

 思わずルルシアは両手で顔を覆い、その場にしゃがみこんだ。


「ルル?」


 ディレルが膝をついてしゃがみこんだルルシアと視線を合わせる。彼はやや不安げな表情を浮かべていた。

 その表情にルルシアは逆に可笑しくなってしまって、ふ、と笑った。

 指輪を渡した相手がへなへなとくずおれたら、さすがの彼も不安になるらしい。

 ルルシアは笑いながら両手を伸ばしてディレルに抱きついた。


「…ありがとう。嬉しい。一生大事にします」

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