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154. ベルを鳴らして

あけましておめでとうございます!

本年もよろしくお願いいたしますm(_ _)m

 改めてきちんとディレルと話をしよう。

 そう決心するまでにしばしの時間を要した。

 そしてその決心が鈍らないうちに…と、日も傾き始めた頃にランバート邸に足を伸ばしたのはいいが、その門扉のベルを鳴らせずに固まっているのが今のルルシアの状況である。


 門扉に設置されたベルは魔術具で、これを鳴らせばメリッサが気付いていつものように家に招き入れてくれるはずだ。


(いつもと変わらない。いつも通り、ただディルと話をして、メリッサにパイを作ってもらうようお願いする。それだけのこと)


 自分自身に何度言い聞かせたか、もうわからなくなってしまった言葉を再び心の中で反芻してから深呼吸をする。

 そしてそろそろとベルに手を伸ばし――


「嬢ちゃんどうしたんだ? メリッサさんいないのか?」

「ひゃい!!」


 後ろからかけられた声にルルシアは文字通り小さく飛び上がって奇怪な悲鳴を上げた。ベルとにらめっこをしていたせいで、すぐそばに人が来ていることにまったく気付いていなかった。

 声をかけてきたのはがっしりとした青年で、ランバート邸に食材を定期的に届けている商店の配達員である。ルルシアもメリッサの手伝いで何回か対応をしたことがあるので顔見知りだった。

 その彼は驚いて飛び上がったルルシアの反応に驚き、目を丸くしていた。


「…っ、すみません、ちょっと考え事してたのでびっくりしてしまって…」

「もしかして、声をかけちゃまずかったかな」

「いえ! 大丈夫です! 大したことじゃないので!」

「そうかい…? 配達に来たんだが、ベルを鳴らしても大丈夫かな?」


 やや不審気ながらも触れないことにしてくれたらしい青年はルルシアが今まさに手を伸ばしているベルに視線を向けた。


「大丈夫です! 鳴らします! すみません!」

「いや謝る必要はないけども…」


 わたわたと慌ててベルを鳴らしたルルシアの様子にただならぬものを感じたのか、青年は自分の頬を人差し指で掻きながら躊躇いがちに口を開いた。


「何か困りごとかい? 俺じゃ聞くくらいしか出来ないかもしれないけど良ければ相談に乗るよ?」

「あ…ありがとうございます。でも本当に大丈夫ですので」

「いや、君がこの家を出たって聞いてちょっと心配してたんだ。もしかして何かあったのかなって。もし困ってるなら――」


 話を、という青年のセリフはいつもよりもやや大きな音と共に開かれた門の音でかき消された。そして門を開けた人物――メリッサはニコリと笑顔を青年に向けると、納品の伝票を受け取るために彼の目の前に手を突き出した。 


「いつも配達ご苦労様です。――それとルルシアさんお久しぶりです。長旅お疲れさまでした。私は納品確認をしますので、ルルシアさんはどうぞ上がってください。ディレルさんは工房の方にいますから」

「あ、はい」


 有無を言わせぬメリッサの口調に、ルルシアはただ頷く。

 よくわからないがメリッサはあまり機嫌がよくなさそうである。少なくともパイを焼いてくださいとお願いする空気ではなさそうだったので大人しく屋敷の中に足を向けることにした。

 屋敷に入るとき、「全く、油断も隙も無い…」というメリッサの呟きが聞こえたが、それが一体何に対して向けられた言葉なのかルルシアには分からなかった。



***



 もしや何かメリッサを怒らせるようなことをしてしまったのだろうか…と肩を落とすルルシアから、先程の門の前でのやり取りを聞いたディレルはため息を一つこぼした。


「少なくともメリッサは怒ってないから大丈夫だよ」

「そう…? 怒ってないならいいんだけど…」

「そんな事よりも、俺に会いに来てくれたんでしょ? …結婚の話だよね」


 『そんな事』をやけに強調したディレルはルルシアをソファに座らせ、自分は作業用の椅子に腰かけた。普段だったらソファの隣に座ったり低い椅子を引っ張って来たりして目線を合わせてくれるのだが、今日のディレルはその気がないらしく、ルルシアが見上げる形になった。


「う…そう。そうです。ちゃんと話しなきゃって思って」

「うん。ゆっくり話す時間なくてごめんね。ちょっと立て込んでて…」


 そう言うとディレルは倦んだような雰囲気を漂わせながらちらりと作業机の方へ視線を向けた。机の上には各種素材と、作りかけと思しき魔術具、そして恐らく昨日商業ギルドの支部長から渡されたのであろう仕様書の束が広げられている。

 それに加えて、サイカに行くために受注を止めていた普段の仕事も再開しないといけないはずだ。そちらはある程度融通が利くのかもしれないが、商業ギルドの方はそうはいかないのだろう。


「別に急ぐ話じゃないし、忙しいなら後にするよ」

「さっきの配達員の話聞かされたら俺としてはとても急ぎたいんですけどね。…ただ、まあ、忙しいね…」


 そう言いながらディレルは眉間を指で揉むしぐさをした。本人が気付いているのかはわからないが、これは疲れている時の彼の癖だ。

 ルルシアはソファから立ち上がり、ディレルに歩み寄るとずいっと顔を寄せた。


「え、どうしたのルル」


 ディレルは驚いた顔で背をそらして逃げようとするが、ルルシアは両手で頭をガシッと掴んでそれを妨げる。

 近くで見ると眼下に薄くクマができている。それにやや顔色が悪い。


「…ディル、戻って来てからちゃんと寝た? もしかしてずっと工房にこもってない?」

「あー…こもってる、けど仮眠はとってるよ?」

「仮眠って椅子に座ったまま目閉じるあれでしょ? あんなの駄目。ちゃんと横になって寝なさい! 睡眠が足りないと体に悪いし、結局作業効率落ちるでしょう?」

「横になったら起きれないし」

「起きれないって自覚するほど疲れてるんじゃん! 二時間くらいしたら起こしてあげるからせめてソファで横になって寝て」

「…ルルが添い寝してくれるなら考える」

「そうやってごまかすつもり?」


 そう言えばルルシアがひるむと思っているのだろう。だがそうはいかない。何せルルシアは前世で夜更かしして寝坊をしたせいで死んだのだ。今世のルルシアの信条は、長生きはきちんとした睡眠から! である。


「ええ? 割と本気なんだけど…うーん、じゃあ膝枕して」


 ムッと眉を吊り上げたルルシアに、ディレルはやや拗ねたような口調で言い返してきた。これはどうやら本気で言っているのかもしれない、とルルシアは若干ひるむ。

 膝枕などしたこともされたこともないが、体勢的にあまり疲れが取れないのではないだろうか。――そんな考えが浮かぶが、ここで拒否したら「じゃあ寝ない」と言い出すかもしれない。

 それに何より、拗ねているところがとてもかわいくて甘やかしたくなる。


「……分かった。膝枕するからちゃんと寝てね」

「やった、言ってみるもんだね」


 パッと表情を明るく切り替えたディレルを思わず半眼で睨みつけるものの、彼からは「どうしたの?」と涼しい笑顔が返ってきた。

 はめられたのかな、とは思うものの、それはそれで構わないという気になってしまうのでこれが惚れた弱みというやつだろう。

 せめてもの抵抗に、ルルシアはソファにぼすんと座って自分の腿を叩いた。


「はい、ちゃっちゃっと横になる!」

「そんな色気のない…」

「休息に色気なんていりません。文句言うなら膝枕しない」

「えー…」


 ディレルは不満げに、それでも大人しくルルシアの腿に頭を預けて横になった。


「…ねえディル。商業ギルドのマスターの方の仕事ってそんなに納期短く設定されてるの? 職人潰しちゃうような無茶なスケジュール組んだら長く続かないでしょ」

「いや、さすがにこれは今回だけ。来月ピオニーの商会との間で取引があるとかで、そこで出す見本品をいくつか用意して欲しいって言われてて…今回のサイカの件で新しくやりとり始めた関係で大口の取引が開拓できそうなんだってさ」


 横になると眠気が一気にやってきたのか、ディレルはとろんとした調子でゆっくりと話した。


「俺はいずれこの家を出ないといけないし、その時のために上客の仕事の口は確保しておきたいんだ。ルルに不自由な思いさせたくないし…それに実力が認められればその分納期が多少長くなっても許されるしね」


 そう言って小さく微笑む。だが、ルルシアは対照的に顔をくしゃりと歪めた。

 今のこのランバート邸はランバート家の持ち物ではなく、クラフトギルドのマスターに与えられた住居だ。ディレルの父親が退任すれば次のマスターが住むことになるため、引っ越さなくてはならない。それを考えて仕事を増やそうとしているのだろう。


「それは理解できる、けど、無理はしてほしくない。別にわたしは裕福で楽な暮らしをしたいわけじゃないんだよ。ディルと、出来るだけ長く一緒にいたいの」

「分かってる。無理はしないって。今は単純に、俺がルルと一緒にいる時間を作りたいからちょっと必要以上に急いでるだけなんだよ」


 ディレルは笑いながら手を伸ばしてルルシアの首に回す。その腕が引き寄せる力に逆らわずにルルシアは上体を沈め、唇を重ねた。


「愛してるよ、ルル。……今ちょっと頭働いてないから、起きたら話をしよう」

「ふふふ、わかった。ゆっくり休んで」


 ゆっくりと髪をなでているとすぐに規則正しい寝息が聞こえ始める。やはり疲れていたのだ。

 ディレルは今回だけと言っているが、あまりあてにならないのでたまにこうやって強制的に寝かしつけないといけないかもしれない。


「おやすみ、わたしも愛してる」


 起こさないようにささやかな声で呟き、閉じられたまぶたに優しくキスを落とした。

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