150. その変革期に
ルルシアにとっては思い出すのもいたたまれない宴会の翌日、一行は朝からサイカを出発してエフェドラへ向かった。
もう亜人だからと隠れて進む必要もなく、そして魔力おばけと戦闘狂が加わり戦力的な心配もしなくてよくなったため行きよりもだいぶ楽な道行きである。それでも山越えに丸一日かかり、エフェドラの教会についたのは出発した次の日の昼ごろだった。
ちなみに、「休み休みでよければ転移でショートカットできるけどどうする?」というセネシオの提案は転移酔い経験者たちがそろって固辞したため全行程徒歩である。
テインツから来た時と同様に教会の入り口から黒塗りの馬車に乗り、相変わらず趣味の悪い応接間に通されて待つことしばし。
「キンシェは別にここにいなくてもセンナに直接報告に行けばいいだろ」
「報告行ったらすぐこき使われそうなんで業務開始を一瞬でも遅らせようかと思って」
ライノールがゆったりとお茶をすするキンシェに呆れた目を向けたころ、バタバタと廊下を走る音が聞こえてきた。
(あ、これはデジャビュ…)
ルルシアがそう思って再びドアが破壊される前にこちらから開けるべきか若干迷っている間に、カップをテーブルに置いたキンシェがスッと入り口近くに移動していった。
そして彼がドアを開くと、ほぼ同時に勢いよく少年少女が部屋に飛び込んで来た。
「「おかえりルル!!!」」
恐らくこの前と同様にドアにタックルして開けようとしていたのだろう。だがその前にキンシェが開けてしまったので二人は勢いあまってたたらを踏み、前のめりに倒れる。――が、転ぶ前にキンシェが両手で抱きとめた。
キンシェのあまりに鮮やかな動きにルルシアたちは思わず拍手する。
さすが神の子の護衛――これは護衛の仕事ではない気もするが、この鮮やかな手並みを見るにここでは日常的な出来事なのだろう。
「二人とも、体当たりはやめなさいと言いましたよね?」
「忘れてた!」
「覚えてたけどいいかなって思った!」
キンシェに叱られた双子は彼の腕に抱えられたまま元気な声で返事をした。
ルルシアはその変わらぬ元気さに思わず笑う。
「ルチア、ハオル、ただいま」
「ルル! 怪我とかしてない? セネシオさんに変なことされてない?」
「大丈夫。元気いっぱいです」
ルルシアが微笑んで見せると双子も輝くような笑顔を浮かべる。キンシェの腕から解放された彼らはそそくさとルルシアの方へやってきた。
その二人の背中に向かってキンシェは「えっ」と声を上げた。
「あれ? 俺におかえりはないんですかお子様方」
「…あ、忘れてた!」
「…あっ、そういえばキンシェも行ってたんだったっけ」
そういえばいなかったね! と目を丸くした双子に口々に言われ、がくりとうなだれたキンシェは一番近くにいたアドニスの肩に縋りついた。
「…これ俺泣いていいやつですよね」
「泣いてもいいが俺のところに来るな」
「アドニス氏まで冷たい」
アドニスにすぐに振り払われ、キンシェはよよよ…とわざとらしく泣き崩れた。その様子をちらりと見た双子は目を見合わせ、ニッと笑ってからしゃがみこんでしまったキンシェの方へ戻った。
「冗談だよ、おかえりキンシェ」
「あははは、おかえり! カリンとか他の護衛の人たちも皆早くキンシェに帰ってきて欲しいって言ってたよ」
肩や背中を叩いたり頭をなでたりして大の大人を慰める子供たち。
ライノールが半眼でそれを眺めながら「なんだこの茶番」とぼそりと呟いた。だが目の前の茶番劇はまだ続いていて、キンシェは涙をぬぐうようなしぐさをしている。
「お子様方…! でもその早く帰ってきて欲しいはちょっと嫌な予感がするなぁ」
まるでその言葉が合図だったかのように、開いたままだった扉から数人がバタバタと駆け込んできた。
やってきたのはキンシェの相方ともいえるカリンと、帯剣した若い青年が二人。青年たち二人は確かキンシェの後輩にあたる護衛官だったはずだ。
「キンシェ!! おかえりマジおかえり!!」
「うああ先輩やっと帰ってきてくれた―!」
珍しくキンシェにキラキラとした笑顔を向けるカリン。そして感極まって涙目になっている後輩二人のうち一人は髪の毛が蜘蛛の巣だらけでもう一人はずぶ濡れである。
「…嫌な予感的中しましたねえ」
キンシェがため息を付きながら双子を睨みつけると、二人は綺麗に揃った動きでついっと視線をそらした。
普段はカリンの目が離れる場面ではキンシェが、キンシェの目が離れる場面ではカリンが注意を払い神の子の脱走を未然に防いでいるらしいのだが、キンシェ不在の間その任に当たっていた後輩たちは何度も双子に出し抜かれ、脱走を許してしまったという。まさに今も双子の用意した罠に引っ掛かり出遅れたため一足遅い登場となったのだ。
(護衛対象が護衛に罠を仕掛けるって…)
後輩と言ってもきちんと訓練を積んだ護衛官だ。それを何度も出し抜くというのは本当に才能あふれる子どもたちだと逆に感心してしまうレベルである。
「信じられます? 大人を困らせてばかりいるこのお子様方と、サイカのエリカさん同じ年齢なんですよ…」
後輩たちに縋りつかれて遠い目になったキンシェの言葉に、エリカを知る面々は「あー…」と苦笑いを浮かべるしかなかった。
***
少し時間は戻って、宴会の前日。
「そっか、帰るんだ」
イベリスに帰還する日が決まったことを告げたルルシアとは目を合わせないまま、エリカはそっけなく、だがどことなく寂し気にそう呟いた。
「エリカさんはキンシェさんのお話断ったんですね」
「うん……でも本当はまだ迷ってもいるんだけど」
「そうですねえ…いいお話ですけどサイカを離れることになっちゃいますし…」
キンシェに何回か稽古をつけてもらっていたエリカは、彼から教会の護衛官見習いにならないかと話を持ち掛けられていた。
エリカはルルシアから見ても筋がいい。恐らくきちんとした訓練を受けられれば一気に上達するはずである。
メリットはそれだけではなく、見習いとなれば教会の宿舎に住み込みとなり、食事も提供される上に、当番の雑務をこなせばそう多くはないが給金も発生する。
キンシェによれば教会の見習い制度は剣、縫製、調理など多岐の分野に分かれており、職業訓練校のような色合いが強いものであるらしい。そして見習いになったからと言っても必ずしも将来的に教会で働く必要はないという。
実際に見習いがそのまま教会内でその職に就くことのほうが少なく、学んだことを生かして外で働くことのほうが多いらしい。つまり雇用促進という社会奉仕事業なのだ。
孤児でありかつ剣技の習得を希望しているエリカからしたら、生活の心配をすることなく鍛錬に打ち込めるというまたとない話である。
――が、当然サイカからは離れなければならない。
エリカが剣技を磨きたい理由は、サイカを守るため。ひいてはサイカを守るシオンの助けとなるためだ。
わざわざ外に出ずとも、しばらくすればサイカにも冒険者がやってきて、その中には定住して剣技を教えてくれる者もあらわれるだろう。だが、それがいつになるかはまだわからない。
逆にエフェドラへ行けば間違いなく短期間で上達が見込める。しかしいくら短期間と言っても数年は必要で、その間サイカからは離れることになる。
いつか来るかわからない指導者を待つか、数年離れて確実に腕を磨くか。
エリカと同時に話を持ちかけられたアキレアの答えはNOだった。彼の剣技はあくまでも公民館の仲間を守るためのものであって、数年といえども離れることは考えられないという。
それに恐らく、彼はエリカの気持ちも慮ったのだろう。
公民館をまとめている年長者が二人も一度に抜けてしまったら残された子どもたちが困ってしまう。離れるならばどちらか一人。そして、エリカはもとより冒険者へのあこがれが強い、というのを彼は知っている。
なので、アキレアは迷わず誘いを断ったのだ。
それも理解した上で、エリカは悩んでいる。
「うーん、あくまでエリカさん次第ですけど…まだサイカの中はばたばたしてますから、ある程度落ち着いてから考えて判断したらいいんじゃないでしょうか」
ルルシアの曖昧なアドバイスに、エリカはむう、と唇を曲げた。
「…ある程度って言っても、そうやって様子見で足踏みしてる時間が無駄になるかもって思っちゃうんだよ」
「タイミングをはかることは足踏みではないですよ。――これからきっと一気にサイカは変わっていきます。人も増えると思いますし、そうなれば公民館だって今の在り方とは変わるかもしれません。いちばん大変なその変革期に、エリカさん自身が不安を抱えたまま離れてしまうとせっかくの鍛錬にも身が入らないんじゃないでしょうか」
「変革期……」
「悩むなら、自分にとって大事なものが大事にできる道を選ぶほうがいいと思います」
「……そうだね。うん。…確かに今離れたら毎日サイカの心配して過ごすことになりそう。私は強くなりたいけど、それよりサイカのために働きたいから…ちょっと保留にさせてもらえるようキンシェさんにお願いする」
少しだけ考え込むふうな顔をした後、エリカは頷き、晴れ晴れとした表情をルルシアに向けた。
「…ありがとう、ルルシアさん。ちょっとスッキリした」
微笑んだその顔は年齢よりずっと大人びて見えて、とても美しかった。
(多分数年もしたらエリカさんのこと周りが放っておかないだろうな…)
「どういたしまして。…あー…あと、鈍い、無自覚と散々言われるわたしが言うのもアレですが……シオン様はとても鈍いので、もし離れるならその前に猛プッシュしておいたほうがいいと思います」
「お互いのために」と付け加えようかと思ったがやめておく。
エリカは一気に真っ赤になり、「なっ」とか「うう…」とかうめいた後、顔を両手で覆い隠して「…善処する…」と消え入るような声で返事をした。
***
そのエリカの反応が年相応で可愛いなと思ったのだが。
その彼女と同じ年の双子は今、カリンに叱られて(おそらく表面上だけの)反省の色をにじませてしゅんとしている。
「エリカさんとかアキレア君みたいなしっかりした同世代の子がそばにいたらお子様たちも少しは自分を見直してくれるかなぁと思ったんですけど、どちらにも断られちゃったんですよね」
残念そうに肩を落としたキンシェにライノールが意外そうな表情を浮かべた。
「てっきり若い娘を囲い込もうとしてるのかと思った」
「いくらなんでも酷すぎません!? エリカさんは本当に筋が良いんですよ。育てないのはもったいないんです!」
キンシェは職務に関しては至って真面目である。邪な考えではなく、本気で鍛えたいと思って声をかけたのだろう。――だが、鍛えていずれは好敵手となる対戦相手を得たいという戦闘狂な考えが根底にある気がするが。
ぷりぷりと怒るキンシェにルチアが首を傾げた。
「ねえキンシェ、エリカさんって?」
「二人と同い年のサイカの女の子で、筋もいいし腕を磨きたがってたので見習いにならないかって声かけたんです。ひとまず保留にさせてくれって言われたんで来るか来ないかはわからないですけど」
「同い年の女の子!? キンシェ、絶対来るように何度も誘って!」
きらりルチアの瞳が光る。
もしエリカが来たら彼女に振り回されることになりそうだ。――今まさに腕をがっしりと掴まれてきせかえ人形にされようとしているルルシアのように。
嫌そうに眉をしかめる顔が目に浮かぶようで、ルルシアは未来のエリカに憐憫の情を抱かずにいられなかった。




