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144. 足元を掬うなら今

 しばらくしてやってきたのはライノールだけで、セネシオは病室へアルニカの様子を見に行ったらしい。

 聞いた話によればセネシオは彼女を暴力から守るための防壁を作るために変身を解いたようだ。

 それでもあの怪我だ。彼の到着がもう少し遅れていたら取り返しがつかないことになっていたかもしれない。セネシオが怒って魔法で看守たちをふっとばしたというのも頷ける。

 頷ける、のだが――なんとなく、セネシオが一時的な怒りで短絡的な行動を取るというのはピンとこない。もしかしてアルニカは彼にとって特別な相手なのかもしれない。


(だって、アルニカさんって…)


 どかっと椅子に座ったライノールの疲れた様子に気付いてルルシアの思考が途切れる。

 セネシオも疲れているだろうが、エフェドラから移動してきてすぐに相手の時間を止めるなどという魔力消費の激しい魔法を長時間使ったのだから、ライノールは疲れたどころの話ではないはずだ。

 だがルルシアが気遣ったところで憎まれ口が返ってくるだけなのはわかりきっているので敢えていつもどおりに話しかける。


「ライ、あのエルフの人たちの魔力封じたの?」

「まだ。セネシオが本調子じゃないからな。見に行ったのは魔法が安定して効いてるのを確認するためだ」

「あ、やっぱり。…ところでライはローブ着たままなの? 別にエルフなの隠す必要ないわけだし敵に襲われもしないと思うよ」


 とてとてと近づいたルルシアはフードをかぶったままの彼の頭をぼすぼすと叩いた。


「やめろ。…セネシオが行く先々で女に言い寄られてたの見てうんざりした」


 叩いていたルルシアの手を掴みひねりあげながらライノールが渋い声を出した。


「痛い痛い。…ってか女性陣のバイタリティすごいね。エルフでも構わないんだ…」


 セネシオは今マントを脱いでいるのでキラキラ美青年フェイスを惜しげもなく晒している。――とはいっても、行く先々で言い寄られるとなるとさすがにこの拠点にいる女性陣が肉食系過ぎるのではなかろうか。

 第一、つい昨日までは亜人を受け入れない場所だったはずだというのにあまりにも変わり身が早いと思うのだが。


「サイカは人の出入りが少ないからたまにいい男…まあ女もだけど、そういうのが来ると早めに唾つけておこうって群がる風潮が強くてな…亜人も受け入れていきましょうって体勢に変わるならエルフだろうが何だろうが強くて顔がいい方がいいってことだろ。で、そうなったらこう…早いもの勝ちみたいな」


 非常に申し訳なさそうな顔でシオンが肩をすくめた。


「…セネシオはああいうキャラだから声かけやすいってのはあるだろうけどな」


 彼の場合むしろ自ら積極的に声をかけにいっていてもおかしくないし、そういう雰囲気はなんとなく相手にも伝わるのだろう。ルルシアも頷く。


「ライはいつも遠巻きに見られてるからそういうの慣れてないしね。ぶすっとしてて威圧的だからテインツの町の人に若干怖がられてるし」

「美形が不機嫌そうにしてると冷たそうに見えて怖いですからねー。でもそれはそれでファンがいそうですけど」

「にこにこ愛想よくしてるライの方が怖いよね」

「ディルやめて。にこやかなライとか想像したらすごく邪悪だった」


 そう言いながらルルシアはライノールのフードを勝手に下ろして乱れた銀色の髪を手櫛で整える。美しい顔を不機嫌に歪めたライノールは特に抵抗することなくルルシアのなすがままになっている。



 やっぱりこいつらの距離感わかんねえな…と心の中でつぶやきながらシオンはライノールを観察する。

 セネシオもそうだったが、ライノールも『これぞエルフ』という絶世の美形だ。

 ルルシアもセネシオも黒髪寄りの色だったのでエルフに馴染みのないシオンはそういうものなのかと思いかけていたが、ライノールはまるで銀糸のようなキラキラとした銀髪だった。そして紫色の瞳にはルルシアとは違って理知的な光が宿っている。男のシオンから見ても思わず見惚れてしまうほどのいい男だ。

 ルルシアがエルフと聞いてまあ確かに美人だよなと思ったのだが、彼らはもうレベルが違う。ルルシアと彼らのどちらが標準なのか分からないが確かにこの容姿ならばローブやマントで隠していないと無用な混乱を招きそうである。


「…多分フードかぶってないと女性陣が我先に食いついてくると思う。あいつらはちょっとやそっと睨まれようが冷たくされようが気にするほど繊細じゃねえから。まあでもエルフだってのは分かってんだし、そのうち無理やり脱がせにかかってくるかもな」

「ふざけんなこの組織どうなってるんだよ責任者」


 ライノールはいかにも嫌そうに吐き捨てたのだが、そんな様子すら彼の美しさを損なわない。シオンも自分の容姿の良さからちやほやされることに若干辟易することがあるのだが、彼と比べたら全く問題にならないレベルである。


「俺そこまでいい男じゃなくてよかったわ…」

「シオンさん本音漏れてる」


 ディレルの苦笑交じりの突っ込みにハッとして口を閉ざすが時すでに遅く、ライノールにぎろりと睨まれる。


「っていってもシオンさんだっていい男じゃないっすかー。俺もそんなこと言ってみたいっすよ。どうせシオンさんだってモテモテでしょうが」

「いや俺は戦う方がからっきしだから頼りないって思われてて相手にされてない」


 キンシェが口をとがらせ言った言葉にシオンは即座に首を振ったが、ディレルはややからかうように笑った。


「今日からリーダーなんだからモテるんじゃないですか」

「…ええ…そういうのいらねえ…」

「むしろ新リーダーがこんな所でうだうだしていいのか? 忙しいんじゃないのか」


 頭痛をこらえるようにこめかみを押さえたシオンにライノールが追い打ちをかける。ごくまっとうな指摘にシオンは完全に頭を抱えてしまった。


「ぐ…それはそうなんだが…」


 頭を抱えて現実逃避を図るシオンの姿にライノールは呆れたように目を細める。

 そのライノールに向かい、ルルシアは腰に手を当ててキッと睨みつけた。


「だめだよライ。シオン様はプレッシャーに弱いネガティブボーイだから心の安定のために一時的な現実逃避をしてるんだよ。あんまりいじめないであげてよ泣いちゃうから」

「うるせえルルシア。フォローしてくれんのかと思ったらディスってんじゃねえか」


 シオンは頭を抱えるのをやめてルルシアの頭にチョップを入れようとしたがルルシアはさっと避けてディレルの後ろに逃げ込んだ。


「わたしを馬鹿にするシオン様の足元を掬うなら今しかないと思って」

「鬼かお前…ドヤ顔してんじゃねえよムカつくな」


 ディレルの後ろでニヤニヤしているルルシアにチッと舌打ちをしてから、シオンは大きくため息をつくと腕を組んだ。


「…つっても運営上は実際そんなに変わんねえんだよ。ザース側の連中はもとよりそんなに仕事してなかったから抜けても困んねえし…むしろ揉め事が減る分やや負担が軽くなるかもしれん。…そのかわり魔物の討伐のための人材育成がほぼゼロスタートなんだよな」

「そういえばエリカさんが剣を教えてくれる人がいないって言ってましたね」


 二年前の魔獣騒ぎで前リーダー代理のリザーを含めたサイカの主要な戦闘要員は命を落としている。そこからストラの横やりが入って討伐は中止されてしまったのでまともに戦える人材はほとんどいない。


「そうなんだよ。本人が戦えたとしてもちゃんと人に教えられる奴がいない」


 戦うだけならばそれこそザースの手下で良い。スマートな戦い方とは程遠いが魔物を倒せないわけではないのだ。が、それだけでは遠からず息切れしてしまうのが目に見えている。

 エリカやアキレアのように剣をきちんと学びたいという子供たちのためにも優秀な指導者が必要なのだ。


「どこかから雇い入れるか見込みある人材を派遣して育ててもらうかでしょうね」

「まあそうなるよな。いつまでもエフェドラに頼るわけにいかんし、優先順位高めでいかねえとなぁ」


 指導者かあ…とルルシアは虚空を見上げる。


「空き家を直して、新人育成を条件に移住してくれたら税金なんかを優遇しますとか呼びかけたら冒険者来ませんかね」


 確か限界集落で若い人を呼び込むためにそういう取り組みをしていたところがあったような気がする。前世のニュースのおぼろげな記憶を引きずり出しながら呟く。


「未来を担うお仕事です、やりがいあります! みたいな感じにするとやる気ある人来てくれるかも」

「やりがい搾取系のブラック求人の常套句じゃねえかそれ…」


 前世の何かを思い出したのか、シオンはうんざりと顔をしかめる。


「…ルルの言った怪しい誘い文句は却下するとしても、受け皿用意して冒険者呼び込むのは悪くないんじゃないか。それに魔物素材も豊富なんだろ?」


 ライノールはルルシアの頭を小突きながらディレルの方を見た。


「そうだね、他ではあまり見ない種類が多いから新しい素材とかもありそうだし…今は短期滞在でもちょっと大変だから、滞在のハードルが下がればそれなりに来ると思うよ」

「クレセントロックドラゴンもいたしね」

「やっと名前覚えたのか。…ってか、居たのか? マジで」


 ルルシアが正式名称をきちんと口にしたのは初めてかもしれない。軽い感動すら覚えたシオンの驚きの声に目を輝かせたのは何故かディレルだった。


「いました。そう、それでライに明日素材採取手伝ってほしいんだけど」

「は? 構わんが…何の素材だ?」

「クレセントロックドラゴン。倒したけど時間がなくて素材採取できなかったから目くらましの魔術で隠してる状態なんだ。ライがいれば手っ取り早く鱗剥いだりできそうだから」

「ほう、人を採取道具扱いか。いい度胸だな」

「乾燥にも熱にも強いし耐水性も耐魔性も高いうえに加工しやすいんだ。色々とあそ…新しいことも試せると思う」


 皮肉っぽい口調で答えたライノールには全く動じず、ディレルは上機嫌で一気にまくしたてる。


「だめだ、人の嫌味聞いてねえなこいつ」

「しかも本音出てるしね」


 エルフたちの言葉にディレルはニコリと微笑む。


「手伝ってくれるよね?」

「わかったわかった。手伝うよ」

「ルルもいく?」

「んー」


 ディレルに聞かれたルルシアは少し考えてからアドニスの方へ目を向けた。


「わたし公民館に顔出したいな。アドニスさん一緒に行きましょう」


 突然水を向けられたアドニスは面食らった顔でルルシアを見つめ返した。


「は? なんで俺が」

「エリカさんとか子供たちが剣を教わりたいみたいだから。アドニスさんなら教えられるでしょう?」

「……俺よりもそっちの護衛の方が適任だろ。本職だし指導もしてるだろうし」


 アドニスは眉根を寄せたままキンシェの方を示した。


「キンシェさんは本職過ぎてこういうのお願いしちゃダメな気がして…」

「いや、別にいいっすよ? ライノールさんの付き添いできてるだけなんで別にやることないし…ディレルさんとライノールさん一緒なら別に護衛とかいらねっすよね?」

「別にいらんな。うるさいし」

「酷い。ライノールさん一言多くないですかぁ?…まあとにかくそういうことなんで行きます。もちろんアドニス氏も行くんだよね? 教えられる人数は多いに越したことないし」

「行きますよね?」


 キンシェとルルシアに圧のある笑顔を向けられ、アドニスはため息をついた。


「…分かったよ」

「やった。というわけで明日は公民館に行きます。ディルとライも戻ったら来てね」

「分かった」


 やや面白くなさそうに頷くディレルをライノールがにやにやしながら眺めていた。

 そしてそんな光景を見つめつつ呟かれた


「いいなあ俺も公民館行きたい…」


 というシオンの言葉は全員の苦笑とともに黙殺された。

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