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142. 新しいサイカ

「エリカを攫ったのはそいつだろ。暴力だって…」


 不愉快そうな顔でそういうシオンを煽るかのようにユラはニヤっと笑って見せた。


「攫ったのはストラで、あたしは何もしてないよぉ」


 からかうような――というよりも完全にからかっている態度にシオンの柳眉が吊り上がる。そのシオンの様子に慌てたのはエリカだった。


「シ、シオン様、私その人に暴力は振るわれてないです。捕まった時にストラに魔法か何かを使われて気を失って…でも別に殴られたりとかしてないと思います。それにストラが側にいるとき、その人は私の寝たふりに気づいてたのに黙っててくれたからひどい目にあわされずに済んだし」

「…逃がせるタイミングがあったのに逃がしてやらなかったんだから同罪だろ」


 シオンの言葉にユラは尻尾をゆらりと揺らした。


「まあそうだね。…お嬢ちゃんの誘拐はこっちとしてもかなり予定外だったんだよね。ストラが連れて来ちゃってさ。原因はあたしのミスでもあるし、さてこれはどうしようっかなーって思ってたらそちらさんに奪還されちゃったんだ。つまり何もしてない」


 ユラは天を仰いでそう言って――エリカの件に関してそれ以上細かい事情を語るつもりがないようで口を閉ざしてしまった。

 なんだかんだと言ったところで彼女もサイカを危険にさらしたことに違いはない。最終目的が違ったとしても結局ストラの行動を抑止しないという形で協力してきたのだ。同じように裁かれてしかるべきである。

 だが――それはあまりに…ルルシアの目覚めが悪い。

 ルルシアはシオンに見えるようにそろそろと手をあげた。


「あの、…あの時点でエリカさんを解放して公民館に戻しても安全とは言えませんでした。それにさっきの話から考えると、ストラは公民館の子供たちごとどうにかしようって考えちゃうようなタイプですよね。かといって誰かに預けるにしても、ストラと敵対して対抗できる戦力を持った人がサイカにはいないってユラさんは判断した。わたしたちの存在だって知らなかったわけですし。――だからユラさんは、エリカさんを自分の監視下に置くのが一番安全だと判断したんですよね?」

「さあ、どうだろうね」


 薄く笑いを浮かべてユラは首をかしげる。

 認めるつもりはないようだが否定もしないのが答えだろう。

 彼女には彼女なりの独特な美学のようなものがあるらしい。計画の邪魔はするが、自分の役割はきちんと遂行する。自分の失敗が原因で計画が崩れるのも、上手くいきすぎて想定以上に被害が広がるのも許せない。

 ユラにとって、エリカがストラに捕まってしまったのは自分の失敗に分類されている。だから役割は遂行しつつもエリカに危害が及ばないように行動していたのだ。


「ユラさんは確かに色々あれですけど…エリカさんを解放しなかったのも、その後わたしたちにくっついて一緒に行動してたのも、ストラから守るためでしょう?」

「お、あたしそんなにいい人だって思われてたかー」

「いい人っていうか…善意じゃないかもですけど、少なくとも悪意は感じませんでした。――ディルだってそれでユラさんがついてくるのを黙認したんだよね?」


 ルルシアがディレルに視線を向けると、ディレルは肩をすくめつつも頷いた。


「…そうだね。いい人だとは欠片も思わなかったし今も思ってないけど、とりあえずエリカさんに危害は及ぼさないだろうなって判断した」

「というわけで、ユラさんはエリカさんに対して良いことはしていませんが悪いこともそれほどしてません」


 そこまで言い切って、はて、自分は何を言いたかったのだろうかと首をかしげる。

 当然ながらそれはシオンも同様で、困った顔でルルシアを見ていた。


「…それは結局…庇ってる…のか?」

「ええと…? シオン様の怒りを削ごうとはしています」

「なんだそれ…」


 シオンの呆れ切った表情からは一応ルルシアの狙い通り怒りの色は消えていた。が、言いたかったことは全く伝わっていない気がする。

 そもそもルルシア自身、自分が何を言おうとしていたのか分かっていないので当然だが。


「…つまり、一応責任取って危害が及ばないよう動いてたんだから多少斟酌してくれってことだよね」

「そうそれ! それが言いたかったのさすがディル。そんな感じ! …です」


 一瞬部屋の中に落ちた戸惑いという名の沈黙の後、苦笑交じりのディレルの言葉にルルシアはパッと顔を明るくした。数人が顔をそらして笑っている気もするが、それはひとまず置いておく。


「……はあ…分かったよ。なんか腹立ててるのが馬鹿馬鹿しくなった。エリカもルルシアと同じなら俺から何か言うことはねえよ」

「えっ、た、多分同じです…」


 頭痛がするのかこめかみの辺りを押さえたシオンが疲れたような声を出した。それに対してエリカは困った顔で、それでも頷いた。


「ふふふ、了解。ルルシアちゃんの言葉も含めて向こうに伝えておくよ」


 セネシオがそう締めて、ルルシアがほっと息をついた瞬間エリカと目が合った。彼女も安堵したような表情を浮かべており、そしてルルシアに向けて一瞬だけ微笑んだ。


(エリカさんに初めて笑いかけられた気がする!)


 嬉しくなってルルシアもデレデレと笑顔を返すと、若干眉をひそめて目をそらされてしまった。だが少しだけ耳が赤くなっているので嫌われてはいなさそうだ。



 ルルシアがにやけている間に話の進行役はセネシオからシオンに交代し、今後のサイカについての話に変わっていた。


 討伐が廃止されたことで増えてしまった周辺の魔物は、サイカの内部が落ち着いて十分な対応ができるまでの間、隣接するエフェドラが定期的に討伐隊を投入してくれることになったらしい。

 セネシオが『お願い』して『快く引き受けてくれた』というのだが、その相手は教会の清浄派を率いていたアルボレス氏で、更にそれを聞いているディレルの表情を伺うにあまり深く追求しないほうがいい交渉が行われていたと思われる。


「うちにあった討伐隊を廃止してくれたザースとアナベルは監視付きでそれぞれ自室に閉じ込めてる。別に牢に繋いでるわけじゃないがまあ、二人揃って意気消沈してるからもう悪さはしないだろ」

「…意気消沈?」


 ルルシアたちの方の状況はセネシオとシオンに報告しているのだが、拠点側で何が起こってどうなったのかについてはざっくりとしか聞いていないのだ。

 ルルシアが首を傾げるとその呟きに気づいたシオンが肩をすくめた。


「アナベルは浮気がバレた上に愛人に捨てられたし、今後は今までみたいに好き勝手豪遊できないこと確定してるからな。で、ザースは下に見てた部下に操られてたうえに恋人奪われて、しかもその恋人が殺そうとしてきた。で、代理も解任されて、おまけに部下の目の前で大っ嫌いな亜人のセネシオに殴りかかったのに触れることすら出来なかった。もうプライドズタズタだよ」

「うわあ」


 もう「うわあ」としか言いようがない。どこからどこまで操られていたのかはわからないがそれでも二人共自業自得だし、きちんと罰を受けるべきだとは思う。思うが――。


「奥様(仮)の浮気は他のメンバーには割とバレバレだったけどザースサマは本当に気付いてなかったのよね。…確かに上に立つ者として失格だし、自分でやったことの償いは必要だと思うけど、こんなドロドロのデロンデロンの上にプライドもズタズタっていうのはちょっとザースサマ哀れよね」


 ルルシアの思考を代弁するかのような呟きをこぼしたエイレンが頬に手を当ててため息を吐いた。「まあな…」と返したシオンは複雑な表情だった。

 ザースも含め、その取り巻きたちは全員その行動を洗い直され、罪を追求することで話はまとまっているそうだ。そして、そういった事情も考慮しつつ個々の能力や経験に応じて組織内の人事を一新するという。

 よほど悪質な人物でない限りは簡単に追放できるほど人材が潤沢ではない…ので、ほとんどのメンバーが残留する見通しだ。

 この采配は今シオンの隣にいる中年男性が行う。もともとリーダーたちの補助をしていたのだが、ザースへの諫言が煙たがられて閑職に追いやられていたという人物だ。

 しかし彼は閑職にあるのをいいことに、組織内外あちこちに入り込んで手伝いをしたりして人物観察をしていた――というちょっと癖の強い御仁で、人事には最適らしい。


 そして、アルニカは怪我が回復次第シオンの補助として外部との交渉に当たる。

 

「基本的にはグロッサと協力してじわじわシェパーズに圧力かけてくことになる。グロッサとの交渉についてはそこのバ…セネシオがパイプを持ってるし、少年のおかげでピオニーも貿易に乗り気になってる。過去に外へ逃した連中は周辺国に散ってるから色々とこっちに有利な情報を流すこともできるし、手持ちのカードは悪くないと思う」


 というのが彼女の言葉だ。

 少年というのはディレルのことで、彼はテインツの商業ギルドの支部長からピオニーにグロッサとの貿易を持ちかけてもらったらしい。

 支部長の店舗からのアクセサリー制作受注を条件に、だ。ディレルは支部長から「仕様書まとめるからちょっと待っててね!」とノリノリで言われたと遠い目をしていた。

 支部長の店はテインツでもかなりの大店である。今まで最低限に仕事量をセーブしていたディレルからしたらかなり憂鬱な約束のようだった。


 こんな風に、多少の犠牲を払いつつも新しいサイカは動き出したのだった。

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