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139. 許せなくても

 公民館のそばにたどり着いたときに見えたのは巨大な風の柱だった。


「うわー…」

「えっ、何あれ!? 竜巻…?」


 こういうことをするのは、そしてできるのは間違いなく一人しかいない。

 早くたどり着きたくてルルシアの走る速度が早くなる。


「ライ!!」


 ルルシアがその二人の姿を確認して声を上げたのは、キンシェが切り落とした獣人の片腕を拾い上げた瞬間だった。


「…この場面でその嬉しそうな顔はやばいな」


 二人のうちローブの人物がぼそりと呟き、もう一人は嬉しそうに微笑んだ。


「殺伐とした場面に美少女が笑顔で駆け込んでくるのは中々倒錯的でいいですね」

「黙れ変態。とりあえずその腕をどうにかしろ」

「へーい」


 久しぶりにライノールに会えるとあって、ルルシアに自覚はなかったが相当嬉しそうな顔をしていたらしい。たたらを踏んで足を止めたが、落ち着いて状況を見てみれば割と大変な惨状だった。

 呆然と座り込む少年と少女、腕を半ばで切り落とされて失神した獣人、同じく失神したエルフ二人――この二人は恐らくライノールの魔法で風の柱に巻かれて窒息したのだと思われる。

 ライノールはルルシアの方をちらりと見た後、キンシェに声をかけた。


「とりあえず三人まとめて眠らせて拘束して…面倒だからセネシオに運ばせる」

「了解ー」


 キンシェが笑いながら応じて、獣人を倒れたエルフたちの方へ引きずっていく。

 少し遅れて追いついて来たエリカがリアたちの方へ駆け寄って行った。少年少女は呆然とした様子だが、鈍いながらも返事をしているそちらは任せて大丈夫だろう。というわけでルルシアはライノールの方へ駆け寄った。


「ねえどうしてディルに口止めしたの? 来るなら教えてくれればいいのに!」

「魔法薬使うからあんまり近寄るなよ」


 ライノールはローブの袖をつかんだルルシアに対してしっしと追い払う動作をする。ルルシアはぷくっとむくれて袖を離した。


「…むうううう……そっちのエルフの男の人、もしかしたら魔法薬に耐性あったりして効きが悪いかもしれないよ」


 二人いるエルフは男と女だった。ということは男のほうがストラだろう。

 魔法薬と言っても魔法の効果で眠らせるのではなく、薬の効果で意識が遠くなった状態を魔法で維持するのだ。(とセネシオが言っていた)

 ライノールが今ルルシアを遠ざけようとしたように、薬の成分を吸ってしまえば誰にでも効果が出る。もちろん薬を使用する者自身にも。ライノールは布を鼻にあてているが、エリカの話ではストラはそういうことをしていなかったらしい。

 狭い部屋で薬を焚いて、短時間とはいえ対策もせずにその部屋にいたということは本人は耐性を持っているのではないだろうか。


「…そうみたいだな」


 ライノールが軽く手を振って、漂っていた魔法薬の匂いを風で散らした。

 薬が効いてエルフの女と獣人は静かな寝息を立てている。

 一人だけ――おそらくストラ――だけは失神から目覚め、地面に膝をついたまま唇から血を流してライノールを睨みつけていた。


「…エ…ルフ…のくせに、人間を守るのか」


 かすれた声は、以前ルルシアに歌をリクエストした男のものだった。動いた唇の端からツッと血が落ちる。薬に耐性があるとはいえ完全に効かないわけではないらしい。気付けのために自分で唇を噛んだのだろう。


「くだらないな。種族の違いに何の意味がある」


 静かな声でライノールが返す。地面についたストラの手に力が入り、ざりっと土を掻いた。


「人間は俺の弟を奪った。…あいつらは自分たちが魔物から逃れるために、あいつらを守るため戦った俺の弟を後ろから刺して、動けない状態にして見捨てたんだ」

「…それは気の毒だと思うが、それはそいつらに問題があったんだろう。人間自体を怨むのは筋違いだ」


 ストラは羽織っていたマントを脱ぎ棄てる。柔らかくウェーブする明るい金色の髪と白い肌に、唇から伝う血の跡が浮きたつように目立つ。彼は血走った目でライノールを睨みつける。


「エルフの体が魔物を引き寄せるのに使えると、あいつらはそこで気付いた。それであいつらは、残った弟の体を刻んで魔物の誘引剤を作った」


 ストラは奇妙に落ち着いた声で淡々と凄惨な話を語った。

 ルルシアはふらりとよろけて数歩あとずさり、そばに立っていたディレルに支えられる。マントを脱ぎ棄てたストラから強烈な魔力の気配がして眩暈がしたのだ。


「でも肉体が死んでしまえば誘引効果はすぐ薄れる。だから、実験を繰り返して、血液っていう最も効率のいい素材を特定したんだ。…魔力は血に宿るからな。更に精製して結晶化することで長期間効果を保てることも発見した。魔力を込めた魔石なんかよりももっと効率のいい燃料で、更に魔物を引き付けることができる…他所の土地を侵略するのにうってつけだろ?」


 シェパーズに近い場所に集落があったんだ、とストラは愛おしそうに呟いた。


「俺の生まれた集落は薬草を作って、薬をグロッソの町に売って細々暮らしてた。たまたま近くを通ったシェパーズの商人たちが魔物に襲われて、やつらを守ろうとした弟が犠牲になった。あいつらは、助けてもらった礼がしたいと言って集落に入り込んで、皆を騙して、隷属魔術の契約を結ばせて、彼らの体を使って実験して――この結晶を作った」


 ストラが懐から出した小瓶の中には鮮烈な赤色の丸い結晶がいくつも入っていた。小瓶は恐らくユラの言っていた魔力を遮断する瓶なのだと思うが、それでも渦巻くような魔力を感じてルルシアは顔をしかめた。

 川の中でディレルが拾った結晶よりもずっと小さくて鮮やかな色をしている。どう見ても違うものだ。


「…サイカを襲わせるために撒いた結晶はそれとは違うものですよね。あれは…」


 濁った色の大きな結晶。目の前の瓶の中身よりもずっと大きいのに含まれる魔力は少ない。ならばあの結晶を作るのに使われたのは、エルフの血ではない、ということではないではないだろうか。


「その声、ああ…あの歌姫は君だったのか…殺すには惜しい人間だとは思ってたけど。あれはいい歌だった…そうか、エルフだったのか。安心したよ」


 ルルシアの声に反応してストラが視線を動かした。そしてとても優しく微笑む。

 その表情はどこまでも狂気を感じさせるものだった。


「大切な集落の仲間の命なのに、放り出すような使い方はしないさ。今回使ったのは人間の血で作ったものだ。愚かな商人たちやサイカのな。人間の血でも濃縮を繰り返せば使えなくはない。濁った赤になるのがなんとも人間らしいだろ? 地面に撒き棄てられるのがお似合いだ」


 優しく笑いながらストラは小瓶のふたを開け、中の結晶を一つ取り出して――飲み下した。

 ストラの周りの風がざわりとうごめき、ルルシアの肌が粟立った。ストラを中心に魔力が渦巻き、空気を動かしているのだ。


 キンシェとディレルがライノールとルルシアの前に出て、武器に手をかけ身構える。だが、ライノールはその二人の肩を軽くたたいて、すたすたとストラに歩み寄っていった。


「そんなに大事なら、こんなことに使うなよ」

「こんなこと、なんかじゃない。皆もう戻らないなら、彼らのためにその無念を俺が晴らすしかないだろう!」

「それはお前のためだろう。その無念も、憎しみもお前のものだ。自分の欲を果たすために仲間の名をかたるな」


 渦巻く魔力の中、不釣り合いなほど落ち着いた声でライノールが言う。ストラはぎりっと音がするほど強く奥歯を噛み締めた。


「…違う、欲なんかじゃない!! これは彼らへの救いだ。彼らが踏みにじられたまま何の救いもないまま消えるしかないなんて、そんなのはおかしいじゃないか!」

「おかしくはない。理不尽なだけだ。俺もお前も、いつかそうやって死ぬかもしれない。――ただそういうもんなんだよ。遺された方に出来ることなんか何もないんだ」

「っ…そんなの許さない――」


 うわごとのように呟いたストラの瞳が金色に光って見えた。

 髪がざわざわと風に吹かれているように騒ぎ出す。


 ライノールは静かな――微かに悲しさを含ませた目でそのストラをまっすぐ見た。


「許せなくても呑み込むしかないんだよ。気が遠くなるくらいの時間の中で、僅かな救いを拾い集めながら生き続けるしかないんだ。それがエルフなんだよ」


 ライノールが手を伸ばし、ストラの胸に軽く触れる。


 ぴたり、と――ストラの時間が止まった。

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