138. 振り返ったら竜巻
小さな子供の悲鳴に、かご編みをしていたリアは窓に駆け寄って外を覗いた。
「ああもう、また言いつけ守らないで…」
ため息を一つ落としてリアは机の上に広げていたかご編みの道具を軽く片付け、上着を羽織った。
「リア、外に行くのか。あんまり出るなって言われてるだろ」
「アキレア…。私だって出たくないけど、トリスたちが外で騒いでるんだもん」
「ああ…エリカが無事だったから安心して気が緩んだんだろうな。全員ゲンコツでも食らわせとくか」
エリカが数日行方不明になっていたため、公民館の子供たちはエリカを心配して不安な時間を過ごしたのだ。
エリカが無事戻ってきたことで皆喜びに沸いたのがつい数時間前のこと。
それは気も緩むだろう。ある程度細かい事情を知っているリアやアキレアですら今は明るい気分なのだ。幼い子供たちなどなおさらである。
だが、エリカはまだ悪人に狙われている可能性がある。
狙われているのは誘拐犯の正体を知っているエリカだけだと思われるが、それでも念の為しばらく建物の外に出ないように、と施設の大人からも、エリカ本人からも言われているのだ。
リアたちが玄関を開けて外に顔を出すと、前庭で取っ組み合いをしていた子供たちがわかりやすく『しまった』という顔をして固まった。
「あんたら、外に出るなって言われてたでしょ?」
腰に手を当ててニッコリと笑うリアの猫なで声に、子供たちはさっと顔色を悪くしてぴしっと整列した。
「片っ端からゲンコツだからね。さあアキレア、やっておしまい!!」
「誰の真似だよそれ…」
ビシッと子供たちを指差すリアに呆れたような声で応じたアキレアは、それでも命じられたとおり端から順にゲンコツを落としていった。
「シオン様が良いっていうまでは外に出たら駄目だろ」
「…でも、戦えるようにならなきゃ」
頭を押さえて涙目になったトリスが口をとがらせた。他の子供たちも大きく頷く。
リアとアキレアは顔を見合わせた。
「戦うって、何と」
「亜人だよ! エリカは亜人に捕まったんでしょ? 亜人から皆を守らなきゃ」
リアは頭を押さえる。エリカが亜人を追跡して捕まったことはトリスを含む小さな子供たちには伝えていない。だが、おそらくどこかで漏れ聞いたのだろう。施設の大人とリアたちが話しているのを聞かれたのかもしれない。
「…とにかく今は危ないから中入んなさい。エリカたちが戻ってきたら稽古つけてもらえばいいでしょ。ね、アキレアも手伝うよね?」
「ああ。亜人はともかく、どうせ魔物相手に戦えるようにはならないとだからな」
「ほんと? 亜人やっつけられるようになる?」
「なるなる。なるからとりあえずさっさと中入れ。土は落としてからだぞ」
適当に言いくるめてひとまず建物内に入れようと子供たちを追い立てたアキレアは、最後の一人を押し込んだ後、ふと自分の頭上に落ちた影に気づいて何気なしに見上げた。
「へえ、面白いこと言ってるな。試してみるか? やっつけられるかどうか」
いつの間にかアキレアの真後ろに、二メートルは軽く超えるだろう巨体の男が立っていた。いや、声の感じからして男だと思ったが、もしかしたら女なのかもしれない。初めて見た獣人の姿に、アキレアは混乱した頭でそんなことを考えていた。
銀色の毛並み、ピンと尖った大きな耳に、人間ではありえないマズルからぞろりと覗く牙。――狼だった。
獣人が手を振り上げたのがアキレアにはスローモーションのように見えた。
太く鋭い爪が太陽の光を受けてキラリと光った。
あ、これ、死ぬんだ。
アキレアがぼんやりとそう思った瞬間。
――その足元に何かが飛んできて、地面に突き刺さった。
***
群れでやってくる予定だった魔物はポツポツとしか現れず、今のところ全て門番たちや農民たちに倒されてしまっていた。
群れの誘導を担うユラが失敗したようだ、と彼らは結論付けた。
ユラ自体戻ってこないので途中で魔物にやられたのかもしれない。もともと不注意な女だったのでそう不思議なことではないが、同志が減るのはいささか残念だ、と獣人の男は思った。
ただ、完全ではなくとも一応計画は進んでいる。
魔物の数は少ないが、集まってきていないわけではない。今は応戦しているサイカの連中もこの状態が続けば疲弊していくし、じきに壁の内側に魔物が入り込むはずだ。そして混乱に乗じて組織の中心となる人物を始末しておけば、それでサイカは終わる。
しかし、いずれそうなる、と言ってもできれば確実性を増しておきたい。
もう何年も内側からじわじわ腐らせて弱らせてきたのだ。ここで悠長に構えて失敗したくない。
計画変更を提案した獣人ともう一人に対し、潜入していたジアストラはもっと慎重に当たるべきだといっていたが、彼は慎重すぎて機を逃すきらいがある。
ジアストラを説得し、サイカ周辺に攻撃を仕掛けて警備の注意を分散させることにした。
なるべく効率的に大きな騒ぎを引き起こすために、壁に近く人が多い、そして子供が多い場所を狙う。
別に子供が数人逃げ出してもかまわない。獣人などまともに見たことがない子供は大人たちにこう伝えるだろう。――「公民館が魔物に襲われた」と。
狼の獣人である彼は、幼い頃から人間の町で魔物と呼ばれ虐げられてきた。…幾度と呪った自分の姿形がこんなことで役立つなど、なんと皮肉なことか。
だがそれでいい。サイカを潰し、それを足掛かりにシェパーズを破壊する。
今もって虐げられている同志たちのためならばどう呼ばれようと、蔑まれようと、そんなことは些細な問題でしかない。
少年には申し訳ないが、そのための礎になってもらう。せめて苦しまないように一息に終わらせてやろう。
そう思ったのに。
足元に小さな杭のようなものが突き刺さる。
そして、その杭が淡く紫色の光を放った。
「な、防壁!?」
少年の体を引き裂くために振り下ろしたはずの爪は少年には届かず、突如現れた光を放つ透明な壁に阻まれた。
これが何なのか、何度か見たことがあるので知っていた。魔法の防壁だ。
獣人は自分の仲間であるエルフたちの方に視線を向けたが、彼らからは戸惑いの気配しか感じない。彼らの仕業ではないらしい。――では、誰が。
そこに、突き刺すような殺気を感じて飛び退る。
「ナイス回避。ワンちゃん俺と遊ぼうぜ」
ヒュウ、と口笛を吹いたのは黒髪の男だった。
男の手に握られた長剣は、獣人の回避が少し遅れれば間違いなく首を切り裂いていただろう。
睨みつける獣人の前で、男はさりげなく少年の前に立ち、視界を遮る。
この男は少年を守るために来たのだ。
おどけたような言葉と裏腹に、男の瞳は好戦的にギラついている。戦い慣れた獣人に近づく気配を悟らせなかったあたりからも、男が相当な手練であることが窺えた。ジアストラからはサイカにこんな男がいるという報告は受けていなかった。
最近来たと言う冒険者だろうか。…しかし、今考えている余裕はない。この男相手では一瞬の油断が命取りになりかねない。
公民館への攻撃は仲間たちに任せればいい。
そう思って一瞬ちらりと視線を向けた彼の視界に映ったのは――仲間がいるはずの場所に大きな風の柱が立っている光景だった。
「…な…」
「ほら、油断すると死ぬよ?」
恐ろしく近くで声が聞こえた。しまった、と思った瞬間に腕に衝撃を感じる。
「…まあ、ビビるよね、振り返ったら竜巻出来てるんだからさ」
苦笑しつつ、黒髪の男――キンシェは剣の柄で獣人の頭を殴りつけた。
倒れる巨体を軽く避けたキンシェは一緒に来た連れの姿を振り返る。
「ライノールさん、エルフたち殺しちゃだめですよ?」
「殺すわけないだろうが。そっちこそ、狼の腕ぶった切ってるが、ちゃんと止血しとけよ。失血死するぞ」
「はーい」
リアとアキレアの二人は、突然目の前で繰り広げられた全てのことに対し、ただただ口を開けて言葉を失うことしかできなかった。




