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136. 平和主義で、

 いつもなら言われるがまま流しているはずのシオンの、きっぱりと強い口調の反論にザースは少しの間言葉を失った。

 しかし、ザースはザースなりにサイカのためを思っていたのだ。


「サイカに亜人はいらない。リーダーの、兄貴の理念を踏みにじるつもりか」

「理念か。なあ、ザース。なんで討伐をやめた? リザーの理念を語るなら討伐をやめるのは矛盾してるだろうが」

「それは…」

「…説明できないんだろ。それと、隣のイベリスに罪人を送り込んだそうだな。エフェドラのアルセア教の神の子を殺害するために」


 え!? と、声が広間のあちこちから上がった。

 シオンもルルシアに聞かされて気を失いそうになったが、広間に集まった者たちも同様にザースのしでかしたコトの重大さに皆目を剥いた。他国の国教の生き神ともいえる神の子を害するなど、どうあがいても国際問題である。


「結局失敗して捕まった連中が洗いざらい吐いたそうだ。魔術で縛られ、命令にそむけば死ぬから逆らうことができなかったと。…魔術に詳しいやつに聞いたんだが、そんな魔術を使うにはとんでもない量の魔力が必要なんだそうだ。人間の魔術師だったら何人も必要なくらいに。なあザース、その魔術師はどこから連れて来たんだ」

「…ストラが、知人に伝手があると」

「その知人を見たのか」

「……見ていない」

「ちなみに、エルフなら一人でも賄えるそうだ。ああそれと、先日俺が面倒を見てる公民館の子供が一人ストラの家に拉致されたんだが。その子供はエルフが使うという魔法薬で眠らされていた」

「…何が言いたい」


 ザースの顔色がまた悪くなっている。

 千変万化とはこういうことかと感心しつつ、シオンは核心に触れる。


「ストラはエルフだ。そしてザース、あんたと…たぶんアナベルも、ストラに魔法薬を使われて洗脳されてる」

「洗脳? ふざけんな…!! そんなわけねえだろ!!」

「そりゃあ自分じゃわかんねえだろうな。――おい、そこのお前ら、ザースの言動を見ていておかしいと思ったことないか? 突然主張が変わる、不自然にぼんやりとしてる、根拠がないのに妙に確信を持って何かを信じてる、とかさ」


 シオンが視線を向けると、ザースの取り巻きたちが戸惑ったようにお互い目を合わせた。そんなことはないとはっきり言い切る者は誰もいない。ほらな、とシオンは鼻で笑った。


「…全員、心当たりあるみたいだぜ」


 ザースは自分の部下たちのそんな様子を呆然とした表情で見ていた。

 ザースが『兄貴の理念』という言葉を出したということは、彼自身はその理念を裏切っている自覚がなかったのだ。なのに、改めて振り返ってみると自分の行動の説明ができない。なぜならば自分の意志ではなかったからだ。

 今の彼は自分の記憶すら信じられないのだ。


「シオン」


 ふと後ろから声をかけられてシオンが振り向くと、いつの間にかそこには別行動していたはずのアドニスが立っていた。忍者かよ、と思わず心の中で突っ込む。


「アナベルがこっちに来る。『ストラが自分を裏切ったのはザースがそう仕向けたからだ。ザースを殺して自分も死ぬしかない』――と、ストラに刷り込まれていた。ナイフを隠し持ってるから刺すつもりだろうな」


 抑えた声の報告にシオンは完全に昼ドラだな…と顔をしかめた。


「ここに来る前にとっ捕まえることもできるが、どうする」

「…いや、操られてるなら逆に都合がいいかもしれない。本当に悪いのが誰かが明白になるだろ。…ザースは馬鹿で人として色々問題はあるが、本来はこんな大それた悪事を働けるような悪人じゃないからな」

「…甘いな」

「俺は平和主義なんだよ…それに馬鹿でも労働力にはなるんだ。――で、ストラは?」

「セネシオの予想通り、外で仲間と落ち合っていた」


 アドニスはそこでセネシオの方に視線を向けた。


「仲間の中にエルフがいたぞ。具体的にはエルフ、獣人が一人ずつだ」

「えー…エルフ増えたんだ。あんな危険思想の仲間増えるのかぁ…」


 セネシオは、ストラがザースたちに最後の命令を与えた後にサイカを離脱すると予想していた。その際に仲間と合流して、後々邪魔となりうる人物や物証を片付けるつもりだろう、とも言っていたのだが、その仲間にエルフが含まれるのは予想外だったらしい。

 壁の外での異変については基本的にルルシアたちが対応する事になっているが、もともとルルシアはストラ一人が相手でも自信なさげだった。エルフ二人相手というのがどの程度の事態なのかがシオンにはいまいちわからないが、もし遭遇したらかなり危険なのではなかろうか。


「ルルシアたちの方は大丈夫なのか…」

「んー、なんとかなるでしょ。一応ヤバければ遠慮なく呼んでって言ってあるし」

「なんとかなるって…」


 あまりに軽い言い方に不安しかないが、正直今セネシオがここからいなくなるのも辛い。シオンに戦闘能力はないし、ザースがキレて取り巻きたちと集団で襲ってきたら味方がアドニスだけというのは心細すぎる。


「…分かった。ただ、やばかったら遠慮なく行けよ」

「シオン君は優しいなぁ。ま、ルルシアちゃんに何かあったら俺もアドニス君も彼女の保護者に殺されちゃうから行くなって言われても行くけどね」


 ルルシアの保護者というのが一体どんな人物なのか気になったが、早めにこちらのケリを付けて向こうの応援に回ってもらったほうが良さそうだ。


「…シオン、お前、アナベルも洗脳されてるって言ったな」


 自失呆然の状態から回復したザースに話しかけられ、シオンは頷いた。


「ああ。ちょうどこれからここに来るとさ」

「ここへ…あいつが何をしに来るんだ? それになんでお前にそれが分かる」

「ストラを監視してもらってたんだ。それで…」


 詳しく説明をしようとしたその時、きゃ、と小さい悲鳴が上がった。


「あ、アナベルさん?」


 声の主は広間の入口近くにいた組織のメンバーの女で、後ろからぶつかられてよろけたのだった。戸惑って呼びかけた声に、ぶつかった方の女――アナベルはちらりとも視線を向けることなく、ただまっすぐにザースを見つめて迷いのない足取りで歩いてくる。


「アナベル、何をしに来た?」


 アナベルはザースの前まで来ると立ち止まり、問いかけには答えずに唇を引き結んだままザースを見上げた。


「アナベ…」

「あなたのせいで私は幸せになれないのよ」


 能面のような無表情だった。だが、目の端からほろりと一粒だけ涙がこぼれた。

 ザースは凍りついたようにその涙を見つめていた。



 ――ガチンッと耳障りな金属音が響いて、広間の人々はハッと我に返る。


 アドニスの投げナイフがアナベルの持っていたナイフを弾き飛ばしたのだ。

 手に握っていたものを弾き飛ばされたにもかかわらずアナベルは悲鳴もあげず、素早く落とした凶器を拾おうとした。しかし、後ろに回り込んだセネシオに手刀で打たれて倒れる。


「はいはい、お嬢さんはちょっと休んでようね」


 その間、広間にいた誰一人として動けず、その光景を見ているしかできなかった。


「ふーん…彼女、魔法薬の匂いがすごいね。これじゃあ常用されてたザース君は動けなくなっても仕方ないよ」

「ああ、嫌な匂いだと思ったがこれが魔法薬の匂いだったのか」

「…っていうか、この組織の人達は結構な人数この薬使われてたみたいだね?」


 アナベルを床に横たわらせたセネシオが顔を上げ、広間にいる人々の顔を見回した。

 シオンもつられて見回すと、何人か魂が抜けたようにぼんやりとした表情を見せていた。特にザースと親しい者ほどその傾向が強い。


「何回も使われるうちに少量でも催眠状態に入っちゃうようになったんだろうね。ちょっと空気入れ替えしようか。あと彼女はちょっと縛り上げておいたほうがいいかもね。ザースくんを殺して死ぬって言ってたんだろ? 自殺しちゃうかも」

「…っ、誰か、縄か何か持ってきてくれ」

「は、はい!」


 すぐに用意された縄で、気を失ったままのアナベルは手足を縛られた。

 それと並行して、セネシオが魔法で風を起こして強制換気をする。目の前で使われたエルフの魔法に年配の者は眉をひそめたが、初めて目にした若者たちは「おお、本当に呪文なしだ」と歓声を上げていた。

 空気が入れ替わり、匂いが消えたところでぼんやりとしていた者たちも正気を取り戻し、バタバタと動き回る周囲の状況に不思議そうな顔をした。

 シオンは立ち尽くしたままのザースの顔を覗き込む。まだはっきりと覚醒していないらしく、目の焦点が定まっていなかった。

 パァン! と目の前で手を打ち鳴らすと、やっとその瞳がシオンを捉えた。


「ザース…お前はストラに操られてたんだ。今のアナベルみたいにな」

「今…アナベルが俺を殺そうとした…?」

「あー…多分、アナベルはストラが逃げる時間稼ぎのために使われたんだと思う。殺せって命令されたんだよ。本人の意志とは関係なく動いてたんだ」


 実際のところアナベルは浮気をしていたわけだし、ザースのせいでストラに捨てられたと思い込まされていたようなので本人の意志と全く無関係とは言えないが、そこは敢えて知らなかったことにしておく。シオンは平和主義で、そして痴情のもつれに巻き込まれたくないからである。


「…俺の今までの行動も、あいつの良いようにいじられてたってことか…」

「どこからどこまでかは俺にはわかんねえけど、かなりの部分はそうだろうな」

「…ストラ…あいつ、ぶっ殺す…!!!」


 ザースは怒りのあまり体を震わせ、こめかみに青筋を浮かべて這うような低い声で吐き捨てた。

 シオンは気圧されて思わず一歩下がる。体格がよく、戦いの訓練も受けていたザースが怒り狂っている姿はかなり迫力があった。


「ああ、申し訳ないけどストラはこちらで引き取らせてもらうよ」


 そんなザースに、セネシオはまるで天気の話をするかのように軽くそう言った。


「だめだ。あいつは俺の部下だ! 俺が始末する!!」

「うーん、エルフはエルフの掟があってね。ストラはそれに反してるからこっちの掟に沿って処分を受けないといけないんだ。…それに、彼は魔法を使うわけだし、人間の君が始末するのはかなり難しいと思うよ?」

「亜人が偉そうに…!」


 ザースが掴みかかろうとした瞬間、セネシオがつま先で床をタンと鳴らした。

 それと同時にザースとセネシオの間に何本もの氷の柱がそびえ立った。


「こういうことできるからね、エルフって。だからこっちに任せてくれるかな?」


 少しでもタイミングがずれていたらザースの腕は床から生えてきた氷に貫かれていただろう。誰がどう見ても圧倒的すぎる力の差だった。


「くそ…くそおおおおお!!!」


 ザースは力一杯その柱を殴りつけてくずおれる。

 しかし、氷にはヒビ一つ入っていなかった。

 セネシオはそのザースから興味を失ったようにすぐにシオンに向かってニコリと微笑んだ。


「さて、じゃあここからはストラがここで何をしようとしてたのかの話だね。あと、これからどうするか。さあシオン君どうぞ?」

「…まじかよ、この空気で振ってくんのかよお前…」


 呻くザースと、静まり返った人々の真ん中で、シオンはしくしく痛む胃のあたりを押さえた。

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