132. 意識があるからセーフ
周りから魔物が来ないか警戒してて――と言われたのでなんとか周辺状況に意識を払おうとするものの、あんな大きな魔物が目と鼻の先にいる状態で意識を別に向ける…などという恐ろしいことをできるほどエリカは場数を踏んでいなかった。
一方のルルシアとディレルに慌てた様子はなく、雑談すら交わしていた。
なんだかんだ言ってルルシアの後ろに隠れているユラも、表情には余裕がある。
これが冒険者というものなら、エリカがその場所へたどり着くのに一体どれほどの努力がいるのだろう。
ディレルからはまだ強くなるための時間はあると言われたが、今十三歳のエリカと、ルルシアやディレルとの年齢差は五歳ほどだろうか。
五年でこの魔物と堂々と向き合えるように…?
エリカがそんな事を考えている間に、何の予兆もなくロックドラゴンがディレルに飛びかかった。――が、予兆がないと感じたのはエリカだけだったらしい。ディレルは難なく攻撃を受け流し、ルルシアは弓を構え静かに事態を見守っている。
ちなみにユラは「手ぇいったそー」と顔を歪めていた。確かに剣が当たった時にものすごく鈍い音がしていた。あんな音がするほど強く剣が当たってもロックドラゴンの顔に傷はできていないらしい。
こういう表面の硬い敵に対する攻め方のセオリーは、よろけさせて皮膚の弱い部分を露出させ狙う方法。先程のルルシアたちの会話もそういう内容だった…が、今の攻撃でふらついてすらいないというのはディレルにも予想外だったらしい。穏やかを絵に描いたような彼が舌打ちをするのが新鮮だった。
ロックドラゴンが体の向きを変えた。その目的を悟ってエリカの背筋が冷える。
この動きはエリカも知っている。見たことがあるのはもっと遥かに小さな個体だったが、動きは同じ。尻尾で薙ぎ払うつもりだ。
小さなサイズの個体でも当たった人は骨折していたのだ。流石にこのサイズの尻尾を食らったらひとたまりもないのでは。
だが、ディレルは避ける素振りを見せない。焦った様子はないのでなにか勝算があるのかもしれない。
どうかそうであって。祈るしかできないエリカの横で、ルルシアが矢を放った。
魔弓の攻撃威力はそれほど高くないが、中遠距離で攻撃できるのが利点だ。
通常の矢に魔術効果を乗せて飛ばす方法と、ルルシアのように矢まで魔力で作って飛ばす方法がある。とくに後者は物理攻撃よりも魔術攻撃に近く、目の前のロックドラゴンのような硬い敵には効果的だ。しかし魔力消費がものすごく激しいので何発も射てないのが難点。それに、ここまで大きな個体にとっては針で刺されるようなものだろう。
それでも行動阻害にはなるはずだ。
ルルシアの放った矢は水色の光を放ち、空中で二つに分裂した。
そのそれぞれがロックドラゴンの前後の足に深く突き刺さり、その大きな体を動搖させた。すかさず二射目が前足に刺さり、その硬い鱗を弾き飛ばした。
すぐにディレルがその場所を攻撃する。息のあった連携だ。
だがそれよりも。
魔弓であんな威力のある攻撃を、エリカは今まで見たことがなかった。しかも途中で分裂するなど論外だ。おまけに連射している。
ルルシアがサポート系の冒険者なのかと聞いたときのディレルの微妙な反応はこういう意味だったのだ。こんな威力ある攻撃ができるならどう考えても主力である。
ならばディレルはなぜ答えを濁したのか。
――おそらく、それが人間の能力ではできないことだからだ。
それで繋がる。
亜人がなぜサイカを助けるのかと聞いたエリカに、ユラが「え、それあたしに聞くの?」と驚いた意味が。
ディレルの剣がロックドラゴンの首を大きく切り裂いた。
戦闘終了だ。エリカはほっとこわばっていた肩の力を抜いた。
それと同時に、なんで亜人だって教えてくれなかったの、と頭の中で声がする。
亜人であることを隠さなければサイカには入れない。彼らには囚われた人を助けるという目的があって、そのためにここにいるのだ。決してエリカと友好関係を築くためにいるわけではない。
そんな事はわかっているのに、秘密を教えてもらえず拗ねている自分がいる。
「…まだ動くのか」
低いユラのつぶやきが聞こえて意識を引き戻される。
視線を動かすとルルシアがもう一度矢をつがえるのが見えた。
「しつっこい!!!」
怒鳴り声とともに思わず目を覆いたくなるほどまばゆい光の塊が撃ち出された。
何が起こったのかわからず、ただ呆然と、そういえばルルシアが怒鳴るのを初めて見たな…と見つめていると、突然へろりとルルシアの体がくずおれた。
「えっ」
その体が地面に付く前にユラがふわりと抱きとめ、「おつかれ」と声をかけた。
ルルシアは真っ白な顔で、微妙にドヤ顔を浮かべてふふふと笑ってみせた。
「今回は意識があるからセーフ…!」
たとえ彼女が亜人でも、人間でも、どちらにしても変な人だというのは変わらないな…とエリカは苦笑した。
***
「…ありがとうございます」
ルルシアはまだぐわんぐわんする頭を押さえながら、体を支えてくれたユラに礼を言って自分の足で立った。多少ふらつくが歩けないほどではない。
ここで倒れてしまえば誰かに――といってもディレルしかいないのだが、抱えてもらってサイカまで運んでもらわねばならない。セネシオを呼び出せば転移魔法で運んでもらえるだろうが、向こうは向こうで忙しいはずなので出来れば呼び出したくはない。
「ルルシアさん、大丈夫?」
頭を押さえてじっとしているルルシアにエリカが心配そうに声をかけてくる。
「平気です。慣れてるので」
笑って見せるとエリカはホッとしたように表情をやわらげた。
先程のルルシアの矢を見れば、ルルシアが人間ではないことは分かっただろう。だが、彼女は接し方を変えないでいてくれるらしい。
(あとでちゃんと説明しよう…シオン様にも。でも今は――)
「ディル、怪我は?」
ロックドラゴンが完全に動かなくなったことを確認していたディレルによたよたと歩み寄り、声をかける。ルルシアも顔色が悪い自覚があるが、彼もあまり血色がよくない。昨日の転移魔法の影響が抜けきらないうちに魔力を使ったので魔力酔いを起こしたのだろう。
「…ないよ。大丈夫。ちょっとくらくらしただけ。――ごめん、俺が動けなかったからルルに無理させた」
そう言いながらディレルはルルシアに手を伸ばそうとして、自分の手が返り血で汚れていることに気付いて苦笑しつつ手をひっこめた。
ロックドラゴンの首を斬りつけたときにかなり血が流れたのだ。そのせいでディレルは剣を握っていた手の他にも髪や顔にかなり返り血を浴びていた。
「ううん、わたしが冷静じゃなかっただけ。ディルが無事でよかった」
「正直、ルルがいると俺はすごい楽できるんだよね。助かったよ」
「本当? 役に立った?…あとね、今回は気絶しなかったよ。褒めてもいいよ」
最後の一撃は自分でもしまったと思ったのだが、何とか意識を失わずにいられたのだ。ここにライノールがいたら褒めてもらえるまでしつこく付き纏うところである。
得意げな笑顔を浮かべるルルシアに、ディレルは笑いながら魔物の血で汚れた剣を肩に担ぎあげた。
「褒めて撫でたいんだけど手がこれだからね。とりあえず向こうの川で手とか洗ってくるよ。魔物の気配はなさそうだけど、なんか来たら呼んで」
「うん。まだ周りから寄ってくるかもだし、気を付けてね」
「了解」
ディレルが川に向かうのを見送ったところで、視界の端にユラがロックドラゴンの脇にしゃがみこんでじっと観察しているのが見えた。
「何か気になりますか」
「んー。こいつさ、最後ゾンビみたいな動きしたよね」
「…たぶん、魔力の塊を取り込んだせいですね」
「パワーアップとか言ってたやつ?」
魔力と瘴気と魔物、そして魔獣の関係について、ルルシアはシャロのこともあって知っているが、あまり一般的に知られている話ではないのだ。
「ええと、魔物は外から取り込んだ魔力を体内で瘴気に変換して、それを動力として動いてるらしいんです。だからこの子の場合、時間が経って取り込んだ分を完全に瘴気に変換しきれてたら更に強くなってたと思います。…でもまだ変換途中だったせいで、肉体が死んだ後にもしばらくエネルギーが供給されて、体が反射みたいな感じで動いたってところでしょうか」
「ふうん…」
何を思っているのかはわからないが、ユラは指先でロックドラゴンの亡骸を撫でていた。ルルシアはそのユラの隣にしゃがんで、彼女の顔を横からのぞき込む。
「ところで、ユラさんはさっきの戦闘中、近づいてきてた魔物を倒してましたよね」
「え?」
ルルシアの質問に驚いた声をあげたのはエリカだった。
彼女は気付いていなかったらしいが、先程の戦いの中、後方からやって来ていた魔物をユラが吹き矢で倒していたのだ。
「ここでわたしたちがこのドラゴンを倒せなければ、食料となる魔力を求めて遠からずサイカに辿り着いたはずです。魔物がサイカを襲う、それがユラさんの目的ですよね? わたしはてっきりこっちの戦いの邪魔をするのかと思ってました」
それに対し、ユラはつまらなそうに鼻で笑った。
「あたしの理想は、この辺に普通にいるレベルの適当な強さの魔物が適当な数でサイカを襲うことだったの。そしたらあのサイカのへっぽこ討伐隊だってまあそれなりに何とかするでしょ。それで退治できました、っていう形にしたかったわけよ」
つまり、サイカの人々が無理なく倒せるレベルの敵を呼び込みたかったらしい。
ルルシアの頭の中には(んんん?)と疑問符が飛び交う。
そう言えば先程もそんなようなことを言っていた気がするが、ルルシアの頭ではユラが何をしたいのか理解できなかった。ちらりとエリカの顔を窺うと、彼女も『何を言っているんだこいつは』という顔をしていたのでどうやらルルシアの頭の作りのせいではないらしい。
すでについていけていないルルシアを置いて、ユラは話を進める。
「でも、もしさっきみたいな強化型ドラゴン! とか魔獣とか、どう考えてもヤバそうなのが町襲ったらサイカじゃ対処しきれないでしょ。まああんたらみたいなのが入り込んでたから結果的には倒せてたかもだけど」
「…あくまでも計画通りに進めて、被害を抑えたうえで失敗させたかったと?」
「そう! その方が面白いじゃん?」
「…わたしにその面白さはわかんないです…」
多分ルルシアの顔にも『何を言っているんだこいつは』という表情が浮かんでいるのではないかと思うが、ユラは気にしたも様子なくうんうんと頷いた。
「楽しみ方は人それぞれだからね! ま、そういうわけで強化型ドラゴン爆誕しちゃったんじゃあそのまま進めるわけにいかないじゃん。そしたら被害出る前に倒してもらった方がいいから邪魔はしなかったの」
「はあ…町の人の被害は出したくないんですね」
「んー、出したくないっていうか…出てもいいっちゃあいいんだけども」
え、いいの? とルルシアは再び置いてけぼりを食らう。
「あたし、誰かが絶望する顔見るの大好きだけど、そこまで悪いことしてない相手を絶望させるってのは悪役っぽいじゃん? でも悪いことしてるやつ相手だったら正義っぽい顔して気持ちよくどん底に突き落とせるでしょ。で、正義っぽい顔するなら無関係な人の被害はできる限り少ない方がいいよねー? って話」
気分の問題ね! と笑うユラを見ながら(あ、やっぱりヤバい人だった…)と、ルルシアは目を泳がせた。
同時に、セネシオが『害は少ない』といった意味が少しだけ理解できたのだった。




