130. 今驚くのはそこじゃない
ユラの言った数軒の家はそこまで遠い場所ではなかった。
ルルシアの見た魔力反応はもう少し山側なので、魔物がここに到達するまでにはまだ猶予があるらしい。魔物の多くは昼は動きが鈍いからか進行はだいぶスローペースのようだ。
ご機嫌な様子のユラを見るに、彼女は分かっていてあえてこの時間を選んだのかもしれない。被害を減らそうという意味ではなく、ストラを困らせるために。
そこからさらにしばらく山側へ移動していくと、民家と言えるような建物は見かけなくなった。その代わり岩の隙間に張り付くように作業小屋のような粗末な小屋と畑が点在していた。
「…こんな離れたところまで畑があるんだな」
「うん。でも、もうちょっと先にあるのが最後だと思う」
ディレルのつぶやきにエリカが答える。
大きな岩と低木が多く、畑を作れるような土地が少ないためどうしても遠くまで行かなくてはならないらしい。農作業をしている人の姿もちらほら見える。
避難させたほうがいいのだが――こちらは余所者と子供。余所者のうち二人はマントで姿を隠している。もとより閉鎖的な傾向の強いこの土地で、こんな怪しい一行の話をまともに聞く者などまずいない。
『ここで変に揉めて時間を取られるよりも先に進んだほうがいい』というディレルの判断で人々には声をかけずに進んできたものの、さすがにここまで来ると危険すぎる。
この辺で魔物を見かけたとか、手負いの魔物が逃げ込んだというような適当な理由をつけて避難してもらうべきかもしれない…とルルシアが考えていると、足元に細く流れる沢を見つめていたディレルがユラを振り返った。
「…もしかして、誘引剤を設置したのって水源?」
ディレルの質問にユラは答えを渋ったりはぐらかしたりするのかと思いきや、何の躊躇いもなくあっさりと頷いた。
「うん」
「やっぱり…そりゃ水があれば畑があるわけだよな…」
ルルシアたちがいる場所から少し離れたところに、山側から平地にある町の方まで続く川が一筋流れている。それほど大きな川ではないのだが、そこから伸びた支流がいくつかあり、足元に流れている沢はその一つだ。
「水源から町の方に流れる川の上流に何かしたってこと?」
「そ。なんかこのくらいの黒っぽい結晶を十個くらい、上流の方に投げ込んだ」
ユラはこれくらいと言いながら人差し指と親指で丸を作った。
「ならその結晶を回収できたら解決?」
「んー、ほとんど溶けちゃったんじゃないかな。結晶って言っても石みたいに硬くて頑丈なのじゃなくて飴みたいなのだから」
ユラは自分からはあまり情報を出さないのだが、こちらから聞いたことに対してはきちんと答えてくれるらしい。彼女の中のルールはいまいちよくわからないが、教えてくれるのならその方がありがたい。
「上流から下流に溶けながら流れるってことか。…それならもうどっかで魔物に会ってもおかしくないと思うんだけど」
「全然見かけないね」
ディレルに言われてルルシアはそう言われてみれば、と首を傾げた。
確かに、川が誘引剤で『汚染』されているのなら、下流にあたるこのあたりにふらりと魔物が立ち寄っていてもおかしくない。だが、今までのところ見かけたのはよくいるネズミのような小動物系の魔物くらいだった。それも、特に川に近づく様子はなかった。
「それに…ルル、水に異常感じてないでしょ」
「うん? 別に何も」
「川の水に溶け出して、しかも流れてくるならもうこのへんでも魔力を感じたりするんじゃないかな。テインツのときは離れてても分かったよね?」
「…それは…そうかも」
「何も感じないってことは、上流の方で何か予定外のことが起こって上手く下流に流れて来てないってことじゃないかな」
「……」
ルルシアたちの視線がユラに集まる。ユラは驚いたように耳を立てて(フードが軽く跳ね上がった)慌てたような声を出した。
「投げ込んだ後魔物集まってくるのは確認したよ!」
「うーん、確かに向こうの方に反応はあったから、集まってたのは本当だと思う……一応もう一回見てみましょうか」
ルルシアはその場で弓を構える。
本当は高い位置がいいのだが、そういう場所が近くにないので仕方がない。だが、方角は分かっているので先程のように広範囲である必要はない。目的の、先程反応があったあたりをカバーできるように矢を放ち、気配を探る。
「……大体さっきの位置とあんまり変わらないけど、さっきよりだいぶ反応が減ってる気がします」
集中するために閉じていた目を開けながら、ルルシアはむむむと眉を寄せる。
「ええー!?…せっかく集まったのに解散しちゃったの?」
「それならストラの計画が失敗したってことだからあんたは喜ぶところでしょ?」
本気で悲しげな声を上げたユラに、エリカが顔をしかめた。
エリカの言う通り、ユラはストラの計画失敗を狙っていたのだから問題はないはずなのだが彼女はブンブンと首を振った。
「あたしの仕事の段階で失敗するのはあたしの美学が許さないの!!」
「はああ?」
「魔物襲ってきたー! でも撃退されたー!…がいいのであって、あたしが上手く設置できなくて失敗したー! は、あたしの失敗になるから駄目なの!」
「なにそれ…最低…」
あまりの自分勝手な言い様にエリカが柳眉を吊り上げた――ところで、ディレルがユラのフードを掴んで口元まで覆うように引き下げた。
「ぐえっ」
「ちょっと黙ってて。…で、ルル、なんか気になることが?」
勢いよくフードを引き下げられたせいでユラは首がグキっとなって痛かったらしい。「乱暴者ー!」と不満の声をあげたものの、ディレルはそれに構わずルルシアへ目を向けた。
「え、…ええっと…数は減ってると思うんだけど、その代わりさっきより強い反応がある…と思う」
「さっきはなかったってこと?」
「うん。強い魔物が来て弱い魔物が逃げたのかな…」
「数が少なくなるのはありがたいけど、強い反応っていうのは嫌な感じだね」
「そうだね…。あんまり状況が変わる前に急いだほうがよさそう」
状況は変わり始めているようだがそれでも危険なことに変わりはないので、ここから先は人を見つけたら『この付近で大型の魔物の目撃報告があった』と声をかけて避難してもらうことにする。
だが結局、エリカが先ほど言っていた通り少し進んだところの小さな畑を最後に、そこから先は人はもちろん、魔物にすら出会わなかった。
***
始めの頃のご機嫌な様子はどこへやら、ユラはムスッと黙り込んだまま付かず離れずくっついてきていた。
どうも先程の首グキでディレルに警戒心を抱いたらしく、一行とは一定の距離を保っている様子なのだが、それでも完全に別行動するつもりはないらしい。
「多分、そろそろだと思うんだけど…静かですね」
「静かすぎるくらいにね」
サイカ周辺は全体的に緑の少ない土地ではあるが、さすがに水源近くは草木が茂っている。そして、草木が茂っていれば生き物の気配がしても良さそうなのだが――恐ろしく静まり返っている。
そして、先程から瘴気の気配がうっすらと漂っていて、瘴気に特に敏感なエルフのルルシアは肌がピリピリしている。場所はわからないがそう遠くない場所に魔物がいるのだ。
「エリカさん、このあたりの普段の様子ってわかる?」
ディレルに聞かれたエリカは困ったように眉を寄せた。
「ここまで奥に来たのは初めてだけど…でも、もっと入り口の方でももっと普通に生き物の声がしてた…と思う」
「あたしが結晶バラまきに来た時は普通にちっさい魔物とかいたよ」
周囲の樹高が高くなり、葉や枝で視界が悪くなり始めたあたりでユラはフードを外して耳をさらしている。その耳が落ち着きなくぴくぴくと細かに向きを変え、周囲の音を探っていた。
「…で、そのちっさい魔物とかちょっと大きいのとか、邪魔なのは倒したんだ。ほら、そことか血があるっしょ?」
ユラの示した辺りの草や木の幹には黒っぽい汚れが付いていた。
実はルルシアはユラに言われる前から、同じような血の染みの跡を何か所か見つけていたのだが。
「…その魔物のご遺体の処理は」
「してるわけないじゃん」
「ですよね…」
倒したはずの魔物の死体がないのだ。冒険者などの中には状況に応じて倒した魔物を土に埋めたり魔術や魔法で焼いたりして処理していく者もいるので一応聞いてみたのだが、どう見てもユラはそういうタイプではない。
魔物の死体を処理するのは腐敗を防ぐのとは別に、他の魔物を引き寄せないため、という理由がある。
魔力や瘴気は魔物にとってのエネルギー源だ。死んでから間もない魔物の死体など、他の魔物からしたら栄養満点の食事が用意されているようなものなのだ。
だから、食べられたのだということはわかる。
問題は、食べたその魔物がどこに行ったのかという話である。
「これ、なんかを引きずった跡だよね」
「あ…ディルもやっぱりそう思う? 道じゃないよね…」
何か重たいものを引きずったように地面がえぐられ、土が露出している。幅は大体一メートルくらいで、ちょうど道として歩きやすいサイズだ。そんな跡が、今いる場所からもっと奥の方へ向かって続いている。
「ちなみにバラまいたのはこの先の川」
「…そのバラまいた結晶、水に溶ける前に魔物に呑み込まれたんじゃ」
ユラはぽかんと口を開けてルルシアを見た。
「……魔力を呑み込んだ魔物ってどうなるの?」
例えばシャロに瘴気を流し込まれた魔物は魔獣になった。しかも急激なエネルギー増加により発狂状態というおまけ付きで。
「うーん、それが瘴気だったらすぐエネルギーとして使えるけど、魔力の場合一回体内で瘴気に変換しないといけないから…多分じわじわエネルギーに変換されて行ってじわじわ…パワーアップ?」
「パワーアップって…」
ざば
ばしゃん
ざざ…ずずず
地面のえぐれた跡の続くその奥から、大きな影がぬっと姿を現した。
ディレルが素早くその巨体からルルシアたちを隠すように数歩前に出て剣を構え、苦笑した。
「こっちの気配に気付いて向こうから来てくれたみたいだね」
近づいて来る速度はそれほど早くない。ゆっくりとその全貌を見せた魔物の姿に、エリカが息を飲んで押し殺した悲鳴を上げた。
「クレセントロックドラゴン…! しかも大きい…」
「えっ…!?」
その名前は何度も聞いた覚えがある。
乱獲によって、今ではほとんど姿を見せなくなってしまったという希少な魔物。
「なんとかドラゴンって…水棲生物だったの!?」
「ルル…今驚くのはそこじゃないと思う…」




