126. 好きにはさせないよ
公民館でエリカが姿を消した本当の理由が知らされたのは、管理・運営をする大人と一部の年長の子供――エリカと仲のいいリアや子供たちをまとめているアキレアだけで、その他の子供たちには彼女が泊まり込みの仕事をしていたのだと説明されていた。
そのため、ルルシアたちと一緒に公民館へ戻ったエリカはあっという間に小さな子供たちに囲まれ、壁の内側の生活について質問攻めにあっていた。
その子供たちの輪から離れたところでその光景を眺めていたルルシアとディレルのもとに、リアとアキレアが駆け寄って来る。
「ルルシアさん、エリカを助けてくれてありがとう」
「あんた本当に冒険者だったんだな。キレーなだけなお嬢様かと思った」
「アキレア! あんたその減らず口どうにかならないの!?」
パコン、といい音を立ててリアに叩かれたアキレアだが、その口調は馬鹿にするような調子ではなかったので、彼からしたら褒めているつもりだったのだろう。「暴力女め…」とリアを睨む様子が、あまりにも記憶の中にある学校での男子女子のやり取りそのものだったのでルルシアは思わず笑う。
「いえいえ、構いません。実際助けたのはアドニスさんですし、わたし自身は何も危ないことしてないので」
「あの怖い顔のおっさん強そうだもんな」
ええ、強いんですよと答えるルルシアの腕をリアが引っ張っるのでそちらを見ると、リアが声を潜めて耳打ちをしてきた。
「ねえ、エリカはもうここにいて大丈夫なの? 悪いやつは追ってこない?」
「…ああー…」
なんとも答えにくい質問だ。ストラと半獣の女の行方がわからない以上、エリカは常に危険にさらされている状態だといえる。今もできればルルシアは広範囲の気配を探りに行きたいのだが、エリカから目を離すわけにもいかないのでここにとどまっている状態なのだ。
「…シオン様が色々上手くやれば大丈夫になります」
「…つまりまだまだしばらくは危ないってことなのね?」
残念ながらルルシアが思っていたよりもリアの中のシオンの信用は低かったらしく、リアは憂いを帯びた顔でため息をついた。
「…端的に言えばそうですね」
「エリカ、シオン様のためだと無理しちゃうから気をつけてみてあげてね…」
「了解です」
なお一層声を潜めてささやくリアにルルシアが頷いたところで、「ルルシアさん、ディレルさん!」とその張本人であるエリカの声がかかり、ひそひそ話をしていた二人は揃ってビクリと肩をはねさせた。
「…? 何、二人共…こそこそして」
「なんでも無いです。それより質問攻めから解放されたんですね」
「アキレアとクレオが遊んでくれるって適当言って押し付けてきた」
アキレアならすぐそこにいたはずだが…と見てみるといたはずの場所からはいなくなっており、先程までエリカがいた場所で小さな子どもの両手を持って遠心力でぐるぐると振り回していた。
アキレアの前には列ができており、クレオが列の整備をしていた。小さい子供はともかく、比較的大きな子供も並んで待っていて、まさか彼らも振り回すのだろうか…と不安になったのだが、大きい子供は格闘ごっこをするのだそうだ。
「屋上に行きたいんでしょ? チビ達の気が逸れてるうちに行こう」
「あ、はい」
「それ、私もついてっていい?」
移動しようとしたところに、リアがそう言ってきたのでルルシアは固まる。
見晴らしがよく、遮蔽物が少ないほうが気配を探りやすいので屋上へ行くのだ。見晴らしがいいということは逆に言えば警戒すべき相手からも見えやすいということである。
つまり危険。決してディレルのそばにリアがいるのが嫌ということではない。
断じてルルシアの私情ではない。
「リアは危ないからだめ。何かあった時に守らないといけない人数は少ない方がいいでしょ」
「えー」
答えに詰まるルルシアに代わり、エリカが返事をした。
「まあ仕方ないか。――エリカもルルシアさんもわかりやすいよねぇ」
「……何の話…ううん、嫌な予感がするから言わなくていい。」
「………」
うふふ…と手で口を押さえてニヤニヤ笑うリアの様子に、エリカは顔をしかめ、ルルシアはそそくさとその場を離れた。
***
高い――といってもたかだか三階建ての屋上なのでそこまで高くはないが、とにかくいつもよりも目線が上がるとなお一層サイカ周辺の荒廃が際だって見える。
「ルル、あんまり端の方行かないで」
遠くまで見ようとフラフラと屋上の端の方へ歩いていこうとしたルルシアの腕をディレルが掴んで止める。
「ごめん、高いとこから見たの初めてでちょっとテンションが上っちゃって」
「ああそうか、ルルは向こうの高台に行ってなかったね」
ディレルやセネシオといったルルシア以外の面子は拠点の動きを見張るためにサイカが見渡せる高台に何度も行っていたが、攻撃手段がほぼ魔法しか無いルルシアは、万が一それを住人に見られると困るためいつも壁の中で留守番をしていた。
「ルルシアさんと同じようなこと、この間四歳の子供が言ってた」
「わたしは童心を忘れないタイプですから」
「……うん」
子供っぽい動きに呆れてやや嫌味を込めて言ったというのに、胸を張って返されてしまったエリカはリアクションに困ってとりあえず頷く。
「さて、じゃあ始めますね」
「気配を探るって言ってたけど、具体的に何をするの?」
「こうします。あ、しばらく集中しますね」
首を傾げたエリカの前で手際よく弓を組み立てたルルシアは、一度深呼吸をした後、上空に向かって一本の光の矢を放つ。
キンッと細く高い音を立ててまっすぐ空へ向かった矢は上空の高い位置でスッと溶けるように消えてしまった。
「…今のは、矢? 魔術?」
「魔術具の弓で魔力を矢として射ったんだよ」
集中するという予告通り、目を閉じたルルシアはエリカの声に反応しなかった。代わりにディレルが答える。
「俺も詳しくはよくわかんないけど、射った場所の周りの魔力とか瘴気の動きがわかるんだって。もし近くに魔物の群れが近づいてたらわかるし、魔力…魔物だから瘴気か。瘴気の強さで相手の大体の強さもわかるらしい」
「それって…凄いことなんじゃ」
「うん、凄いことだよ。ざっくりでも位置がわかると不意打ちを防げるから格段に任務の生存率上がるしね」
「ルルシアさんはサポート系の冒険者?」
「あー…まあ、そんなとこだね」
ルルシアはバリバリの火力系だが、その肝心の火力がこの場所では禁じ手状態なのだ。それならサポート系と勘違いしてもらった方がいいか…とディレルは中途半端に濁しておく。
「…やっぱり冒険者ならそれくらいできるんだ…」
もしもそれが簡単にできたら冒険者でもかなり一流だけどね…と思ったものの、エリカの言いたいことはそういうことではないようだ。何か話したがっている雰囲気を感じてディレルはエリカの方に向き直る。
「エリカさんは冒険者になりたいの?」
「ううん。冒険者になるなら他の国に行かないといけないし」
「ああ、オズテイルはギルドがないからね」
「私、サイカを守れるくらい強くなりたいって思ってたけど…半獣の女と向き合ったとき、こんな奴には逆立ちしても敵わないって思ったんだ。サイカの外にはこんなのがいっぱいいるなら、私なんか何の役にも立たないんだって思って…」
つまりひどく自信喪失してしまったのだ。自分の不用意な行動、敵わない強敵、あげく、力になりたいと思っている相手に助けられて自信を失った。
そんな少女に対して昨日のシオンの台詞は確かにマイナス五千点だな…と思いながらディレルは言葉を探す。
「半獣とか獣人の、特に犬猫系の人たちは戦闘能力がずば抜けてることが多いから、それは巡り合わせが悪かったんだよ。シオンさんはエリカさんの方が強いって言ってたし」
「それはシオン様が弱いの! 弱いし、無神経だし、子供扱いするし…」
きゅっと眉根を寄せるエリカの表情を見ながら、これはルルシアの言葉を借りれば『マイナス二万点』の方のやりとりのせいだろうな…と苦笑する。
「…そうだなぁ…例えば冒険者ギルドに登録するなら十五歳を超えてないといけないんだよ。だからエリカさんにはまだ強くなるための時間がある。シオンさんはサイカを良くしようと頑張ってるし、きっとこれから先の方が大変だと思う。必要になったその時に力になれるように、エリカさんにとって今は頑張って準備する期間じゃないかな」
「だけど、今まさにサイカが危険な状態なんでしょ」
「大丈夫。今は俺たちがいるから、好きにはさせないよ」
「……」
不安げに瞳を揺らすエリカに、ディレルはわざと強く言い切る。
敵の全貌は見えないが、おそらくセネシオはある程度相手の見当をつけている。その上でエリカを自分の方ではなくこちらに来させたのだから、何か勝算があってのことだろう。
相手が危険でエリカに対して害意があると考えているのならば、どう考えても古代種エルフであるセネシオのそばの方が安全なのだから。
「でっ…でもみんな、私が十五になるまでここにいるわけじゃないでしょ」
「サイカの体制が変われば外から冒険者たちも入ってくるし、その中には定住する奴らも出てくるよ。今後の魔物の討伐に関してはエフェドラ側からも落ち着くまでの間協力してもらえるように話をつけてあるし」
セネシオがエフェドラの人間代表事務局の偉い人に(ほぼ脅迫状態で)話をつけたのだ。サイカ側からのGOサインが出れば今後エフェドラ側から定期的に討伐隊が組まれ、魔物討伐に出ることになっている。
初めて会ったアルボレス卿は真面目そうな紳士で、セネシオが笑顔でつらつらと読み上げる、微に入り細を穿つ『教会清浄派が引き起こした事件による人的・物的被害内容まとめ』を聞けば聞くほど顔色がどんどんと土気色になっていく様は哀れみを誘った。(が、ディレルはルルシアが危険にさらされたことに腹を立てているので止めなかった)
「エフェドラって、イベリスでしょ? 隣の国が何で…」
エリカからしたら突然他国が助けてくれると言われても戸惑うだけだろう。目を丸くしたエリカの言葉の途中で、ディレルはぞわりと嫌な気配を感じた。
「ディル! 四時の方向!!」
ルルシアの指示に反応して剣を振るうと強い手応えがあった。だが、防がれた。
「ええー、お兄さん見た目に反して攻撃重すぎっしょ」
ディレルの剣を短剣で防いだその半獣の女は、体重を感じさせないしなやかな動きで着地し、白い尻尾を楽しそうに揺らした。




