125. マイナス二万点
殴り込みの前にエリカちゃんとちゃんと話してきなよ、とセネシオに言われたシオンは「え、あ、え…?」と混乱した様子のまま居間から追い出された。
ルルシアがその後ろ姿に「突き当たりの扉ですよ」と声をかけると「ハイ」とだけ返ってきたあたりに混乱が見て取れてなおさら心配が募った。今度はエリカではなくシオンが泣くかもしれない。
「で、ルルシアちゃんはさっき何か思いついたみたいだけど?」
ハラハラしているところにセネシオから声をかけられ、ルルシアは振り返る。
「…思いついたというか思い出したんです。たいした情報じゃないんですけど」
セネシオの言う『さっき』というのはルルシアがうっかりつぶやきを漏らしたときのことだろう。本当にうっかり漏れただけなので期待されてしまうと若干申し訳ない。
もしかしたらこれを聞くために無理矢理シオンを追い出したのかも…と思い当たり、心の中でシオンに手を合わせ謝罪する。
「ええと…エルフの血は魔力を帯びてるから、魔物の多い場所で怪我をしたらすぐに止血しないと魔物が寄ってきちゃいますよね。…それでも普通は、魔物が死んだら瘴気が消えていくのと同じように時間が経てば魔力も消えるんですけど…」
エルフにとっては常識の話だが、ディレルやアドニスは知らないであろうことなので説明を加えながら話をする。
「前にディルにお父さんの遺した魔術文様のメモあげたでしょう? で、それとは別に魔法に関する研究メモはライにあげたんだけど…その中に、血液の中の魔力を長期間保持する方法を研究してる人物がいるって記述があったんです。それが誰なのかとか、長期間っていうのがどの程度なのかまではわかんないけど…」
「ルルシアちゃんのお父さんがどこかでその話を聞いたってことかな? いつどこで聞いたとか、何を目的として研究してたのかっていうのは?」
それがわかればもう一歩踏み込んだ話ができるのだが…ルルシアはため息とともに肩を落とした。
「えーと、わたしのお父さん、ものすごく字が汚くて…ライがメモの中から解読可能な部分だけ書き出してたのを読ませてもらっただけなんです。もしかしたら元のメモに細かい情報も書いてあるのかもしれないけど、解読は難しいかと…」
「ああ…俺がもらったメモも文字はほぼ読めなかったからね…」
ディレルに渡した方は魔術文様に関するもので、図形はきちんと書かれていたので文字が読めなくても影響がない…とは言わないが、ダメージは少なかった。しかし、ライノールに渡した方は文字情報が重要なので、彼は現在進行形で解読に苦しんでいるのだ。
「なんかうちの親がごめん…で、でも、それについて『血の魔力を保持してどうするんだろうね』ってライに聞いたら、『加工して魔術具の燃料にするとかが平和な使い方だけど、やろうと思えば魔物を集める誘引剤としても使えるかもしれないな』って言ってたんですよ」
「魔力を含んだまま濃縮したり…なんならそのまま撒いても誘引できそうだね。それに、部屋に撒いた血液の出所はどこなのか気になってたんだけど、そういう研究してたら研究用の血液持ってるってこともありそうだしね」
昨日の今日で部屋に撒けるほどの大量の血液を手に入れるのは難しいだろう。血糊だったとしても普通はそんなにすぐそれっぽいものなど手に入らない。
血のようなもの…と考えてもルルシアはケチャップしか思いつかないし、それだと部屋の中に入ったら美味しそうな匂いがしてしまう。ただでさえこの世界の人々は家畜を潰したり魔物と戦ったりで血を見慣れているので、生半可なものではごまかせないのだ。
「その研究に関わってるって決まったわけじゃないけど、ストラは本当に魔物をサイカにけしかける手段を持ってるかもしれないってことだね」
「…とにかく早めに魔物襲撃にも備えるべきですね。壁の外が心配です」
「そうだね。真っ先にやられるのは壁の外だから」
うーんとセネシオは宙を睨んで考え込み、そしてルルシアとディレルの顔を見た。
「俺たちはシオン君を連れて拠点に乗り込んで組織の方の動きを抑える。だからルルシアちゃんたちはエリカちゃんを連れて公民館の方へ行って、近隣の魔物の動きを探ってくれるかな」
探るのは構わないのだが、その後は…と、ルルシアは首をかしげる。
「もし接近してたら応戦していいんですか? 半獣の人とかストラさんが公民館の方…に限らず、壁の外に現れるかもしれないし」
「そうだね。一応連絡は欲しいけど、対応は早いほうがいいと思う。それに気配を探るのはルルシアちゃん得意だし、ストラとか半獣の子とかの不意打ちも防げるでしょ。やばそうだったら俺も転移で行くよ」
「…状況によってはわたし、魔法を使うかもしれませんけど」
「それはその場の判断で、自分の身の安全を優先して。もしそれで住民たちから危害を加えられそうになったなら離脱してかまわない…というかルルシアちゃんはそれでも住民守るためにとか言って留まりかねないから、その時はディレル君が引きずってでも連れ出してね」
「了解」
ディレルは分かっているとばかりに即座に頷いた。
「信用がない!」
「ある意味信用してるんだよ。ルルシアちゃんは弱い人を見捨てないって」
笑いながら言ったセネシオにルルシアは頬を膨らませた。
「…わたし、そんなに自己犠牲精神強くないですよ」
「強いだろ」
「強いね」
「強いよねぇ」
「うぐう…」
***
ノックすると少し時間を置いてからくぐもった声で「どうぞ」と返事があった。
ギッときしむ扉を開くと、毛布をかぶったエリカが赤くなった目をまんまるにして絶句していた。――どうも、ルルシアあたりが来たのだと思ったらしい。
「し…おんさま…!」
数秒のフリーズの後、エリカは毛布を頭からかぶって完全に隠れてしまった。
「エリカ、急に来て悪かった」
シオン自身混乱していたとはいえ、きちんと名乗ってから開けるべきだったなと申し訳ない気持ちでその毛布の塊に話しかけた。
「いえ…すみません、急に、出ていったりして」
「いや、違うんだ。さっきの俺の言い方がまずかったから釈明させてもらおうと思って来たんだよ」
「…釈明?」
エリカが顔を上げた…のだろう。毛布がもぞりと動いた。
その毛布に向かって、シオンは勢いよく頭を下げた。
「申し訳なかった。正直、今でも俺は今回の一連の問題にエリカを関わらせたくないと思ってる。でもそれは、エリカが必要ないとか邪魔だからってことじゃなくて、単純に危ない目にあってほしくないってだけなんだ」
シオンの謝罪に、エリカは慌てて毛布をはねのけて顔を出した。
「シオン様は悪くないです!…なんとなく、そういうことだって分かってます…私が勝手にカッとなって飛び出しちゃったのが悪いんです」
エリカは眉をギュッとハの字にして、今にも再び泣き出しそうな顔をしている。
シオンはその乱れた髪の毛をなでつけるようにエリカの頭をなでた。
「エリカ、お前は俺よりも強いけどさ、それでもまだ十三歳の女の子なんだよ。攫われて怖かったって言って泣いていいんだよ」
「で…でも、私はあの時追いかけるべきじゃなかったんです」
「確かに怪しいやつを見つけた時に一人で行動したのは良くないと思うよ。でも、俺はエリカがそういう間違いを繰り返すやつじゃないって知ってる。――だから、そんなことよりもエリカが無事で良かったって安心の方が大きいんだよ」
子供のように撫でられることにエリカは戸惑っている、が、嫌がってはいないようなのでシオンはグリグリと撫で続ける。ディレルがルルシアを撫でるのを見るたびにいちゃつきやがって…と思っていたが、これはなかなかに癒やされる。
「…まあ、それでああいう言い方になったんだけど、ルルシアから言い方が駄目だって怒られた。マイナス八千点だってさ」
「八千…?」
なんとも中途半端なマイナスの数値に、エリカが怪訝そうな顔をした。
「あー…確か、言い方が駄目だからマイナス五千で、何が駄目なのか分かってないところがマイナス三千だそうだ」
「…ルルシアさんは、ちょっと変だと思います」
「まあそうだな」
「…でも、シオン様はルルシアさんのこと好きですよね」
ピタッ…と思わず手を止めた。
「……は?」
思ったよりも低い声が出てしまった。
というか好きって何だ? 好きってことか? え、なんで今そんな話?
「だって、初めて会った時見惚れてたじゃないですか。だいぶ気を許してるし」
混乱するシオンにエリカは少し拗ねたような表情でそう続けた。
なぜ、そこで拗ねる? これはまた分かってないのがマイナスと言われるやつだろうか。ちくしょう、言語化してくれ。
「…いや、確かに始めは美人だと思ったけど…気を許してる…かもしれないが、あれはちょっと別の事情があって」
「隠さなくっても大丈夫です。…応援しますから」
応援すると言いつつエリカは目をそらした。
「いや応援されても困る。俺だって美人は好きだしあいつの見た目はいいと思うが、別に恋愛感情はないし、そんなもんあるなんて思われたらディレルに殺されるからやめてくれ」
「でもディレルさんよりもシオン様のほうがかっこいいと思います」
いやいやいや、と手を振って否定するシオンに対してエリカは真剣な顔で若干食い気味に反論してくる。
「え…あ、ありがとう…? いやでもそういう問題ではなく! そういう感情はないからこの話は終わり! …っていうかなんで急にそんな事言いだしたんだよ」
だって…とエリカは少し言葉を詰まらせた。
「シオン様、ルルシアさんたちとなんかよく話してるし…シオン様はいつもサイカで窮屈そうにしてたから…サイカを、捨てて…あの人達と一緒に外に行くつもりなのかなって…思って…」
予想外の言葉にシオンは目を瞬かせる。
確かに、この世界でシオンはいつも常識の違いに悩んで生きてきた。だが、シオンはなんだかんだ言っても自分の生まれ育ったサイカを大切に思っている。
この場所を守りたくてルルシアたちと一緒にいるのだ。捨てるつもりなど毛頭ないというのに。
「俺、そんな風に見えてたか…」
「違うんですか…?」
シオンの顔を伺うエリカの不安そうな表情に、それで拗ねてたのか、とシオンは思わず吹き出した。
「何で笑うんですか…!」
「悪い。いやあ、エリカは可愛いなと思って」
「は!?」
「大丈夫、少なくともエリカが嫁に行くまではここにいる」
真っ赤になったエリカにシオンがにっこり笑って見せると、彼女の顔はなぜかみるみる歪んでいった。
「……シオン様のバカ……!」
エリカは再び毛布の塊と化し、シオンは事情を聞いたルルシアに「マイナス二万点」と冷たい視線を向けられたのだった。




