122. パン粥の対価
半獣の女はエリカに睡眠薬のようなものを飲ませたらしい。そこから覚醒する前にストラによる薬草と魔法の効果で更に深い眠りについてしまったようだ。
「ゲームですか…」
「第三者の介入の場合は無効だろうな」
「唐辛子痛いですしね…」
「…他人事みたいに言われるとやや苛立つが」
「エヘッ」
じっとりと睨みつけてくるアドニスに対し、ルルシアが笑ってごまかそうとしたところにエリカが首をかしげた。
「唐辛子ってなんですか?」
「粉末状の唐辛子は目潰しに使えるんですよ。熊よけにも使われてますからね。獣人系とついでにエルフには効果抜群です」
「…人間にもな」
「…すみません」
ぼそりと付け加えられたアドニスのつぶやきに、ルルシアはついっと視線を横にそらした。相当根に持っているらしい。件の唐辛子パウダーはライノールが魔法で凍結粉砕したもので、正直なところルルシアも使ったことがなかったので知らなかったのだ。
「えーと、とにかく、エリカさんを奪還されたことでストラさんは相当焦ってるはずです。焦って短絡的な行動に出ないといいですけど…エルフが街中で攻撃魔法使ったら大変なことになっちゃいますからね」
その言葉にエリカが目を丸くした。
「…エルフって、何の話?」
「あ、ストラさんがエルフだって話です」
「え!? エルフって…あの半獣の他にも亜人がサイカに入り込んでるの…!?」
「はい。他にもいるかもしれませんけどね。人間と見た目が変わらない亜人も多いですし、偽って入り込むのはそんなに難しくないと思いますよ」
そう言いつつ表情を伺うと、エリカは口を手で覆って青い顔をしていた。やはり幼い頃から亜人は敵と教えられてきた者からしたら衝撃の内容なのだろう。今目の前にいるルルシアが亜人だと知ったら気絶してしまうか、逆上するかもしれない。
シオンも同じような反応をするのだろうか、と考える。少なくともルルシアたちが騙していたことに対しては怒るだろうし、ここ最近のようにテーブルに突っ伏して弱音を吐露するようなこともなくなるだろう、とルルシアはやや寂しい気分で苦笑した。
そんなルルシアを、エリカは青い顔のままグッと拳を握りしてめて見つめた。
「…亜人が集まってシオン様を失脚させようとしてるの?」
ショックから立ち直ったわけではなさそうだが、それでも現状の把握をしようとしているらしい。強い子だな、とルルシアは心の中で賞賛を送る。
ここでエリカにあまり深く事情を教えてこの事態に関わらせることになるのをシオンは嫌がるだろうが、すでに巻き込まれたエリカには知る権利がある。そう判断してルルシアは口を開いた。
「彼らの目的はシオン様の失脚ではなくて、サイカを潰すことですね。今シオン様が実質サイカの最後の柱になっているので、それを取り除けばなし崩し的にサイカも崩れる…って考えてるんでしょうね」
「サイカを潰すって、亜人がサイカを恨んでるから…?」
「恨みではなく、政治的なお話ですね。サイカが潰れたら得する人がいるんです。まあ、中には個人的な恨みを原動力に活動してる人はいるかもですが、少数派だと思いますよ」
サイカを追い出されたり、サイカに親しい相手を奪われたりした者が恨みを抱いていたとしても、それを理由にサイカの転覆を考えるかというとそんなことはないだろう。
実際、追い出された亜人の多くはイベリスで普通に暮らしている。ルルシアを襲った盗賊団(未遂)だって、別にサイカに対する復讐を考えているわけではなかった。その場所を離れてしまえば、皆自分たちが生きる方法を考えるので必死なのだ。
「少数派…」
「サイカの人たちは必要以上に亜人を恐れているので意外かもしれませんけど、大多数の亜人たちからしたらサイカって『なんか厄介だから関わりたくないなぁ』くらいのイメージだと思いますよ」
「厄介…」
「…ルルシア、加減してやれ」
アドニスに止められ、ルルシアは「え?」とエリカに目を向けた。エリカを追い詰めるつもりなど一切なかったのだが、彼女は幼い頃から教えられて信じていた地盤がカルチャーショックの衝撃でグラグラ揺れて立っているのが精一杯…という様子だった。
「あー、ごめんなさい。亜人の話はここまでにしましょう…推測でしかない不確定な内容も多いですしね。ひとまず考えるのやめて、体を休ませましょう。エリカさんは変な薬飲まされてるんだからすぐに動き回らないで少し横になって様子見てください」
「待って、私は公民館に帰らないと…」
ばっと寝台から降りようとしたエリカをアドニスがやんわりと押しとどめる。
「だめだ。お前は狙われてるんだぞ」
「そうですよ。エリカさんはストラさんの致命的な情報を持ってるんです。もし見つかれば何をしてくるかわかりません。…公民館に戻れば、他の人も巻き込むかもしれません。ここにいてくれればわたしたちが守れますから」
「……」
「公民館にはシオン様が連絡をしてくれると言ってましたし、大丈夫ですよ」
「…わかった」
エリカは青い顔で、悄然とうなだれてしまった。公民館を盾にとって脅すような言い方になってしまったところに胸が痛むが、そうは言ってもそれが事実だ。エリカはしっかりした子なのでそう言われてこっそり抜け出すようなことはしないはずである。
「そういえば食事してないですよね? 何か食べやすいものを用意しますね」
声をかけたが返事は返ってこなかった。エリカには落ち着く時間が必要なのだろう。ルルシアはアドニスに目配せして、二人で静かに部屋から出た。
――ところで、声を上げそうになって慌てて飲み込む。
「……びっくりした……」
扉を閉めてから抑えた声でそう言ったルルシアに、セネシオがニッと笑った。
「ただいまー。でもアドニス君が驚いてないのが残念だな」
「気配がしたからな」
「全然気付かなかった…二人共おかえりなさい」
アドニスは気付いていたようだが、ルルシアたちがエリカと話している間にセネシオとディレルが戻ってきていたらしい。気付いていたなら教えてくれれば…と思わなくもないが、彼は今の状態のエリカの前で余計な話をしないほうがいいと判断したのだろう。
だがルルシアにとって今一番気になるのは、ディレルが一言も発することなくここしばらくのシオンのようにテーブルにうつ伏せてぐったりと伸びていることだった。
「…ディル大丈夫? 具合悪いの?」
「んー…」
「今ここにお客さんが来てるでしょ? 結界内に知らない人が入った反応があったからちょっとだけ急いで帰って来たんだ。それでディレル君は連続転移による転移酔い真っ最中」
弱々しい呻き声をかすかに上げたディレルに代わり、セネシオが説明する。それを聞いてアドニスが顔をしかめた。
「転移酔いか…しかも連続となると慣れるまでは地獄だからな…」
その表情から伺うに、どうやらシャロの転移魔法で運ばれたときのことを思い出しているらしい。ルルシアも一度、セネシオにほんの短い距離を運んでもらった事があるが、それだけで気持ち悪くなってしまったことを思い出す。
「ディル、お水置いておくね」
「…ありがと」
ディレルの横に水を置いてから、ルルシアはセネシオに顔を向けた。
「エリカさんにパン粥作ろうと思ってたので多めに用意しますね。急いで来たならディルもセネシオさんも朝食抜きでしょう?」
「え、いつになくルルシアちゃんが優しい…」
「セネシオさんにはエルフを一人始末していただかないといけないので」
「ええ…パン粥の対価が高すぎる――まあお互い色々動きがあったみたいだね」
ひとまず先に食事を用意してエリカのところに顔を出すと、彼女は寝台には横たわらずに膝を抱えて壁に寄りかかった状態で眠っていた。光の加減かもしれないが随分疲れた顔に見えたため、起こさないようにそっと毛布をかけて部屋を出た。
居間の方へ戻ると、アドニスが昨日からの顛末――エリカの拉致事件のことや犯人側にエルフと半獣がいることを報告していた。
「仮面をつけたエルフに白いネコの半獣かあ…ストラって名前は偽名だろうね。で、エリカちゃんのいた部屋でこの葉っぱが燃やされていたと」
「知ってます? その葉っぱ」
「俺も詳しいわけじゃないけど、多分麻酔として使われるやつだと思うよ。頭がぼんやりして眠くなっちゃうやつ。大量に使ったら危ないと思うけど、短時間なら体に影響はないんじゃないかな。問題は魔法の方だけど、ルルシアちゃんの飲ませたやつでちゃんと解呪できてると思う」
それを聞いてルルシアはホッと息を吐く。が、安心するのはまだ早いのだ。
「ああ、でもその前に半獣の女の人に何か飲まされてるんだった…」
「それはその飲ませたご本人に聞いてみないとだね。うーん、しかし白猫かぁ」
「心当たりがあるんですか?」
「白猫の半獣は美人が多いんだよね」
ルルシアがじっとりと睨みつけると、セネシオはにっこりと笑った。こうやって茶化すと言うことは心当たりがあるのかもしれない。
(敵対してる相手の中に知り合いがいるなんてあんまり考えたくないもんね…)
「…では、エルフと美人の半獣はセネシオさんがまとめてどうにかするってことで」
セネシオと同じようにルルシアもにっこり笑う。
アドニスと、やっと回復してきたらしく水を飲んでいたディレルが頷いた。
「異議なし」
「…頑張れ」
「というわけで全会一致です」
「ほんの冗談なのに…」




