121. ゲームをしようよ
夜陰に乗じてエリカをルルシアたちの借りている小屋に運び、ルルシアの使っていた寝台に寝かせる。エイレンはじきに目覚めるだろうと言っていたが、運ばれても寝かされてもエリカは目を開けなかった。
心配して目覚めるまでついているというシオンを追い返し、ルルシアたちがやっと息をついたのは空が白み始めた頃だった。
「まだ目を覚まさないのか…さすがにおかしいんじゃないか?」
「えっと、そこでこれの出番です」
心配げに顔を曇らせたアドニスの目の前にルルシアはガラスの小瓶を掲げてみせた。その瓶の中には薬包紙に包まれた粉薬のようなものがいくつか入っており、揺らされたことでカサリと小さな音を立てた。
「…それは?」
「よくわからないけど効く薬です」
「…なんでよくわからないんだ」
じっとりと睨まれてルルシアは「うーん」と説明の言葉を探す。
「ええと今、エリカさんは薬草の効果だけじゃなくってそこに混ぜ込まれた魔法の効果で眠ってるんだと思うんですよね。で、こっちの薬は新陳代謝を高める効果のある薬草とかその他いろいろの薬草をブレンドして、さらにそこに薬草の効果を高める魔法とついでに解呪魔法が混ぜ込まれてるんです。ざっくりいうとエルフ愛用の総合感冒薬っぽいもの」
「…よくわからんが、いろいろ効くってことか」
「そうです。だからよくわからないけど効く薬なんです。とにかくこの『わたしは中身を知らないけど多分効くと思われる薬』をシオン様たちの前で取り出す勇気はなかったんですよ。エリカさんをこっちに連れてこられてよかったです」
「そうだな。俺だってあんたの正体知らなかったらそんな薬飲ませるのは止める」
「多分わたしもです…。でも少なくとも体に悪いものは入ってないはずなので、まずは試してみますね」
そう言いながらルルシアは小瓶から薬を取り出してカップに入れ、水を注いで溶かす。薬の溶けた水は微かに淡く光を放ち始めた。
「なんか光ってるが」
「魔法混ざった薬ですから。エリカさんが自力で飲んでくれるといいんですけど…アドニスさん、エリカさんの上半身を起こして支えてもらえますか?」
アドニスがエリカの上体を支え起こしたところで、ルルシアはエリカの口をこじ開ける。そしてほんの少しだけ薬液を口の中に入れて口を閉じさせる。かすかにだが喉が動くのを確認したあと、カップを口元へ持っていき再び少しだけ含ませてやると、今度ははっきりこくんと飲み込んだ。そこから少しずつ、反応を見ながら飲ませていく。
「……」
飲ませ終わってからほんの少しだけ間をおいて、エリカのまぶたが震えた。
「お、うまくいきましたかね」
「……ぅ…」
ルルシアたちが見つめている前で、ゆっくりとまぶたが開かれて喉からかすれた呻きが漏れた。ぼんやりとした視線が室内をさまよい、そしてルルシアの上で焦点を結ぶ。
「………!? …!!」
ルルシアはエリカに薬を飲ませるため、いわば馬乗りのような体勢になっていた。それに驚いたエリカはビクリと身を引こうとして、背中を支えるアドニスに気付いて再び声のない悲鳴を上げた。
「あ、失礼しました」
よいせ、とルルシアが寝台から降り、アドニスもエリカが倒れないように気遣いつつ身を引いた。
「エリカさん、エイレンさんのところでお仕事した後のこと、覚えてますか? あれから一日半位経っているんですけれど」
「い、ちにち…半?」
エリカは驚きに目を丸くして思わず声を上げたのだが、その声はかすれていた上に、乾いた喉には刺激が強かったらしくケホケホと咳き込んだ。ルルシアは新しいカップに水を注ぎ、
「お水どうぞ。すみません、無理に喋らなくて大丈夫です。まずこちらで把握していることをお話しますので、その後エリカさんの事情を話してもらえますか?」
エリカはルルシアの差し出したカップを受け取り、小さく頷いた。
――そしてルルシアが公民館でエリカ行方不明の知らせを聞いてからこの場所に至るまでの話を一通り終えたところで、エリカは両手で顔を覆った。
「公民館の皆にも、シオン様にも迷惑を…」
「後悔は後でまとめてしましょ。ひとまず次はエリカさんの話を聞かせてください。エイレンさんと別れた後、どういう経緯であの男に捕まってしまったのか」
「…帰るために門に向かって歩いてたら、真っ白い物が見えたの。それが大きな動物のしっぽに見えて…もしかしたら魔物が壁の中に入り込んじゃったのかもって思って追いかけたら…しっぽの生えた人がいて」
「白い、ネコ科半獣の女性ですね」
「うん。それで、どこかを襲うつもりなのかもしれないって思って後をつけたら小屋の中に入っていったから、出てくるまで見張ろうか誰かに知らせに行こうか迷ってたら――急になんかバチンって衝撃を受けて、それで気を失ったみたい」
衝撃というのはストラの魔法かもしれないし、尾行に気付いた半獣が後ろから回り込んでなにかしたのかもしれない。とにかく、エリカはやはり自分の意志であの小屋のそばまで行ったのだ。
「次に目を覚ましたのは、さっき?」
「ううん。なんか男の人の怒る声で目が覚めて…」
***
ひどく機嫌の悪そうな男の声で目を覚ましたエリカは、起き上がろうとして体が動かないことに気づいた。動かそうとした腕と足に堅くざらざらした感触がある。上手く動けないので見えないが、どうやら縄か何かで縛られているらしい。そして頬の下にあるのはささくれた木の感触。――手足を縛られ、木の長椅子か何かの上に寝かされている状態だ、と見当をつける。
ここはどこ、怒っている男は誰、逃げなきゃ…と、頭の中ではじけるように一度に様々な言葉が浮かぶ。
最優先は逃走手段の確保。だが、下手に動くと椅子から転げ落ちてしまいそうだ。扉を一枚挟んだ隣の部屋で男が怒った口調でまくし立てているので、音を立てるとこちらに来てしまうかもしれない。聞き覚えのない声だし、今のエリカの状況から見ても相手は危険な人物の可能性が高い。
ここは動かず、少しでも情報を集めながら機を見るべきだ。そう思って耳を澄ました。
隣の部屋には男の他にもうひとり女がいるようだった。怒っている男をなだめる…というよりも適当にいなしているような調子の声が時々聞こえていた。
ガタンッ
声が途切れたな、と思っていたら突然扉のノブが動いたのでエリカは必死に気絶したふりをした。
エリカのいる暗い部屋に、隣の部屋から光が射してきたのをまぶたを通して感じる明るさで知る。その光が揺らいだ。扉を開けた者が動いたのだ。
――見られている。エリカの心臓はバクバクしてはちきれそうになっていて、もしかしたらこの音が相手に聞こえてしまっているかもしれない…と心配になる。
エリカにとっては永遠にも感じられた、でも実際はほんの短い時間の後、相手は小さくため息をついて部屋から出ていった。
再び扉がガタンと音を立て閉まり、扉越しにくぐもった声で短い会話がかわされるのが聞こえた。そしてしばらく無音になる。
ぎぃ…ばたん
張り詰めていた緊張が一旦途切れて、エリカは眠ってしまっていたらしい。
どこかで扉の閉まる音がして目覚めたエリカは、部屋の中を改めて見回してみた。実は存在していた小さな窓には布が貼られていて外は見えないが、その布を透かして外の光が射し込んできている。眠る前部屋の中が暗かったのは夜だったかららしい。
夜が明けているということは、エリカが壁の内側に入ってから少なくとも一晩は経ってしまっていて、公民館の夜の点呼には参加できなかったということだ。公民館の皆が探しているかもしれないが、ここはおそらく壁の内側なので見つけてもらえないだろう。自分で脱出するしかない。
なんとか体の縄をはずしてそこの窓から出られないだろうか…と視線を上げて、
「…!!」
「へえ、子供だけどギャンギャン騒がないんだねえ。偉い偉い」
いつの間にか部屋の中に女がいて、エリカの横たわる椅子の横にしゃがみこんでいたのだ。女の頭の上には猫のような真っ白で大きな耳があり、背後では長いしっぽがゆらゆらと揺れていた。
「ねえお嬢ちゃん、ゲームをしようよ。運試しのさ」
「………」
女の目は楽しそうに細められ、口調はエリカをからかっているようだった。エリカはどう答えていいのかわからず、ただじっと女を睨みつけた。
「いいね、気の強い子は大好き! …さて、ゲームなら商品が欲しいよね。そうだなあ…商品はサイカってところかな?」
「…は…?」
「お嬢ちゃんが無事逃げ出せたらお嬢ちゃんの勝ち。逃げられなかったら負け」
「何を言って…」
「このままここにいた場合のお嬢ちゃんの末路を教えてあげよう。ストラ…あ、ストラって昨日部屋覗いた男ね。起きてたでしょ? あの時お嬢ちゃんの呼吸荒かったもん。あたし耳いいからね」
女はそう言いながら大きな耳をぴぴぴっと動かしてみせる。
「とにかくあの男さ。あいつはお嬢ちゃんをクスリで洗脳して、リーダーの息子に手込めにされましたーとかでたらめな証言させて、リーダーの息子を失脚させようとするはず。そんで、その後はストラに操られたバカなザースさまの悪政と襲い来る魔物の大群によってサイカは滅びの道をまっしぐら! 組織は壊れてついでにたくさん人間が死んでおしまい。めでたしめでたし」
「な…」
一体何の話をしているのだろうか。エリカを洗脳? シオンが失脚? 魔物の大群…はありえない話ではないかもしれないのだが、とにもかくにも沢山の人が死ぬのがめでたいわけがない。
文句を言おうとしようとしたエリカの声を遮り、女はニヤニヤと先を続ける。
「もしお嬢ちゃんが逃げのびたら、お嬢ちゃんの証言でストラの正体と企みがバレて、ついでにザースさまが失脚。そしたらたぶんリーダーの息子が先頭に立ってサイカは細々生き残る――かもね。これはあたし的には別にそんなに面白くないけど、まあ襲ってくる魔物をどう片付けるかっていうのは見どころかなー」
で、だ。
と、女が指をエリカの鼻先に突きつける。
「あたし自身はお嬢ちゃんを逃してあげない。あたしが逃したって知ったらストラがうるさいからね。だから逃げるならあの男がいる時か、誰もいない時に限る。どう、やる?」
やるか、と聞かれても…とエリカはこの場合の正しい答えを必死に考える。
この女は、自分が一人でいる今ではなく男がこの家に帰ってきてから逃げ出してみせろと言っているのだ。
「…私が今貴方を振り切って逃げるチャンスを潰すメリットがないじゃない。今なら一対一だけど、もうひとりがいたら二対一になるだけだ。自分が不利になるだけのゲームなんかやるわけないでしょ」
「おや賢い。賢いけどお嬢ちゃんはあたしには勝てないからそんなチャンスはないってとこは分かっておこうか。――そうそう、ゲームのルールは決めなきゃね。そうだなぁ…ストラがいる時、あたしはお嬢ちゃんに手を出さない。そんで追いかけない。追うフリはするけど。つまりお嬢ちゃんはストラだけどうにかすればいいってこと」
「それだと、貴方のメリットは…」
「ストラが出し抜かれて悔しがるのを見るのは最高に面白い」
「……」
「それにそろそろ、あいつらとつるむの飽きてきたんだよね。あたしはサイカも人間も、亜人だってどうなろうとかまわない。とにかく楽しく生きたいわけ」
正直なところ、こうやって話していても女にはエリカが襲いかかれるような隙がまったくない。悔しいけれどどう考えてもかなわないのが分かる。だが、ゲームとやらに乗ればこの女は手出しをしてこないという。それを本当に守るかどうかは疑問だが、どのみちゲームに乗らなければ手加減すらしてもらえないのだ。
「…わかった、やる」
「よし。じゃあストラが帰ってきたらスタートだ。ほらよ、とりあえず水飲みな」
ニヤニヤ笑う女が水を口元に持ってきたので、口をつけて、そしてそこでエリカの記憶は途絶えた。




