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118. 上手く行くといいけどね

 ねっとりと絡みつくような視線が鬱陶しい。

 男は女の視線にうんざりとした気分になるが、その感情を表に出してしまったら全てが台無しになるので自分の中で飲み下す。

 恋人がいる目の前で男にそんな視線を送ってくるのはスリルでも楽しんでいるつもりだろうか。目的を達成すれば切り捨てられるだけだということも知らず、滑稽なことだ。

 そう思いながら男は女の視線に応えて口元に笑みを浮かべてみせる。

 顔の殆どを覆い隠す仮面は煩わしくもあるが、表情を取り繕う必要がないのはありがたい。男の口がただ笑みの形を真似ただけで、その女――アナベルは満足そうな表情で恋人に腕を絡ませしなだれかかった。

 男の仕えるべき主でありアナベルの恋人のザースは、彼女の気持ちがまさに今自分に向いていないことがわかっていないらしい。しなだれかかった女の髪を一房すくい取って口付けて笑った。

 やはり、人間は滑稽だ。


「ストラ、帰るのか? 俺らはいつもの酒場で飲むがお前はどうする?」


 アナベルの部屋を出て、廊下を歩いているところで同僚の男に呼び止められた。内心で舌打ちして、男――ストラはそれでもいつものように申し訳無さそうな声を出した。


「僕は今日は遠慮します。ちょっと失敗してザース様に叱られたばっかりなんですよ。もしザース様に酒場にいるところを見つかったらまた怒られちゃいますから」

「ああ、タイミング悪かったな。旦那はここんとこ機嫌悪いからなぁ…。そういや旦那のご機嫌を左右するシオン様がさっき急いで飛び出していったな。なんか顔色悪かったけど孤児共が魔物にでも食われたかな」


 ははは、と笑う男に「笑ったら可哀そうですよ」と愛想笑いしつつ、ストラはまた舌打ちしそうになるのをギリギリで我慢する。間違いなく、シオンはあの子供のことで出ていったのだろう。一刻も早く自分の家に戻りたい。そのためには怪しまれずにこの同僚を追い払わなければ。


「シオン様関係でなんかトラブル起きたら面倒だから僕はその前に帰ります。シオン様絡むとザース様うるさいですし」

「違いねえ。俺もさっさと酒場行くわ。じゃあな」


 同僚と別れ、ストラは外套のフードを目深にかぶって足早に家路をたどる。

 組織の拠点の側は空き家が多く、あまり一般住民が歩き回る場所ではないので人には殆ど会わない。ただ、一人だけ、ひょろりと痩せて背の高い男とすれ違った。

 たしか最近サイカにやってきた冒険者の一人だったはずだが、手に通行証をぶら下げていたということは北の門から戻ってきたところなのだろう。噂では珍しい魔物を探しているのだと聞いたが、ここしばらく目撃例がない種類なのでまず見つからないだろう、と皆言っていた。男の表情は浮かない様子で、どうやら今日も空振りだったらしい。


 そういえば、あの冒険者グループに女が一人いて、声が可愛いので美人じゃないかと同僚(バカども)がわあわあ言っていたな、と思い出す。その騒ぎ声がアナベルに届いてしまい、その日は機嫌をとるのがなかなかに面倒だった、と一人顔をしかめる。アナベル程度が美女レベルなのだから人間の冒険者などたかが知れているというのに。


 簡素な作りの古い小屋にたどり着き、扉のノブに手をかけた。

 サイカでの自宅としているこの小屋は空き家を二束三文で買い取ったもので、扉を開くとすぐに居間になっている。そこにいた一人の女がストラを見て口を開いた。


「おー、おかえり」

「ガキの様子は?」

「ちょっと目覚ました時に騒ぎそうだったから何発か殴ったら静かになった」


 奥の部屋――といってもこの家自体が小さいのでそこも狭い空間なのだが、そこに元々置かれていた古びた木のベンチの上には一人の少女がぐったりと横たわっていた。ストラが部屋を覗いても少女はピクリとも反応を示さない。ストラは部屋のドアを閉めて後ろを振り返り、今しがたストラの持ってきた食べ物をテーブルに広げて品定めしている女を見て眉をひそめた。


「…死んでるんじゃないだろうな」

「息してるから生きてんじゃね?」


 まるで他人事のように言う女に、ストラは大きくため息をついた。


「多分リーダーの息子がこの子供のことを探し始めると思う。はあ…お前がフラフラ出歩かなきゃこんな面倒はなかったんだからな」

「あはは、ごめんね。ちょっと外の風に当たりたくってさ」


 この女、ユラはグロッサの亜人保護団体の連絡役で、種族はネコ科半獣だ。

 口で謝りつつも表情はにやけており、白い大きな耳と白い尻尾がストラを小馬鹿にするようにゆらゆらと揺れている。白猫の獣人は他の国であればそこまで目立たないのだろうが、このサイカにおいては非常に悪目立ちする。

 彼女はストラの進める作戦の進捗状況確認のために派遣されてきて、一時的にこの家に滞在しているのだが、ネコ科の半獣特有の気まぐれを発揮して昨日ストラの許可なく壁の中をフラフラ歩き回り、あろうことか子供に後をつけられているのに気付かずそのままこの家に戻ってきたのだ。ユラは人間やエルフよりも聴覚が優れているはずなのだが、好奇心旺盛すぎて注意散漫なところがあり、尾行に気付かなかったらしい。

 たまたま帰宅するところだったストラが家を窺っている子供に気づき、背後から魔法で気絶させてひとまず家に連れ込んだものの、間違いなくユラの姿を目撃しているこの子供をどう扱ったものか困っている…というのが現状である。


「こっちは二年もこんなところに住んで興味もない女のご機嫌取ってもう少しで任務達成だって言うのに、ここまで来て身内に足をすくわれるとは…」

「ごめんって言ってんじゃん。それにあたしらの二年は貴重だけど、エルフサマにとったら二年なんて二日間くらいでしょー? ま、手っ取り早くこの子供一人殺して口塞いじゃえばいい話じゃん? なんかに使えるかも~とか欲かくから面倒な話になるんだよ」


 ユラはいつの間にか取り出した短剣を手の中でもてあそびながら「子供だから殺したくないとかお優しいこと考えてるの?」と見下すように鼻で笑う。ストラは眉をひそめて首をゆるゆると振った。


「殺した後の処理はどうするんだ」

「外の魔物に食わせれば?」

「誰が、どうやって外に運ぶんだ…お前がやるのか? 子供とはいえ抱えた状態では壁を越えられないだろう? 私が荷物に紛れ込ませて運ぶにしても荷物を外に運び出す理由がないと怪しまれる。それに最近は外から来た冒険者が魔物を探して山の方までうろついてるから、下手に目撃されたらやっかいなことになりかねん」

「適当に口八丁でやり込めればいいのに。あ、それができれば二年もこんなとこにいないかぁ」

「この…」


 ギリッと歯を食いしばる。

 ストラとユラは昔から折り合いが悪い。だが性格や能力の面でサイカの潜入に向いているのがストラで、サイカの壁を軽々と乗り越えられる半獣のユラが連絡役に向いている以上は適材適所なので我慢するしかない。それに変にこの女の機嫌を損ねて任務の邪魔をされてはたまらない。


「はあ…。あの子供にはザースたちと同じように、()()を使う。そして子供の口でいろいろな『証言』をしてもらってリーダーの息子の失脚に役立ってもらうんだ。殺すよりも足が着きにくくて安全だからな」

「お得意のクスリ? あんまり何人もやり過ぎると怪しまれるんじゃないの?」

「誰のせいだと……怪しまれるとしても私に疑いの目が向くのはまだ先だろう。どうせ疑われる前にサイカが崩壊するさ」


 仮面を外したストラは、その美しい顔を薄い笑みで歪めた。

 ユラは「ま、上手く行くといいけどね」と鼻で笑った。



***



「エルフが一人、は確定……あと、もう一人の女の人の方は…エリカさんが『尾行しよう』と思うくらい見た目でぱっと分かる亜人ってことですよね。…獣人、半獣…レアなところだとリザードマンとか翼人? ドワーフとハーフリングはパッと見じゃわかりにくいし、話の内容からするとエルフじゃないみたいだし」


 テーブルの上に置いた通信機から聞こえてくる声に耳を傾けながらルルシアは頭を回転させる。共犯者は亜人のようだが、種族によってこちらがとるべき対策が変わってくる。


「リザードマンは違うな。彼らの声は発声器官が俺たちとは根本的に違うから、もっと独特な音が混じるはずなんだ」


 通信機を仕掛け戻ってきたアドニスも同様に耳を傾けていた。

 リザードマンはかなり数の少ない種族だが、アドニスは実際にあったことがあるらしい。通信機から聞こえてきた女性の声はどう考えても普通の声だった。


「へえ…翼人とは昔会ったことがありますけど、背中の大きな翼がものすごく目立つから多分サイカに入ること自体が難しいと思うんですよね。門を通るのはもちろん無理です。壁を越えるって話をしてましたが、翼で飛んで入ってたとしたらさすがに誰かに目撃されてると思います。――つまりここは無難に獣人系の女性、そして壁を越えられるくらいに身体能力の高い種類の人が一人いるって考えときましょう」

「少なくとも獣人とエルフが一人ずつか…」

「うーん、セネシオさんが戻ってきてくれると話が早いんですけど…」


 セネシオがいれば問答無用で転移してもらって連れ出せばいいのだ。もしもストラに察知されて戦闘になろうが、本気を出したら彼が後れをとることはまずないだろう。

 が、いないものはどうしようもない。ここにいるメンツでどうにかしなければ…と考えているとシオンがそろそろと発言の許可を求めるように手を挙げた。


「なあ…結局どうやってあのとき婆さんを連れ出したんだ?」

「頑張って連れ出しました。――うーん、二人一気に相手するっていうのは無理ですよね。なんとか引き離して、そしてできれば戦闘はしたくない」


 ルルシアのおざなりな回答にシオンはやや顔を引きつらせたが、ため息を一つつくだけにとどめて特に文句は言わなかった。


「あ、あたし体格のせいで誤解されがちだけど非戦闘員よ」

「…俺もほぼ役に立たない…」

「奇遇ですね、わたしもです。今この中でまともに戦えるのはアドニスさんくらいですし…アドニスさん、エルフと獣人セットのお相手は…」


 エンレイとシオンの台詞に頷いて、ルルシアはアドニスをチラリと見た。


「無理を言うな。戦うだけでも無理だし、子供に手出しされたらアウトだろ」

「ですよねー」


 うーーーん、とルルシアは宙を睨んでしばらく考え込む。


「…このそばに、ちょっとした広場ありますよね? あそこでなんかパフォーマンスでもやったら警戒して見に来るんじゃないでしょうか」

「パフォーマンス?」


 ルルシアの言葉に他の三人が首をかしげる。


「歌を歌うとか。サイカの皆さん娯楽に飢えてそうですし、お誂え向きに近くに酒場があるし…それなりに人が集まるんじゃないかと。で、子供を監禁してる最中に外で人が集まって騒いでる声が聞こえたら、不安になって何が起こってるか確認したくなるのが人情ってものでしょう?」

「まあな。そして外に出てくるとしたら目立つ獣人じゃなくてエルフのほうだけ、か。その間に奪還しろと」


 アドニスの言葉にルルシアは大きく頷いた。


「ええ。そういうのはアドニスさんの方が得意ですよね。わたしの弓は獣人とあんまり相性よくないので相対するならエルフの方がまだマシ…ですし、衆目のあるところで派手な魔法攻撃はしてこないでしょうし」

「確かに、引き離すならそれが一番平和なやり方かもしれないが…目立ちすぎて余計なトラブルに巻き込まれるんじゃないか」


 眉をひそめたアドニスにルルシアは肩をすくめてみせる。ルルシアとしても極力人前に出るのは避けたいのだ。だが。


「…まあ仕方ないです。あまり悠長に構えてエリカさんを薬漬けの廃人にされたり殺されたりしては困りますし。それにそろそろセネシオさんたちも戻る頃でしょう…という希望的観測の元の作戦です」

「希望的観測…」

「シオン様は顔を隠して演奏お願いします。エンレイさん、わたしとシオン様になんかそれっぽい服とか貸してもらっていいですか?」


 ルルシアはフードを下ろして、エンレイにニッと笑って見せた。

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