116. 女の勘
なるほど、エンレイ『姐さん』。
姐さんという呼称が非常によく似合う。と、ルルシアは妙に納得してしまった。
この洋品店はエンレイの実家で、彼(彼女?)は組織で働く傍らこちらの手伝いもしているという。…だが、人の出入りがほとんどなく、全体的に貧しいサイカでそこまで洋品店が繁盛するわけもない。彼――姐さんがする手伝いというのは組織からまとまった注文があったときくらいのようだ。
昨日はその組織からの注文があったため、エリカにその納品を任せたらしい。
任せた、と言っても荷物を持たせて一人で行かせたわけではなく、納品する部屋のそばまで一緒に行って、そこから運び込むのをエリカがやっただけ。彼女が一人で行動をしたのはその短時間だけで特にトラブルは起きていなかった。
エンレイとエリカは納品を終えて一緒に店に戻り、そして報酬を渡して別れた――それが昨日の『仕事』のすべてだった。
「エンレイさんは納品相手には会っていないんですか?」
「ええ。ザース様の奥さん的な女性なんだけどねー。ザース様はあたしみたいな変わり者嫌いだから会わせたくないみたい。でも他の男が部屋に入るのもイヤって言うから女の子にお願いしたのよ」
随分と小さい男だな…とルルシアは眉をひそめる。
ただ、それで考えると部屋の中にいたのは女性と、もしかしたらザース。
だがそこでは何事もなく、エンレイの見た限りエリカも特に何かを気にしたようなそぶりはなかったというので女性だけだった可能性が高い。
エリカはエンレイと別れた後、通用口の門までの間のどこかで姿を消したのだ。通行証を持たないエリカは他の門を使うことができないので、壁の中から――少なくとも自分の足で出た可能性はないと考えていいだろう。
「――となると、まだ壁の中にいてどこかに捕まっている、か…何かに紛れ込まされて運び出されたか…」
「…すごく物騒な話ね。彼女、もしかして何か重要な人物だったの?」
「いえ…普通の、公民館の子供です。ただ、公民館に出入りしているシオン様と交流があったので、今の時期だと嫌がらせを受けたりしているかもしれないと…心配する声がありまして」
話している口調や内容からエンレイはザースと折り合いがあまりよくないらしい雰囲気は感じるが、それでも組織のメンバーなので裏でどう繋がっているかわからない。親しかったとか誰が心配しているとか、そういったあたりはぼかしておく。
「ああ…あの噂のせいね。ザース様の評判は元々ボッロボロだったからともかく、シオンちゃんの株が上がってるから焦ってるってのは確かにあるでしょうね。…確かに公民館はシオンちゃんがすごく大事にしてるからあそこの子たちに何かあればショックを受けるでしょうけど…」
「…けど?」
若干言いよどんだエンレイの様子にアドニスが続きを促す。エンレイは頬に手を当てて眉根を寄せた。そして指で店の奥の扉を示し、そちらに歩いていった。どうやら人に聞かれたくない内容のようだ。
ルルシアとアドニスは一瞬視線を交わしてからエンレイに続いてその扉をくぐった。
扉の向こうは倉庫になっていて、商品ストックらしき布の塊や生地などが詰まった木箱が積み重ねられていた。エンレイは薄暗い部屋の中に魔術灯の明かりを灯し、適当に座ってと木箱を指で示した。
「ごめんなさいね汚い部屋で。そんな大した話じゃないけど、誰が聞いてるかわかんないから一応ね」
ルルシアが躊躇いつつ端にあった木箱に腰掛けたのを確認してエンレイが話し始める。アドニスは座らずにルルシアの斜め後ろに立ったままだ。おそらく急な奇襲を受けた場合に備えているのだろう。
「ザース様ってコンプレックスの塊だし、ものすごくお馬鹿さんなのよ。だからザース様がシオンちゃんへの嫌がらせでエリカちゃんを攫うっていうのはすごーくありそうな話ではあるのよね。ありそうだけど、でもさすがのザース様も、今やったらタイミング的にまずいのは分かると思うの。しかも相手は子供でしょ? ザース様あんなだけど子供に乱暴はしないのよ」
「…子供好きなんですか?」
「好きかどうかは正直わかんないわ…ただね、今はあんなんだけど、ザース様はお兄さんのリザー様に厳しくしつけられてるのよ。だから根っこの部分の『弱いものを傷つけない』とか、『子供は守るべきもの』みたいなのは染み付いてるのよね」
セネシオが流した噂は尾ひれが付きすぎてひどい話になりつつあるが、大本の部分に嘘はない。無実の者を投獄し、投獄したものへの暴力行為を行っていたのは事実なのだ。それに子供を守るべきと考えているならば公民館を放置などしないだろう。
「…根っこグラグラになっていませんか?」
「ええ、そう見えるわよね。根腐れ起こしちゃってるからね…根っこが腐った原因は、奥様(仮)なのよ」
「かっこかり」
「彼女、ザース様に結婚をちらつかせてるみたいだけど、あたしの見立てだとあの女は結婚する気ないわね。まあキレイな女性でね…ザース様は彼女に夢中なのよ。で、彼女が言うわけよ『討伐なんて野蛮だわ』『壁の外の奴らなんていらないじゃない』『あいつが私に無理やり触ったの』『あの女が私を妬んで嫌がらせをしてくるの』」
エンレイはその女性の真似をしているのか、わざと芝居がかった裏声で腰に手を当て肩を怒らせてみたり、なよなよと泣き崩れるようなポーズを取ったりした。
「つまり、その女性と結婚したいザース様が言いなりになっていると?」
「ええ。悪いことはほぼあの奥様(仮)の言い出したことね」
まさに傾城の女だ。
その気もないのに結婚をほのめかしてザースのもとにとどまり、サイカが壊れてしまうようなめちゃくちゃを言い続けている。
だが…そんなことをする目的がよくわからない。
「…でも、それはかなり無理があるのでは? その女性の態度や発言はどう考えてもおかしいですよね。ザース様だって、いくら言いなりといっても限度があるのでは?」
「ええ、言いたいことは分かるわ。ここからはあたしの女の勘ね」
エンレイはウィンクしながら、しいっと唇に指を当てて声を潜める。アドニスが「女の…?」と呟いたのに対しては「おだまりなさい」と割と太い声が飛んだが。
「奥様(仮)と、ザース様の取り巻きの男の一人が多分デキてるわ。で、その男がどうもきな臭くってね。どこかのスパイかなんかで、奥様(仮)やザース様になにかこう…催眠術とか薬物でも使ってるんじゃないかとあたしは疑ってるんだけど…証拠がなくてねぇ」
「…どろどろですね…」
「ボロボロのどろどろよ。ボロボロのどろどろのデロンデロンなザース様だけど、子供には手を出さないってとこだけぎりぎり守ってるわ。あたしの知る限りは、だけど。――だからエリカちゃんが攫われたとしたらむしろ…」
「取り巻きの男?」
「あら、話が早くていいわね。あの男の秘密に関わることをエリカちゃんが目撃しちゃったかなんかで、口止めのために連れ去った…っていう展開はありそうよね」
ザース側はエリカを意図的に呼びつけたわけではなく、そしてザースは子供には危害を加えない。エリカの仕事は滞りなく完遂しており、姿を消したのはこの店から通用口までの比較的短い距離。
総合して考えるとザースがわざわざエリカになにかするとは考えられない。取り巻きの男が本当にスパイで、エリカが偶然何らかの秘密を知ってしまったから攫われた、という方がスッキリ説明できる。
「そうですね」
ルルシアは頭を動かさずに視線だけ動かしてエンレイの目を見つめる。ルルシアはフードを被っているので向こうからはルルシアが見つめていることはわからないだろう。
「前提としてエンレイさんがシオン様の味方で、真実を言っている場合は、ですけど」
「うふっ」
エンレイの紅を引いた唇の端が弓なりに持ち上がる。
その瞳に動揺の色は浮かばず、ただ楽しそうにキラリと輝いた。
「いいわぁ、シオンちゃんがあんまり賢くないって言うからどんな子かしらって思ってたけど、普通に賢いじゃないねえ」
「シオン様に、世の中には侮辱罪という罪があることを伝えておいてください。――わたしたちのことを知って…は、いるでしょうけど、その他にシオン様からなにか聞いているんですね?」
外から来る者など限られているこのサイカで、何日もの間よそ者がうろついていれば嫌でも目立つ。『知らない』などということはありえない。だが、非常に不名誉で不服だが、ルルシアが『あまり賢くない』というのはサイカの中ではシオンしか知らないはずの言葉だ。
「ええ。組織の中はだいたいざっくり三つに別れてて、ザース様寄りかシオンちゃん寄りか中立かって感じなのよ。あたしはシオンちゃん寄りなの」
また三つの派閥か…とルルシアはややげんなりする。
教会もオズテイルもサイカも皆三つに別れて争っているというのだからこの世界の人達にはそういうお約束があるのかもしれない。
「っていっても、シオンちゃんは表立ってザース様に逆らったりはしてないから派閥抗争みたいなのは今の所ないわ。シオンちゃんがやってるのはほぼザース様の無茶の尻拭いね。アルニカ様に関して口出ししたのは異例中の異例」
「アルニカさんのことでシオン様はザース様にかなり睨まれたのでは?」
「そうね。でも実際のところザース様もホッとしてるんじゃないかしら。アルニカ様はリザー様とも親しかったからザース様も面識があるのよ。でもザース様が捕まえた人たちを逃していたのは事実だから特別扱いするわけにもいかないし、まあ例によって奥様(仮)もキイキイ言うし…っていうところにシオンちゃんが権力かざして口出ししたから、リーダーの息子が言うなら仕方ないよねっていう落とし所に持っていけたわけ」
エンレイの話を聞いているとザースに対する見方がどんどんと変わっていく。気になるのは、シオンはそんな事を言っていなかった、というところだ。
確かに、ザースではなく誰かがザースの名前を使っているのでは――ということは言っていたが、それが誰なのかはわからないとも言っていた。だがエンレイはほぼ特定しているような口ぶりである。
「…シオン様はその奥様(仮)とか取り巻きのことは言ってなかったんですけど、そのへん情報共有していないんですか? 奥様周辺が怪しいって思ってもいなかった感じですけど」
「言ったでしょ、証拠がないって。根拠がほぼあたしの勘だからね…。でも今はそんなこと言ってる場合じゃないでしょ? それと、シオンちゃんは奥様(仮)関係はあんまり知らないのよ。シオンちゃんはほら、ほっそりしたイケメンでしょ? ザース様はまあまあイケメンだけどかなりがっしりしてるの。で、奥様(仮)の好みは細めのイケメン。だから、ザース様はシオンちゃんと奥様(仮)が接触しないように全力で手を尽くしてるの」
「全力でシオン様から引き離してるのに取り巻きとデキちゃってるんですか」
「皮肉よねぇ。その男、顔にひどい火傷があるとかって話で顔をマスクで隠してるのよ。奥様(仮)はそんな醜い男に興味ないわって公言してるからザース様油断してるのよね。…でも、火傷の痕なんてメイクである程度偽装できるし、奥様(仮)の態度を見る限り実際のマスクの下はイケメンなんじゃないかしら。ほっそりした男だし」
「それも女の勘?」
「ええ」
でも、マスクの下をエリカが見てしまって…というのもなんだか変な話だ。別にエリカはその取り巻きの男のことなど知らないだろうし、エリカの口からそれがザースに伝わる可能性もほぼないだろう。どう考えても人を攫って捜索の手がかかる方が厄介である。
「なにか、その男にとって致命的なことをエリカさんが見てしまった…?」
例えば、耳が尖ってる、とか?




