115. 乗り越える壁
エリカが姿を消した、ということを聞いたのは魔物を警戒して見回りをするついでに情報収集をしようと公民館へ寄ったときだった。
「昨日のお昼まではいたんだけど、夜の点呼の時間になっても帰ってこなくて…」
夜の点呼はシオンの発案で始められたもので、それまでまともに人数の確認もされていなかった孤児たちの安否確認のため毎日行っているらしい。ここで点呼に加わらないとちょっとした騒ぎになってしまうので、なにか理由があって参加できないときは一言誰かに伝えておくものらしい。
エリカはそういう事を忘れるタイプではないというのに、一番親しいリアも何も聞いていなかった。そして、夜が明けて日が高くなった今も帰ってくる気配がない。
「公民館の周りと、畑の方まで行って皆で探したんだけどどこにもいなかったの」
「荷物は? 上着とか、鞄とか…」
「上着も鞄もない。昨日仕事行く時着てたし鞄も持ってたから、多分そのまま帰ってきてないんだと思う」
「昨日の仕事は? 一人で?」
「えっと荷運びで壁の北の方に行ったはず。昨日はエリカ一人だったの…」
壁の北には組織の拠点がある。なんとなく嫌な予感がするが、何かを判断するには早すぎる。周辺は子供たちが探しているので、子供たちが行っていない場所、行けない場所を当たるべきだろう。
何にせよ、エリカがどんな仕事を請け負ったのかを詳しく知りたい。
公民館ではサイカの人々からきた依頼を一度職員がまとめ、それを子供たちに斡旋する形式をとっている。つまりエリカがどんな仕事でどこへ行ったのかは職員が把握しているはずだ。
「エリカさんが昨日受けた依頼の内容と依頼者を教えてもらうことはできますか?」
仕事の斡旋をしている年配の男性職員を捕まえてそう聞くと、彼は「…それがねぇ…」と困ったように顔を曇らせた。
「依頼者はシオン様なんだよ。組織からの依頼ではよくあることで、シオン様が雑用を子供たちに回してくれてるんだ。でもこんなふうに何の連絡もなく帰ってこないなんてこと今までなかったんだけど…」
「依頼を持ってきたのはいつもと同じ人なんですか?」
「ああ。って言っても、組織の施設に箱があって、そこに依頼を書いたメモを入れる方式になってるんだ。で、それをそのまま持ってきてるからシオン様が全部を把握してるわけじゃないんだよね」
「ああ…なるほど」
そのやり方であれば悪意のある『依頼』を混ぜ入れることは簡単だ。
依頼内容によって呼び出すターゲットをある程度絞ることもできるだろう。
「壁の北に行ったと聞いたが、具体的にどこへ行けという指示があったんじゃないか? メモを入れた依頼者と落ち合わないと仕事にならないだろ」
「えっと、確か…これだ。北側に下働きの奴らが使う通用口があるんだけど、そこに来るように指定されてる。あと、女性の荷物を運ぶので女性が望ましい、と」
考え込んだルルシアに代わり、アドニスが聞くと職員が紙の束を綴ったものの中から一枚を見せてくれる。丁寧な文字で落ち合う場所と時間、そして仕事内容と報酬額が記されていた。
「…荷運びで女性ってなると、受けられるのって…」
「うん。エリカにピッタリの依頼だったんだ。昨日は丁度いいと思ったんだけど、改めて考えると…組織の人を疑いたくはないんだけど…」
「この、依頼の紙ってお借りできますか? 誰が書いたものかシオン様に聞いたら分かるかもしれません」
「ええ、どうぞ。それと、シオン様はなかなかこっちに来る時間が取れないからまだこの件を伝えられてないんだ。説明して、探す協力をお願いしてほしいんだけど」
「はい、分かりました。わたしたちの方でも指定の場所の付近と、壁の内部を探してみます」
「助かるよ…エリカは気の強い子だけど、きっと心細い思いをしてると思う。早く見つかるといいんだけど…」
疑いたくない、と口では言いつつも職員は組織の者を疑っているようだった。だが、公民館は組織の支援を受けて運営されているので表立って疑うようなことを言うのは憚られるのだろう。
「…ひとまずその通用口の方に行ってみるか」
「そうですね。それから…」
職員の部屋を出てアドニスと話しながら出口に向かう途中で、リアと弟のトリスが待っていた。思い詰めた顔のリアがトリスの手をぎゅっと握ったまま口を開く。
「ねえ、もしかしてエリカを攫ったのってザース?」
「…まだ、わからないです。攫われたとも決まってないですし」
「そっか…えっとね、エリカってザースのお兄さんのリザー様に剣を教わってたの。たまにそこにシオン様も加わって一緒に教わってたんだけど…ザースはそれ知ってるはずだから、シオン様と親しい子供っていうことでエリカを狙ったのかもって思って…」
「ああ、剣を教えてくれてた人ってリザー様だったんですね」
確かに、シオンと親しい子供を攫って脅すのはシオンに大きなダメージを与えられるだろうが…さすがにこのタイミングでそんなことをするのは短絡的すぎるのではないだろうか。
怪しいことに間違いはないが、いくら何でもそんなことはしないのではないかという気もする。むむむ、とルルシアが眉根を寄せていると、リアと手を繋いでいたトリスの瞳から涙がほろりとこぼれ落ちた。
「リザー様…リザー様がいたら助けにきてくれるのに…」
トリスの瞳にはふたたびぷっくりと涙が溜まっていく。
壁の外の子供たちも頼りにするほどに、リザーは本当にサイカの精神的支柱だったのだ。リーダーのラグラス氏も彼が亡くなったショックで使い物にならなくなったとシオンが言っていた。
(こういうときにシオン様の名前は出てこないのか…乗り越える壁は大きいな)
「わたしたちも探しに行きますし、シオン様にも相談しますから大丈夫ですよ」
「…うん」
「ルルシアさんとアドニスさんも気をつけてね」
「ありがとうございます」
***
不安げな表情のままの姉弟と別れ、ルルシアとアドニスは壁の北側にある通用口までやってきた。壁の外の住人が壁の中で下働きとして働く時に通る小さな門で、入り口にはやる気なさげな警備の男が壁により掛かって立っている。
「すみません、昨日の午後にここに女の子が来たかどうかお聞きしたいんですが」
「…女の子? どんな」
ルルシアの呼びかけに、警備の男は面倒くさそうにあくびをかみ殺しながら答えた。やる気はなさそうだしだるそうだが話は聞いてくれるらしい。
「身長はこのくらいで、髪を一つに結んでて気の強そうな感じの…髪の色は焦げ茶色なんですけど」
「ああー、前髪パッツンで、目がこう、キッってなってる子か。来たな」
男が自分の目尻に指を当ててキッとつり上げる。さすがにそこまで派手につり上がってはいないが、前髪は確かにパッツンなので間違いはなさそうだ。
「多分その子です。彼女、昨日から行方がわからないらしくて…壁の中に入ったんですよね? 出て行ったところは見ましたか?」
「行方が? 出てったところは見てねえな…夕方以降なら別のやつが見張りにたってたからそいつが見てるかもしれん」
目をつり上げていた指を離すと、門の内側に「おーい」と声をかけた。すぐに同僚らしき男が、やはりだるそうな顔でやってくる。
「昨日の夕方以降の記録で子供が出てったっていうのあるか? なんか行方不明になってるんだとよ」
「子供? …んー、記録だと昨日は大人しか通ってないな」
「じゃあまだ中にいんのかな…確か組織のエンレイ姐さんが迎えに来てたはずだから姐さんに聞いてみな」
「ありがとうございます…! 聞いてみます」
見た目に反して仕事熱心な警備の男たちの紹介で『エンレイ姐さん』なる人物の居所を教えてもらったルルシアたちは、壁の中の組織拠点の少し南側にある洋品店を訪れた。
洋品店と言っても、テインツにある賑やかなショーウィンドウのあるおしゃれな店ではなく、店頭に雑多に服がつるしてあるタイプの、『商店街にある潰れそうで潰れない感じのおばあちゃんがやってる洋品店』の雰囲気である。
商品も古着が主で、新しい服は奥の方に少しあるだけのようだ。それに加えて寝具や敷物などが少しだけ置かれている。
「…お店の人はどこでしょう」
「いないな」
見回してみても店の中に客どころか店員の姿もない。
もしやルルシアたちがエリカを捜索していることに気づいて姿を消したのだろうか。そうなるとやはりエンレイなる女性がエリナを誘い出し、拐かしたことになるが…。
「あれっ? やだぁ、お客さん来てるじゃない」
「…いえ、わたしたちは…」
店の外からやってきた人物に声をかけられ、ルルシアは振り返った。
そして言葉に詰まる。
アドニスの方をチラリと見ると、彼も戸惑った視線を返してきた。
「ごめんなさい、普段めったにお客さん来ないものだから。お父さんってばまたお店放って遊びに行っちゃったみたいで」
「あ…いえ、すみません、あなたがエンレイさん、でしょうか」
「ん? ええそうだけど…あら、もしかしてあたしに用事だったの?」
「はい、エンレイさんが昨日仕事を依頼した女の子についてお聞きしたいんです」
「昨日? エリカちゃんのことかしら。あの子がどうかした?」
エンレイは不思議そうな顔で、指を頬に当てて首をかしげた。
その仕草はかわいらしく、表情からは何かを隠しているような雰囲気は感じられない。これでエリカを攫ったことを隠しているのであれば相当な役者か、サイコパスである。
「彼女、昨日から帰っていないんです。公民館で心配して探しているところなんですが…ここでの仕事について詳しくお聞きしても?」
「え、帰ってない? ウチの仕事は普通に終わらせてくれたから普通に報酬を渡して、それでそのまま帰ったはずだけど…」
「女性の荷物を運ぶから女性がいいっていうのはエンレイさんの方で指定されたんですか? えっと、この依頼を書かれたのはあなたで間違いない?」
ルルシアが公民館の職員から預かった依頼メモを見せると、エンレイはざっと目を走らせて頷いた。
「ええ、あたしが書いたものね。組織の拠点に滞在する女性のための服とかを運んでもらったの。あたしが持ってくと嫌がられるから代わりにね。――ほら、あたしこういう感じだから、ザース様とかには嫌われてるのよね」
こういう感じ、とエンレイは自分自身を指さした。
つややかな長い金髪を夜会巻きにして、深く入ったスリットがなんともなまめかしいシンプルなドレスをまとったエンレイは――だいぶ筋肉質な偉丈夫だった。




