107. 黒幕は
「すみません、聞くつもりだったわけでは…」
「…もういい。それよりお前らは魔物を探してるんじゃないのか? こんなところで何をしてる」
柵越しに謝るルルシアに、シオンは憮然とした表情で向き合っていた。
訓練場に隣接したこの場所は、過去に訓練の一環として定期的に催されていた剣技大会などを住人が観戦できるように木製のスタンド席がひっそりと設置されている他はぽつりぽつりと木が生えているだけで、店などがあるわけでもないので旅人がわざわざやってくるような場所ではない。
だが、ルルシアたちもそんな場所に赴けば何をしているのか聞かれるのはわかっていたので、もちろん理由は事前に用意してある。
「もしかして立ち入り禁止でしたか?」
「いや、柵の中に入らなければ別に…でもこんなところに――逢引きか?」
「は!? ちがう! 違います。こっちのほうにアヒルがいるって聞いたので見たいと思って来たんです。でも見つからなくて」
「アヒル? …ちょっと前に全部食われたよ」
「くわれた…」
見回してもそれらしき施設や池などがないのでもしや、とは思っていたのだが。
ルルシアがショックを受けている様子に、シオンは罪悪感でも抱いたのかやや申し訳なさそうに訓練場の奥を指さした。瓦礫が積んである場所だ。
「そこの角の所に小屋があってそこで飼ってた。でも餌とか小屋の修繕やら維持費がかかるから、それで食ったんだよ」
「そうですか…」
生き物を飼うのには費用が掛かる。定常的に卵が得られるとはいえ、サイカの現状を思えば生体を維持するよりも肉としてのコストパフォーマンスのほうがよかったのだろう。
テインツ周辺ではアヒルの飼育はそれほど盛んではなかったのでルルシアはこの世界に生まれてからアヒルというものを見たことがなかった。なので、住人からあの辺りでアヒルを飼ってると聞いた時から見るのを楽しみにしていたのである。
しゅんと肩を落とすルルシアの頭にアドニスがポンと手を乗せた。
「そんなに食べたかったならイベリスに戻ったときに出してる店を…」
「へ!? 食べませんよ! アヒルが見たかっただけです。あの歩き方最高にかわいいじゃないですか。…というかアドニスさん、もしかしてですけど、わたしのこと肉と見たら見境なく噛り付く奴だと思ってません…?」
「違うのか。基本動物は全部肉に見えてるのかと…」
「とんだサイコ野郎じゃないですか!」
ルルシアがぷりぷり怒りながら頭の上のアドニスの手を押し戻していると、シオンの咳払いが聞こえた。
「…ここまでアヒルを見に来たのか? わざわざ二人で」
「一人でうろうろさせるわけにもいかないだろう。ここのお偉いさんは手癖が悪いって聞くからな。ただでさえこいつは見た目がいいし、用心に越したことはないだろ」
「あいつらか…それに関しては言い訳のしようがない」
アドニスの指摘にシオンは苦々しげに顔をしかめた。現代理とその取り巻きが女性に無理やり手を出して問題を起こした数は数えきれないほど、と住民たちから聞いている。
ため息を隠そうともせず、シオンはそのまま続ける。
「…何にせよ、ここで見たことは他言無用だ」
「楽器ですか? それとも歌?」
「……歌」
聞き返したルルシアに憮然と返す。自分が音痴であることは自覚しているらしく、人に知られないようにわざわざここまで来て練習していたようだ。
なんか申し訳ない事をしたな…と思いつつ「分かりました」と答えるルルシアの横で、アドニスは不思議そうな声を出した。
「楽器の演奏はうまいのに歌は下手なんてことあるんだな」
(ああー…下手って言葉を使うのは避けてたのに…)
デリケートなところにバッサリ切りこんでいくアドニスにルルシアは苦笑する。
「自分の体を使って音を出すわけですから、思い通りの音を出すためには楽器と同じように適切な喉や呼吸なんかの扱い方を覚えないといけないんです」
「扱い方がわかれば上手くなるってことか?」
「一概にそうとは言えませんけど…楽器ができる時点で音感とかリズム感とかは確かだと思うので、コツをつかめば上手くなる可能性は高いとは思います――えっと、簡単で良ければすぐできる発声法とか教えましょうか?」
そう言いながらルルシアがシオンの方を見ると、彼は眉を少しひそめた。
「…あんたは吟遊詩人か何かなのか?」
「いえ。昔ちょっと歌でお小遣い稼いだりしてたくらいです。喫茶店とか…ネットで」
あえて出した『ネット』という言葉に反応してシオンの目が丸くなる。
「…やっぱりあんたも、そうなのか」
「多分思ってる通りです。さっきシオン様が演奏してた曲、知ってますし」
シオンの表情を見る限り、不信感ではなく驚きと喜びの方が優っているようだ。ルルシアは心の中でホッと息をはく。とりあえず拒絶されて話を聞いてもらえないということはなさそうだ。
「俺の他にもいたのか…」
「うんと…わたしの他にもう一人、同じ時期の日本で暮らしてた人を知ってます。もしかしたら他にもたくさんいるのかもしれませんけど、とりあえず今のところシオン様いれて最低三人はいますね」
三人…と呟くシオンはルルシアたちと自分を隔てる柵に手をついた。そして二人に聞かせるというよりも独白のような調子で口を開く。
「あの世界の曲を弾いてたらいつか知ってる人間が現れるんじゃないかって…でももう諦めてたんだ…そうか…」
手をついてうなだれるシオンは微かに声が震えていた。
ルルシアは思わずその肩に触れようと手を伸ばしかけて、ぴたりと止めた。行き場を失った左手を眺めながらグーパーさせていると、アドニスが眉をひそめる。
「…何してんだ」
「いや、相手との距離感が近すぎるから一歩引けって言われたんだったと思いまして」
「また、今更だな」
片眉をあげるアドニスにルルシアは口を尖らせた。
「アドニスさんもそう思ってたんだ…」
「散々言っただろうが、あまり俺にかまうなって」
「一匹狼キャラで行くつもりなのかなって思ってました」
「お前…俺がキャラ作りしてると思ってたのか…」
ルルシアとアドニスの会話に、うなだれていたシオンの肩が震えていた。
だが結局こらえきれなくなったらしく、シオンは大きく笑いだした。
「はあ、あんたらの話はとりとめがないな。…分かった。歌のコツとやらを教えてくれ。その代わりと言っちゃあなんだが、なんか俺に話したいことがあるんだろ? 同郷のよしみで聞くだけなら聞いてやるよ」
「…あれ、ばれてた」
「俺が日本の記憶を持ってるってことを確信して近づいて来たんだろ。二人とも驚きもしなかったし。それにどう考えてもアヒルは不自然だろ」
「えっ、アヒルが見たかったのは本当ですよ?」
何を言っているんだとばかりに驚きに目を丸くするルルシアに、シオンも「は?」と眼を瞠る。その横でアドニスは片手を額に当ててため息をついた。
「…こいつは少しおかしいんだ」
「…そうみたいだな」
***
「というわけで、中央の組織の人に見咎められても面倒なので公民館で場所を借りて話をしようってことになりました。明日の午後ですね。組織の動きを見ながら抜け出すので時間ははっきり決められないってことで、午後はずっと公民館にいて欲しいそうです」
「ルルシアちゃんナイス。ハグしてあげようか」
ルルシアたちの報告を受けてニッコリと笑ったセネシオが両手を広げた。ルルシアは即座にその手をペチンと叩き落とす。
「遠慮します。代わりにそこの柱にでも抱きついたらどうですか」
「抱きつくならぬくもりがないと嫌だな」
「あ、そういえばわたしの前世の世界には昔、熱した鉄の柱に抱きつかせるっていう処刑方法があったらしいですよ」
「え、今その豆知識いる? 遠回しに死ねって言ってる?」
「セネシオさんの顔見てたら思い出しただけです。壁の内側の報告はおしまいです」
「じゃあ壁の外の報告するね」
机の上にはエフェドラから持ってきた地図が広げられていて、ディレルがその地図の一点を指し示した。それはサイカに来る途中に立ち寄った、無人になった集落のある場所だった。
「この集落から逃げてきた人に会った。中央の組織が前やってた定期的な討伐がなくなったせいで小型の魔物が増えて、それ目当ての大型の魔物も増えてきて手に負えなくなったらしいよ」
そしてその集落の近くに指を滑らせ、「ここに魔物の巣ができたんだって」と付け加える。
「…それってやっぱり、討伐再開させないといずれ中央もそうなるってことだよね。まあ中央もそれは分かってるんだろうけど…なんでやめちゃったんだろうね、討伐」
地図上に示された集落の位置と中央の位置の距離を指で測りながらルルシアが首を傾げると、ディレルは指折り理由を挙げていった。
「ありそうな理由としたら、戦力不足、物資の不足、士気の低下、正しく状況判断できてない、あとは…意図的にサイカを潰そうとしてるってところかな」
「意図的に? サイカが潰れると嬉しいのって…」
「例えばシェパーズだと、単純に使える土地が増えるね。サイカはあんまり豊かな土地じゃないけど、鉱脈やなんかがあるんじゃないかっていうのは実は昔から言われてるんだ。それにルルが覚えられない例のドラゴンみたいに、珍しくて素材として価値がある魔物も何種類か生息してる」
「開発力さえあれば魅力的な土地かもしれないってことね? でもわたしが覚えられないっていうのは余計じゃない?」
ルルシアは口を尖らせたが、ディレルは「ルルは理解が速いよね」とにっこり微笑んだだけで続ける。
「次に、黒幕がグロッサだとしたら、一番の動機はサイカっていうお荷物な土地をなくしたいっていうところだろうね。それに南にあるサイカが崩れたら魔物も難民も大部分が隣接する真ん中のシェパーズになだれ込むことになるから、北にあるグロッサはシェパーズに攻め込みやすくなる。シェパーズが異変に気づいて備える前に動ければ挟み撃ちに持っていくことができるからね」
つまるところ、シェパーズもグロッサもサイカを潰すことにメリットがある。となるとどちらかが今の状況を招くように手引していたと考えるのが自然だ。問題はどちらが手引したのか、だが。
ルルシアは「んんん」と首をひねる。
「ええと、でも前セネシオさんはグロッサがサイカを監視してるようなこと言ってましたよね。っていうことは、現状もうサイカが崩れる寸前なことは分かってるはずですよね? もしこの状況を手引きしているのがシェパーズだとしたら、今以上にシェパーズが勢力を増すのはグロッサとしては防ぎたいはずでしょ? そしたらきっとサイカが崩れないようにしようとするよね?」
「だろうね。つまり、少なくともグロッサにはサイカが崩れてもシェパーズの勢力拡大を阻止するすべがあるってことで…まあ要は、黒幕はグロッサの可能性が高い、と思う」
と、ディレルはセネシオの方に視線を向けた。
サイカを監視しているのはセネシオが手伝いをしていたグロッサの亜人保護団体である。もちろんグロッサ自体も監視をしているだろうが、基本的には連携して動いているはずだ。
ディレルの視線を受けたセネシオはため息とともに肩を落とした。
「やっぱりそうなるよね。残念ながらあの団体、過激派っぽい連中も多かったから…亜人がいないサイカも、亜人を奴隷にするシェパーズも、どっちも潰れて構わないってことだ」
「…なんで皆仲良くできないんですかね」
「それが解明できたらきっと世界中から永遠に争いがなくなるだろうね」
つまり、そんなことはありえない。
ですよね…とルルシアもため息を落とした。




