(10)占者④
「行ってしまったよ」
ナーヤ婆はぼそりという。元の老女の声に戻っていた。
「……終わったのか?だがナーヤ婆、今のはいったいなんだったんだ?」
ハーレイは険しい顔をした。まったく今までなかったことだったからだ。
「あたしゃ、知らんよ。メレ・アイフェスと言葉を交わすことを強く望んだ御仁じゃろ」
ナーヤは欠伸をした。
「今日は店じまいじゃ、帰った帰った」
「簡単に帰れない。とんでもないことを言ってたぞ?」
「質問をしたのは、あたしじゃないさ」
もっともな指摘で、ハーレイは横にいるイーレを見た。
「イーレ、大災厄とはなんだ?滅亡とはどういう意味だ」
「……」
「……イーレ?」
「……」
イーレは、蒼白になって、がたがたと震えていた。
「……ハーレイ、……アストライアーって?」
「あ?ああ、古代に西の民を導いた賢人の名だ。ウールヴェを退治したライアーの塚があっただろう?あれが古墳で――」
ハーレイはギョッとした。イーレの左手が血まみれだったからだ。
「イーレ!」
ハーレイは慌ててイーレの左手首を握った。彼女の手のひらから握りしめていた茶器の破片が落ちる。
ナーヤ婆が布を投げてよこし、ハーレイは素早くそれを裂き止血した。
「何てことを! 腱を切ったら、棍など使えなくなるぞ!」
「……」
「イーレ?」
「……私、帰るわ……シルビアに会わなくては」
「イーレ?」
様子がおかしい。ハーレイはナーヤを見た。
「ショックを受けている。連れ帰れ」
ナーヤは囁いた。
「目を離しちゃいかん」
だが、その時、外で騒ぎが起こった。
しかもナーヤの家の前だ。占者の周囲での騒音は御法度だった。占いの邪魔にしかならないからだ。
ハーレイはキレた。
「この忙しいのに、何の騒ぎだっ!!」
騒ぎをおさめるために、ナーヤの家から飛び出したハーレイは絶句した。
ナーヤの家の前には、純白の狼に似た精霊獣が降臨していた。
「……いったい……」
精霊獣を遠巻きに囲み、村人達が集まっているのが騒ぎの原因だった。精霊獣が村の要人であるナーヤの家の前に現れたのだ。なにごとか、と皆が動揺するのも無理はなかった。
精霊獣は狼に似ているが、狼にしては体高がはるかに越えていた。尻尾がいくつかにわかれている。美しい純白の体毛に金色の瞳がただの獣でないことを物語っていた。しかも不思議な光をおびている。間違いなく精霊の御使いだ。
『ハーレイ』
それは聞いたことがある声だった。エトゥールで出会ったメレ・アイフェスをハーレイは思い出した。
「……カイルか⁉︎」
『イーレの悲鳴が聞こえた。彼女はどこ?』
「イーレは……」
『イーレはどこ?』
彼女を害したのがハーレイだとしたら、即、噛み殺されるような迫力があった。
「……こっちだ」
聞きたいことは山ほどあったが、ハーレイは占者の家に精霊獣を招きいれた。
家に入ってきた獣に、ナーヤは動じることなく言った。
「おや、もう連絡がきたか」
「ナーヤ婆、なんでそんなに冷静なんだっ!」
「ん? あたしゃ、もうまもなく連絡がくると昨日言わなんだか?」
「――これのこととは、思わないぞっ⁉︎」
「エトゥールのメレ・アイフェスだろ?よく、きたな」
獣は軽く首をかしげるようにナーヤに挨拶をした。
それから老女の前に座り込んだ呆然自失の子供にゆっくりと近づく。
『イーレ』
イーレは声にはじめて反応した。
「……カイル?」
『うん』
イーレは白いウールヴェにしがみつき、その毛皮に顔を埋めた。
『……シルビアを呼んだね?彼女は飛んでこれないから、僕がきた』
イーレは声もなく頷くだけだった。
『落ち着いて、もう大丈夫だよ』
イーレはまたも頷いたが、ウールヴェにしがみついたままだった。
『ハーレイ』
「……なんだ?」
『どこか、落ち着ける場所が欲しい』
ハーレイが答える前に、ナーヤが言った。
「一泊ならここで構わんよ。それに誰かそばにいた方がよかろう。あたしが見よう」
『ありがたい』
「それより、お前さん、この子に癒しを与えられるかい?」
『……精霊樹の癒しなら』
「十分だ」
次の瞬間、空間の気がガラリと変わった。それはどこか精霊の泉の空間に似ていた。
部屋が明るくなり、金色の光の粉が天井から降ってくる。




