(37)閑話:誤解
――ぼく 嘘 は 言ってない (byウールヴェ)
「カイル殿、責任をとってもらおうか」
蛇に睨まれたカエルとは、こう言う時の比喩に違いない。セオディア・メレ・エトゥールは今現在進行形でカイルを睨んでいるわけではない。
だが彼の背後から立ち昇るオーラは、逃げることは絶対に許すまじ、と明確に主張していた。
職務を放棄して、偽装駆け落ちをしたアドリー辺境伯エルネスト・ルフテールに対してではなく、目の前のカイルに対してだった。
周囲の人間は、触らぬ神に祟りなしとばかりに、誰もカイルに救いの手を差し出さない。
ファーレンシアなど、戻ってからなぜか口を聞いてくれずカイルをさらに悩ませていた。
「……どう責任を取ればいいんだろう?」
「とりあえず、アドリー辺境伯の地位についてもらう。前任の推薦もあることだ」
「推薦?」
「辺境伯は後継者にカイル・メレ・アイフェス・エトゥールを指名している」
メレ・エトゥールが示した書に、置手紙と同じエルネスト・ルフテールの整った署名を見たとき、絶望のあまりカイルは片手で顔を覆った。
「……あの男、用意周到すぎる」
「それについては、同意する」
セオディアは書類にサインをして、カイルに渡す。
「引き受けるけど、暫定的なものにして欲しい」
「よかろう」
「あと、アドリーの実務を回すための信頼できる優秀な人材を三名ほど」
「その心は?」
「これは僕をアドリーに足止めする手段だ。だからこそ、足止めされず、動きまわりたい」
「動きまわってどうする」
「あの二人を捕まえたい。今、一番事情に精通している人間だ。絶対あの書状の落とし前をつける。僕のプライドはボロボロだ」
「書状?」
カイルは懐から、例のウールヴェのイラスト付の書状を取り出し、メレ・エトゥールに見せた。
読んだセオディア・メレ・エトゥールは大爆笑した。
その反応に黙ったままの周囲の面々が興味深そうな顔をする。セオディアは、そばに立っているシルビアに書状を渡した。
目を通すなり口元を押さえたシルビアは、すぐに同席しているイーレと西の民の若長に渡した。
イーレは容赦なく笑い声をたて、ハーレイは笑いを誤魔化すために咳き込んだ。ずっと黙ったままのファーレンシアまでもが、笑みを漏らし、すぐに表情を消した。
「みんな、ひどいよ」
「まあ、ご指摘の通り詰めは甘いわね。なんで正体に気づいたときに、私達に相談しないのよ」
「確証がなかったからだよ」
「私に遠慮したわね?」
「うっ……」
「そういうところが、大馬鹿なのよ」
イーレが傷心のカイルにトドメを刺す。
「動きまわるにしても、数日はエトゥールにいてもらおうか。いろいろとあるからな」
メレ・エトゥールの含みのある言葉は気のせいだろうか?
「この初代の件だが、あと何人いると思っているのだ?」
「この途方もない話を信じるわけ?」
「今更だろう。信じられないものを散々見せられているのに。君達が不老長寿なら、同族の初代メレ・アイフェスが生きていても不思議じゃない」
メレ・エトゥールの質問に、カイルはちらりとイーレを見るが、彼女は首をふった。彼女も知らないのだ。
「僕達にもわからない。世界の番人が知っているかもしれない」
「わかった。カイル殿、少し話がある」
全員が退室し、カイルだけが残される。まだ説教を受けるネタが残っているのか、とカイルは意気消沈した。
「カイル殿」
「なんだろう」
「私も鬼畜だ、鬼だと罵られるが、一応、人としての情は持っている」
「うん?」
「こういう地位にいる故に、人の気持ちを見抜くことができる、と自負している」
いつになく、セオディア・メレ・エトゥールは回りくどい。
「そして、ファーレンシアは私に残された唯一の肉親だ。大切に思っている」
「うん、よくわかっている」
「私も、こういうことは口をなるべくはさみたくはないのだが――」
しばしの沈黙の後、メレ・エトゥールは顳顬に指を押し当て、切り出した。
「浮気はよくない」
「…………はい?」
すっと一枚の羊皮紙が差し出された。いつのまにかなくなった辺境伯と歌姫の素描だった。
「え?どうして、これがここに?」
「確かに魅力的な女性だが、彼女に会うために命をかけるというのは、いささか軽率ではないだろうか?カイル殿の好みがこういうタイプだというのも予想外で、妹が真逆なのはよくわかるが――妹は傷ついている」
「え、待って、なんの話?」
「彼女に夜這いをかけて、辺境伯に矢を射られたのだろう?」
「――」
カイルは自分の背後に爆弾が落下し、派手に爆炎があがった気分を味わった。
「……いや……待って……夜這いって……なんの話?」
冷や汗を感じ、喉がカラカラになった。アドリーからの帰還後、ファーレンシアが冷たいのは、まさか……。
「歌姫に会いに、辺境伯の館に侵入し、辺境伯に矢を射られた、と君のウールヴェが証言している」
「誤解だっ!いや、あってるが、誤解だっ!」
「……どっちなんだ……」
「誤解だ!」
「だが絵を描いている」
「彼女は辺境伯といたんだ。ちゃんと辺境伯も描いてるだろう⁉︎」
「まあ、確かに」
「辺境伯が歌姫を囲っている、という噂の真偽を確かめに行っただけだ!」
カイルは慌てていた。自分のウールヴェの報復の言葉を思い出していた。言いつけるとは、このことなのか?
「……まさかと思うけど、ファーレンシアはそんな誤解を……」
「しているから、侍女達に泣きつかれているのだが。ここしばらく、洋裁関係の失敗がひどくて、高級布が全滅しているそうだ」
「――」
カイルは絵を掴んだ。
「話の続きはまた、あとでっっ!!!」
青年は部屋を飛び出していく。おそらく、ファーレンシアを探しに行ったのだろう。だが、既に侍女達を敵に回し、一筋縄ではいかないことをセオディアは予想した。
「……やれやれ、賢者のくせに世話がやける」
メレ・エトゥールは、つぶやいた。




