(29)愚者⑪
今までの会話はなかったことにしたように、アドリー辺境伯は城下の案内を続ける。
アドリー辺境伯は掴み所のない人だ――と、カイルは彼の印象を改めた。好意的な紳士かと思えば、メレ・エトゥールのような狡猾さと知略をみせる。
エトゥールの要所である辺境領地を治めるには、それぐらいの才は必要かもしれない。だが、不思議なことに彼には、他の貴族に見られる欲望や執着の気配がなかった。
メレ・エトゥールは、彼のことをたまにしか社交界に出てこない変わり者だと言っていた。あまり権力にも興味を示さないと。それは当たっているかもしれない。
エトゥールのメレ・アイフェスに対して、媚びる態度は見られない。むしろ挑戦的だった。
「こちらが商いの中心地になります」
馬車で移動したのは、職人通りらしき路地だった。
「アドリーは鉱物や貴石が取れますので、加工の職人達を城下に集めてております」
「加工の職人?」
「細工師や指輪職人などです」
「集めたというのは?」
「手先が器用で才のありそうなものを大陸中で口説き落としました」
「――辺境伯自ら?」
彼はにっこり笑って肯定した。
「宝飾品や玉鋼はこの地方の重要な収入の一つです」
「もしや、西の民の和議のときの良質な玉鋼は――」
「ええ、あれはアドリーから産出したものです」
「あえて剣や槍などの武器職人ではなく、宝飾品の職人に絞った理由は?」
「武器職人の誘致は反乱を疑われます。こちらにその気がなくても、アドリーを狙う周辺の領地が陥れるために流言をまきますからね」
「エトゥールはそんなに不安定だったのですか」
「一時期はかなり。セオディア・メレ・エトゥールが継いでからマシになりました。こういう話は書からは得られないでしょう?」
見透かされている――カイルはため息をつきたくなった。
アドリー辺境伯は、途中で細工師の店に入っていく。
「彼の作品は最高です。おひとついかがですか?」
店内には貴族の女性向けの装飾品があった。
なるほど辺境伯が褒めるだけあって、首飾りや耳飾り、腕輪、指輪に至るまで、上品な意匠が施されていた。芸術品と言っていいかもしれない。カイルは感心した。もしかしたら、この中に、後世まで伝えられる名作があるかもしれない。
カイルは翡翠色の耳飾りに気づいた。
――ファーレンシアの瞳の色だ。
カイルは、彼女に似合いそうな耳飾りを手にとった。
「エル・エトゥールの瞳の色ですね。その貴石は希少でして、なかなかのものですよ」
まるで思考を読まれているようで、カイルはどきっとした。
「貴族の子女向けですから、姫にもお似合いでしょう」
「王族がつけてもおかしくない品ですか?」
「ええ、もちろん」
カイルは専属護衛に意見を求めるように振り返ったが、ミナリオが頷くということは所持金で買えるらしい。
「ミナリオ、どう思う」
「ファーレンシア様によくお似合いだと思います。そちらの首飾りとお揃いでいかがでしょう?」
「喜んでもらえるかな?」
「もちろんです」
カイルが選んだ品を、辺境伯は店員に申しつけ、贈答用としてくれた。
「あ、そうそう、こういう贈り物は精霊樹の下で差し上げるといいかもしれません」
辺境伯はカイルに囁くように教えてくれた。
「エトゥールにそういう風習が?」
「ええ、ぜひ試してみてください」
アドリー辺境伯は微笑んだ。
宿にたどりついてから、カイルはミナリオに尋ねる。
「ミナリオ、辺境伯がいうように、エトゥールの政情は、昔は不安定だったの?」
「彼の言うことは正しいです。エトゥール王家も常に精霊の加護があったわけではありません。セオディア様とファーレンシア様の誕生で、国中が沸いたぐらいですから」
「ん?王家だから、必ず加護持ちが生まれるわけじゃない?」
「そうではないから、国が荒れたりするのです。世界の番人に認められていない――加護のない王は軽視されます」
「加護持ちかどうか、どうやってわかるんだい?」
「エトゥール王家の場合は、髪の色です。青い髪が加護を持っている証になります」
「精霊の姫巫女の髪の色?」
「そうです」
「確かに、そういうことは書には、かかれていないなあ」
「近代史、現代史の書は少ないですからね。しかも貴族に関することはなかなか書けません」
「不敬罪で捕まる?」
「そんなところです。貴族といえば――途中、面白い噂を耳にしました」
ミナリオが告げる。
「どんな?」
「アドリー辺境伯が黒髪の絶世の美女の歌姫を見初めて召し上げたと」
「歌姫?」
カイルは首をかしげた。




