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音無し姫の子守唄  作者: 若桜モドキ
■6.あなたの隣で眠らせて
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君だけに愛を捧ぐ

「え、る……?」


 しばらくして唇を解放されたマツリは、エルディクスを見上げていた。

 目は潤んでるし、顔は真っ赤だし。さっきまで、淡々と――どこか切り捨てるように、さよならを言っていたとは思えない。そういう会話があったことすら信じがたい。

 エルディクスはマツリの変化に、とても満足そうに笑った。


「もうムリだよ。マツリを手放せない。逃げたら鎖で繋いであげる」


 その口から出るのは、実に不穏なワードですが。

 おい、とリードが思わず割り込むが、威圧的な笑みを向けられ静かになる。笑顔ってあんなに恐ろしい物だったっけ、向けられたわけでもないあたしも震え上がりそうになった。

「……わた、し、わたしは」

 マツリは不安そうに眉をひそめ、視線を下へと落としていく。

 一応、別れを決めて、それを告げたからなのか。これからどうすればいいのか、わからないのかもしれない。わたしだって、同じ立場だったらわからないと思う。

 あるいは、何がなんだかわからなくなるよう、エルディクスがあえてこういう流れにしたのだろうか。マツリを腕に捕らえ、笑っている姿からは、どうしてもそう思えてならない。

「ねぇ、マツリ。お願いがあるんだ、最後に」

 これが最後だから、とエルディクスは身体を少し離した。

 そしてマツリの手を握ると。


「どうかずっと一緒にいてほしい。ボクを――愛してほしい」


 紫の瞳を細め、彼女に告げた。

 マツリの傍にいられれば、エルディクスはそれだけで良かった。彼女の幸福を守り続けることが、彼女に要らぬ不幸をもたらす自分に課せられた贖罪であり義務だと思っていた。

 それ以上に、そうしたいと心から願った。

 だからこそ深入りだけはしないように気を使って。不用意に、不必要な一歩を踏み出して嫌われるのは、死ぬよりも恐ろしいことのように思えたのだとエルディクスは囁く。

 愛されていないのは、わかっていたから。

 離れようと思ったのは、もう自分では守れないと思ったからこそ。ここよりは平穏な世界から来たマツリを、これ以上傷つけたくなくて。庶民の中なら、幸せになれるだろうから、と。

 誰かが彼女を正しく愛してくれる、包み込んでくれる。

 そう思って、彼はすべてを動かしてきた。胸糞悪いと言い切った取引に応じ、気に入るところが一つとしてない令嬢と、親に苦言と小言を飴のように注がれても結婚しようと。

 全部が全部、マツリのため。

 自分を愛してはいないだろうけれど、それでも愛した彼女のため。


「……同じ、だったんだ」

 エルディクスの言葉を聞いていたマツリが、ぽつりと呟く。

「わたしも、愛されてないって……ずっと思ってたから」

 彼女の細い指先が、エルディクスの手を握り返す。

 しばらくうつむいていた彼女が顔をあげた時、そこにあったのは笑顔だった。あの日、彼女が傷ついた日に見せた笑顔と同じだけど、ぜんぜん違う満面の笑み。

 あのね、とマツリは、ねだるような目をして言う。


「ずっと、エルと一緒にいていい?」


 ぴくりと、エルディクスの身体が震えたように見えた。

 上目遣いのマツリは、確かにいつも以上にかわいらしかったけど、それにしてはエルディクスの反応がおかしい。あとリードがぽかーんとしてるのも、なんか変な感じだ。

 ……もしかして、マツリの『わがまま』とか『お願い』って、これが始めてなのかな。

 だったら、かなりの衝撃を彼に与えたような気がする。

 あの上目遣いは、かなり反則だと思う。

「……ずっと、そう言いたかった。エルと一緒にいたいって、言いたくて」

「わかってるよ」

 エルディクスの胸に顔をうずめて、マツリは身体を振るわせる。

 泣いているのかもしれない。嬉しくて、泣き出してしまったのかもしれない。

 あたしは思わず、隣にいるシアを見た。

 彼女もこっちを見て、幸せそうににっこりと笑う。

 うん、あたしも幸せだ。ずーっと、一年近く、同じ思いを抱きながらすれ違ってたマツリとエルディクス。二人がやっとその手を繋ぎあったんだから、両思いになったんだから。

 こんなに幸せな光景なんて、他にないよね。


「マツリ、愛してるよ……」


 泣きじゃくるのを止めるように、エルディクスはマツリの唇をふさぐ。

 背中に手を回し、強く強く自分に抱き寄せる。

 マツリも、彼の背中にそっと手を回し、服をぎゅっと掴んでいた。やっと抱きしめあえるようになったのは、とてもいいことだ、幸せで優しくて暖かいことだなとあたしは思う。

 そう、これはすごくいいことなんだけど……その、なんていうか。

 長くないかなって、思う。

 マツリにいたっては抱きしめているというより、すがり付いている感じだ。エルディクスが腕を放したら、そのまま床にへたり込んでしまうかもしれないってくらい、危うい。


 っていうかいい加減、その、キスとか終わらないかな。

 見てる方はいたたまれないというか、何と言うか。

 さすがに恥ずかしいです。


「あー、そこのお二人さんよ」

「――何か用?」


 リードが声をかけてくれたおかげで終わったけど、ちらりと彼を見たエルディクスの顔はとても不機嫌だった。邪魔しないでくれないかな、という感じの心の声が聞こえそうだ。

 さすがにイラっとしたらしいリードが、吐き捨てるように言う。

「いい加減にしろよ。マツリ殺す気かよ」

「まさかそんな……」

「いやいや、そこでぐったりしてるからな? お前は妻殺しする気か?」

「この程度では死なないよ? あぁ、ごめんね。経験がないリードにはわからない感覚だったんだね、ごめんね。ハッカをうっかり倒れさせないよう、気をつけるんだよ?」

「あ?」

 ナチュラルにあたしを巻き込まないで欲しい。

 二人が心底どうでもいい会話をする横で、マツリがエルディクスにしがみつき、肩で息をしている。あぁ、ほらやっぱり、息ができなかったマツリがぐったりしてるじゃないか。

 思わず非難する目を向けると、エルディクスはにやりと意味深に笑った。


「しばらくしてないからね、息の仕方を忘れたみたい」

「ば……っ、な、なにいってるの!」

「それで、ちょっとマツリをつれて帰ってもいいよね? いろいろ教えなおさないと」


 ねぇ、と何か含みがある、というか含みしかない言葉を、彼はマツリに向けた。

 マツリは耳まで真っ赤になって、そのままうつむいてしまう。

 そんな彼女を、エルディクスは軽々と横抱きにした。

 けっ、とやさぐれたリードがエルディクスを睨みつける。


「お前らには一週間休みをやるよ。だから一週間は城に来るな。家に引きこもって俺の前に姿みせんな。いいか、いいな? 一週間でそのノロケ全開の態度何とかしてこい」

「ありがたいけど……ボクがいなくても平気?」

「どうせ仕事にならないだろ、今のお前」


 役立たずはさっさと帰れ、とリードは手をひらひらと振った。

「じゃあ遠慮なく」

 と、エルディクスはマツリを抱いたまま、すたすたと歩き出す。

 周囲の視線も気にせず、そのままあたしの視界から消えていった。



   ■  □  ■



 そして一週間後、エルディクスはずいぶんとすっきりした表情で現れた。

 つやっつやで、全身から幸せオーラが放出されてる感じだ。

 隣にはマツリがいて、その左手薬指には、とっても綺麗な指輪。シンプルだけど、すごく綺麗なデザインの――職人が仕上げた最高の一品だ。星みたいにキラキラして、すごいと思う。

 マツリのために作られた指輪は、彼女にとても似合っている。

 それを眺め、幸せそうに微笑む姿は最高だった。

 問題は、彼女の顔色が若干よくないというか……少し、歩き方が不自然というか。

 ずいぶんと、よろよろしていた。


 あまりに危なっかしいので、あたしは思わず彼女の服を引く。

『マツリ、大丈夫? まだケガ、よくないの?』

「えっ?」

「そうですよ、さっきからフラフラして。風邪ですか?」

『休んでてもいいのに』

「あ、あのぅ……その、えっと、あの」


 シアと二人で心配すると、だんだん羞恥からか真っ赤になっていくマツリ。

 その目がエルディクスに向かうが、彼はなぜかニヤニヤするだけ。それを見たマツリが顔をさらに赤くして『エルのバカ!』と叫び、よろめきながらも部屋を飛び出していって。

 気色悪いくらいご機嫌なエルディクスが追いかけ――そのまま、二人は帰ってこなくて。

 あたしとシアは、あぁ、と思いあたってまた顔を赤くするのだった。

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