後日談 理想の花嫁になって、幸せにして差し上げます
「――迷惑をかけて、すまなかった」
勢いよく頭を下げたことで、芥子色の髪が揺れる。
それを見た黒髪と金髪の美少女は、互いに顔を見合わせた。
「あの、ノーマン様。これは一体?」
「とりあえず、顔を上げてくださいませ」
アイリーンとマージョリーに声をかけられたギルバートは、ゆっくりと頭を上げる。
その表情の暗さに、美少女二人は困惑しているようだった。
「セアラが見ているところで、君達に何度か話しかけた。婚約者はいないにしても、他の男性に誤解されてもおかしくない。申し訳なかった」
再び頭を下げるギルバートを見て、アイリーンは小さく息をついた。
「つまり、エリオット様と話ができたんですね」
「ああ。アビントン嬢にもしっかり話せと言われ続けていたな。本当に、申し訳ない」
「良かったですね」
にこりと微笑む様は、慈愛の天使のごとく。
セアラは理想の花嫁候補にアイリーンを推した自分を褒めたくなりながらも、自身も頭を下げた。
「私も、アイリーンさんとマージョリー様がギル様と親しいと思って、色々ご迷惑をおかけしました」
「エリオット様も顔を上げてください。確かにノーマン様に話しかけられましたが、エリオット様がいなくなるとすぐに終わりますし。周囲はおおよそ気付いていましたよ」
「そ、そうなのか⁉」
ギルバートが衝撃を受けているが、アイリーンは美しい笑みを湛えたままうなずく。
「一部で私やコックス様とギルバート様が親しいと、面白半分で噂を流す方もいましたが、大多数はわかっていたと思います。……だって、ノーマン様はいつでもエリオット様の方を見ていましたから」
まさかの新事実にセアラばかりか、ギルバートまでもが言葉を失う。
「私もその噂を信じたひとりですけれど。実際にギルバート様と接して、見込みがないことを嫌というほど思い知りましたわ。私、他の女性を想う方に興味はありませんの」
顔を背けるマージョリーを見て、アイリーンが微笑んでいる。
彼女なりの虚勢であり、優しさなのだろうと思うと、セアラの口元が綻んだ。
「……ということで、謝罪は受け入れます。今後はしっかりとエリオット様とお話をするようにしてくださいね」
「これで別れるようなら、許しませんわ」
「……わかった。本当にすまなかった。ありがとう」
微笑む美少女二人に、ギルバートは深く頭を下げた。
「本当に素晴らしい女性ですよね。恨み言を言ってもいいのに、なんて優しい。しかも美しいし、優秀で……さすがは、私の見込んだ理想の花嫁候補です」
何度もうなずくセアラの横で、ギルバートの表情は硬い。
「俺、本当に迷惑ばかりかけているな。しかもバレているし。……何をしていたんだろう。馬鹿だな」
「そうですね」
すかさず肯定するセアラに、少しばかり驚いた様子でギルバートが視線を向けてきた。
「でも、それに気付けたのなら大丈夫です。これから改善すればいいんです。私も一緒に頑張ります」
「セアラ……ありがとう」
苦笑するギルバートの手を、セアラが握る……いや、つかむ。
「……ということで、次、行きますよ!」
「次?」
「鉄は熱いうちに打てと言いますし、ギル様の決意が変わらぬうちに――打ちましょう」
「セアラ……す、好きだ……」
水色の瞳を震わせながら、ギルバートが弱々しく声を出す。
それを聞いたセアラは、深い息を吐いた。
「――気合いが足りません! もっと、大きな声で! 心を込めて!」
腰に手を当てて指導するセアラの背後では、デリックとパトリシアが優雅に紅茶を飲んでいる。
いつもの王族専用の部屋で行なわれていたのは、ギルバート強化大作戦だった。
学園入学後しばらくしてからはマーウィンのフォローが入っていたとはいえ、両親のギルバートへの不信感は根強い。
正確には不信感というよりも呆れているという感じではあるが、どちらにしても好印象ではない。
しっかりと誤解が解けて仲が良いのだとアピールしなければ、両親から婚約を疑問視される可能性だってあるのだ。
ここは、気合いを入れるべきだろう。
「……少しでいい。休憩させてくれ、セアラ」
「駄目です。ギルバート様が私に好意を持っていてくれたのは、大変に嬉しいです。でも正直、まだまだアピールが弱いのです。――言葉にすると約束しましたよね?」
剣術大会で優勝したギルバートと話して誤解が解けたわけだが、事態はそこまで変わっていない。
よそよそしさはなくなり、不必要にアイリーンやマージョリーと会話しなくなった。
一緒に登校して、昼食は一緒にとる。
ごく普通の、清く正しいただの婚約者である。
「誰も、ベタベタに甘い関係になりたいなんて言っていません。ですが、せめてそれなりに好意を示していただきませんと、互いに再び勘違いしかねないでしょう? 何でも、日頃の鍛錬がものを言います。努力は裏切りません。――さあ、もう一度! 大きな声で!」
「デリック、黙っていないでセアラを止めてくれ!」
何かに耐えかねたらしいギルバートが未来の国王に助けを求めるが、デリックは笑顔で手を振り返すだけだ。
パトリシアの方は呆れた様子で見ているが、こちらも特に何も言わずに眺めている。
二人にセアラを止める意思がないとわかり、顔を赤く染めたままギルバートは呻いた。
「す、好き、だ……」
「全然、なっていません! もっと腹の底から声を出して!」
叱咤激励を続けるセアラの声に、デリックが堪えきれないとばかりに笑い出す。
テーブルに突っ伏して大笑いする姿に、パトリシアはティーカップを置いてため息をついた。
「こじれにこじれて、ようやく誤解が解けたと思ったら……一体どうして、こんな愉快なことになるんだ……」
「何にしても、ふり幅が極端なのですよ。あなた達は」
「ですが、同じ過ちを繰り返すわけにはいきません。さあ、ギル様。ご一緒に! ――好きです!」
「……少しでいい、休憩させてくれ。頼む……」
真っ赤な顔でぐったりとソファーに倒れこむギルバートに、セアラは頬を膨らませる。
「ちゃんとセアラに伝えたんだろう? 今も一応、言えているし。あとは……がん、頑張れ……!」
始めは普通に喋っていたのだが耐えきれなくなったらしく、デリックは再び笑いだした。
「ギルバートの性格からして、ただ繰り返しても身につくかどうか。……要は危機感の欠如です。追い詰めた方が早いでしょう」
少し怖いことを言ったと思うと、パトリシアは使用人に目配せする。
すると、ほどなくして扉が開き、現れたのはランディー・マレット伯爵令息だった。
「マレット伯爵令息、説明は受けていますね? セアラのためです。この場での発言を許します」
「はい」
ランディーはパトリシアに一礼すると、ソファーに倒れこむギルバートとその横に立つセアラのそばに移動した。
「ランディー様?」
首を傾げるセアラに、ランディーは優しく微笑む。
「剣術大会の後から、セアラ様を『薔薇の騎士』と呼ぶ者が増えたそうですね」
「そうみたいですね。この髪色ですから、目立つのでしょう」
セアラの深紅の髪は、良くも悪くも目を引く。
ただでさえ女性であの大会に出る人は少ないので、話題になってもおかしくなかった。
「確かに目立ちますね。とても艶やかで美しい。まさに、大輪の深紅の薔薇です」
「そ、それは、ちょっと言い過ぎでは」
ランディーはセアラの手をすくい取ると、じっと見つめる。
「あなたとこうしてお話をできるだけでも、心浮き立つ者がいるのですよ」
そのままセアラの手にランディーが顔を近付けた時、まるで蓋をするように別の手が重ねられた。
「……何をする気だ。セアラには近付かない約束だろう」
いつの間にかソファーから体を起こしていたギルバートが、眉を顰める。
「王女殿下の命が優先されますので」
「はあ?」
「セアラは可愛いですし、褒められるのは不思議ではありませんよ。好意を持つ者も多いです。……まさか、婚約者のギルバートがそれ以下の愛情表現なんてことは――ありませんよね?」
ギルバートが顔を向けると、パトリシアは花のようと称えられる美しい笑みを返す。
疑問のように見えて、ちょっとした脅しだ。
さすがは一国の王女にして未来の王妃である。
セアラが少しばかり感心していると、ギルバートの手を払いのけたランディーが微笑む。
「こんなに細くて華奢な手だというのに、振るう剣は力強い。その差もまた、魅力です」
「セアラの剣は力強いだけじゃない。軌跡が輝いて見えるほど、美しいんだ」
「そうですね。本人の姿も麗しい。深紅の薔薇と呼ばれるのも納得です」
「確かに赤い髪は魅力的だが、セアラの美しさはそれだけじゃない。白い肌も、象牙色の瞳も、セアラを形作るものはすべて、綺麗だ」
「――ち、ちょっと待ってください? 一体何を」
矢継ぎ早に繰り返される会話に、セアラが混乱し始める。
そもそもはギルバートの強化作戦であり、恐らくランディーはその手助けに呼ばれたのだろう。
負けず嫌いなギルバートの習性を利用するのはいいが、それにしても積極的になり過ぎではないか。
「いいから、黙って。――大体、セアラの魅力は外見だけじゃない」
「そうですね。まっすぐに稽古に打ち込む姿にも惹かれます」
「剣以外にも勉強だって手を抜いていないし、淑女としての振舞いも素晴らしい」
「それなのに気さくに騎士見習いにも声をかけてくださる優しさもありますね」
「優しいし、思いやりもある。ちょっと思い込みが激しいところはあるが、それだって可愛らしい」
睨み合いのような状態でのやりとりを見て、デリックが感心したようにうなずいている。
「何だ。やればできるじゃないか。ねえ、セアラ。……セアラ?」
声をかけられたセアラがびくりと肩を震わせる。
返答がないことでデリックがこちらを向き、それにつられて全員がセアラに顔を向けた。
セアラは現在、頬で卵が焼けそうなほど顔が熱い。
つまり、真っ赤に染まっているはずで。
それを見た四人は、それぞれに目を瞬かせた。
「……あら、まあ」
「あんなに攻めておいて、自分が攻められるとそれなの?」
苦笑する未来の国王夫妻に対して、ランディーは何故か頬が赤いし、ギルバートは……口元に笑みを浮かべている。
何となく嫌な予感がして一歩下がろうとすると、その手をギルバートがつかんだ。
「セアラの手に触れると、幸せな気持ちになる」
「え?」
声が上擦るセアラの手を、ギルバートが引き寄せる。
「こうしてそばにいると、もっと幸せだ」
「ええ?」
背に手を回して抱き寄せられると、目の前に水色の瞳が迫った。
「――セアラ。好きだ」
今日一番の気持ちのこもったその一言に、セアラの脳は沸騰し――瞬時に、謎のスイッチが入った。
ギルバートの手を振り払うと、そのまま両手でその頬を挟み込む。
勢いが良すぎて、ばちんといい音が響き渡った。
「――この私に対して、いい度胸ですね」
「え?」
じろりと睨みつけるセアラに、今度はギルバートの声が上擦った。
「私はずっとギル様ひとすじですからね⁉ 途中、寄り道した人になんか負けませんから!」
「よ、寄り道なんてしていない! ……その。ちょっと立ち止まっていただけで」
後ろめたい気持ちはあるらしく、セアラに顔を固定されたままでギルバートが視線を逸らす。
「後退していましたよね」
「迷子だったな」
未来の国王夫妻の援護射撃で言葉に詰まったギルバートを見たセアラは、少しばかり溜飲が下がる。
ギルバートの顔を解放すると、そのまま腰に手を当てて胸を張った。
「見ていてください! ――絶対にギル様の理想の花嫁になって、幸せにして差し上げますからね!」
びしっと拳を掲げて宣言すると、ギルバートは水色の瞳を細める。
「それは俺の台詞だ。今度は負けない。――俺が、セアラを幸せにする」
「言葉だけなら何とでも言えます。その言葉すら言えないギル様には、負けませんから!」
「これから努力する!」
「言いましたね⁉ ではご一緒に! ――好きです!」
「す、好きだ!」
「もっと、腹の底から声を出して!」
「――好きだああ!」
至近距離で見つめ……睨み合って叫ぶ二人に、周囲のため息が聞こえた。
「……結局、惚気ですか」
苦笑するランディーを見て、デリックは笑いながらうなずく。
「最初から、ずっとそうだよ。本当に……面倒くさくて、世話の焼ける二人だよね」
未来の国王夫妻は笑みを交わすと、どちらが幸せにするか論争が激化する友人達を見つめた。
これで「花嫁斡旋」完結です。
(また番外編などを追加するかもしれませんが)
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ここまで読んでいただき、ありがとうございました。
「竜の番のキノコ姫」は引き続き連載中、その後は「残念令嬢」第八章の予定です。






