番外編 ギルバートの決意
「言わなければ、何も伝わりませんよ? 誤解されて失ってからでは、遅いですから」
セアラの一言に、ギルバートの心の中にあったちっぽけな何かが、音を立てて崩れるのがわかった。
あの日、セアラにものの見事に惨敗して。
情けない姿を見られて。
セアラの隣に立つ自信を失って。
ギルバートは剣の稽古に打ち込んだ。
剣の腕を磨けば、きっと自信を持って『セアラを守る』といえるから、と。
……でも、本当にそうだろうか。
セアラが望んでいるのは、それなのだろうか。
セアラはあの時、ギルバートが弱いことに驚いただろう。
それは、間違いない。
でも、どう思ったのかは、わからない。
何故なら、一度もその話をしていないのだから。
きっと落胆しただろう、情けないと思っただろうと、怖くて話すことができなかった。
嫌われたのだろうと思い込んでいた。
でも、もしそれが誤解なら。
落胆したとしても、嫌ってはいなかったとしたら。
……ギルバートがしたことは、どれだけセアラを傷つけたのだろう。
あの事件の後、学園に入るまでセアラは連絡してこなかったが、それはギルバートも同じだ。
それまではギルバートの方がエリオット邸に行っていたのだから、急に会わなくなったのはギルバートの方だとも言える。
自身が完勝した婚約者が半年会いに来ず、学園で再会後はよそよそしいとしたら……どれだけ寂しい思いをさせたのだろう。
「それは……でも、そうか。……うん。そうだな。――俺は、馬鹿だな」
ギルバートは自分が嫌われたと思っていた。
だからセアラの隣に立つ自信もなく、関心を引きたくて他の女性に声をかけるふりをしたりもした。
それは、ギルバートにとっては自己満足の保身だったが、セアラからすれば婚約者の浮気にしか見えない。
結局、セアラに認められたいはずなのに、遠ざけるようなことしかしていないのだ。
気持ちは、言わなければ伝わらない。
このままでは、本当にセアラを失ってしまう。
――今まで、なんて愚かなことをしていたのだろう。
ごく簡単な結論に、ギルバートはがっくりとうなだれた。
「え? あの、そんなに落ち込まなくても。きちんとお話しすれば、きっとわかってもらえますよ」
優しい言葉が身に染みるが、これは恐らくセアラ以外の女性のことだと思われているのだろう。
それもギルバートの行動のせいだ。
セアラはずっとギルバートのそばに来てくれたし、話をしようとしてくれていた。
それを劣等感から避けていたのは他ならぬギルバートであり、この事態は自業自得としか言えない。
「――セアラ」
ギルバートはセアラの手を包み込むようにぎゅっと握りしめる。
セアラの象牙色の瞳を見つめる。
この瞳が好きで――怖かった。
情けない自分に打ち勝たなければ、セアラとの未来はない。
もう、逃げない。
逃げてセアラを失うくらいならば、戦って負けた方がいい。
「明日の大会は、必ず勝つ。だから……その後、話をしよう」
「……何故そこで、その場で、セアラに気持ちを伝えないのでしょうね!」
剣の稽古のためにエリオット邸を訪ねて事情を話すと、セアラの兄であり近衛騎士でもあるマーウィンは盛大に顔をしかめた。
セアラに完敗した後に必死の稽古でそれなりの腕になってからは、こうして時々マーウィンに稽古をつけてもらっていた。
セアラへの想いと劣等感がこじれて学園でそっけない態度しか取れないギルバートに、エリオット家では婚約解消の話も出ていた。
それをどうにか止めてくれていたのがセアラ本人と、このマーウィンだった。
デリックとパトリシアには最初からすべてバレていたが、稽古をつけてほしいと訪ねてみればマーウィンにもバレバレだった。
『セアラが助けた女の子というのは、ギルバート様ですよね』
学園に通い出してから初めてエリオット家を訪問して、かけられた言葉がこれだ。
まさかの指摘にギルバートが固まっていると、マーウィンは稽古用の剣を手に取り、ギルバートに手渡した。
『あなたがセアラに惚れているのは、わかっています。婚約者に負けたのがショックなのも、男として理解できます。だが……兄として、あなたの行動は許し難い』
そう言ってすぐに始まった稽古は熾烈を極め、ギルバートは数日学園を休むほどだった。
だがそれでも食らいつく様子を認めてくれたのか、その後も時々稽古をつけてくれた。
『セアラがあなたを切り捨てると決めるまでは……付き合ってあげますよ』
その言葉通り、エリオット邸を訪ねるとマーウィンは稽古をつけてくれた。
そうして少しずつ話すうちに、ギルバートの愚行を諫めつつも相談に乗ってくれるようになっていた。
「ようやく、ようやく、本当にようやく。自分の愚行にしっかりと気付きましたか。そこは一応、少しは評価します。ですが、俺がどう思っても事態は変わりません。セアラに伝わらなければ、何の意味もないのです」
「わかっている」
稽古用の剣を手にしながらうなずくと、マーウィンは大袈裟に肩を竦めた。
「ならば何故、その場で話をしなかったのですか。剣術大会で勝ってというのは結構ですが、勝てなかったらどうします? その前にセアラが婚約解消に動き出したら? 理想を追うだけでは、セアラは手に入りませんよ」
マーウィンの言っていることは、全部正しい。
自分の過ちに気付いたあの時に謝るべきだったし、そもそものギルバートの選択が間違っていた。
だが、それでもどうしても譲れない部分があった。
「あの時、セアラは弱い俺を見て驚いていた。あれ以来――セアラの瞳が怖い」
「子供ですか、あなたは」
「……そうだな。子供なら素直に謝れるだろうから、俺はそれ以下だな」
自嘲するギルバートを見て、マーウィンの眉間に皺が寄っていく。
「剣の腕を上げて、強くなって……そうしないと、先に進めないんだ」
情けない話だ。
勝手な理由だ。
子供のわがまま以下だ。
それでも、セアラの瞳をまっすぐに見られるようになりたかった。
マーウィンは深いため息をつくと、稽古用の剣に手をかける。
「あなたはセアラに似ていますよ。思い込んだら譲らないところが、そっくりだ」
「……そうかもしれない」
「――手加減はしません。それがセアラの兄として、近衛騎士としての、俺の譲れない部分です」
長い長い稽古が始まり。
その日、はじめて――マーウィンから一本を取ることができた。
稽古を終えたギルバートは、そのまま馬車に乗り込んで屋敷に戻る。
油断すれば眠りそうな疲労の中、脳裏に浮かぶのは美しい象牙色の瞳だ。
「セアラ、ごめん。……好きだ」
ずっと言いたかった言葉。
伝えるべきだった言葉。
愚かな行動で遠回りしてしまったけれど、ようやく決心がついた。
「好きだ」
その一言を伝えたい。
たとえ受け入れられなかったとしても……それは自分が招いた未来だ。
今度こそは、自分の愚かなプライドのためではなくて、セアラの幸せのための行動を取りたい。
セアラが望むのなら、婚約解消でも花婿斡旋でも何でもしよう。
「――好きだ」
ギルバートは深く息を吐くと、水色の瞳をゆっくりと閉じた。
本編は昨日で完結。
今日はギルバート視点の番外編でした。
劣等感と意地っ張りと小さなプライドの塊です。
モヤモヤしたところで、明日は愉快な番外編。
その後の彼等の様子をどうぞ。
いよいよ明日で年末年始同時連載「花嫁斡旋」も終了です。
読んでくださる皆様、ありがとうございます。
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