番外編 ギルバートのため息
「ギルバート様、私との婚約を解消してください」
――ついに、言われた。
言われてしまった。
ギルバート・ノーマン公爵令息は、十年間婚約していたセアラ・エリオット子爵令嬢に婚約の解消を求められた。
この一年の自分の行動を振り返れば、セアラの判断は間違っていないのだろう。
自分でも馬鹿なことをしている自覚はあったが……それでも、受け入れるわけにはいかなかった。
「――嫌だ。婚約は解消しない」
セアラは瞳を瞬かせ、すぐに眉間に皺を寄せた。
それもそうだろう。
ギルバートはセアラにそっけない態度をとり、最近では他の女性と親しげに話す姿も見せている。
いつセアラが婚約破棄されるかという噂まで出ていると聞いた。
セアラがギルバートを見限ったとしても、何の不思議もない。
「でも、他の方が」
「ノーマン公爵家に相応しい婚約者は、そうはいない。自分をきちんと知るべきだ」
自身の愚行を棚に上げてどうにか宥めると、セアラは口を閉ざした。
セアラはエリオット子爵家の娘だ。
父は騎士団長でもあり評価も高く、下位貴族とはいえ影響力は大きい。
象牙色の瞳は神秘的で、深紅の鮮やかな髪も美しく『深紅の薔薇』の異名を持つほどだ。
容姿も申し分ない上に学業も優秀であり、学園内でもセアラに憧れる生徒は多い。
対してギルバートはノーマン公爵家の嫡男。
容姿はそこまで悪くないと思うし、学業もセアラに劣らないよう努力しているし、将来の国王である第一王子とも親しい。
だが容姿や身分はギルバートの努力とは無関係だし、学力だってセアラが本気を出せば恐らく抜かれる。
――やはり、あの時。
学園入学前のあの事件の時に、ギルバートの剣の腕前に落胆したのだろう。
あの日から一日も欠かさず剣の稽古をして、ようやくセアラの兄であるマーウィンに稽古をつけてもらう程度になった。
せめて近衛騎士であるマーウィンから一本取れるくらいにならないと、『セアラを守る』なんて口が裂けても言えない。
それほどに、セアラの剣の腕は凄かった。
剣を振るう軌跡はまるで光のように輝き、美しい深紅の髪が揺れるのを呆然と見ることしかできなかった。
負けたのは、悔しい。
情けない姿を見られたのは、恥ずかしい。
だが、それ以上にセアラの美しい姿が目に焼き付いて、自分はあの隣にいてもいいのだろうかと不安になったのだ。
剣の腕を磨けば、きっと自信を持ってセアラの隣に立てる。
そう思って学園入学まで稽古に明け暮れた。
セアラが会いに来ず、連絡もしてこないのは不安だったが、一日でも早く剣の腕を上げるために必死だった。
そうして学園に入学して。
ようやく会えたセアラは、見違えるような淑女になっていた。
元々可愛らしかった容姿は半年で一気に大人びて、立ち居振る舞いも上品なその姿から『深紅の薔薇』と呼ばれるほどだった。
セアラにとってギルバートは親の意向で婚約させられただけの相手というだけ。
完璧な淑女であるセアラが、ギルバートに固執する必要などないのだ。
「わかりました」
セアラの言葉に、ギルバートは安堵の息を吐く。
捨てられなかったという安心感で、崩れ落ちそうなくらいだ。
「…そうか、良かった。わかってくれた――」
「――それでは私が、ギルバート様に……ノーマン公爵家に相応しい理想の花嫁を探してごらんにいれます!」
「――は? え?」
予想だにしなかった返答に、声が上擦る。
セアラの言葉の意味が理解できず、暫し固まった。
「大丈夫です。身分に容姿に学業から人となりまで、完璧な女性を探します。ギルバート様は、安心して幸せな生活を送ってください」
「――ちょ、ちょっと待て、セアラ」
何ひとつ安心できないことしか提案されていないが、これは一体どうなっているのだろう。
ギルバートを見限って捨てるのならわかるが、花嫁を探すという意味がわからない。
混乱したギルバートの目は泳ぎ、情けないことにあたふたと手までもが泳いだ。
「大丈夫です。お任せください。それでは、失礼いたします」
セアラは背を向けると、あっという間にその場から走り出す。
「必ず素晴らしい理想の花嫁を探し出しますから! 待っていてください、ギル様! ――絶対に、幸せにして差し上げますからね!」
遠くから何やら叫び声が聞こえるが、やはり意味がわからない。
追いかけようとも思ったが、セアラは健脚で俊足だ。
あっという間に中庭から姿を消してしまったので追い付けない上に、ギルバートは未だに混乱していて考えがまとまらない。
「俺のことが嫌いだから、他の女性にしろということか?」
子爵令嬢であるセアラから一方的に婚約を破棄するのは難しい。
だからこそギルバートに打診してきたのだが、拒否されたことで方向性を変えたのだろう。
セアラの気を引こうと他の女性に声をかけたのが裏目に出たわけだ。
もう、後はない。
セアラに好きだと、セアラ以外には考えられないのだと伝えなければ、恐らく手遅れになる。
それはわかっているのだが、脳裏にあの日のセアラがよみがえる。
自分よりもギルバートが弱いことに驚いて見開かれたあの美しい象牙の瞳が、心を打ち砕く。
マーウィンから一本取れるくらいにならなければ、セアラに気持ちを伝える資格はないし、勇気も出ない。
「本当に、俺は情けないな」
ギルバートは深いため息をつくと、中庭を後にした。
本編は昨日で完結。
今日はギルバート視点の番外編です。
劣等感と意地っ張りと小さなプライドの塊です。
ランキング入りに感謝を込めて、夜も更新です。
読んでくださる皆様、ありがとうございます。
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m( _ _ )m
ギルバートでモヤモヤしたら、明日は愉快な後日談の予定です。
あと少しですが、引き続きよろしくお願いいたします。






