お幸せに
「ギルが勝ったね」
デリックの言葉に席から立ち上がり、身を乗り出して会場を覗く。
遠目ではあるが、ギルバートの頬に赤い筋が入っているように見える。
怪我をしたのだと気付いた途端、心の奥がざわざわと不安に駆られていくのがわかった。
二人向き合って礼をすると、ちょうどこちらに顔を向けていたランディーがにこりと微笑み、口を動かすのが見えた。
声を出しているわけではなさそうだが、何だろう。
――オ、シ、ア、ワ、セ、ニ。
「お幸せに?」
今から婚約がなくなるセアラに対して、何故そんなことを言うのだろう。
騎士になるのはまだ先の話だし、気が早過ぎはしないか。
それとも、唇を読み間違えただけだろうか。
「……あの対戦相手、よくわかっているみたいだね。剣の腕もいいし、将来が楽しみだ」
デリックは納得しているようだが、セアラには何のことだかよくわからない。
ランディーが背を向けると、反対にギルバートがこちらを向いて何かを探している。
手を振るデリックに気付いて観覧席を見上げると、一目散に走り出す。
どこに行ったのだろうと思う間もなく、王族専用の観覧席にギルバートが姿を現した。
「――セアラ! 俺、勝ったぞ!」
駆け寄ってセアラの手を握ると、ギルバートは笑みを向けてくる。
「はい。おめでとうございます」
勝利の興奮で笑顔なのだとわかってはいるが、至近距離で微笑まれれば鼓動が跳ねるのは仕方がない。
これから婚約者ではなくなるというのに、まったく先が思いやられる。
「それよりも、血が」
先程遠目で見た通り、やはり頬には一筋の傷ができていて、血が滲んでいる。
それほど深くはないだろうが、早く手当てをした方がいいだろう。
自身のハンカチを取り出してギルバートの頬に当てると、水色の瞳に驚きの色が浮かんだ。
「――あ。す、すみません。嫌、ですよね」
傷を見てハンカチを当てたが、よく考えれば嫌いなセアラにされて嬉しいことではない。
せっかく勝利のおかげで笑みを浮かべてくれていたのに、馬鹿なことをしてしまった。
慌てて引こうとした手に、ギルバートの手が重ねられる。
「あ、あの……?」
セアラの手はギルバートの頬に触れ、その上にギルバートの手がある。
未だかつてない接触に羞恥よりも混乱が勝ち、セアラはどうしたらいいのかわからない。
「勝ったら、話をする約束だ」
「は、はい。どうぞ」
なるほど、約束を確認したかったのか。
手を重ねる必要性はない気がするが、とりあえず理由がわかったことで心は少し落ち着いた。
だが、今度はギルバートの方が何やら困っている。
「あ、いや。ここでは……」
すると、デリックとパトリシアが笑い出した。
「気にしなくてもいいけれど。まあ、仕方ないな。……パトリシア」
「本当に、世話が焼けますね」
くすくすと笑ったかと思うと、パトリシアは目を閉じ、そのまま体が傾いでいった。
「――パトリシア、大丈夫かい?」
「血を見て、気分が……」
「大変だ、すぐに休もう」
急に謎の芝居を始めた二人を、ギルバートが冷ややかに見ている。
「……棒読みだな」
「酷いな。誰のためにやってると思う? ……さて、パトリシアは俺が連れて行く。剣術大会の優勝者はすぐに傷の手当てをしたまえ。表彰式は代理の者を出そう。エリオット子爵令嬢、付き添ってやりなさい」
「え? 私は」
セアラが何か言おうとする間もなく、デリックとパトリシアが観覧席から出て行く。
王族の不調ということで、にわかに辺りは慌ただしくなる。
「ノーマン様は、こちらへどうぞ」
使用人の案内にギルバートはセアラの手を引いて歩き出す。
急な展開にされるがままになり観覧席を出ると、そのまま学園の建物の奥へと案内された。
そうして辿り着いたのは、王族専用区画のいつもの部屋だ。
「何の間違いでしょうか、医務室は向こうですよね」
「いえ、殿下の御指示ですので」
使用人は笑顔でそう言うと、あっという間に扉を閉めて出て行ってしまった。
「何なのでしょうか」
「……お節介なんだよ。昔から」
想定外の至近距離から声が聞こえ、セアラはギルバートと手を繋いで歩いていたことをようやく思い出す。
慌てて手を振りほどくと、ギルバートに向き直した。
「それよりも、治療を。血は、止まりましたか?」
確認しようと頬に手を伸ばすと、ギルバートの肩がぴくりと動く。
「あ、すみません。私に触られたくないですよね。ええと。消毒薬を貰ってきます」
さっきも同じようなことがあったのに、馬鹿な真似をしてしまった。
すぐに立ち去ろうとするセアラの手を、ギルバートが握って引き留める。
「もう、血は止まっているから平気だ。それよりも、話をする約束だろう」
「……はい。わかりました」
ついに、死刑宣告か。
それなりに長かった婚約期間。
この一年ほどは色々あったが、概ね楽しくて幸せだった。
……だが、もう終わりだ。
促されるままにソファーに腰かけ、それを受け入れるために小さく深呼吸をする。
だが、何故かギルバートはセアラの隣に腰を下ろした。
親密な間柄ならともかく、これから他人になろうというのに、何故だろう。
「俺は、セアラとの婚約を解消しない」
「はい……え?」
開口一番に婚約解消なり破棄なりするのかと思えば、まさかの言葉が飛び出した。
「な、何故ですか?」
「必要ないからだ」
きっぱりと告げられ、セアラの脳内はちょっとした混乱状態に陥る。
「え? ああ、もしかして。卒業パーティーや夜会で、どーんと公開婚約破棄の予定ですか? ――わかりました。見事ぎゃふんと言ってごらんにいれます」
ランキング入りに感謝を込めて、夜にも更新予定です。
読んでくださる皆様、ありがとうございます。
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もう少しで本編は完結。
その後はギルバート視点の番外編、それから愉快な後日談の予定です。
よろしければお付き合いください。
「竜の番のキノコ姫」同時連載中です。
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