逃げるわけにはいきません
ギルバートはノーマン公爵家の嫡男だ。
剣の稽古は嗜み程度にしていたようだが、あの時に手合わせした感じでは、特に強いわけではなかった。
あれから約一年。
筋力と体力では不利とはいえ、あの調子で稽古をしていたのなら何とかなるだろうと思っていた。
だが実際に剣を交えてみれば、動きに無駄はなく、スピードもかなりのもの。
どうやらギルバートは、剣の稽古を続けていたらしい。
それも公爵令息の嗜みの範囲を、軽く超えて。
どうにか避けているものの、何度か剣を受けたせいで腕が疲労する。
長引けば不利なのは、明らかだった。
「やっぱり、セアラは強いな。手加減すれば俺がやられる」
「謙遜を。ギルバート様こそ、随分腕を上げましたね」
剣を振るいながら会話を続けるのも、疲れる。
このままズルズル戦えば、いずれ力尽きたセアラが負けるだろう。
「俺は、負けられないんだ」
「私だって、逃げるわけにはいきません」
「――それでこそ、セアラだ」
汗で滑る剣を握りしめるセアラを見て、ギルバートは優しい笑みを浮かべた。
もうずっとセアラに向けられることのなかったそれに気を取られた瞬間、剣が弾き落とされた。
手がビリビリと痺れ、地面に剣が転がる音が響く。
勝敗を叫ぶ審判の声と共に、歓声が沸き起こった。
「……大丈夫か?」
ギルバートは落ちた剣を拾うと、セアラに手渡してくれる。
「平気です。負けたのは悔しいですけれど、仕方ありません」
剣を受け取ると、鞘に収める。
これで準決勝は終わり、すぐに決勝だ。
ギルバートの対戦相手のランディーを、審判が呼んでいる。
「セアラ。必ず勝つから――ちゃんと、話をしよう」
「はい」
セアラはうなずくと、待機場所に戻ろうと踵を返す。
これでギルバートが勝てばセアラは婚約破棄を告げられ、ランディーが勝てば婚約を申し込むと言っている。
結局、どちらにしてもギルバートとの婚約はなくなるのだ。
ため息をつきながら待機場所に戻ろうとすると、デリックの使いがやって来て観覧席に来るようにと伝えられた。
デリックとパトリシアは王族専用の席におり、案内されてきたセアラを見ると笑顔で手を振る。
勧められて席に着くと、ちょうど眼下の会場で決勝の試合が始まるところだった。
二人は試合開始と同時に動き、激しい打ち合いになっている。
ランディーが強いのは知っていたが、ギルバートも引けを取っていない。
この様子を見る限り、セアラとの試合はそれなりに加減していたのだろう。
「……いつの間に、あんなに強くなったのでしょう」
学園入学前の時点では、自分で言うのも何だが圧倒的にセアラが強かった。
その後剣に触れていなかったセアラが負けるのはわかるが、ランディーと互角に戦えるとなるとかなりの稽古を積んだということになる。
だが、ギルバートは公爵令息だ。
そもそも剣を持つ必要もないというのに、何故稽古を続けたのだろう。
「ギルは、セアラと手合わせして見事に惨敗しただろう? それが悔しくて、以来ずっと剣の稽古を続けていたんだよ。それも騎士見習いやそれ以上の稽古をね」
「そうなんですか」
デリックが知っていてセアラが知らないという事実に少し寂しくなるが、それにしても騎士見習いレベルの稽古とは。
ますます公爵令息には必要のないものだ。
それだけ、セアラに負けたのが嫌だったのか。
「負けず嫌いですね」
セアラに一度負けただけで騎士見習いレベルの稽古をするくらいなのだから、ランディーに負けるのも嫌なのだろう。
やはり、それが理由でランディーに勝つと言っていたのか。
セアラのことはどうでもいいのだと再確認して納得するセアラを見て、デリックは苦笑している。
「そうだね。昔から変わらず、子供で、負けず嫌いで、意地っ張りだ。……でも、手の中の宝物を失うかもしれないと気付いて、ようやく少しは大人になったかな?」
「宝物、ですか?」
何のことだろう。
公爵令息としての矜持だろうか。
「セアラも、惜しかったね。あれ以来剣に触れてもいないのに、よく動けたものだ」
「私は剣のことに詳しくありませんが、ギルバートと互角に渡り合っていましたよね?」
いつもは上品なパトリシアが少し興奮気味で話す様子が可愛らしくて、セアラも笑みを浮かべる。
「いえ。恐らくギル様は手加減していました。それに筋力と体力で劣るのは致命的です。近衛騎士としてパトリシア様のおそばにいるためには、まだまだ修練が必要ですね」
「そうですね。私はセアラがそばにいてくれたら嬉しいですよ」
パトリシアは優しい笑みを湛えると、会場で未だに剣を打ち合うギルバート達に視線を移す。
「ねえ、セアラ。あなたは二人のどちらに勝ってほしいですか?」
「そうですね。どちらにしても婚約はなくなります。手間が省けるぶん、ギル様の方が話が早いですね」
それにしても、二人共かなり長く剣を交えている。
スピードも技術もだが、その体力が羨ましい。
「デリック様とギルバートは幼馴染でしょう? デリック様はあなた達のことを、弟妹のように思っているのですよ。もちろん、私も」
「はい。とてもありがたいことだと思っています」
即答するセアラを見て、パトリシアは小さくため息をついた。
「暫く様子を見ていたけれど、ギルバートをそこらの女性に任せられません。同じく、セアラをそこらの男性にあげるわけにはいきません。ですが……これでギルバートがきちんとしないのなら。セアラを私の騎士に推薦します」
「そんな。いくら何でも、王女としての力を使っていただくわけにはいきません。自力でそれにふさわしい人間になりますので、お待ちください」
隣国の王女であり次期王妃であるパトリシアが言えば、確かにセアラは騎士に取り立てられるかもしれない。
だがそんな不正はしたくないし、実力もないのにパトリシアのそばに立つわけにはいかない。
「……でも、少し複雑なのです」
何やら困った様子のパトリシアは、そう言うとデリックと視線を交わした。
「セアラにそばにいてほしいという気持ちは、あります。でも同時に、そうならないことを祈っているのですよ」
「……どういうことでしょうか」
「複雑な、乙女心です」
「乙女、ですか」
婚約者を剣で打ち負かしたことのあるセアラには、縁遠い言葉だ。
すると、会場がわっと歓声に包まれる。
慌てて見てみれば、ランディーの目の前に剣を突き付けるギルバートの姿があった。
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「竜の番のキノコ姫」同時連載中です。
菌糸溢れるキノコラブコメ。
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