349話 帰郷
気がつくとハロワの前の歩道に立ち尽くしていた。間違いない。ここは日本であのハローワークの前だ。暑い。エルフの里は真冬だったが、日本は今は夏か?
「兄ちゃん、泣いてるみたいだけど大丈夫か?」
ハロワから出てきた人の良さそうなおじさんにそう声をかけられた。
「あの……変なことを聞きますが、今日は何年の何月何日でしたっけ?」
「今日はXXXX年の九月十一日だな。ほんとに大丈夫か?」
「ええ、はい。なんとか。ありがとうございます」
「ふうん。まあ生きてれば人生色々あるわな。がんばれや、兄ちゃん」
そう言うおじさんに頭を下げてとりあえずハロワの中へと入った。冷房が効いて涼しい。ベンチを見つけてそこに座る。なんだか体がやけに重いと感じたのだが、ふと自身に目を落とすと以前のヒョロガリに戻っていた。くそ。あんなにがんばって鍛えたのに。
手に持っていた四冊のノートを開いてみると、そこには俺が日々書き綴った記憶の通りの日誌があった。
どうやら俺は異世界へ行った日の当日に戻ってきていた。直前までの記憶ははっきりとあるし、日誌もある。一瞬すべてが夢かとも思ったが、あんなに生々しい経験が、記憶がしっかりと残っている。
最新の日誌の最後のページを見ようとして何か挟まっているのに気がついた。
「宝くじ?」
そして日誌に新しいメッセージが追加されている。
【本来であれば貴方は代償で死ぬはずだったのですが、異世界での貴方の体は複製体で、こちらの本体は保存してあったので戻してあげることにしました。その宝くじはエルフの里を救った報酬としてお渡しします。勇者の人生に幸あらんことを】
俺が戻ると決めた時のためか。元の時間、元の状態の身体に戻すという契約。確かに二〇年分の肉体変化をなかったことにするより、体を別に残して記憶だけこうやって戻すほうが手っ取り早い。
あちらでの体が複製だと知って少し困惑したが、神様のやることだ。間違いはないのだろう。こうして戻っても身体的にはともかく、記憶にはまったく違和感がない。
やはりこれは現実。異世界も現実だ。サティたちはあのあとどうなっただろう。いや、時系列で言うと今から一年と数カ月後の話になるのか? でも時間が同期しているとは限らない。神様のやることだしなんだってありそうだ。
だがエルフの里はもう心配ないはずだ。魔法が使えれば、あの場には三人の加護持ち魔法使いがいる。城壁もまだまだ顕在だったし、魔物を圧倒できたことだろう。
それよりも他の戦線が心配だ。ヒラギスやミズホ、イオンの居る南方とエリーの担当する帝国。もしアンチマジックメタルの攻撃を広範囲にやられたら防備の薄いところは相当なピンチになる。しかし心配したところで日本に居てはどうしようも……
待てよ? 俺はまだこうして生きている。戻ることもできるんじゃないか?
さっそく検索用のパソコンでゲーム会社の求人を探してみる。何件かあったが、プログラマーかクリエーター募集でテスターの募集はないし、記憶にあった伊藤神のゲーム会社じゃない。
伊藤神と会った会社の場所……ダメだ。記憶にない。神様に消されてしまったか? でも場所がわかったとして、俺を戻す気がないなら神様が居ても居なくてもどうしようもない。
日誌に異世界に戻れないかと書いてみるが、返事はない。メニューボードも当然試したし、魔法もアイテムボックスも使えない。
異世界での俺の役目は終わった。そういうことなのだろうか。そしてそれ以前にエルフの里を救う代償で俺を死んだっぽい感じにしておいて、すぐにしれっと戻すのはさすがに問題がある気もする。ただでさえ邪神側から苦情が来てたし、戻るのは望み薄なのだろうか。
そう思うと伊藤神の会社の記憶が消されているのは、無駄なことをするなというメッセージなのかもしれない。
落胆して伊藤神探しはとりあえずは諦め、もらった宝くじを改めて確かめた。サマージャンボか。一等七億、前後賞一億五〇〇〇万の合わせて一〇億円。それが連番で一〇枚分。
結果発表は八月のうちに終わっている。確か宝くじをやってる銀行が近くにあったはずと、直接当選番号を確かめに行くことにした。どうせそれなりの高額当選をしているだろうし、そうなると銀行にはどのみち行く必要がある。
二等だと一〇〇〇万円か。いきなり減るが、結局俺は一年とちょっとしか居なかったし、死んだはずなのをお目溢しをしてもらったのだ。一等前後賞の一〇億円だとさすがに多すぎな気がするし、二等くらいが妥当だろうか。
いやそもそも倫理的にどうなんだろう? 相手はガチモンの神様だから偽造とかではないのだろうが……
しかし俺はいまお金がない。ハロワを目指したのは、以前やったバイトの稼ぎが尽きそうだったからだ。
うん。神様が報酬にくれると言うのだ。今さらバイトや就職などしたくない。これは俺が命がけで戦った報酬。あまり深く考えずに受け取るだけ受け取っておこう。
銀行の窓口は空いていて、すぐに当選番号の確認をすることになったのだが、番号をチェックしたおっさんの顔色が変わった。
「別室で対応いたしますのでこちらへどうぞ」
いや、いくら当たってるんだよ。そう思ったが当の宝くじはトレイに乗せられたまま俺へと戻され、応接間へと誘導された。すぐに支店長と名乗る人がやってきて、色々と説明され、あれよあれよという間に俺の口座に一〇億円が振り込まれることとなった。実際の振り込みは手続きの関係で一週間後になるという。
たった一〇枚で一等と前後賞の一〇億円か。これで働く必要がなくなるのはありがたいが、異世界よりもっと現実味がない。それになにより一〇億円程度もらったところで何がどうなると言うのか。サティもティリカもアンもエリーもリリアも居ない。
みんなのことを思うと胸が苦しくなり、考えが何もまとまらないまま実家へとたどり着いた。懐かしい、だけどどこか現実味のない元の我が家。
鍵は開いていたのでそのまま入ると、居間では母がテレビを見ていて、俺に声をかけてきた。
「おかえりマサル。ハロワはどうだったの? 仕事は見つかった?」
「仕事……」
そうだ。仕事は見つかった。そうして異世界に行って、それから……
突然、異世界での出来事が走馬燈のように思い出された。
「あああああああああ……」
その場で膝をつき、俺は無様にも泣き崩れた。もう会えない。誰にも会えない。
「え? マサル? ダメだったの? でもそんなに泣くことはないじゃない」
何事かと妹もやってきて、俺を見て言った。
「おにい、なに泣いてんの。キモッ」
妹ちゃんひどい……でも泣いててもなんにもならんのはそう。悲しい気持ちを妹にへし折られたので、居間のテーブルに座って宝くじの当選証明、証明依頼書と書かれた一枚の紙をテーブルに差し出した。
急に高額なお金が手に入って、お金の出処を聞かれた時に見せるためのものだと支店長から説明された。あと持ち帰った高額当選者向けのガイドブックも置いておく。
一〇億円。これは俺が命を代償に稼いだ歴とした報酬であるはずなのだが、どうにも説明しようもない。
俺は異世界で勇者として戦って最後は複製体が死んだけど、報酬として一〇億の当たりくじをもらった? うーん。控えめにみても頭がおかしい。
母は俺が泣き止んだのを見てまたテレビを見だしたが、妹が興味を持ったのか、ガイドブックをペラペラとめくり、続けて当選証明にも目を通した。
「じゅ、じゅうおくえん!?」
「どうしたの?」
「マ、ママ、これ。宝くじ。一〇億円当たってるって!」
「えー、うそ。ほんとに? 一〇億? なにかの詐欺じゃないの?」
騒ぎ立てる二人に悲しい気持ちも薄れてきて、少し冷静になってきた。
「この前のサマージャンボ、今日買ってたの思い出して番号を調べたら、一等と前後賞が当たってたんだよ」
一等が七億円で前後賞が一億五〇〇〇万円ずつ合わせて一〇億円。エルフの里を救った報酬とすれば多いのか少ないのか。
「マジ?」
「マジで」
妹がまじまじと俺を見て聞くので俺も真面目な顔で頷いてやる。
「パ、パパに連絡しなきゃ」
「だめだよママ! 宝くじの当選なんて誰にも言っちゃだめなんだから! おにい、このお金、ど、どうするの? なにを買おう!?」
いや俺のお金だし、まだもらえてもいないし。
しかしどうするのと聞かれても、お金があってもどうしようもない。あ、考えるとまた悲しくなってきた。
「振込は来週だって。アオイがほしけりゃやるよ」
そう言ってまた泣いてしまう前に立ち上がり、力なく自分の部屋へと向かった。
「え? くれるって? おにい! ちょっと! 一〇おくえん!」
妹の呼びかけは無視しとりあえずベッドに倒れ込んで、一人静かに枕を涙で濡らした。
少しうとうとしていたようで部屋に母が呼びに来た。父が戻ってきていて夕食にするという。
「マサル、これは本当なのか? 詐欺とかじゃないのか?」
テーブルにつくと、さっそく父が深刻そうな顔で俺にそう切り出してきた。あからさまに疑わしそうな雰囲気である。
まあそうだな。ニートだった息子が突然宝くじで一〇億円当たったとか言ってきたら、そりゃ疑う。当選金の振込は来週というし、証明は証明になるのかよくわからん紙を一枚見せられただけ。
それで別に信じてもらわなくても俺は気にはしないが……
「じゃあこれを」
そう言ってそのままポケットに入っていた、当選した分を抜かれた残りの宝くじを見せた。一等、前後賞が二枚、そして三〇〇円の当たりが一枚で、三〇〇円はその場でもらえた。連番だから残った前後の番号で十分に証明になるだろう。
それから支店長の人に名刺をもらっていたのも思い出して出した。投資に興味がお有りならご連絡くださいとか言っていたことも付け加える。
「うっわ、ほんとだ。パパ、これ本当に当たってるよ」
妹ちゃんがスマホで当選番号を確認して父と母にも見せると、父も名刺も見ながら納得した様子だ。
「それで、これからどうするつもりだ?」
当然だが父も母も仕事もしないでぶらぶらしているのにはとても批判的だった。それが大金が手に入ったからといって、そのままでいいとも思わないのだろう。穀潰しのニートが金があるとはいえ、そのままニートでは世間体も悪い。俺もそう思うのだが。
「今はまだ考えがまとまらない」
ほんの数時間前まで生きるか死ぬかの戦争をしていたのだ。なかなか頭の中が切り替わらないし、この平和な日本でいまさら俺は何をするというのか?
「やりたいこととかないのか? なんならもう一度大学に挑戦してもいい。まだ二十三なんだ。人生いくらでもやり直せる」
「はいはーい、おにい! わたし留学してみたーい!」
妹は大学の一回生で家から通っている。俺が大学受験に失敗してニートになったのもあって最近はかなり見下されて冷たい態度を取られていたのだが、久しぶりにニコニコの笑顔を見たな。さすが一〇億のパワーである。
「やめなさいアオイ。このお金はマサルのものだ。マサルも自分のお金なんだ。しっかり管理しなさい」
父とも険悪な関係だと思っていたのだが、今なら俺のことを心配して言ってたんだとわかる。俺はかなりきついことを言われていたと以前は考えていたのだが、単に息子の将来が心配だったのだ。母のほうはなんだかんだで俺に甘かった。
「えー、でもおにいが使ってもいいって言ったよー」
大学かあ。向こうに居たとき、もっと勉強しておけばと思ったことが何度もあった。化学、物理、機械工学とか。だからって今更大学に通ったところで何になる? やり直すことはもうできないし、好きなことももうできない。すべて失った。
「アオイの留学費用くらい俺が払うよ、父さん。今まで家族には迷惑かけてきたからね」
「やった!」
だが絶望して泣きくれていてもなんにもならない。俺はお金の使い道も思いつかないが、家族が使いたいというのなら喜んで分けよう。
「ただし、どこに行って何を勉強するのか、ちゃんと計画を立てて俺とか父さんに見せろよ。もし遊びたいだけならやめとけ。それなら次の休みにでも海外旅行に連れて行ってやる」
妹ちゃんには俺のように後悔してほしくない。
「もちろんちゃんと勉強するよ!」
妹ちゃんは嬉しそうだ。
「父さんと母さんも、お金が入ったら温泉にでも行こうよ」
「あら、いいわね」
「しかしマサル、あまり無駄使いは感心せんぞ」
「無駄じゃないよ!」「無駄じゃないわよ!」
「そうそう。週末に一泊二日とかならそんなにお金もかからないし」
食事をしながら母さんと妹は楽しげに留学や温泉旅行の計画を話し合っていた。父さんも軽く反対はしてみたものの、それを機嫌良さげに聞いている。
俺は適当に相槌をうちながら自分の考えに耽る。俺はあの時死ぬつもりだった。リリアやエルフたちも全滅するところだった。それがどちらも生きている。それで良しとすべきなのだろうか。
神様の最後のメッセージ。勇者の人生に幸あらんことを。
一〇億円ももらったことだし、異世界のことなんか忘れて、日本で幸せを求めるのか? そんなことができるのか?
色々考えることがあると、夕食が終わるとさっさと部屋に引きこもった。向こうで骨を埋めるつもりだったのだ。子どもももうすぐ生まれるところだった。
ぎゅっと拳を握りしめて改めて思う。貧弱な体だ。まずはここをどうにかしよう。もしサティたちに再会できても、こんな貧弱な体じゃがっかりされてしまう。
俺が泣いたところで何になる? 日本に戻ってめそめそと泣いている俺を知れば、嫁たちはどう思う? 今はできることをやっていくしかないのだ。
すぐにジャージに着替えてちょっと走ってくると言って家を出た。しかし走り出して一〇〇メートルもしないうちにもう息が切れてきた。
何だこれ。こんなにも体力がなかったっけ? だが思えば異世界の最初の時も初期からスキルやステータスで体力の底上げがされていたのだ。これが俺の元々の体力だ。嘆かわしいがこれも現実だ。
それでも修行や実戦に比べれば多少の苦しみも大したことはないと、ペースを緩めつつも走り続けた。
だけど、うん。無理なものは無理だった。夕食後なのもあってすぐに気分悪くなってきた。仕方ないのでウォーキングに切り替え、ぜえぜえと息をしながら目的地である河川敷に到着した。本当はここから河川敷を更に走るつもりだったのだが、もう限界である。こんなんじゃ戦う以前の問題だ。徹底的に鍛え直す必要がある。
戻れる可能性はあるはずだ。もしかすると神様が再び勇者を必要とするかもしれない。
ぶらぶらしているうちに目当ての手頃な木の棒を見つけて手にする。軽く振るう。剣術の記憶、戦った経験も当然すべて残っている。サティの相手をすることを想定して試しに動いてみた。
それはなんともぎこちない動きだった。イメージとかけ離れた違和感だらけの動作。まるで一〇年ぶりに剣を握ったかのように完全に腕が、体が錆びついていた。
筋肉がなくなったせいか、それともスキルが消えたせいか。おそらく両方だろう。ここから以前の状態に戻すのは相当難しそうだが、だけども俺には他にすることもないのだ。
喉が乾いた。水ぐらい持ってくるんだと思ったがちょうどいい。その場で地面にあぐらで座り、目を閉じる。水がほしい。水を作る。欲求は魔法を使う強い動機となる。
この世界に魔法はない。ないはずだ。昼間試した時も魔力は微塵も感じられなかった。だが生きていれば必ず魔力を持つというのがあちらでの定説だった。魔力が感じられないのは魔力感知が眠っているからだ。魔力の扱いは体の髄まで染み付いている。息を吸うように毎日毎日魔法を使っていたのだ。
深呼吸しながら気持ちを落ち着け、体内にあるはずの魔力を探る。しばらく集中してみたが、やはり何も感じられない。まあそんなにすぐできるならこの世界にも魔法使いはありふれた存在になっていたはずだ。
ここと異世界は何が違うんだろうか? 魔法使いという概念は創作ではありふれたものだ。ありふれすぎている。おそらくこの世界にも魔法使いは居るか、かつて居たのだ。ではなぜあんなに便利で万能な魔法がこっちでは普及しなかったのか?
異世界では最初の段階で神様から魔法を使うようにと与えられた。この世界ではきっと誰かが偶然見つけただけなのだろう。魔法使いが少なくノウハウもない状態で、後継を育てようにも魔法使いになれる素質は異世界でも一〇人に一人と言われるほど少ない。すぐに断絶してしまい、そうして伝説だけが残ったのではないだろうか。
んー、それにしても魔力は感知できないし、クリエイトウォーターももちろん発動する気配もない。
何が悪いんだ? 最初はどうしてたっけ? 確かスキルでいきなり火魔法が使えて、魔力感知はアンに教えてもらったんだった。順番が逆だったのか?
では火魔法を試してみよう。ヒラギスでダークエルフの暗殺に危うくやられそうだった時の記憶を呼び起こす。軍曹殿がやられ、俺へも毒付きのナイフが迫る。麻痺毒で動けなかったが、魔力はあった。そして――
ぽぅ、と小さな火が目の前に灯った。
「お? あ、消えた」
しかしやればできるものだ。偉いぞ、俺。
「火よ」
そうしてもう一度やってみても無事成功した。しかし小さいし、三秒ほどで消えてしまう。
俺は異世界に行った初期からそこそこの魔力量はあったはずだ。今はレベルが低いからか? それとも他に理由があるのだろうか? たとえば異世界で魔法が使いやすい理由があるのかもしれない。スキル的なアシストが、気がついてなかっただけで普通の魔法使いにもあったのか、それとも人種的に魔法に適合した体質だったのか。
あっちに行った俺は複製体ということだったが、スキルやメニューのシステムを追加する時に魔法を使いやすいようにちょっとした改造を加えたとか?
「クリエイトウォーター」
ダメか。何度か試すも水は出せない。
「火よ」
ぽぅ、と相変わらず小さい火だがちゃんと出る。よしよし。魔力感知はまだ眠ったままだがこれは大きな進歩だ。
やることがない? やりたいことがない? とんでもないことだった。
魔法の再習得と剣術の修行と体力作り。化学とか物理も勉強し直したい。月ロケットのための技術や航空機、ガソリンエンジン、モーターとバッテリーの改良。それから音楽もやりたいし、あと料理のレパートリーも増やしたい。
あちらでやりたかったこと、時間と知識がなくて不十分だったことが今ならできる。嫁もいないからそっちに時間を取られることもない。それはとても悲しいことだし、やったとてすべてが無駄になるかもしれない。だけど時間はあるしお金もたっぷりある。
戻れる可能性はきっとあるはず。それがか細い希望だとしても、それに備えて動くことが、いま俺にできるすべてだった。




