270話 そしてエルフの語る三二〇〇年前
「残念ながら、三〇〇〇年前のことはほとんど記録に残っていないのです」
集まっていた希望者の治療をまとめて終わらせ、外街の治療はようやく落ち着きを見せ始めていたところで、先ほどの話でさらっとしか触れられなかった三〇〇〇年前のことを聞いてみた返答である。
「使徒様によりこの世界に紙がもたらされたのがおおよそ二〇〇〇年ほど前でございまして、それ以前のことはわずかな伝承が残るのみなのです」
ただ四種族が神に連れてこられたあたりの話はどの種族も同じ話をしているし、神託によっても間違いのない事実と確認されているという。もっと詳しい専門の研究家もいることはいるが、基本それほどわかっていることはないそうだ。
三〇〇〇年前だものなあ。日本だと三〇〇〇年前だと縄文時代か弥生時代か。化石や土器などの痕跡があるのみで、文字の記録はなかった気がする。いや、文字はあったか? まあ少なくともまともに歴史を知れるような記録は飛鳥時代奈良時代あたりから。確か一五〇〇年前くらいだろうか?
それに紙が使徒によるものという話。薄々感じていたが、この世界は少々文明の発達が遅れているようだ。それは魔物との戦いのせいか、魔法という便利な力があるせいか。とにかく足りない部分や便利な発明なんかを時々、神の手により違う世界から輸入してきたらしい。
神様に聞いたら教えてくれるだろうか。しかし歴代の神託の巫女とかも興味を持っていたはずだし、聞く機会くらい長年でいくらでもあったはずだ。
一応質問は書いておこう。どうせ今日の諸々もすべて日誌に書いておくつもりなのだ。回答があれば儲けものというものである。
「ですから残存する記録は……」
イオン様が言いかけたところでリリアが部屋に転移してきた。歴史の話も興味深いが、イオン様に少し待ってもらってまずはリリアの話だ。
「許可はもらえたのか?」
「父上は賛成じゃったが、さすがにこの時間に人を集めて会議もなかろうと、結論は明日に持ち越しじゃな」
そりゃそうだ。もう夜中だもんな。
「いや、悪かった。その場のノリで呼んじゃったけど、よく考えるとそれほど急ぐ話でもなかったし」
どのみち獣人の候補者を集めたり、エルフ側の準備をするのも明日、皆が起き出してからになる。俺の言葉にリリアも頷き、ソファーの俺の横に座り込んできた。エリーは反対側で、サティたちは護衛なので立ったまましっかりと警戒態勢だ。
リリアがふーと疲れたように息を吐き、俺にべったりとまとわりつくが、気にせずイオン様に向き直る。
「それで記録でしたか?」
話を戻す俺にはいと、平然と頷くイオン様。
「なんの話をしておったのじゃ?」
そう俺の顔の近くで囁く。こんな時にエロい雰囲気出されても嬉しいけど困るんだが。
「三〇〇〇年前からの話を聞いてたんだよ」
ほうと、興味深そうにリリアが促すので聞いた話を簡単に繰り返す。しかし序盤の話が過ぎ、エルフ迫害のあたりに行く手前でリリアがこんな風に言う。
「なるほどなるほど。まあ人間の記録ではその程度のものなのじゃろうな」
「エルフにはもっと詳しい記録があるのか?」
ありそうだ。
「ないではないのじゃが、これはここだけの話にしておいてほしい」
今日は外に出せない話が多いな。体を起こして真面目な雰囲気になるリリアの言葉に、俺もイオン様もコクコクと頷く。
「少し昔の話じゃ。まだ帝国領にエルフが居た頃じゃな」
とある神官がどこかでエルフに古い伝承が口伝で残っていることを知って、それを教えてくれとやってきたのだという。
「それを断ったら、事もあろうに軍を差し向けてきよったのじゃ」
それは撃退したが、その領地の軍と事を構えてはそこにはもう住みづらいと村を放棄する羽目になったのだという。
「我らは別に意地悪や出し惜しみをしているわけではない。伝承を外に出せないのは訳があるのじゃ」
エルフによると、人族がこの地にやってきたのは三二〇二年前のことだという。
「そこまで記録に残っているのですか!?」
そうイオン様が驚きの声を上げる。それにしても人間の記録とかなりずれてるな。
「長命な我らは記憶や記録に対するこだわりが他の種族より強いようじゃの」
確かに紙はなかったが、言葉はもちろん文字はちゃんとあったし、口伝での伝承の継承と、重要な記録は石版や木に文字を書き付ける形で残していたのだという。
「我らは火山の噴火で住処を追われての。人間はひどい水害だったそうじゃな」
獣人も水害だったそうで、ドワーフは黙して語らず。そうして着の身着のままで放り出された四つの種族。ミスリルの地は豊穣ではあったが、何もない状態で数千人の人族を長く養っていくには十分ではなかった。
「早急に生活環境を整える必要があったのじゃが、いかんせんエルフ以外はただの蛮族であった」
言葉はなぜか通じたが、文字も持っていない。ろくな技術もない。神に与えられた魔法も、いきなり使いこなせるものでもなかった。
「文字を教え、家の作り方から鉱石の精製方法、作物の栽培まで、ありとあらゆることを我らエルフは教えねばならなかった。どうじゃ? あまり聞きたくなる話ではなかろう?」
亜人と蔑んでいたエルフがこの世界の文明の基礎を築いた。人間はただの蛮族だった。確かに危険すぎる話だ。人間がどんな反応を示すやら。
「人間はこの話を素直に受け入れられるか? 教えたくもない話を無理やり聞き出しておいて、文句を言われてはたまらぬというもの。それならば知らぬと追い返すほうがマシじゃろう」
その時は地方領主の軍くらいで済んだが、もしその神官を受け入れて話が広まった場合どうなっていたか。エルフを排斥する火種になった可能性は高い。
「これはマサルが居るからこそ、マサルに知っていて欲しいからこそ話すことじゃ」
もう一度イオン様たちに口止めを重ねて約束させ、リリアはようやく話を再開した。
「人間は簡単な農業くらいは行っていたようじゃの。獣人とドワーフは完全な狩猟生活者じゃ。我らは初期は固まって暮らしておって、エルフが四種族の輪から外れるのはもう少し後のことじゃな」
なにせ開墾や村作りは重労働。体力のないエルフ独力でやるには時間がかかるし、数千人を早急に養うためには知識の出し惜しみなどしている場合ではなかった。
「人間も獣人もドワーフも、蛮族なりに緊急事態だとわかっておって協力的であった」
初めて顔を合わしたにも関わらず、最初の頃は軋轢はほとんどなかったという。やはり神の存在が大きかったのだろうか。
獣人は巧みに狩りをし、そしてドワーフが物作りに適正を示したのは嬉しい驚きだった。人間もよく働き、なんとか生活できる基盤を整えていく。
「物事が順調にいくと素の性質が出るのかの。人間どもがエルフにちょっかいをかけてくるようになったのじゃ」
ちょっかいというとなにやらかわいい表現だが、要は攫って慰みものにしたのだという。
「法も持たぬ蛮族じゃったからの。罰しても罰しても後を絶たぬ。まさか一々殺すわけにもいかないと、甘い罰にしたのも悪かったのかもしれぬな。仕方なしに我らは住処を分けることとなった」
人間にとってエルフに抗いがたい魅力であるのだろうか。エルフは美形揃いだし、エルフの里近くの砦へも、エルフを見たいという人間が集まってきていた。
人間を筆頭に四種族は順調に繁栄したが、それからもちょくちょくエルフに教えを請いにやってきたのだという。エルフとしても人間たちが強くなるのは歓迎だった。なにせその頃には他の敵対種族、魔物の存在が明らかになっていたからだ。
野蛮、蛮族などという言葉が生ぬるい、人に似た姿をしてもまったく言葉も通じぬ凶暴な野獣。数も多く、個々の戦闘力も侮れない。まだまだしっかりと協力せねば四種族は生き延びられなかったのだ。
それでも初期の頃はまだ少し離れた別の場所に村を構える程度で仲も別に悪くはなかった。
しかし人間の勢力が強くなるにつれ、その態度は尊大になる。要求も多くなる。それに応じて人間とともに働いたり戦ったりすると、ちょいちょいちょっかいをかけられる。蛮族気質はなかなか抜けないらしい。
「それがなんじゃ? まるで我らが望んで人間たちから離れて暮らしたなどと」
そしてまた長い年月が過ぎ、人間もエルフも生活基盤が完全に安定してきたので、エルフはトラブルを嫌い結局は袂を分かつことになった。
それでもエルフはもっと人間に協力せよ、みたいに言ってくることがあって、過去の歴史、エルフが人間と離れて暮らすことになった経緯を懇切丁寧に教えたのだという。エルフは人間の発展に十二分に貢献してきたのだと。
文字も持たない蛮族だったいう事実と性犯罪者扱いに人間たちは激高し、そしてやはりエルフはその村を引き払うことになることが多かった。なにかあるたびに辺境へ辺境へと逃れていくことになるエルフである。そういう運命なのだろうか?
「我らと長年離れて暮らし、ちゃんと自立してやっておる間に文明を教えられたと言う事実はすっかり忘れさられていたようじゃの」
最初から文明を持ち、一貫した歴史を記憶してきたエルフと違い、一から文明を築く。文字を教えられたばかりで紙もまだない。そして魔物の脅威。人間にはのんびり歴史を振り返ることや記録することに力を注ぐ余裕などなかったのだろう。
それとも不都合な事実だからあえて目を背けたのだろうか。実際、紙を始めいくつかの先進技術は人間から広まったものであるし、空間魔法なんて便利なものも開発した。人間がエルフに劣っていたなどと認めることはできなかったし、純粋に三〇〇〇年も前のことなのだ。記録を残したり後世に伝えたりすることは難しかったことだろう。
「それでも人間がおらねば我らは魔物に押し潰されていたことじゃろうし、過去のことは過去のこと。人間が不愉快だというのなら口にだすこともない、そう考えておるのじゃよ」
俺の元の世界でも進化論は評判が悪かった。人間の祖先がサルであるというのは、ちょっと受け入れがたい話なのだろう。いや、これは俺も黙っていよう。俺がそんなことを言ったところで、この世界では化石などの証拠がまったく出ないだろうし、袋叩きにあいそうだ。
「少し長々と話してしまったの。妾はそろそろヒラギスに戻るとしよう」
「あの、今の話は記録もあるのでしょうか?」
立ち上がったリリアにイオン様がそう尋ねる。
「さてな? 今のはエルフに都合が良いだけの話、あるいはただの妄言か与太話かもしれぬぞ?」
そう言うと俺たちに手を振り、転移していった。そうは言ってもリリアの話とイオン様の話には大きな矛盾はないようだった。まさかリリアが咄嗟にでっち上げたともエルフが嘘の歴史を記録するとも考えづらい。信憑性は高いだろう。
「過去のことは過去のことです。エルフの判断は賢明だったと思いますよ」
リリアの転移を未練有りげな感じで見送っていたイオン様に言う。知ったところで特に役にも立たない知識だ。それで人間とエルフの間に軋轢を作るのは賢い行いではないだろう。
「そう……きっとそうなのですね」
そのうちまた聞く機会くらいはあるだろう。暇があれば。暇ができれば。
ちょっと話し込んだから次の治療がだいぶ溜まった頃だ。話の切りもいいので、よっこらしょと立ち上がる。助かるのは仕切ってくれている神官が、何の指示もしなくても勝手に進めてくれていることだな。お陰でこんな雑談をしている余裕がある。
「ちょっと試してみましょうよ! 魔力のやつ!」
また治療をし、戻ったところでエリーがそんなことを言い出し、俺のほうへとにじり寄ってきた。そしてあまり暇だと要らぬ考えを持つこともある。
「いや、待て待て。エリーはダメだ!」
「なんでよ!」
「お前、繊細な魔法操作って苦手だろ!?」
たとえばポーション作りなんかは繊細な魔法操作が必要となるのだが、昔できずに諦めたらしい。そして得意なのは魔法を最大火力でぶっ放すこと。そんな女に繊細な魔法操作とか任せられるか。
「そうだけどー」
俺がやるからと言うと、手を出すエリーだったが、思いついてもっと体の中心部のほうがいいんじゃないか提案してみた。手のような末端より、体の真ん中部分のほうが魔力が多くてうんぬんかんぬん。
説得に成功して、エリーのお腹にするりと手を差し入れる。やることはやっている関係であるが、こういうのもドキドキする。
「ちょっと。手付きがいやらしいわよ?」
エリーのお腹が柔らかくてすべすべなのが悪いのだ。
「ごめんごめん。集中する」
どんな感じだろう。なるべく慎重に。ゆっくりゆっくりと魔力を、手から滲み出るように放出……
「んっ」
「ちょっと。変な声出さないでもらえます?」
魔力を止めてエリーをたしなめる。えっちっぽい声を出されるとさすがに集中が乱れてしまう。
「マサルの手がくすぐったいのよ」
「お腹はダメそうだな。やっぱり手でやろうか?」
そうねと頷くエリーはちょっと顔を赤くしている。エロい感じにやろうというのは間違いだったようだ。
考えてみれば下手したら体を破壊するような行為なのだ。お腹で試すとか危険だったかもしれない。それにすべすべの手も気持ちいい。いいのだが、これ以上のお遊びはダメだろう。
真面目にやろう。集中。
「どうだ?」
「魔力が通っている感じはしないではないけど、よくわからないわね」
まさかと思うが、たまたま十二分の一の適合を引いたのか? そう思ったがまだわからんと、じわじわと魔力を増やしていく。
「あ、これ以上強くするとちょっと苦しいかも」
エリーがそう言うので魔力を停止する。
「魔力が通ってる感じはしたわね。マサルのほうはどう?」
「うーん、微妙すぎてよくわからん」
魔力の反発が少なかった気もするのだが、ちょっとでも強くするとエリーが苦しいと言ったし、比較対象がないことには分かりづらい。
そう思ってサティにも同じように試すが、また似たような感じだ。続いてミリアムにも試すが、またも似たような感触しか得られない。もっと強くしたがほうがいいのか? だがエリーが苦しいという以上の魔力の放出は危険な気もするし。
「やっぱ素人には難しいのかもしれん」
そしてワシもと師匠がやってきて試したところ、ようやくはっきりとした魔力の反発が感じ取れた。序盤にゆるゆるとした魔力を流しただけで、軽い反発というか、魔力の乱れのようなものが感じられる。微妙な感触だが、はっきりとした差異がある。
「エリーとサティ、ミリアムとは魔力型が同じようだ。師匠は違う、と思う」
イオン様と護衛の二人も試させてもらった。すると三人ともに明確な反発があった。
「偶然、かしらね?」
十二分の一が三人連続。偶然か? しかも加護付き。イオン様は除外するべきだろう。初対面で加護が付いたのだ。魔力型もなにもない。
「アンとティリカは合うかもしれんな」
シラーちゃんとリリアは微妙だ。ルチアーナとシャルレンシアもどうだろう。
「魔力型が合えば相性もいいってことなのかしら?」
魔力の反発があれば体を重ねた時、あるいは近くに来た時に多少の不快さを感じる? しかも魔力が強く、魔力感知があれば尚更? 魔力型が合えば心地よさを感じるとか?
しかしだ。普通にしてる分には魔力の放出はほぼないはずなのだ。あるにはあるのだが、意識しての魔力の放出が水流だとすれば、それはそよ風にも達しないレベル。それで不快さを感じるとすれば、人族は魔力型が合う十二分の一以外、お付き合いも難しくなるはずだ。
エリーの手を挟んで魔力を感じ取ろうとする。やはり何もしない状態では魔力感知によって魔力の存在を感じられる程度。そこに快も不快もない。魔力は明確に意識しないと出せないし、集中しないと簡単に乱れるから、何かしている時に無意識に出るなんてこともないだろう。
「もしかしすると特別魔力に敏感な人なら何かの影響があるかもしれんが、でもはっきり言って関係ないと思う」
サティは初対面でいい匂いがしたって言ってたな。しかしサティに魔力感知はなかった。魔力型が体質に関連する可能性がある? 自分と似た体臭や体質を心地よく感じるとか?
「い、いたああ!?」
突然の手の痛みに思わず叫び声を上げる。
「あら? 少し強すぎたかしら?」
こいつ、やるなって言ったのに魔力を流しやがった!
「次はもっと慎重にやるから。もう一回、ね?」
ね?じゃねーし。絶対無理だ。無理だと思うがかわいくおねだりされて渋々手を差し出す。俺がやらないとサティたちで試しかねない。
「いいか、エリー? 魔力はイメージだ。魔力を放出するんじゃない。手からじわじわと滲み出るようなイメージを……っていたいって!」
「ご、ごめんね? おかしいわね……」
なんでそんなにすぐに魔力を流そうとするのか。じわじわと言っただろうに。
「エリーはもう二度とやるな」
えー、と不満を漏らすエリーだが、ただでさえ魔力の強いエリーが雑に流す魔力である。魔力型が同じはずの俺でさえ痛みを感じるのだ。魔力型が違えばどれほど人体にダメージがあるか。
しかしなるほどな。繊細な魔力操作ができない魔法使いがやるとこんな感じなのか。エリーも魔力操作自体は十分熟練していると思うのだが、普通の魔法を扱う感覚とは大幅に違うのだろう。
「いまエルフの里でポーション作りの講習会をやってるよな。エリーもそれに参加してきたらどうだ? エルフから魔力操作のお墨付きがもらえたらもう一度試してもいいぞ」
「ポーションは繊細な魔力操作がいるから苦手なのよね」
ちょっと何を言っているのかよくわからない。
「ほ、ほら。ポーションはダメでもこれなら上手くいくかもって思ったのよ」
俺は首を振って言った。
「死人が出るぞ」
「出ないわよ! で、出ないわよね……?」
どうかな。でも俺では二度と試さないでほしい。




