166話 支援物資
結局エリーの実家へは、エリーとリリア、サティだけで行くことになった。エリーたちは向こうで二泊する予定だ。
居留地を出た時よりさらに体調が悪くなっている俺は当然留守番。行くだけなら大丈夫だが、どのみち仕事はできない。それと俺をしっかり見張るため、そして護衛の増量も兼ねてシラーちゃんに加え、ティリカとウィルまで屋敷に留まった。
村は変わりなく平穏である。結局オークが一匹紛れ込んだだけで、それもすぐに退治された。倒す際に跳ね橋が壊れてしまったが、人的被害はゼロである。
あのオークキングの戦闘力を考えるに、村に入り込まれればかなりヤバい事態になったかもしれないし、もしエルフのような戦闘力のある集団がいなければ村はあっさり壊滅したかもしれないが、そんな話はわざわざ村人に知らせて不安がらせる必要はない。
このちょっとしたハプニングも我が村の観光業に悪影響はなかったようで、村は相変わらず人で賑わっているそうだ。ここはかなりの辺境なので、魔物の出現くらいは日常茶飯事なのだろう。
念のためエルフの部隊が派遣され、村の周辺地域を見て回っている。村の警備のエルフも増員された。
移住してきた領民には元の村で自警団に参加していた者も多く、自警団の編成は順調にいきそうだが、今しばらくはエルフ頼りだろう。エルフにはほんと頭が上がらない。
オークキングが出た翌日の午前中はひたすら寝て過ごし、ティリカが添い寝してくれた。シラーちゃんはといえば、フル装備の臨戦態勢でベッド脇に控えている。
村の警備も増えたしティリカもウィルもいるしで、シラーちゃんが無駄にがんばる必要なんかないはずなのだが、万一があるとか言って一緒に寝ようと誘っても聞いてくれない。
「マサルはこの世界の希望。絶対に失われてはならない」
「はい、ティリカ姉様」
ティリカはまた煽るようなことを。
「あの、あまり大ごとな感じに言うの止めてくれませんかね……」
「だけどこんな風にメンタルは弱いし、血は流すし倒れるし、ごくごく普通の人」
「普通……?」
シラーちゃんは普通と言われて、かなり困惑した様子である。
「そう、普通。加護で力を得ているだけで、わたしやシラーと何も変わらない」
「でもティリカ姉様は真偽官だ」
「わたしの家は貧乏で、真偽院にこの身を売られた」
シラーちゃんと何も変わらない。むしろ売られてすぐにうちに来れただけシラーちゃんは幸せなほうだな。サティだって結構な期間売れ残っていた。
「今だって真偽官ってだけで、人から避けられて結構苦労してるんだぞ」
真偽官になるための修行や施術も大変で、無事なれた後も人間関係は壊滅。食べることが唯一の楽しみだったらしい。
「だから家でくらい普通に暮らしたいし、マサルもそう」
うんうん。そのとおりだ。
「シラーはうちに来て楽しくなかった?」
「……みんな良くしてくれたし、こんなに強くなれたし楽しかったです、ティリカ姉様」
「マサルを守るのは大事なことだけど、楽しく暮らせないなら意味がない。マサルは強いから、無茶さえさせなければ大丈夫」
そうそう。まったくそのとおりだ。
「これからずっとその格好で護衛してるわけにもいかないだろ? 休む時はしっかり休まないといけないし、休む時くらいもっと楽しんでいいんだ。ほら、たいがもシラーに構ってほしそうだぞ」
たいがが俺の言葉に反応して顔をあげ、ぐるるるると喉を鳴らした。それでシラーちゃんもようやく警戒を解いて、鎧を脱ぐ気になったようだ。
「マサルも。普段はわたしたちに一人になるなって言うくせに、シラーを置いていっちゃダメ」
「はい、すいません」
だがシラーちゃんはずっとごろごろしているのにも飽きたようで、ウィルと雌雄を決しに道場へ行った。やはり体を動かすのが好きなようだ。俺が元気なら一緒に体を動かすのに。
入れ替わりにエリーの転移でアンがやってきた。離れるのも一週間程度なので、居留地の別宅を転移のベースにして伝言のやり取り程度はする手筈だったが、さすがに俺の様子を見ないで済ますわけにはいかなかったようだ。
エリーは俺の顔だけ見てとんぼ返りである。実家に滞在できる時間が少ないから忙しいようだ。アンはお昼は屋敷でゆっくりできるそうだ。
「こっちは順調よ」
アンはひとしきり俺の容態をチェックしたあと、居留地の様子を簡単に教えてくれた。孤児院は何人かスタッフを雇ってきちんと子供たちの面倒が見れるようになり、ゴケライ団の訓練も問題なく進められている。
順調ではないのは俺の方である。面目ない。
「でもマサルが思ったより元気そうでホッとしたわ」
「怪我で休養も慣れてるからなー」
野うさぎにハーピーに、エルフの里にラザードさん。軍曹殿の特訓もきつかったし、細かい怪我は数え切れない。回復魔法がなかったら常時入院してるペースだな。異世界はほんと過酷だわ。
「マサルは怪我をしすぎ」
横にいるティリカが言う。それはそうかもしれない。でも俺みたいな何の取り柄のない人間が、いきなりバトル展開に巻き込まれて死なないだけで上出来だと思うんだ。
「それよりも神官服をダメにしちゃったんで、代わりがほしいんだけど」
「ダメにしたやつはどこ?」
そういえばどこにやったんだろう?
「リリアが持っていった」
そうティリカが教えてくれる。
「サティじゃなくてリリア? リリアは裁縫はできなかったよな?」
「記念に保存しておくって言ってた」
リリアは何やってんだ……
「ええっと、じゃあ新しいのは手に入れておくわね」
「お願いします」
無料じゃないだろうし、お金は渡しておこうか。お小遣いは少なくなったが、オークキングで少しお金は手に入るし、予備をいれて二着ほしい。
お金を出そうとメニューを操作していると、アイテムボックスに入れた覚えのない物が入っているのに気がついた。
「支援物資?」
そう名前がついている箱が三つ。そういえば昨日、神様に米を頼んであったな。ノート……いやまずは支援物資が何か確認してみるか。
「どうしたの?」
俺のつぶやきに反応してティリカが尋ねてきた。
「神様から何か送ってきたみたいだ」
「ええっ!?」
大げさに驚くアンは放っておいてティリカに体を起こしてもらい、ベッドの上に出してみると、支援物資はかなり大きい無地の段ボール箱だった。さて何が入ってるんだろう?
「変わった材質」
ティリカがペタペタ触って、首を傾げて言う。
「ダンボールっていう紙だよ」
ベリベリっとガムテープをめくり中身を見る。
おお、お餅だ。切り餅のお徳用の大きい袋が二袋入っている。その下は米だよ、米! 茶色い紙の袋が三袋。それぞれ違うブランドだ。二〇kgが三つで六〇kg分。
ほんとに貰えるとは、言ってみるものだなー。
「何が入ってたの?」
覗き込んでいるアンがそう聞いてきた。
「米だよ、お米! ほしいって書いたら送ってきてくれたんだ!」
「ああ。マサルがずっと食べたいって言ってた……」
次の箱には醤油のペットボトルにお味噌。赤味噌に白味噌、合わせ味噌と色々入ってるな。ちゃんと出汁の素の箱まである。
それからインスタントコーヒーにポテチ。コーラの六缶セットが二つ。チョコレートが箱で。チョコパイに柿の種。きのことたけのこのチョコまで。箱の底に日本酒の一升瓶が二本あった。
最後の一箱にはカップ麺にカップ焼きそば。袋麺にレトルトカレー! 梅干しにたくあんに味付け海苔。辛子明太子とふりかけが何種類か。カレー粉の缶まである。
それにこうじ? 麹か。パッケージに味噌や甘酒、漬物にと書いてある。
へー、これで味噌もお酒も両方作れるのか。
そして冊子が一冊入っていた。パラパラとめくると味噌と醤油、日本酒の製法が日本語で図解入りで印刷されている。
えらく豪勢な支援物資だ。どういうことなのかと日誌ノートを取り出して見ると返事が書いてある。
支援物資は定期的に届けてくれるそうだ。要望があればある程度応じる。種籾はヒラギス奪還クエストの成功報酬でか。
しかし結構気軽に物資のやり取りができるんだな。まあ神様なんだからなんでもありなんだろうけど、俺もちょっとだけ向こうに戻れないかな。日本で一日買い物して、アイテムボックスに満載して戻りたい。
「見たことない物ばかり」
「全部食べ物だよ」
ごそごそと支援物資を調べていたティリカが呟いたので答える。
「これが全部」
そう言うティリカの声が僅かにうわずっている。きちんと包装してあると、確かにどれも食べ物には見えづらいな。
ティリカは箱と俺を交互にちらちらと見ている。食べたいんだな。
「どれか開けて食べてみるか」
「そんな恐れ多い!」
「いやいや、アンジェラさんや。どれも俺の世界で普通に売ってるのばかりで全然恐れ多くもないから」
アン的には祭壇に飾って祈りでも捧げるのが正解なのだろうか? まあ神様からの貰いものだし、すわ神器かと思うのもわからないでもないけど。
あんまり食欲がないが、コーラなら飲めるか?
コーラの紙のパッケージを破って赤い缶を一本取り出す。
「これはコーラという甘い飲み物だよ」
プルタブをプシュッと開けて、一口。
久しぶりのコーラだ。甘みと強烈な炭酸が体に染み渡る……
もう何口か飲んで、ティリカに渡す。
「エールよりしゅわしゅわするから、ゆっくりな」
くぴっと一口飲んだティリカの目が見開かれた。なんだこれ!? という風に俺を見る。
「俺の世界でもかなり人気のある飲み物だよ。こっちにはない味だな」
「おいしい」
「そうだな。すごく美味しい。アンにも飲ませてやれよ」
しかしこんなのでもこっちに持ち込んでいいのか。ならもっと他のも頼めないかな。
「マンガの続きが読みたいな。次の支援物資で頼んでみようかな」
「マンガって?」と、アン。
「俺の世界の本なんだけど、話が途中だったんで続きが読みたい」
「あんまり我儘を言って神様を怒らせてはダメよ」
神様関連とはいえ、アンは大げさだな。
「言ってみるくらいきっと平気だよ」
「神様を怒らせると天罰が下る」
そうティリカも言う。
「天罰?」
天罰とは穏やかじゃない。
「昔、神様の怒りに触れた愚か者が居た。子供の頃から聞かされる、誰でも知ってる話」
当然俺は知らないのでティリカが話してくれることになった。どうせ時間はたっぷりある。
「はるか昔。王国がなく、帝国も今ほど強大ではなかった頃」
ある時、一人の神官が神託をでっち上げた。その神官を街の領主にせよだとかなんとか。
領主の後継者争いが起こっていて、その後継者のうちの一人の美しい貴族の娘に懸想していたらしい。
「真偽官はどうしてたんだ?」
「真偽院はできていくらも経っておらず、あまり大きい組織ではなく、調べる権限がなかった」
領主に収まったその神官は偽神託が上手くいったのに気を大きくしたのか、好き放題やりだした。税を不当に取り、女を囲う。望む嫁さんをもらったのにひでーやつだな!
さらに神託をでっちあげ、周辺の領主や国に貢物を要求し、贅沢三昧酒池肉林の生活をやったそうだ。
「俺のお願いはどれもごくごく普通の物で、贅沢三昧でもないし酒池肉林でもないぞ」
それだけは言っておかねばなるまい。
その酒池肉林も長くは続かない。そこに本当の神託を受けた神官がやってきて言った。
『神はお怒りだ。このようなことはすぐに辞めよ』
神の名を騙る不届き者だと、本当の神託を告げに来た神官は、その場で斬り殺された。
まあそうだな。嘘の神託だと知れたら、どのみちそいつに未来はない。
「その瞬間、神の怒りがその街に落ち、街はまるごと消滅した」
「マジかよ」
過激だな。神様激おこか。いや、街がまるごと? まるごと!?
「住人は……?」
「誰も」
そう言ってティリカは首を振った。もろとも全滅か……マジ容赦ない。
「そこは今、湖になっている」
その顛末は神託により広く知らされ、以後神託があれば真偽官が調べ、偽だとわかると即処分された。下手に放置すれば巻き添えである。容赦など出来るはずもない。
「そのことで真偽官の権力が強くなった」
神殿だけでなく王や貴族まで、あらゆる人や場所を調査することが可能になったそうだ。
「だからマサルも、神様にもう少し敬意を払ったほうがいいのよ」
一緒に話を聞いていたアンがそう締めくくった。
「ハイ、ソウシマス」
いやこええよ神様。洒落にならんわ。
うーん。でもあのマンガの続きだけは読みたいなあ。
もしかすると今回俺が死にかけたからご褒美だったのかな? 野うさぎにやられた時も指輪を貰えたし、次に何かあった時に頼んでみてもいいかもしれない。
まあ支援物資は今後も貰えるし、今回はこれで十分だ。十分すぎる。贅沢三昧や酒池肉林は自力でどうにかすることにしよう。
「神様がくれたんだ。大事に食べような」
コーラの最後の一滴を飲み干して、未練がましく缶を覗き込んでいるティリカにそう言っておく。
みんなで食べるとすぐになくなりそうだが、神様の仕送りを遠慮なしにぱくぱく食べる不心得者は居るまい。
その日の昼ご飯。アンに作ってもらった出汁の味のするおかゆは、泣きそうになるほど懐かしい味がした。
■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■
翌日の昼頃にエリーたちが戻ってきた。エリーの実家の開拓はエリーが出来る範囲で進めたようだ。といっても農地開拓魔法以外はエリーができるし、農地は秋の麦まきまでに拡げればいい。
まあ余所の家のことは置いておいて、いま重要なのは我が領地の味噌と醤油作りである。日本酒は米の栽培が始まってからだ。
ヒラギスの報酬や醤油や味噌の生産を俺が勝手に決めたことに関しては、特に異論も出なかった。確実に儲かるだろうし、何より神様からの贈り物だ。
「でも作るのに人が足りないわね」
そうエリーが言う。何しろみんな農業や商売のために移住してきたのだ。ただでさえ自警団や森の伐採と、村で要求される仕事も多く、余ってる人材などまったくと言っていいほどいない。
かといって外から人を募るのもレシピを得た経緯を考えると、ティリカが居るとはいえ知らない人間は引き入れたくない。
そこでリリアの提案で、まずはエルフに試作してもらうことにした。いや、ほんとにエルフには頼ってばかりだな。
「やることが決まってない若者を回してもらおう。上手くいけば若くして親方じゃ」
なるほど。一〇〇年は修行が必要なのが、一年か二年で業界の第一人者になれるとあれば魅力的だろう。
それで醤油と味噌、それぞれに二人か三人という話でリリアにエルフの里へ戻って募集をかけてもらったところ、翌日には数十人も集まってしまった。
「神様からもたらされたレシピと言うと我も我もと集まってしまってな」
あー、うん。その言い方は間違ってはいないが、俺の故郷じゃ普通の食品だから……
とりあえず試食に具なし味噌汁と、具だくさんの豚汁。醤油は醤油ベースの色々煮込んだ鍋に、醤油で下味を付けた唐揚げを提供するとなかなか好評で、そのままほとんどのエルフが味噌と醤油作りに参加することになった。
まあ完全手作業になるし、人数が多いほうが量産が出来ていいだろう。
だがやはりいざ作るとなるとそう簡単にはいかない。作り方の冊子は元が日本語なので、昨日のうちに俺が翻訳しつつ、サティとティリカに書き写してもらったのだが、数十人に対して二部しかない。
用語もこっちの人には馴染みがなかったりする。俺もうろ覚えの知識しかない。
用意する食品や道具や手順の確認を何度もする。菌も知らないから、一番重要な麹の増やし方や温度管理。雑菌が混ざらないように清潔な環境も重要だ。
その日は作り方の説明と、必要な設備や準備の相談だけで半日が潰れてしまった。
なにせ麹が一袋しかなく、失敗が許されない。要望を出せばまた送ってくれるのだろうが、天罰の話を聞いたあとでは気軽なお願いもちょっと恐ろしい。
本当は俺が自分でやってみたかったが、明日は剣の聖地だ。
もっとお休みがほしいところだが丸三日休養ができて今度こそ体調はよくなっている。血を失ったことでまだ少し疲労感はあるが、魔力酔いに関しては完治したようだ。
いよいよ剣の修行が始まる。始まってしまう。




