157話 強さを望んで
「子供たちはどうなんでしょうね、マサル様」
湯船に浸かりながら俺の足をマッサージしているサティがそう聞いてきた。
シラーちゃんには俺の頭を胸に乗せて上半身を支えてもらっている。だらーんと力を抜いてお湯に浮いた状態で、実に極楽だ。疲れた体にとても気持ちいい。
「んー、そうだなあ」
そもそもがまだ忠誠うんぬんを問える段階でもなく、保護者の許可を取って再度集まってきた子供たちを冒険者見習いということにしてやっただけだ。
「すぐには難しいだろうな」
やはりサティのケースが奇跡だったのだろうと、俺はそう思い始めている。
辛い経験をしてきたとはいえ、子供たちには面倒を見てくれる保護者がいて仲間もたくさんいる。
サティは親に売られ奴隷仲間とは引き離される運命で、主人に仕える以外の道はなかったのだ。
だが奴隷にしたところで、恋人を故郷に残してきたり、シラーちゃんみたいにこれも運命と、しごくあっさり主人にもらわれたりもする。
「子供たちが強くなりたいのは、祖国を自分の手で取り戻したいからだろう? それが俺への忠誠になるのかっていうと……」
ヒラギスを奪還して彼らを本当に救うのはこれからなのだ。いま彼らに忠誠を期待するのは多くを望みすぎだろう。
「強くなりたいというのと、主殿への忠誠は確かにまた別物だな」
シラーちゃんが上から俺の顔を覗き込んで言った。心当たりがあるのだろう。
「でも方向性は間違ってないと思う。中には俺のことをすごく気に入る子もいるかもしれないし」
物資も提供したし色々見せもした。やった分だけずいぶんと懐かれてはいる。
「まあ加護がどうなるにせよ、鍛えてやって損はないしな」
明日はなるべく子供たちに時間を割こう。冒険者ギルドの用件はエリーがすっかり手筈を整えているからさほど時間はかからないはずだ。
戻ったら獣人の家を追加して、自分たちの修行も当然シラーちゃんはやりたがるだろう。まあ明るいうちはがんばって働こう。夜はこうやって楽しみがあるんだし。
「そういえばサティ、今日の俺との対戦だけど」
ふと昼間のことが気になって聞いてみた。
サティが石ころを踏んで俺が勝ったんだが、それが果たして俺に勝ちを譲るための作為的な行動だったのか? それともたまたまだったのか?
「あんなミスしちゃって恥ずかしいです」
サティはそう言って、ぶくぶくとお湯に顔を沈めた。
「じゃああれはほんとにただのミスだったのか……」
サティが顔上げてよくわからないという風に首をかしげた。
「主殿はサティ姉様がわざと負けたのではないかと言ってるんだ」
後ろからシラーちゃんがずばりと言った内容に、サティは本気でびっくりした顔をしていた。
「わたしはマサル様が本気を出せと言えば絶対に本気です。手を抜いたことなんて一度もないですよ!」
「あそこで俺が勝つのには意味があったし、石を踏んだのはサティらしくないミスだなって少し思っただけなんだ。いや、変なこと言って悪かったな、サティ」
確かにサティが本気を出せという俺の言いつけに従わないわけがないし、自分の判断だけでそういった偽装もしそうにない。
「そもそもですよ。マサル様のほうが強いんですから、わたしはもっと負けていてもおかしくないんですよ」
ちょっと不満そうにサティが言う。
「いやいや、剣はサティのほうが上だろう?」
俺の勝率は三割といったところだろうか。いくらサティが俺のことを過大評価しても、数字が強さを物語っている。
「剣でもマサル様のほうが絶対に強いはずなんです。本気のときだって、本当に本気にはなってないですよね?」
「それはあるな。主殿が手を抜いてるとは言わないが、大会の時に比べると気合の入れ具合がずいぶんと違う」
そりゃ大会の時ほど必死にはなることはないけど。
この話は前にもしたことがあったな。本気を出せば俺はもっと強いはずと。
だが普段から実力を出しきれるのも実力のうちだ。死ぬほど気合をいれれば俺も多少はパワーアップするんだろうが、そんなにほいほい全力を出せるものでもないし、俺のほうが強いというサティの意見はやはり受け入れられない。
「サティだって本気の時でも大会の時ほど全力じゃないだろ?」
サティとて大会じゃあるまいし、手を抜いているとは言わないが、本当の本気ではないはずだ。
「本気の時はちゃんと全力ですよ」
確かに最近のサティは大会の時の動きと遜色ない動き、強さを見せている。
「じゃあ寸止めは?」
サティは俺に対して強く攻撃したがらないし、寸止めは明らかに手加減だろう。
「最近は当たる時もあるじゃないですか。それにマサル様も止めますよね?」
それはそうだな。無理に止めないで当てろって言ってあるから、止め切れない時は当ててきているし、俺だって止められる時は止めている。条件は同じか。
「大会の後、軍曹殿がおっしゃってましたよ。わたしとマサル様が戦えば、どちらが勝つか予想は難しい。大会は組み合わせに運がなかっただけで、マサル様の優勝も十分にあり得たって」
ラザードさんを回避できれば優勝の目もあったかもな。それでもサティとフランという最大の難敵が残るわけだけど、これも潰し合ってくれればあとはあの巨人だけか。
しかし俺とサティの実力が同等? 確かに俺が普段全力かっていうと、そうではないと認めざるを得ないんだが……サティとまともに戦えてるのは覚えた技なんかは共有して、ずっと一緒に練習して動きに慣れているから対応できているだけで、それでも勝てるのは三、四回に一回といったところ。なんとか実力が離されないようにくらいつくだけで精一杯だ。
「軍曹殿はマサル様はもっと練習するべきだって言ってました。そしたらわたしなんてすぐに勝てないようになります」
もっと練習しろとは軍曹殿にしてもサティにしてもちょくちょく言ってくるが、最近は人が増えたから練習量も格段に増えてるし、俺もなかなかがんばってると思う。
「ここんとこは結構まじめにやってるよ」
「はい。だから置いていかれないようにってほんと大変なんです」
あー、俺はずっとサティは俺より強くなれって言ってるしなあ。練習量が少ない俺と腕に差がつかないどころか、同等のままだって思っていたら、それは確かに大変だな。
「なんかごめんな。無茶なこと言って。無理そうならあんまり無理しないでもいいぞ?」
「いえ、わたしもがんばってもっと強くなりますけど、マサル様もずっと強いままのほうがいいんです」
俺のほうが強いという状態のほうがサティとしては望ましいが、俺はサティに俺より強くなれって言ってるからなかなか複雑な心境のようだ。
しかしサティが言うだけなら贔屓目とも思えるが、軍曹殿の言葉もある。
「次に会う時、貴様が私を超えていることを期待する」
そう別れ際言ったのは……本気で期待されている?
サティも贔屓目とか信仰心からじゃなくて、本当に俺のほうが剣でも上だろうと冷静に評価していたってことか?
「もう一度フラン様と、今度は万全の体調で対戦してみたらどうですか? マサル様が本気を出せば互角以上に戦えるはずですよ」
「それはいい。あの試合は不満が残る内容だった」
移動中は魔法ありばかりで、剣だけのガチの対戦ってフランとはしなかったな。痛いのは嫌だし。
しかしもしやるとしてだ。フラン相手ならサティに出せない本気を出せるだろうか?
思い返せば剣で本当に本気だったと言えるのはたった二度。軍曹殿とラザードさんの時のみ。どちらもかなり追い詰められた状況だった。
「そうだなあ。一回くらい試しにやってもいいけど」
「絶対に勝てますよ!」
「そうか? 俺は厳しいと思うけど」
本気ってどうやれば出せるんだろうな。
「間違いなく剣でもマサル様が一番強いんです。わたしはマサル様に嘘なんて絶対言わないですよ」
やっぱりこれって信仰心だわ。
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翌日、朝からみんなが新居を見にやってきた。ついでに朝食はティリカリクエストの魚料理だ。
「今日はこっちに泊まったらどうだ?」
獣人に加護を付けるのに、みんなが居れば地味な俺は埋没しかねないと、昨日は遠慮してもらっていたのだが、さすがにもう大丈夫だろうと、エリーに言う。
アンたちは隣の台所で朝食の準備をしていて、居間兼食堂のここには俺とエリー、フランとウィルだけがいる。
家は目立たないように獣人に作った五軒長屋と外観は同じにしてあるが、長屋二軒分をくっつけてある。転移ポイント用に地下室もこっそり作った。居間や食堂、お風呂にスペースを大きく使ってさほど広くはできないが、全員分の個室もある。とりいそぎ玄関の扉だけつけてもらって各部屋には扉がないが、その程度は問題なかろう。
「そうね。用事が終わったらこっちに移動しましょう」
みんなはギルドの宿舎に一部屋もらって狭い部屋に女性陣五人で、ウィルは大部屋で他の冒険者と雑魚寝だったそうである。
そのウィルは昨日も訓練に付き合わされて、さぞ疲れているのだろうと思ったら、何やら機嫌が良さ気だ。
「いやー、俺ってすごく強くなってたんすねえ」
どうやら昨日はギルドの訓練場でフランと二人で無双してきたらしい。サティがいつもやってるアレか。
まあうちじゃ最弱を争っていたし、強くなったと理解はしても、実際に体験してみると違うのだろう。
「調子に乗るな。訓練場に大して強いのがいなかっただけだ」
だがそうフランが言うのももっともだ。ここにも強いのはいるかもしれないが、そういうのは訓練場には用はないし、教官でもレベル5の剣術持ちの相手をできるくらい強いのは滅多にいない。
「しかしウィル、そんなに目立って大丈夫なのか?」
まあ今もフル装備で顔を隠してるから大丈夫だとは思うが。
フランにもウィルが家出してきた貴族のぼんぼんであることはバレている。ずっと一緒に行動していたから、話さざるを得なかったようだ。人のいるとこじゃ絶対面をあげないのは、すごく怪しいものな。
「鎧がボロいのを馬鹿にされてつい……」
ベコベコの鎧をろくに直しもしないで使っていれば、そりゃ馬鹿にもされるだろう。
「ほんとはフランがちょっかいをかけられて、それを止めようとしたのよねー」
エリーがニマニマしながら言った。それで出張ったところにボロい鎧を馬鹿にされたという流れのようだ。
「フランさんに手を出そうなんて、ホント命知らずっすよね」
だがそこにエリーが思うほどの色気はないようだ。そこらの冒険者ごときにどうにかできるフランじゃないし、純粋に冒険者を気遣ってウィルは止めたのだろう。
「ウィルはいい加減新しい鎧に交換しろ。道中の稼ぎでいいのが買えるだろう?」
そう言ったフランも気にした様子はないし、ウィルに脈はなさそうだな。むろん俺にもまったくない。本当に剣の修行以外に興味がなさそうだ。
「ああ、新しいのは用意してあるんだ。後で出してやるよ」
「ほんとっすか!?」
「先に朝ごはん食べてからな」
ウィルはすぐに出してほしそうだったが、ぼちぼち朝食ができてきたようだ。
今日のメニューは昨日取れた雑魚をそのまま塩で焼いたのと、さばいた身をスープで煮た料理だ。
「焼き魚美味しい」
ティリカがそう言った。確かに焼き魚はなかなかいけるな。スープは……普通だ。川魚は淡白だから、スープの味付けになっちゃってる。
「鎧魚は晩ごはんに出すからな」
俺の言葉にティリカが頷いた。大物の鎧魚は解体が必要なので、獣人に頼んである。それを晩ごはんで使う予定だ。
メニューはどうしようかね。お刺身が食べられるだろうか? 確か冷凍すれば寄生虫は死ぬらしいが、アウトだったとして治癒魔法で治るかな?
「寄生虫? そんなこと聞かれてもちょっとわからないな」
アンもよく知らないらしい。
「魚は生で食べたことない。美味しい?」と、ティリカ。
「慣れればかなりいけるんだけど、いま言った寄生虫にやられると病気になるんだよ」
腹痛程度だと思うが、こっちではどうなんだろう? 地球の寄生虫とは違うかもしれないし、治療法がわからないのにうろ覚えの知識で手を出すのはちょっと恐ろしくなってきたな。
「生で食べるなんてお腹を壊すに決まってるでしょう。止めときなさい」
残念だがお刺身は断念するか。この忙しい時期に、腹痛で何日も行動不能になってもしゃれにならん。
そんな顔をするなティリカ。俺も悲しい。
「えっと。それでね? 話は変わるんだけど……」
続けてアンが切り出した。
「うん?」
「昨日からずっと考えてて、ここに残ろうと思うんだ。治癒術師がぜんぜん足りないのよ」
基本的にどこも治癒術師は足りてないものなんだが、ここは大量の難民で、かなりひどい状況のようだ。
「それとちゃんとした孤児院がないから作っちゃおうと思って」
もとより砦だ。神殿はあっても孤児院などあるはずもない。一応神殿で面倒を見ていたのだが、資金も設備も人手も何もかも足りてないし、居留地全体もこの先、子供どころか大人ですら飢えそうな有様だ。
「どの道、私は剣の修行もしないし、エリーの実家でもすることはないし」
エリーの実家には転移でいけばいい。
「アンがそうしたいなら賛成するよ」
一人で残すのはとても心配だが残るなら神殿で暮らす予定で、そこには神官も神殿騎士団もたくさんいる。俺も獣人の様子を見にちょくちょく戻る予定だ。問題ないだろう。
「そうね。私たちもうちの実家の用事が済んだら、またすぐに戻ってくるつもりだし」
問題は剣の修行だが、最悪ヒラギスが片付いてからゆっくりやってもいい。
「獲物の提供といい、実に素晴らしい志だ。私も少しであるが、孤児院に資金を提供しよう」
フランが旅費と生活費にと持ってきた一〇万ゴルドの半分、五万ゴルドを提供してくれるという。日本円にして五〇〇万円くらいか。なかなかの金額だが、俺たちが五〇〇万ゴルド以上出しているのは言わぬが花だろう。
「ありがとう、フラン。とっても助かるわ」
アンも素直に感謝の言葉を述べた。今は一ゴルドでも助かるし、五万ゴルドもあれば出来ることは多い。
「どうせ修行でお金など使わないしな」
剣の里では現地の領主の世話になる手筈らしい。一緒に世話にならないかと俺たちも誘われたが、どこかの空き地に勝手に家を建てるほうが気楽だ。
その剣の里へはリリアの精霊で三日の予定だ。急いでも二日はかかり、最低でも往復四日。アンと獣人に会いに戻るにせよ、あまり頻繁だと怪しいな。
剣の里へ行くのを秘密にしておこうかとも思ったが、剣聖は有名人だし迂闊に行動してどこからボロがでるかわからない。
いっそ前衛組だけ剣の里に置いて、俺はほんとにここに常駐してもいいかもしれない。
それでメイジ組を連れてヒラギスで狩りをして、ウィルとシラーちゃんの経験値稼ぎはこっそりと連れ出せばいい。獲物を見つけてから転移で連れてくれば、抜け出すのは一度に一時間もあれば十分だ。
しかしそうするとまたフランが邪魔になってくる。同じ場所で修行することになるのだ。ちょくちょく抜けだしてバレないわけもないだろう。
こいつをどうにか完全な味方に引っ張り込めればいいんだが。
かなり仲良くはなったとは思うが、秘密を打ち明けて確実に黙っていてもらえるのを期待できるほどじゃない。ずっと一緒のウィルも先ほどのやり取りをみれば、色っぽい話は欠片もなさそうだ。
「どうした、マサル。私に何か……はっ!? 私を狙ってもお前の嫁には絶対ならんぞ!」
そんなにじっと見てたつもりはないんだが、考えてることがバレた。なんのかんの言ってフランも美人だし、ついついエロい妄想しちゃうのは仕方あるまい。
別にフランにちょっかいをかけたりはしてないのだが、フランは俺のことをずいぶんとエロに節操のない人間だと思っているようで、時々こうやって釘を刺される。
「そういえば道中、フランとは剣のみの本気の立ち会いはやらなかったなって思って」
昨日の話を思い出しそう言った。
こう言えばすぐに食いつくかと思ったが、フランは迷っているようだ。ちょっと魔法戦で凹ませすぎたか?
「いや、興味がないなら別にいいんだ」
俺としても進んでやりたいと思ってるわけじゃない。
「お前たちの……強くなる速度は異常だ」
フランは俺の言葉に答えずそう言った。大会ではサティが勝ったが、最後の一撃は不意打ちのようなもの。あの時点ではどう見てもフランのほうが強かったのが今では互角。
だがそれは単純に成長したのではなく、ようやくスキルやステータスが体に馴染み、使いこなせるようになってきたという話でもある。シラーちゃんやウィルなんかはそれが顕著だ。
「フランとやるのは本当にいい修行になったよ」
大会での厳しい戦いとこれまで生涯を剣に捧げてきたフランとの修行で、懸念だった経験不足も埋まりつつあった。やはりサティとだけでは修行に限界があったのだろう。
道中の修行は思いの外いい経験だった。フランには感謝しないとな。
「それはこちらとて同じだ。無理を言って同行してよかったと思っている」
もし別行動になっていたとしたら、俺たちは一ヶ月以上先行して剣の里で修行に入ったはずだ。異常な成長を目の当たりにした俺たちに一ヶ月も差をつけられる。それはフランにとってはちょっとした悪夢だろう。
「やるのは大会ルールか?」
頷く。
「いいだろう。貴様に散々魔法で転がされた恨み、剣で晴らしてやる」
魔法で何回も吹き飛ばしたのをかなり根に持ってるようだ。そりゃかなり悔しがってたのはわかってたけどね? 剣と違って寸止めするわけにもいかないし、何度も戦いを挑んできたのはそっちだろうよ……




