第55話:朱妃、薬を煎じられる。
ξ˚⊿˚)ξちょっとちこくー。
正房の客間に朱妃は陳医師らを迎い入れる。
「こちら、お掛けになって」
そう言うが彼らは動かない。朱妃が対面の椅子に座ってから彼らは拱手にて礼をし、席についた。
礼儀作法の問題である。朱妃の方が地位が上なのであるから先に座るべきなのだ。
朱妃は二人の座る様を見た。陳氏は泰然とした様子であるが、横の女官、おそらく朱妃よりも歳下であろう少女は緊張と困惑をその表情や所作に示していた。
ふむ、と朱妃は理解する。朱妃は自らの置かれている状況を陳氏が理解していることと、背後の少女は知らなかったであろうということを。
つまり宦官や女官から嫌がらせを受けているということであり、具体的にはこの部屋にまともな家具がないのである。
今、朱妃らが座っているのも倒坐房に無造作に積まれていた使用人用の椅子を運び込んだものだ。背もたれも肘置きもなく、妃が座るようなものではない。
また人の気配が少ないのも感じられるだろう。普通の宮では一人の妃のために数十人の宦官や女官が仕えるが、この棟には今この部屋の三人以外、人がいないのであるから。
陳氏が笑みを浮かべながら挨拶をする。
「ひょひょ、おはようございます朱妃様。こちらの女官は娜娜と申します者、奴才の助手を務めております」
「ぬ、奴婢は娜娜と申します! よ、よろしくお願いします朱妃様」
少女はそう言ってぴょこんと頭を下げた。
「ええ、よろしくお願いしますね。陳医官、娜娜」
「朱妃様には朝早くから申し訳ありませんな。陛下と交合をなされた后妃様方のところに後宮の医官が明朝伺うことになっておるのです」
陳氏の言葉に朱妃は頷いた。
后妃らの健康を管理するのであるから当然のことであろうと思う。尤も、武甲皇帝が誰も抱いていないと言うのであればこれも無駄足であるように思えるが。
「娜娜よ、湯を沸かして貰って参れ」
「はい、陳医官」
そう言って彼女が離席すると、ずいっと陳氏は朱妃に向かって身を乗り出した。
「ひょひょ、お元気ですかな」
「ええ、元気ですわ。陳医官もお変わりなく」
「ちょいと失礼」
彼は朱妃の顔を覗き込むように見て、朱妃の手を取っては観察し、経穴を押さえる。
「一応な、疲労に効くところを刺激しておる」
「はい」
「皇帝陛下はどうであった」
どう、と言われてもと朱妃が言い淀むと、陳氏は顔を上げた。
「抱かれてはおらんのじゃろう?」
「……はい」
知っていたのか鎌をかけてきたのかは分からない。だが、隠しても仕方ないように朱妃は感じた。
「その上で聞くがどう思ったかね」
「どう、と言われましても……。ああ、そういえば癸昭大人と似ておられたなと思ったのでした」
「ああ、それはそうじゃの。あの二人は兄弟よ。母親は違うがの」
「なんとまあ」
思わずそう言ったが、すとんと納得するところもあった。
顔立ちや体つきが似ていることもあったが、癸氏がまだ若くして官僚として高い地位にいるであろうことなど疑問に思っていたのである。先代皇帝の子であるというならと得心したのであった。
朱妃は尋ねる。
「それは一般的に知られていることなのですか?」
陳氏はその質問に対し朱妃の慎重さと賢さを感じた。
「うむ。そなたが知っても問題ないことじゃ」
「なるほど。そうですか、癸昭大人は陛下の弟君……」
何か失礼なことをしてしまっていないかしら。朱妃はそう続けようとした。だがその言葉は陳氏に遮られる。
「む、逆だ。癸氏が兄、武甲帝が一つ下となる」
「あら、そうなのですか」
ふむ、と朱妃は考える。瓏帝国の皇位は皇帝からの指名によって決まると。誰が次代の皇帝に相応しいか遺言を残し、それが皇帝となる。よって先帝の数十番目の子が皇帝となった例もあるという。
だが先帝である天海帝は次代を指名せずに崩御された。その突然の死が王宮に混乱を巻き起こしたのだが、それはさておき、これは遠く離れた国にいた朱妃ですら知っていることである。
ではなぜ、兄である癸氏が皇帝に選ばれなかったのであろうか。中原の歴代王朝において、長幼の序は重視される。つまり、本来なら癸氏が皇帝となってもおかしくはないはずだ。
ただ、朱妃はそれについて疑問を陳氏に問いかけることはしなかった。場合によっては不敬に問われることがあるかもしれないし、好奇心が猫を殺すかもしれないからだ。彼女はその謎を心に留めておくこととした。
「失礼します。陳医官、お湯をいただいてきました」
そう考えているうちに、薬缶を手にした雨雨を連れて娜娜が戻ってきた。
「おう、ありがとうの。では娜娜、医王湯の用意を」
「はい」
娜娜は持ち運び用の箪笥から人蔘や蒼朮などの生薬が粉末となったものを取り出していく。
手慣れているのか、そもそも何の薬を作るのか決めてあるからか、その手つきは澱みない。
娜娜がそれを陳氏に渡せば、彼はおもむろに一度頷くと、器にそれらの粉を入れて湯で溶かし混ぜた。
彼の手には灰色とも緑ともつかぬ怪しい色の液体がある。
「疲労に良く効きますわい」
ひくっ、と朱妃は頬が引き攣るのを感じた。
「ひょひょ、これでも霜、いわゆる動物の黒焼きなどが入っていないだけ飲みやすいがね」
「黒焼き……」
「蝗や鹿角などを真っ黒になるまで蒸し焼きにして砕いた粉のことですな。大物だと猿頭。ああ、井守や蜥蜴などもやりますよ。……そういえばダーダー殿はお元気ですかな」
びくっと朱妃の肩が揺れた。
「だ、ダーダーを薬にはさせませんよ!」
「ひょひょ、もちろんですとも」
どうにも揶揄われているなと朱妃は思った。





