5. 処分
■ 8.5.1
メイエラの連絡から、計画の実行まで殆ど残された時間は無かった。
元々パイニエでの計画は、あまり長く時間を掛けるつもりも無かった。長く時間を掛けては、ジャキョが警戒して何らかの対策を取ってくる時間を与える事になってしまう。
そういう意味では、メイエラからもたらされた情報は非常に都合の良い話ではあった。
幸い、ほぼ半日を潰して全員で計画を練っていたので、目標に対してアプローチする方法はほぼ出来上がっている。
現場で発生するイレギュラーは元々入れ込み済みで、ブラソン達ネットワークチームのサポートと、最悪の場合はアデールからのアドバイスを受ける事も出来る。
余り歓迎したくは無いが、少々の事であればAEXSSの力を借りた力技で収める事も出来るだろう。
俺達はそれぞれホテルの自室で装備の最終確認を行い、時が来るのを待った。
再び街に夜の帳が降り、歓楽街に煌びやかな明かりが灯り、そしてその周辺に広がるスラム化しつつある下町の街並みに夜の闇が浸透していくのを待って、俺達はホテルの窓を開けて人気のない地上の道路上に降り立った。
もちろん重力ジェネレータなど使いはしない。光速で伝わる重力波は、遠く惑星の裏側からでも容易に観測出来る。
もちろんリフトやビークルなど、街中にジェネレータはごまんと溢れている。AEXSSの小さなジェネレータの動作など、その中に紛れてしまい特定する事など至難の業だろう。
しかしそれでも、これから行う行動の内容を考えれば、少しでも目立つ可能性があるものを全て排除したかった。
昨夜の散歩でもAEXSSを着用してはいたが、その上に上着を羽織ったり、余分な装備を取り払ったりして務めて目立たない格好をする事に気を遣った。
今夜はジェネレータユニットや、ホルスタなど様々な装備を身に付けている。
妙な誤魔化しを行うのでは無く、はなから光学迷彩機能を使用して、電磁波等にも反応しないステルスモードを選択した。
人通りの多いところで光学迷彩を使用すると、こちらを認識出来ない通行人達と頻繁にぶつかる事になるが、幸いこの下町の地上には、この夜の早い時間においてもぶつかるほどの人影が存在しなかった。
地上に降りたルナと俺は、それぞれの目標に向かって二手に分かれた。
偶々だが、俺が地上に降りた瞬間、時計が現地時間9800時を指した事を覚えている。
視野の右端に小さくスペゼ市街図が表示されており、俺に割り当てられた目標は赤く、他の三人の目標は黄色く、そしてルナ達は青いマーカーでその地図上に表示されている。
三つある赤いマーカーの内、最も近い場所の物を選択した。
マーカーの外側に点滅する円が表示され、そこまでの最短経路が黄色い線で表示された。
取り敢えずはその黄色い線の誘導に従って路上を走る。
AEXSSを着用して地上を高速で走る場合、力任せに速度を上げると足がもつれて転倒する事になる。
AEXSSはパワーアシスト機能を持っているが、それはスピードアシストでは無いからだ。
人間が走る時、脚の回転速度には限界があるが、AEXSSはその回転速度と脚力のバランスを簡単に崩してくれる為だ。
よって、一歩を非常に大きくとり、数十mのジャンプを繰り返す様にして走る。
この様なゴチャゴチャとした場所を高速で移動する場合、方向をよく見定めてジャンプしなければ、空中に張り出している看板や配管などと激突する事になるので注意が必要だ。
何十回もの跳躍を繰り返し、俺は最初の目標を示すマーカーのすぐ近くに到着した。
そこは歓楽街の端、少しばかりうらぶれた街並みに場末感が漂う店とディスプレイが幾つも並び立っており、路上に居並ぶ女達もどことなく気怠げで覇気がなかった。
それでもホテルがある下町よりは遥かに明るく人通りの多い地上で、俺は路上駐車してある業務用のビークルの天井に降り立った。
ほぼ俺の正面に建っているビルの見上げた先十五階に、選択中の目標を示す点滅する円に囲まれた赤いマーカーが表示されている。
ネットワークからの情報に依れば、そのビルは半ば住居、半ばオフィスとして使われている少々築年数の深いビルであるらしかった。
すでに夜もかなり遅い時間ではあるものの、幾つかの窓からは明かりが漏れており、ここを住居としている住人達のうち幾らかはまだ起きて活動しているようだった。
「建物の外周セキュリティをカットしました。対象IDの住居のセキュリティに割り込みました。対象IDの通信に割り込みました。マサシ、行動開始願います。」
ノバグの柔らかな声が、ハードな夜の始まりを告げる。
俺は業務用ビークルの無骨な天井を蹴り、一気に数階の高さを飛び上がった。
上昇する速度がゼロになる前に、四階のバルコニーの端を蹴って隣のビルに向けて跳ぶ。
隣のビルの七階の外壁に設置してある集合配管のラックを蹴り、元のビルの方に跳び戻った。
更に十階のバルコニーの縁を蹴って反対のビルへ。その先で十二階の出窓の天井を蹴り、一気に十五階まで登った。
目標の住む部屋のバルコニーに降り立つ。
隣の部屋の窓から明かりは漏れてはいない。
「隣室にID反応は存在しません。上のフロア、十六階もID反応ありません。十四階直下の部屋にID反応が三つあります。通信量からいずれのIDも就寝中と思われますが、騒音の発生に注意願います。」
いくら本人のIDの通信を阻害しようとも、異変に気付いた付近住民から通報が行われたのでは全く意味がなくなる。
ノバグのセキュリティ解除によってすでにロックが外れているドアを開けて室内に入る。
フロア平面図が表示され、目標のマーカーが平面図に表示される。
しかしフロア平面図は、この建物と同じ規格のビルの設計図面データに過ぎない。
図面と同じ間取りで建築されたか、建築後どのような改造が加えられたかについては全く情報が更新されていない。
過信して行動しては痛い目に遭いかねない。
部屋の明かりは殆ど落ちている。物音もしない。
すでに日も変わった。
多分、目標もすでに就寝しているのだろう。
目標との距離が縮まる。
10m、8m、6m、4m。
「センサーがあります。マーカー上で立ち止まって下さい。」
黄色の四角が床に重なるように投影される。
俺はその四角の上に脚を載せるようにして、目標のマーカーに向かって立ち止まった。
「出入り口開きます。」
ノバグの声と同時に、何もなかった壁に穴が開き、音も無く四角い出入り口が開いた。
部屋の中には、キングサイズよりもさらに一回り大きく、俺達地球人の感覚からすると少し背の高すぎるベッドが一台と、逆に低めのソファセットが一組置いてあった。
部屋の中を見回す。
AEXSSのヘルメットを着用しているので、可視光による俺の視覚情報以外にも、人間の眼では本来見る事が出来ない赤外線や電磁波、放射線までをもリアルタイムで検知してメイエラに送り、メイエラがマッピングをしてくれる。
特に気になるのは、正面で目標が寝ているベッドの下部部分だ。
あれだけのスペースがあれば、小型のレーザー砲位ならどうにか隠す事ができるだろう。
「室内クリア。温度、電磁波、放射線等異常な分布ありません。室内のID数は2。目標と女性がベッドに寝ています。」
俺の杞憂か?
左の二の腕に装着してあるホルスタからナイフを引き抜き、逆手持ち(リバース・グリップ)で握る。
カルナヴァレが終わり、レジーナがシャルルの造船所を離れ、まだ太陽系の中を外縁に向けて航行していた時のことだ。
夕食の後の話題の一つのつもりで、バペッソが今後俺達に手を出さない様にするにはどうすれば良いか、ダイニングでコーヒーを飲んでいたアデールと、クリームとベリー系のフルーツジャムがたっぷり掛かった六段パンケーキを頬張っているニュクスに尋ねた。
「簡単な事だ。手出しする奴が居なくなれば良い。」
アデールが、言っている内容と全くそぐわない気軽な言い方で言った。
「それは、全員殺せということか?」
実行する奴が居なければ、面倒は起こらない。そんな事は分かっている。
だが、何人居るのか分からないバペッソのヤクザ達を皆殺しにするのは気後れのする話だ。
宇宙空間で行った戦闘行為で、俺は今までにもう何百という人間の命を奪っただろう。
しかし、戦闘行為に突入した結果死人が出るのと、最初から誰かを殺すことを目的に行動するのは違う。
「皆殺しにする必要は無いだろう。幹部を全滅させれば良い。残った末端は、どこかに散ってしまうか、他の組織に吸収される。
「地球のヤクザの様に、親が殺されたからといっていつまでも仇を付け狙う子分はいないだろう。むしろ、ヤクザのファミリー一つを向こうに回して力技で事態を解決する様な、頭のネジが何本も飛んだ貨物船の乗組員に、それ以上関わりたいなどと思う奴は居ないだろう。」
アデールの話を客観的に聞いていても、自分が今やっている事は明らかに頭がおかしいとしか思えない。
しかしもうそこに足を踏み入れてしまった。
エイフェを売り飛ばそうとしたのが奴らだとしても、連中にしてみれば先に殴りかかってきたのは俺達の方だろう。
「お前は自覚していないかも知れないが、色々な方面でこの船の戦力はちょっとしたものになっている。とても民間の貨物船とその乗員とは思えない。まるで特殊部隊のチームの様だ。あの程度の田舎ヤクザを潰すのは訳無いだろう。」
黙っている俺を気後れしたとみたか、アデールが畳み掛ける様に言った。
しかし相手はヤクザなのだ。
「お主は勘定も出来ぬ阿呆かや? 中古のHASを後生大事に抱えて居る様なしょぼいヤクザと、正規軍のフル装備のHAS一個大隊のどちらが恐ろしいと思うておるのじゃ。フィコンレイド軍のステーションに殴り込みを掛けたのは、誰じゃったかのう。」
右手に持ったクリームの付いたナイフを振りながら、ニュクスが俺の方を見て笑った。
そして俺は腹を括った。
その結果、今、この場所に居る。
足音を忍ばせて室内に入る。
ベッドの上に、いずれも裸で寝ている中年の男と若い女が確かに確認出来た。
スプレー式の睡眠ガスをベッドに向けて放出し、十数える。
これでもうこの二人が起きる事はない。
男の方は、永遠に。
俺はベッドの右側に回り込み、横から男に近付いた。
男は仰向けに寝ているので、その顔をはっきりと見る事が出来た。
「人相確認しました。バペッソの幹部第六位、アルナバ・ミヘイリビ・ドレットゥです。」
メイエラの声がやけに冷たく聞こえる。
俺は右手を突き出し、逆手に持ったナイフを男の首を横切る様に引いた。
高振動ナイフはまるでそこに何もないかの様に軽く全てを切り裂き、鮮血がベッドと壁紙を濡らす。
「目標を処分した。確認を。」
ナイフをホルスターに戻した。
ベッドの上は既に血の海の状態で、男の顔は噴き出す血に濡れて既に人相も分からなくなっている。
明日の朝、目が覚めたら辺り一面血の海で、この女は狂乱状態になるのだろうな、などと裸の女の背中を見ながら思った。
「目標チップからの緊急信号送出を確認。バイタル信号低下・・・・目標チップの反応消失を確認。目標クリア。マサシ、次の目標に向かって下さい。」
ノバグが男の命が絶えた事を報告する。
「諒解。進入ルートを逆に辿ってここを出る。後を頼む。」
俺は部屋の入口を通り、元来たバルコニーに引き返した。
ドアを開け、バルコニーに出た途端、街の喧騒が聞こえてくる。
地上で明滅するディスプレイの明かりが、バルコニーの天井に色とりどりの影を踊らせる。
今、この部屋の中で男が一人死んだ。殺された。
そしてその男を殺した俺がここに立っている。
しかし街はいつもと同じ様に騒がしく煌びやかで、そんな事には誰も気付きさえせずに夜が更けていく。
俺はバルコニーの手摺りを蹴って、そんな街の中に向けて飛び降りた。
いつも拙作お読み戴きありがとうございます。
前回のこの街のシーンでも書きましたが、南スペゼは以前住んでいた街がモチーフになっています。
麻薬の売人から商品を買うと、売人と別れた次の瞬間に反対側の路地から警官が現れて、「逮捕されたくなけりゃ金寄越せ」と言うような街でした。(私自身は薬を買った事はないですが)
街の描写を書いていて楽しいので、ついつい書き過ぎてしまいます。
性風俗の煌びやかな看板と着飾った女達、酒と暴力と路地の暗闇と云ったものの雰囲気が上手く伝わると良いのですが。




