第二章
「それでは、ラバナス様は焼死だったのですか?」
アリスティアは、念を押すように確認した。
「はい。いずれ報告はお父上の方にさせていただきますが」
いつものように陰気な顔をしていたが、思ったよりヒューは協力的だった。いつもなら魔道師の犯罪を憲兵が介入することを嫌っているだけに事件の複雑さを感じた。
「私は別に、メイサ君を犯人だと断定はしておりませんぞ。火事がおこっていないのですから、死因は炎魔法によるものです。メイサ君とは考えにくい。ただ、状況的に彼女が事情を知っているようだから話を聞くために捜しておるのです」
メイサは炎魔法を使わない。それは周知の事実だ。
「状況というと?」
ローラからおおまかに聞いていたが、アリスティアは喰らいつくように尋ねた。
「あの日、メイドがラバナス様の部屋に入る彼女を見ていますし、ラバナス様自身、彼女が訪れる事を何人かに話しています。実際、部屋には彼女のものと思われるアクセサリーが落ちていて、何よりその後、彼女自身が自分の荷物を持って消えてしまっていたのです。無関係とは思えません」
「なるほどね……」
疑われてしかるべきな訳ね、と、アリスティアは思った。それにしてもやはり何かが変な気がする。
「ねえ、どうして、そのアクセサリー、彼女のものだとわかったの?」
言われて、ヒューは首をかしげた。
「アクセサリーを発見なさったイルクート様がそうおっしゃいまして、調べましたら、彼女の部屋に同じものが残っておりました。他のものにもよく聞きましたら、彼女が最近していたものに間違いないようです」
「そう……。へんね。貴重品は持っていったのに、ピアスは残していったの?」
「確かに不自然ですが、そのあたりの事情は本人に聞くよりほかは無いのではないでしょうか」
アリスティアの疑問点は当然だが、彼にしてみれば、メイサ本人を捜し出せば、全ての謎は解けるということなのだろう。
「ラバナス様に、最近お変わりになったことはなかったのかしら」
「メイサ君は宮廷魔道師になることを希望していたみたいで、それについて相談をお受けになられていたようです。ラバナス様も、ずいぶんお悩みのようでした。彼女は何しろ炎系の魔法だけは、どうしようもない落ちこぼれでしたからねえ。その他については申し分ない実力者でしたが」
優等生であったメイサだが、炎の精霊を駆使する魔法だけは初等クラスのレベルですら、上手くできなかった。何度やっても炎の精霊が呼べないのである。得意な分野の研究を続ける研究員ならともかく、宮廷魔道師はすべての分野において実力があるものを、導師の推薦で選ぶのだ。炎系の魔法ができない一点をのぞけば、何の問題も無い実力者だけにラバナスもさぞや苦悩したに違いない。
「ラバナス様は、メイサに選べないと言ったのかしら……」
たとえそうでも、そんなことでメイサがラバナスを殺すとは思えない。ましてラバナスは焼死したのだ。メイサにはできない事だ。
アリスティアは首を振った。わからないことだらけだ。
「遺体を発見なさったのはイルクート様だそうですね。その点については、不審な事は無かったの?」
「ええ、現場の状況的には問題ありません」
言葉とは裏腹に、ヒューの顔が苦い顔になった。イルクートは魔道師としての位も高く、しかも名門貴族である。魔道師は知恵の塔に忠節を尽くし、その命に叛くことは許されないのが建前だ。しかし、それが建前にすぎない事は、アリスティア自身が身を持って知っている。本人にその気が無くとも、周りは権力の影に怯えるものだ。
――そういうことね。
アリスティアは得心がいった。
「イルクート様は、図書室からご自宅に戻られる途中でご遺体を発見なさったようですが、図書室にいらっしゃった時間はどなたかご存知なの?」
「何人か証人がおります。ご本人が発見したとおっしゃられる時間より、多少早い時間ではありますけれども」
「では、イルクート様の証言されたお時間は正確ではないのね」
ヒューは静かに頷いた。本来ならそのあたりを詳しく問いただしたいのであろうが、相手が悪い。彼がその気になれば、ヒューの首は簡単に飛んでしまう。
「わかりました。現段階でわかっていることを早急に文書にして。イルクート様のことは、憲兵隊のほうでお話を確認できるかもしれないわ」
その言葉に、ヒューはほっとしたような顔になった。
――イルクートが関わっているとしたら、やっかいだわね。
下手をすると国家を揺るがすほどのスキャンダルになりかねない。父の頭を悩ますことになるかもしれない、と、アリスティアは思った。
翌日、魔道師の知り合いを何件か訪ね歩いた夕刻、アリスティアは子馬亭に足を向けた。
この店は、憲兵隊がその身分を隠して調査をするための拠点のひとつだ。もっとも、食堂は普通に経営しているし、いつも憲兵たちがいるわけではない。
アリスティアがいつものように奥にある部屋に入ると、中にはオルヴィズとラウルが図面を引いていた。
「何か、わかったの?」
覗きこんだアリスティアにびっくりしたようにラウルは手を止めて一歩下がった。
「特に何か、というわけじゃないのですが。火災で燃えた場所の区画を再確認していたんです」
オルヴィズの方は気にした様子もなく、手を動かしながら答える。
「しかし、考えすぎなのかもしれません」
手元の古い地図と見比べながら、オルヴィズは首をひねった。
「どういうことなの?」
「メイサさんの居所とは関係ないとは思いますが、少し気になったことがあるんです」
アリスティアの疑問に遠慮がちにラウルは口を開く。
「あの火事のとき、火竜を見たって人が多いんです。でも、結界があるから入ってくるわけがないから錯覚だと思うけど、燃え方が普通の火事と違う気がするのです」
「……そうなの?」
「火事は建材の状態や大気の状態、風の向きと強さ、そして燃えるものの多さなどがいろいろにかかわってきます。だから一概には言えないんですけど」
ラウルは自信がなさそうに続けた。
「実は昨日、ある人を探しているときにいろいろな人に、火竜の話を聞いたので、仕事仲間に確認したら、あの火事の燃え跡を見る限り、火元と思われる場所からの被害状況が風向きと一致していないように感じたといっておりました」
「確かに、当時の調書ではよくわからなかったとなっております」
オルヴィズが補足する。
「……今更、そんなことを気にしても意味がないですし、メイサさんのこととは無関係なことなのですけれど」
申し訳なさそうに、ラウルが付け足した。
「いいのよ、彼女のことは依頼に入っていないのだから」
アリスティアは微笑んだ。ラウルの真面目さが嬉しかった。
「メイサさんの知人にはこれから会いに行く予定です。昨日、約束をしましたから」
ラウルは昨日一日かかって、メイサの生まれ育った娼婦宿の元娼婦を探し出したことを話した。
「びっくりした。すごいのね。憲兵隊より優秀だわ」
そう褒めると、ラウルは申し訳なさそうにオルヴィズを見た。オルヴィズの方は気にした様子もない。
「今からなの? じゃあ私もいっしょに行こうかな」
「アリス様、それは……」
「いいでしょ。それに、少し寄りたいところがあるのよ」
オルヴィズは困った顔をした。まだ若いのにそうするととても年寄りくさくなる。
「では、私も参ります」
「だめよ、オルヴィズには別に仕事を頼むから」
オルヴィズの顔がますます渋くなった。
「……仕事とはなんでしょうか?」
言いながら、オルヴィズはこれ以上の厄介ごとはやめて欲しいという気持ちを隠そうともしない。ほんの少し、彼が哀れに思えた。
「イルクートについて、調べてくれない? 父上の許可はもらってあるから」
「イルクート? あの名門貴族の……」
「そう。そのイルクート」
オルヴィズは渋い顔をしたが、憲兵総監の許可があるとあっては断れず小さくため息をついた。
「わかりました。相変わらず、無茶をおっしゃる」
「ありがとう」
アリスティアが最上の笑みを浮かべると、オルヴィズはもっと困った顔をした。
ロキス神殿近くの裏路地を歩いていくと、香のかおりがしっとりとした雨の中に流れてきた。
ひとりで行くというラウルの主張をいとも簡単に、しかも強引に退け、アリスティアはエレクーンに同行した。会ったときと同じく、魔道師のマントをまとっている。服装に娘らしさは全くないのにもかかわらず、その美しさは目を引くものがある。
憲兵総監レニキス公は、現皇帝の弟である。その娘であるアリスティアは、皇帝の姪であり、順位は低いものの皇位継承権もある、やんごとなき姫君のはずだ。ラウルは、どう対応すべきなのかわからず、どうしても無口になる。
「そのひと、占い師なんだ……。」
物珍しそうに、路地に掲げられた数々の看板を眺めながらアリスティアが言った。
「はい。よく当たるって評判だそうです。約束がないと見てもらえないんだそうです」
そのせいで、必死で探し当てたのにもかかわらず、昨日は本人に会うことが出来なかったのだ。占いの話じゃない、と言ったが無駄であった。
「占い師ってね、もったいぶった方が、ありがたがられるのよ」
くすりとアリスティアは笑う。
「私の従姉なんて、ひと月も待たされたって、喜んでるのよ」
「……見てもらいたいことを忘れそうですね」
ラウルはゆっくりと首を振った。
自分の未来など、別に知りたいと思わない。知って何かが変わるのだろうか。しかも確実性の不明確なことをわざわざお金を出して聞きたいなんて、理解を越えていると思う。
「ああ、ここです」言いながら、古ぼけた扉をノックすると、ひょろりとした少年が扉を開いた。湿気じみた空気に香の匂いが絡みつくように流れてくる。部屋には古ぼけた長椅子が置かれており、二人はそこで待つように少年に指示をされた。すでに日が落ちたせいなのか部屋は薄暗かった。
「ずいぶん、暗いですね」
部屋の中には、受付をしていた少年の作業机に置かれた、ろうそくの灯りだけだ。部屋の中のわずかな空気の動きで、影は濃淡を変えた。
「魔道もそうだけど、精霊や魔物に力を借りたりするものは、闇と相性がいいのよ。術者の集中力も高まるし」
アリスティアの言葉に頷きながら、ラウルは居心地悪そうに首を振った。
「金が無くて油が買えなかった時を思い出します」
父が死んでまもなく、母が病に倒れた。そのころは今よりもラウルの賃金は安くて、食べていくことすら困難だった。今だって、裕福とは言いがたいけど、それでもあの頃よりは多少マシになってはきている。
「……どうぞ、お入りください」
先ほどの少年が奥の扉を開けて、ふたりを手招きした。
中に入ると、部屋は流れてきていた香りがたちこめていた。銀色の燭台に、三つの炎がちろちろと燃えている。
二人は勧められるまま、長椅子に腰を下ろした。大きい透明な水晶球の置かれた机の向こうに、紫のベールを被った女性が目を伏せるように座っていた。部屋が薄暗いこともあり、ベール越しの表情はうかがい知ることは難しい。
「オルビアさんですね」
ラウルの問いに、彼女は少し頷いた。視線がラウルとぶつかると、慌てるように目を伏せた。よく見えないが、顔にひどい火傷があると聞いている。ひとに見られるのが苦手なのかもしれないとラウルは思いながら、聞きたいことがある、と続けた。
「何をお知りになりたいのでしょう」
商売用の落ち着いた口調だった。
「あなたは、昔、『駒屋』さんで働いていらっしゃいましたね」
「もちろん、見料としての料金はお支払いいたします。ご心配なさらずに」
オルビアの少し戸惑うような表情をみて、アリスティアがすかさず補足した
「……あなたがたは?」
「私は、憲兵総監レニキスの娘、アリスティア。あなたに迷惑はかけませんから、話してくださいませんか」
あまりにあっさりと名乗ってしまったアリスティアをラウルは非難するような目で見たが、彼女は気にした様子はなかった。
オルビアのほうは、それを聞いて得心したように頷いた。
「ああ。どうりで……ずいぶん光が強いと……。」聞き取れぬような、小さな声で呟やいたあと、「わかりました」と答えた。
「確かに、私は『駒屋』で娼婦をしておりました。」
「そこにいたメイサという女の子のことを教えてください」
アリスティアが名乗ってしまった以上、もはや遠まわしな言い回しは無用であった。
「メイサ、ああ、ユキアの子供ですね。もう何年もあっておりませんが……あのコがどうかしたのでしょうか」
「メイサは、ある事件に巻き込まれていると思われます。あの子を助けるために、力を貸していただけませんか」
アリスティアが身を乗り出すようにしながら、頭を下げるとオルビアは視線を落としたまま、頷きゆっくりと答えた。
「気の毒な子供でした。あの子の母親も幸の薄いひとで、身よりもありませんでした。だから、産後のひだちが悪くて母親がなくなっても、誰も引き取る人がありませんでしたので、私たち住み込みの娼婦たちが面倒を見て育てました。」
「あの、彼女がお店に出ていた、というのは本当ですか」
ラウルは、隣のアリスティアをちらりと見てためらいを覚えつつも聞いた。
「『駒屋』の主人は鬼ではありませんでしたが、商売人でした。あの子が少し大きくなってくると、私たちは反対したのですけど、客を取らせるようになりました。」
「客って、だってまだ子供じゃない。なんてこと……」言いながら、アリスティアは眉をひそめ、不快感を隠そうともしなかった。
「それでもね、お姫様。この界隈で産まれた子供としては、幸せなほうなのです。」
家もなく、食べ物もない。場合によっては酷い暴力を受けたりする子供のほうが圧倒的に多い、と、オルビアは言いたいのだ。
「それにあのコは、すこし不思議な力のあるコでした。暗い部屋にひとりでいると、大きな蛍のような光の玉と遊んでいたりしました。そのことを知っているのは私とほんのわずかな人間でしたけど。そんなことがわかったら、店から追い出されてしまうことは間違いありませんでした。私たち、それが不安で心配でした。」
彼女はそういって、何かを思い出したかのように怯えたような顔をした。
「わかる気がするわ。魔力の強い者は、訓練を受けていなくとも無意識に力を発現させることがあるの。『知恵の塔』は、そういう子供たちを見つけて、訓練させる活動も行なっているのよ。メイサも、導師に見出されたと聞いているわ」
訓練すれば、力の暴走による事故はおこらない。この国において、魔道の力は徹底的に管理されている。ただ、そういう子供を探し出すのはたいへんなことだ。
「メイサさんは、どういう経緯で導師と出会われたのでしょうか」
ラウルと目を合わせまいとしているかのように、オルビアはうつむいたまま答えた。
「私はほんの少しヒトと違うものが見えます。あのコからは、めらめらと燃えるような炎の化身のようなものが時折見えました。私はあのコが愛おしかったけど、それが怖くてしかたありませんでした。魔道の訓練なんてことは思いつきませんでした。ただ、ロキス神に祈りをささげるよう、勧めただけです」目の前の、水晶の中に何かがあるかのようにオルビアは見つめた。
ロキス神は、この国で崇められている六貴神のひとりで、この地域では特に信仰の厚い神である。破壊と創造、炎と水を司る神である。
「あの、大火事のあとの神殿の焼け跡で、あのコは『知恵の塔』に拾われたのです。それ以上のことは私にはわかりません」
オルビアの言葉に僅かな震えがあった。辛い記憶がよみがえってきたのであろう。
ラウルたちは、彼女の震えが止まるのをじっと待った。
「あの火事は、不思議な火事でした。突然、火の粉が舞い始めたかと思うと、大きな竜が現れて柱を食い破り始めました。竜の体から、灼熱の炎が立ち上り、ありとあらゆるものが火に包まれました……。そして、たくさんの仕事仲間たちが炎に巻かれました。」
彼女はそれだけ言うと、耳を塞ぐような仕草をした。まるで人々の悲鳴が聞こえてくるかのようだった。
「何故、あなたは助かったの?」
優しくアリスティアが続きを促した。
「私は……。耳元で誰かの囁くような声が火の渦の中から、私を外へと導いてくれました。その声はよく知っているようでもあり、知らない人のようでもありました。外に出ると、店は火に包まれ、竜はのたうつように建物を焼きながら飛んでいました。みなが炎から逃げようと走り、叫んでいました。……私は井戸のそばにたどり着いたところで、意識を失ってしまい、気がついたときは全てが燃え尽きた後でした」
オルビアは、顔を伏せたままだった。巻き戻した時が元に戻るまで待つかのように、沈黙が流れた。
「申し訳ありませんでした。辛いことを想い出させてしまって。」
重苦しい空気の中で、ようやくラウルはそれだけ言うと、彼女は小さく首を振った。
「こんなことで、お役に立つのであれば構いません」
いいながら、オルビアは水晶球をひとなでした。心なしか、ざわりと空気が動いたような感触がした。
「なんだか嫌な感触があります」
ラウルたちに見えない何かを水晶球の中に見ているようだった。
「あのコのことを見ようとすると、暗い暗雲がたちこめて、全てがもやのようになってしまいます。詳しいことはわかりませんが、とても不吉です」
それだけいうと、オルビアは、水晶から目を背けた。肩が震えていた。
「おふたりには、まぶしい光が見えます。強く、けれども暖かで優しい光」
心を落ち着かせるように、オリビアは顔を上げた。声にすがるような想いが感じられる。
「あなたがたなら、なんとかできるかもしれません。どうか、あのコを助けてあげてください。私の感じている不安がすべて杞憂であればいいと、祈らずにはいられません」
静かで落ち着いた声であったが、ベール越しの彼女の表情におびえがあった。
「まだ、何が起こっているかわからないけど、全力を尽くしてみるわ」
アリスティアは力強くそういうと、彼女に礼を言い、席を立った。
「神殿に行ってみましょう」
ふたりは、ふたたび雨の路地を歩き始めた。
混みあった街の一角に、少し大きめの敷地を持つ神殿がある。建物自体はそれほど大きなものではない。破壊と創造の神ロキスを奉るその神殿は、十年前に再建されたものだ。石造りの神殿が多い中、ロキスは木造の神殿である。破壊と創造を繰り返すその神の神気を取り込むために、およそ五十年の間隔で立て替えられているからだ。ラウルたち大工にとって、『創造』を意味するこの神はたいせつな神の一人だ。とくに、この再建された神殿はラウルの亡き父が中心になって建設したものだ。ラウルにとっては信仰以上に、想い入れの深い建物である。
「メイサさんは、大火と関係があるのでしょうか?」
降り止まぬ雨に濡れながら、ラウルは神殿を見上げた。十年前に見た、焼け焦げた光景がよみがえってくる。
「わからないわ」
アリスティアは呟くように答えた。
「姫様――」「アリスでいいわ」
「アリス…さま。メイサさんはどんな人なんですか?」
ラウルの中で描き出される女性は、あまりにも憐れで、消えてしまいそうだった。
「気の強い子よ。いつも強気で、しかも才能にあふれていたわ」
神殿の門を静かにくぐりぬけながら、アリスティアは言った。
「正直言うと、私、彼女に嫌われていたの」
驚くラウルの顔を、面白そうにアリスティアは見ていた。
「私を露骨に、あそこまで嫌悪してくれるひとなんて、どこにもいなかったわ。みんな私に好かれようとして、煽ててばかり。それでいて、本当は私なんかどうでもよかった。みんなが求めていたのは、『公爵の娘』に気に入られたいということだけ」
アリスティアの顔に自嘲めいた笑いが浮かんでいた。
「変な話だけど、だから私はあのコが好きだったわ」
彼女は間違っている。と、ラウルはアリスティアを見ながら思った。
彼女が公爵の娘でなくとも男であれば、彼女に好かれたいと思うはずだ。現に絶対に届くはずのない宝玉とわかっていてさえ、彼女がそばにいるだけでラウルの胸は騒ぐのだ。
「一度、二人で共同研究をしたことがあるの。仲良くはなれなかったけれど、あんなに頼れるパートナーはいなかったわ」
言いながら、アリスティアは神殿の扉を開き、フードに溜まった水気を軽く手で払うようにして、中に入った。
天井の高い、広いホールだった。板張りの床には、緋色の絨毯が扉から祭壇まで延びている。既に夕刻を過ぎているため、信者はおろか神官の姿さえみえない。ホールは、たくさんの燭台にともされた灯りで照らし出され、祭壇の奥には、逞しいロキス神の木彫りの神像が奉られていた。右腕に、水竜、左腕に火竜を絡ませ、破壊と創造を意味する大きな斧を構えている。表情は静かで知性を感じさせた。やや煤けた色をしているのは、大火の名残だ。あの時、神殿そのものはほとんど焼けてしまったが、この神像はほぼ無傷であった。そのことに人々は恐れ、おののいた。火事はロキス神の怒りではないかとも言われた。全てに先駆けて再建されたのは、一刻も早く神を鎮めるためであった。
「神官長にお話を聞きましょう」
アリスティアは、神官の私室につながる扉をノックした。
ほどなく足音がして、ガチャリと扉が開き、白髪交じりの老神官が顔を出した。
「あの、お話をお聞きしたくて」
言いかけたアリスティアを制して、ラウルは久しぶりです、と挨拶をした。
「ええっと。ノルグさんの息子さんの……」
「ラウルです。ご無沙汰しております。クラウド様」
クラウドは懐かしそうに目を細め、二人を部屋に招きいれた。質素だが清潔な部屋だった。飾り気のない古ぼけた椅子、使い込まれたテーブル。清貧という言葉がふさわしい部屋であった。
「お知り合いだったの?」
「はい。この神殿を再建したのは父だったものですから」
びっくりしたように見つめるアリスティアに、なんとなく決まり悪げにラウルは説明をした。
「クラウド様、こちらは……」
「レキサス公の娘、アリスティアです」
そう言って、アリスティアは優雅におじきをした。
「なんと、お姫様でいらっしゃいましたか」
クラウドは目を向くように驚いて、あわてて礼を返した。
「それにしても、不思議な組み合わせですね。どうぞ、おかけになってください。生憎何もおもてなしはできませんが……」
「お構いなく。私たち、お話をお伺いしたかったの」
勧められた椅子に腰掛けながら、アリスティアは微笑した。
「さて。私でお役に立てればよろしいのですが。」
水差しから水を注ぎいれ、クラウドは二人に勧めた。ランプの明かりが何もない部屋を照らし出している。
「十年前の大火のことなんですけど」
アリスティアと軽く目配せすると、ラウルは口を開いた。
「火事の当日、ここに一人の女の子が来たと聞いているのですが、そのことでお伺いしたいのです」
クラウドの優しい笑みを浮かべた目が、厳しくなった。
「何故、そのような昔のことをお知りになりたいのですか?」
「導き手でいらっしゃるラバナス様が亡くなったのは、ご存知ですわね?」
アリスティアが静かに言うと、クラウドは無言で頷いた。
「その死に、その少女が関わっている可能性があるのです」
「まさか……」
「信じられないのは私も同じです。だからこそ、彼女のことを教えていただけませんか」
身を乗り出さんばかりのアリスティアとは対照的に、クラウドの顔に深い皺が刻まれたようにラウルには思えた。
「……毎日のように、神に祈りを捧げに来る少女がいました。そう、あの日もひとりで、彼女は祈っていたのです。」
言葉を選びながら、重々しくクラウドは語り始めた。
「火事が起きたと知らせが聞こえたとき、私はあわててホールに駆け込みました。場合によっては、ご神体を担いで避難しようと思ったからです。」
小さく息をつぎ、思い出すように瞳を閉じた。
「私が見たのは、床に倒れ、炎に包まれて、なお燃えない少女の姿でした」
クラウドの声が畏怖に震えた。
「紛れもなく、ロキスの巫女でした。ロキス神は、真摯に祈る少女に火竜の力を与えていたのです。その証拠に、神像の腕に、火竜の姿はありませんでした。」
「……嘘、でしょ?」
信じられない、というようにアリスティアは首を振った。
「だって、彼女は炎系の魔法はいっさい使えなかったのよ?」
哀しそうに、クラウドは首を振った。
「魔の乱れを感じとって、ほどなくラバナス様が駆けつけてくださいました。私が火竜を鎮める間に、ラバナス様は、封じの技を使い、彼女と火竜を切り離したのです。」
炎系の魔法の源は、ロキス神の火竜に発するものだ。封じの技は、魔との接触を遮断するためのものであり、それを施されたのであれば、炎の魔法は使えない。
「ラバナス様は、彼女を『知恵の塔』で教育すると言って、連れて行きました。そして、大火の原因は私とラバナス様だけの秘密にしようと決めました。彼女は火竜を呼んだことなど理解してはいません。もちろん彼女の罪は罪です。しかし裁くにはあまりにも憐れでした。」
沈黙が流れた。あまりにも話が突拍子もないようにラウルは感じた。
「では、この話は今日までメイサさんご本人にもされていないのですか?」
「はい。でも、一度だけ、どうしてもと言われ、ある方にはお話いたしました。」
ゆっくりと、クラウドは深呼吸をした。
「その方は、彼女……メイサさんの才能を高く買っておられ、宮廷魔道師にしたいとおっしゃってました。そのため、どうして炎魔法が使えないのかをお知りになりたいと、熱心に聞かれました……私は迷いました。しかし、彼女がその力を求められ、幸せになれるならお話すべきだと思い、他言はしないことを約束してお話しました。」
「それは、どなたなのか、お話いただけますか?」
「イルクート様です。あの方はロキス神の熱心な信者でもいらっしゃいます。私としては、あれほど信頼に足る方はありませんでしたし……。」
困ったようにクラウドは首を振った。
「まさか、そのことがラバナス様と何か関係があるのでしょうか?」
「わかりません」
アリスティアは首を大きく振ると、クラウドに礼を言った。戸惑ったままのクラウドに微笑すると、ラウルを引っ張るように神殿を出た。
既に夜の帳が降りており、お互いの表情はよく見えなかったが、ラウルはアリスティアが泣いているように感じられた。あるいは、降り続く小雨のせいだろうか。二人はラレーヌ地区の子馬亭の近くまで無言で歩いた。濡れた石畳が店や民家の灯りに反射して、鈍く光っていた。
「聞いた噂の中にね、メイサに、秘密の恋人がいた、って話があったの」
ぽつり、と、アリスティアは呟いた。
「誰も、誰が相手か知らないんだけど、あのコが宮廷魔道師になりたいって思ったのはそのせいじゃないか、なんて言われててね。私、ぴんと来なかったんだけど、相手がイルクートだとしたら分かるわ」
「どういうことですか?」
「イルクートは、皇族に匹敵するぐらいの名門貴族なの。普通に考えたら、メイサはお妾にだってなれないかもしれない。でも、宮廷魔道師なら、堂々と妻になれるわ」
娼婦の娘で、孤児だった彼女には、遠い存在の男。その恋を叶えるために、出世を願ったということは考えられることだ。
「でも、それと、ラバナス様の事件はどう関係があるのですか?」
「そうね、私、封じの技についてよく知らないから、もう少し調べてみないと結論は出せないわね」
もう一度、気を取り直すようにアリスティアは頷いた。闇の中に、銀の髪が映える。彼女を美しいと感じるほど、ラウルの胸に寂しさがいっぱいになった。
「なんにしても、これで、彼女がエレクーンにいる可能性はなくなったのではありませんか?」
ラウルは、慎重に口を開いた。勇気が必要な言葉だった。
「もう、俺に、お手伝いできることはありませんね」
興味がないといえば嘘になる。それにアリスティアの力になりたい、とも思う。、しかしラウルは騎士でも憲兵でもない、ただの大工なのだ。これ以上、何が出来るだろう。
「待って。地図を描いてってお願いしたのは、メイサの事と関係ないのよ。」
アリスティアは、慌ててラウルの袖を引いた。
「地図は、憲兵隊で測量したほうがいいでしょう。メイサさんが関係ないとしたら、尚更、『知恵の塔』も否とは言わないはずです。」
闇の中でも彼女の深い藍色の瞳が自分を見つめているのを感じて、ラウルの心は揺れた。しかし、それゆえに決別の決意は固くなった。
「オルヴィズ様に…」ラウルは、そっと彼女の手を振りほどく。
「あなたの大切な方が胸を病んで亡くなったとお聞きました。そのことで、僕の境遇に同情してくださっているのはわかります。でも……憐れみはいりません」
夜の闇が、お互いの表情を隠していた。
「ごめんなさい。そんなつもりは……」
ラウルは小さく首を振った。彼女を責めるつもりも傷つけるつもりもなかったが、ただ己の矜持を守りたかった。
「失礼します。無事、真実にたどり着くことがかないますようにお祈りいたします。」
ラウルは振り返らなかった。
二人の間に、暗くて冷たい夜の雨が降り続いていた。




