大山流空手道場
門を潜ると広い前庭があり、砂利を敷き詰めた地面に飛び石が並んでいた。
そのむこうに築百年以上にもなろうかというボロボロの、しかし大きさだけは立派な道場が勇ましく建っている。
門の柱には『大山流空手道場』の看板があった。
「お……、お邪魔しま〜す」
伏木花子はなんだかしかつめらしい雰囲気に緊張しながら、アニーとロレインの後をついて行く。
「わぁ……。なんだか昭和の時代に戻ったようだよ」
おばあちゃんはあくまでもワクワクしている。
玄関の引き戸の前に立つと、アニーもロレインもなぜか振り返った。
「花子っ……!」
「花子さん……」
二人が懇願するような顔で何か言おうとした時、引き戸が中からカラリと音を立てて半分開いた。
「お帰り〜。早かったのねぇ」
中から顔を現したのは、40歳代半ばくらいの優しそうな女性だった。ニコニコと柔和な笑いを浮かべ、ネズミ色の空手着を着込み、手には包丁を持っていた。
「たっ……、ただいま戻りましたっ!」
「ただいま戻りましたあっ!」
アニーとロレインが上ずった声でそう言い、花子まで背筋を無駄に伸ばしてしまう。
「あら、珍しいわね。お客さん?」
女性がニコニコと花子とおばあちゃんに視線を移し、包丁を後ろに引っ込めた。
「伏木珠子と申します」
おばあちゃんが笑顔で挨拶する。
「あっ……、アニーちゃんの同級生です」
花子もぺこりと挨拶した。
「二人をおばあちゃんの車で送って来たんで……」
「それで帰りが早かったのか!」
美しいアルトの中年男性の声がして、アニーとロレインがびくっと身を震わせた。花子が振り返るといつの間にか背後に背の高い、口ひげを生やしたおじさんが腕組みをして立っていた。パリッとした空手着に赤い帯を締め、頭を綺麗に刈り揃えている。印象としては昭和の映画に出てくる渋いナイスミドルという感じであった。
「し……っ、師範代っ!」
アニーが泣きつくように言った。
「これにはわけが……っ!」
「アニー……。おまえから肉の匂いがするぞ。それから小麦粉……」
師範代は鼻をひくりとも動かさずに厳しい口調で言う。
「それに数々の添加物の匂い! ……おまえ、何か買い食いしたな?」
「しっ……師範代。お、お客さんですよっ」
ロレインがヘラヘラしながら花子たちを手で示す。
「おもてなしをしなければですよねっ?」
「ロレインは偉いな」
目だけを動かし、師範代がロレインを見る。
「おまえからは買い食いの匂いがしない。悪しき誘惑に負けなかったのだな? 今夜は特別にフナでも食わせてやろう。アニーは罰として夕食抜きだ。……いや、それでは生ぬるいか。ミミズを食わせるとしよう」
「花子っ! 頼むっ! 説明してくれっ!」
アニーが花子に飛びつき、赤ちゃんのように抱っこされながら懇願した。
「あっ……。そのっ……」
花子が全力で説明する。
「わ、私がおごるって言ったんです……」
「それを断らなかったのはアニーのたるんだ精神ゆえだ」
師範代は眉ひとつ動かさずに淡々と言った。
「加えて自動車で送ってもらい、日々の鍛錬を怠るなどとは言語道断。罰は与えます」
「あぁ……あたし、余計なことをしちゃったかねぇ……」
おばあちゃんがフォローした。
「あたしが送るって言ったんですよ。お家の事情も知らず、余計な真似をしてどうもすみませ──」
「あなたは悪くない」
師範代は正しい姿勢を1ミリも動かさずに言った。
「そう……。それに関してはロレインも悪いな。なぜ断らなかった? おまえにも何か罰を与えねばならんな」
ロレインが無理やり笑顔を浮かべながら、泣きそうになった。
「まぁまぁまぁまぁ!」
家の中から女性が顔の前で包丁を左右に振りながら、笑顔で師範代に言う。
「お客様の前ですよ、あなた。とりあえず上がっていただきましょう」
20畳はあろうかという広い和室の真ん中に置かれた卓袱台に案内され、花子とおばあちゃんは感心するように部屋中を見回した。
「車で二人を送ってくださったんですねぇ、どうもありがとうございます」
何かお茶のようなものを運んで来ると、女性がぺこりと頭を下げた。
「私、二人の母親代わりの大山アイリスと申します。主人はこの道場の師範代で、大山ガンバリウスと申します」
「どうも。余計なことをしてしまったようで……すみません」
おばあちゃんが土下座する勢いで頭を下げ返す。
花子はお茶のようなものを手に持つと、思った。
『二人とも外人さんみたいな名前だな……。顔はどう見ても日本人なのに』
そして湯呑みに入った緑色の液体を口に入れ、後悔した。
『あ……、青汁だ! しかも無調整のやつ!』
吐き出したかったが、そういうわけにもいかず、頑張って飲み込むと、涙がちょっとこぼれた。
「車で送っていただいたことについては、伏木さんのご好意に感謝して許すとしましょう」
師範代がそう言ったので、アニーとロレインの顔がぱあっと輝きかけた。
「しかし、添加物の入ったものを買い食いしたことについては許すわけにはいかない」
師範代の言葉にアニーの顔が蒼白になった。
「私どもの家では子どもに『清貧』と『自然食』を教えております」
アイリスが夫の言葉を受けて説明する。
「お弁当には二人とも薬草を持たせておりますのよ」
「今後、二人に添加物の入った現代的な食べ物を恵んだりすることはおやめいただきたい」
師範代が優しい目をして厳しく言った。
「何より『おごる』などと、そのような施しを与えるに等しい真似は子どもの精神を堕落させます。どうか、私の教育方針にご理解を──」
「あのっ……!」
たまらず花子が口を開いた。
「アニーちゃん、コンビニ強盗を退治したんですよっ! それで、そのお礼に肉まんをタダでもらって、それを食べたんですっ!」
「わあっ!」
アニーが頭を抱えた。
「何……?」
師範代の顔にみるみる怒りが浮かんだ。
「アニー……。貴様、大山流空手の技を強盗退治に使ったというのか」




