ドクターの狙い
「それでねっ、それでねっ」
「うんうん」
「わたし、お兄さんたちに取り囲まれちゃって、とっても困っていたの。でもあのときお兄ちゃんが、みんなの注意を引きつけてくれて、助かったなぁ……って、思ったのよ」
「うんうん」
明かりを落としたベッドルームで、エレナは興奮醒めやらぬといった面持ちで、エレナは得々とジークに語りつづけていた。
ベッドに入った彼女のとなりに添い寝してやりながら、ジークは適当に相槌をうっていた。
優しい両親のもとで育った少女には、ちょっとばかり刺激が強すぎたようだ。
時計の針が十二時を回っても、彼女は目を閉じようとしない。
「それからあのおじさまが、怖い顔になったとき――」
さらに三十分ほど話を聞いてやっていると、エレナはようやく欠伸をもらした。
「なんだか、眠くなっちゃった……」
「そう? ゆっくり眠るといいよ。おやすみ……」
「うん。おやすみなさい――」
少女の脇をそっと離れて、ジークはドアに向かった。
ノブに手をかけたとき、エレナは小さい声でつぶやいた。
「ありがと、優しいお兄ちゃん――大好き」
ドアを閉めてから、ジークは誰にともなく肩をすくめた。
あのくらいの歳の女の子の「好き」は、どっちになるのだろうか――などと、愚にもつかないことを考えながら、リビングの向こうにあるもうひとつの寝室へと向かう。
入手した設計図を、いまカンナが解析しているところだ。
「入るよ――」
返事を待たずに、ジークは足を踏みいれた。
ダブルベッドの上に腰をかけたカンナは、すさまじいタイプ速度でノート型の端末を操作していた。
ジークに気づいて、ちらりと顔をあげる。
「おう、ジークかい。……どうだ? あの子はもう寝たか?」
シースルーで肌の透けているナイティ姿にどきりとしながらも、ジークは可能なかぎりさりげなく答えてみせた。
「ああ、いま眠ったところだよ……。そっちの具合は、どうだい? なにかわかったかい?」
「どうにも、いけないねぇ……」
カンナは手を止めると、首をぐるりと巡らせた。
「いやぁ……ね。こうして若い体でいるときに、根を詰めると、どうにも火照ってきちまってさ……」
「火照る? ああ……肩でもこったか? 揉んでやろうか?」
「そうかい。じゃあ、ちょっくら頼まぁ……」
カンナの背中から近づいていって、白い首筋に手をあてる。
二十代の女性の肌には、指を押し返すような弾力があった。
「ちょっと違う、もうちょい下さね――」
「下? こうかな?」
「もっと下だってばさ――」
カンナの手が、ジークの手を掴んでくる。
そのまま、ずっ――と、ナイティの胸元深く引き下ろす。
ジークの手は、熱く火照った肉塊を握っていた。
「えっえっ? あの、あのっ――」
手に余るほどの大きさで、重く張りつめた感触がなんなのか――一瞬、理解できなかった。
そして理解したときには、頭に血がのぼって身動きが取れなくなっていた。
「さあ、揉め」
「もっもっ! 揉めったってっ!?」
手の中に握ったまま、ジークは叫び声をあげた。
「そうそう。先っちょを指のあいだに挟んで、だな――教えなくても、ちゃんとできてるじゃないか」
「やっやっ、やめてくれっ!」
腕を引こうにも、押さえつけられて離れない。
「なんだい? そのようすだと、女は初めてかい? ――どれッ!」
一本背負いの要領で、腕を支点に、くるりと投げだされる。
ダブルベッドに仰向けに転がされたジークの上に、熱く火照った柔肌が覆いかぶさってくる。
シャツの前がはだけられた。
ジークの胸といわず腹筋といわず、体のあちこちを女の手が這いまわる。
ジークは身を固くして、されるがままになっていた。
「いいねぇ、若い男は初々しいねぇ……どゥれ、お姉さんがいろいろと教えてあげようか」
ジークはかろうじて声を絞りだした。
「やっ――やめろよっ! こっこのエロババア!」
精一杯の悪口にも、カンナは怯みもしなかった。魔物の笑いを口許に浮かべて、指先の動きだけでジークを弄ぶ。
「ここをこんなにしておいて、言うセリフかい? ほうら、口じゃそんなことを言ってても、体は正直なようだねぇ。そんな強がりがいつまで続くものか、楽しみだよ、ほんとに……くっくっく」
「あっ……」
いつのまにかベルトが外されていた。
しなやかな指が、じかに触れてくる。
くちびるの感触が、首筋から胸元におりてくる。
右手はジークを捉えたまま、カンナは左手で顔に触れてきた。
ジークの頬を撫でながら、カンナは言った。
「ほんとに、おマエはガルーダに似てるねぇ……どうしてだろう?」
熱い愉悦が迸りそうになるのを懸命に堪えながら、ジークは途切れ途切れに言った。
「そ、そりゃ……。ぼ、ぼく……む、息子、だから……」
「息子?」
カンナの手が、ぴたりと止まってしまう。
続きを願うかのように、ジークはカンナの手に身を擦りよせた。
「う、うん。ガルーダは……親父なんだ。ぼくの……」
「なんだってエ!?」
がばりと、カンナは起きあがった。
ダブルベッドから勢いよく飛びおりて、端末に向かって歩いてゆく。
「さてッ――設計図を解析した結果だが」
「あ、あの……。も、もう……おしまい?」
声と目付きで訴えるように、ジークは聞いた。
「馬鹿たれッ! 前にも言ったろ、私はアイツの育ての親だってな。アイツの息子っていったら、孫みたいなもんだ! ソノ気になんてなれるかいっ! 萎えちまうよッ!」
耳までまっ赤に染めて、カンナは罵るように叫んだ。
◇
「さて……設計図を解析した結果だが。いいか?」
「いいよ。はじめてくれ」
しばらくの後――ふたりはリビングで待ち合わせることにした。
お互いのために若干のインターバルを取ることにして――そのあとで熱いシャワーを浴び、ぱりっとした服を着て、気分をしゃんとさせてから顔を合わせる。
「この宇宙樹ってモンは、表向きはニュートリノ・レンズってことになってる。たしかにそのように働くし、この設計図を見たところで、誰も気づきはせんだろうさ――他に隠された機能があるなんてことはな」
ジークはうなずいた。
そうでなければ、ジークたちの苦労はただの徒労になってしまう。
「だがここに、やつを上回る知能の持ち主がいる。さぁ――その名前は?」
「おいっ――もったいつけてないで、はやく教えてくれよ」
「ワカッタわかった……じつはコイツはな、タキオン・レンズにもなるのさ」
「タキオン・レンズ……?」
ジークは眉をひそめた。
タキオンといえば、時間を遡って進むといわれる素粒子だった。
「おマエさん、子供のころに虫メガネを使って遊んだことはないかい? 太陽の下でレンズを使って、紙を焼き焦がしたりする遊びさ」
「い、いや……オレ、宇宙育ちだから。したことないけど……」
「なんだよ、つまんない子だね。じゃあ初歩の物理学、理科の実験だ。凸レンズと光源と、焦点の関係はわかるな?」
「あ、ああ……。まず光源があって、凸レンズで光を曲げて……それで光が焦点に集まるんだろ?」
「それと同じことを、やつはタキオンでやろうっていうのさ。どこか未来から送られてくるタキオンの流れを、この宇宙樹で曲げて、過去のどこか一点に収束させるってわけだ」
「でもなんだって、そんなことを……」
「もちろん、ただタキオンを送っただけじゃ、たいした意味はないさね。宇宙樹の構造に、若干の揺らぎがあってさ……それが透かしの要領になって、何百ビットかの情報をタキオン流に乗せるらしい」
「情報を――送る? 過去に向かって?」
ジークは首を傾げた。
いまひとつ、ピンとこなかった。あのドクターが企むにしては、どうにも地味な気がする。
「宇宙樹の屈折率は計算してあるんだが、肝心の光源――タキオン流がどこから送られてくるのかワカランから、過去のどの時間軸を狙っているのかも不明なままさね」
「わかる……」
ジークは言った。
タキオン流の発生地点を、ジークは知っていた。
「英雄暦一四一年、六月十六日、午前零時ジャストだ。場所はこのネクサス……。十五年先の未来で、やつは惑星ひとつを、まるごとタキオン流に変換したんだ」
「よしッ、そいつがわかれば――」
ソファーに寝転んでいたカンナは、飛び起きるなり寝室へと駆けこんだ。
乱れたベッドの上に端末を投げだし、いまのデータを公式に代入する。
「出たぞッ! やつが狙っているのは――なんだってッ?」
端末の画面を、ジークは覗きこんだ。
一連の数字が、そこに記されていた。
百三十七億、九千八百二十七万、四千三百五十一年、二百七十一日、三万二千七百六十八秒。
その数字は、最新の宇宙論が語る宇宙開闢の瞬間――ビッグバンの瞬間を指し示していた。
「あの目玉オヤジめッ! ビッグバンの瞬間を狙おうっていうのかヨ!」




