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星くず英雄伝  作者: 新木伸
EP3「宇宙樹の少女」 第一章{現在}

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アニーを迎えに

 カタリナの操るシャトルは、《サラマンドラ》の脇をゆっくりと抜けていった。


 2週間前と同じように、《サラマンドラ》は寸断された茎の端にアンカーで固定されていた。

 外から眺めるかぎり、なにも変わりはないように見える。


 ついさっき、30分ほど前――わざわざ地上まで降りてきたカタリナは、ジークに向かってこう言った。


 姉さんを迎えにきて――と。


 カタリナは、自分はアニーの妹なのだと――そう言った。

 血の繋がりはないらしいが、同じ〝家〟(ホーム)で育った姉妹なのだと。


 第1次船団を送り出した直後ということもあって、数時間ほどの時間を、なんとかひねり出すことができた。

 アニーとあったら、すぐに引き返さなくてはならない。


 アニーになんと言えばいいものか。

 さんざん考えあぐねて、頭が加熱ぎみになっていた。


 気分を変えようとして、ジークはカタリナの横顔に目をやった。

 操縦桿とスロットルに手をかけたカタリナは、計器に目をやることなくシャトルを操っている。

 感覚だけで船を飛ばしてしまうところは、姉であるアニーと同じだった。


「ここの人って、みんなそうなのかい?」

「えっ? なにが?」


 急に話しかけられ、カタリナはきょとんとした顔をジークに向けた。


宇宙樹(ユグドラシル)育ちの人って、みんな君やアニーみたいに、船の扱いがうまいのかってことさ」


 船の速度や方向、軌道や相対距離という、本来なら計器を使わねばわからないものを、宇宙樹(ユグドラシル)の人々は身体感覚として身につけているのかと思ったのだ。


「ああ、そのこと。姉さんはちょっと特別かな。鬼ごっこやらせたら、誰も追いつけないもの。でも誰だって、あたしくらいはできるんじゃないかな。スプレーガン持って飛びまわるのと、たいして変わんないでしょ?」


 手足のようにシャトルを扱いながら、カタリナは簡単に言ってのけた。


 シャトルは宇宙樹(ユグドラシル)の中心部に向かっていた。宇宙樹(ユグドラシル)を支える中心部は、さしわたし4、5キロほどの大きさを持っている。


「あそこの中にあるのかい? 君たちの家って……」

「中? ううん、外側よ。シードの中のほうは、なんか壊れた機械でぎっしり詰まってるもの」


 そう言われて注意を向けると、表面にパイプ状の気密通路が縦横に走っているのが見てとれる。


「スラムなんて言われても、仕方ないよね。ロケットの残骸で作られた街だなんて……」

「そんなことないよ。打ちあげロケットを資材で使いまわすなんて、どこでもやってるだろ」


 こうした軌道建築物を作る際には、地上から資材を送り出すために、たいへんな数の打ちあげロケットが使われる。

 核融合など値の張るエンジンは持たず、何度か使えればいいというコンセプトで作られた使い切りの固体燃料ロケットだ。


「でもあたしたちは、そんなスクラップで作った街に住んでいるのよ」


 自嘲ぎみにそう言って、カタリナはシャトルを向けた。


    ◇


「すっげー! ねーちゃん! ほんとーにこれ(、、)、《ヒーロー》なのっ!? ホンモノなのっ!?」

「こらっ! これとはなによ、これとは!? お客さまに失礼でしょ!」


 カタリナたちの〝家〟(ホーム)は、12本のロケットを繋ぎ合わせてできた「8」の字形の居住区画だった。到着するなり、ジークは何人もの子供たちに取り囲まれ、彼らの検分を受けることになった。


「ウソだぜー! だって《ヒーロー》っての、もっとカッコいーもん! これ違うよー!」


 子供のひとりが、ジークを指差してそう主張する。


「えー、でもニュースに出てたのとおんなじだよー?」

「じゃあダニエル。お前、賭けるか?」

「いいよ! 夕ごはんのチーズ、賭けてもいいよ!」


 ダニエルと呼ばれた男の子は、年長の子の挑発を受けて立った。輝く目を、ジークに向けてくる。


「お兄ちゃん、宇宙海賊に知りあいとかいる? えーと、なんだっけ……〝しゅくめぇのらいばる〟とか、そーゆーのさ?」

「ライバル? い、いや……そういうのはアレだけど、知りあいくらいなら、まあ……」


 ジークの答えに、男の子は勝ち誇ったように胸を張った。


「ほうら、やっぱり《ヒーロー》さ」

「あんたたち! 馬鹿なこと言ってないで、とっとと広間に行きな!」


 不平をもらす子供たちを、カタリナは有無を言わせぬ迫力で追い散らした。


「奥よ、先に行ってて――」


 ジークにはそう言い、ハッチの陰に残った子供には怒鳴り声を投げつける。


「ほらぐずぐずしない! 飯抜きにするよっ!」


 ジークは言われるまま、奥に進んだ。

 ひとつひとつの部屋はチューブ状の形で、きっちり20メートルほどの長さがあった。


 次の部屋との接合箇所には、開いたままのハッチがある。

 曲がり角にさしかかるたび、壁面を蹴って60度ずつ進行方向を変えてゆく。

 足で蹴るその場所は、塗装がはがれて金属のつるりとした地肌がむきだしになっていた。


 ひとつ壁を蹴るたびに、ジークの緊張は高まっていった。


 2週間ぶりに、アニーと会うのだ。

 あの晩からそんなに経ってしまっているということが、どうにも信じられなかった。


 こちらから連絡することは控えていた。

 《サラマンドラ》の通信機に電文を送り、個人宛のメール・ボックスに伝言を入れておいたきりだ。読んでいるかどうかもわからない。


 宇宙樹(ユグドラシル)がアニーの故郷なのだから、そこに帰ることは里帰りになるはずだ。

 友人や家族もいるに違いない。

 自分が下手な言葉でなぐさめるより、そのほうがアニーのためだろう。そう思ってのことだった。


 それでも最初は、2、3日で迎えに行くつもりだったのだ。

 それが数日になり、1週間になり――。数十分前にカタリナがやってきて、ジークを連れ出してくれなければ、いつまでも延び延びになっていたかもしれない。


 3つめの角にさしかかる。

 右手の壁に、後付けされたと思われるハッチがあった。

 そこだけが個室になっているらしい。半分ほど開いたドアの前で、ジークは手すりにつかまって体を停止させた。


「アニー……?」


 部屋の中は暗かった。呼びかけてみたが、返事はない。


 ジークは部屋の中にゆっくりと踏みこんでいった。真っ暗な部屋の奥に、ベッドがひとつだけある。ジークはもういちど呼びかけた。


「アニー……」

「姉さんなら、いないわ」


 背後からカタリナの声が聞こえて、不意に部屋の明かりが灯された。

 ベッドの中は、もぬけの空だった。


「あと1時間は戻らないわ、姉さん」

「カタリナ……? あれ、だって………、アニーがいるっていうから」


 ジークは訳がわからなくなった。アニーがいるというから、来たのではなかったか。


 カタリナは後ろ手でハッチを閉めると、壁際のパネルに手を伸ばした。


「重力は、あったほうがいいわよね」


 体に重さが生まれ、ジークの足が床に下りた。

 2分の1Gくらいだろう。

 控え目な人工重力だった。カタリナの手がパネルを叩いて、ハッチのロックを作動させる。


「あの、カタリナ? なにを……」

「さっきの子供たち、見たでしょ? もっといるのよ、ぜんぶで28人も」

「それは……、たいへんだなぁ」

「そう。手がかかるし、みんなナマイキなんだけど……。それでも可愛いところはあるのよ。ねぇジーク、子供は好き?」


「あ、うん。嫌いじゃないよ……。うちにもリムルがいるし、カンナだって……」

「よかった。じゃあわかってくれるわよね? 未来が欲しいのよ。あの子たちのために――」


 カタリナはそう言い――何を思ったか、着ていたタンクトップの裾に手をかけた。


「カ、カタリナ、なにを――うわぁ!」


 カタリナはカーキ色のタンクトップをくるりと脱いでしまった。ブラを付けていない胸を片手で覆い、ジークに歩みよる。


「聞いたわ……。宇宙樹(ユグドラシル)の人間は、置いてけぼりなんでしょ?」

「いや、それは――」


 カタリナが進むぶんだけ、ジークは後ろに下がった。


「あなたの力で、なんとか席を取ってくれない? 18万5千人の全員が無理なのはわかってる。でもあの子たちだけなら、どこかに割り込ませられるよね?」

「ちょ――ちょっと待ってくれよ、カタリナ。――ととっ!」


 ベッドに足がぶつかる。ジークはシーツの上に座りこんでしまった。


「ただで――とは言わないわ。あたしだったら、好きにしていいよ。ほら――姉さんよりあるでしょ?」


 カタリナは胸を隠していた手を取りはらった。


 きれいな形の膨らみが、ジークの目に飛びこんでくる。スカートの中に手を入れて、ショーツを脱ぎ下ろす。

 ゆっくりと見せつけるようにしながら、片足ずつ引き抜いていった。


「い、いや、あのっ――オレはっ、だからっ……」


 ベッドに倒れこんだジークにのしかかる形で、カタリナは迫ってきた。

 脱ぎたてのショーツを、ジークの手に握らせる。


「どういうのが好き? なんでも、してあげるよ。そのかわり――ね?」

「も、もっ、もっ、もっと自分を大切にっ、し、したほうがぁ……」


 とがった胸の先を押しあてられて、全身の血液が沸騰しそうだった。

 自分がなにを言っているのかもわからない。


「だいじょうぶ。バージンなんかじゃないから。そんなの、11歳でなくしちゃったわ。おねがい、女の子に恥をかかせないで……」


 吐息が、耳元に吹きこまれる。

 全身の毛を総毛立たせながら、ジークは頭の片隅で、今日はよく襲われる日だと、他人事ひとごとのように考えていた。


「ちょっとッ! カタリナ! あんた! なにやってんのよっ!」


 聞き慣れたアニーの声が響くと同時に、ハッチが外から蹴りあけられた。


「ね、姉さん――!?」

「ア、アニー!」


 カタリナが身を離した隙に、ジークはベッドから逃げだした。

 火を噴きそうな目で妹をにらみ、アニーはつかつかと歩みよってきた。


「泥棒猫みたいなマネ、してんじゃないわよっ!」


 なんの手加減もない平手で、妹の頬を打ち鳴らす。


 カタリナも負けてはいなかった。ベッドに倒れこんだのもつかの間で、跳ね起きるなり、強烈な平手をアニーにお見舞いする。


「なによっ! 姉さんがやらないっていうから、あたしがたらしこもうとしたんじゃないさ!それがいけないっていうの!? あの子たちの未来がかかってるんだから、なりふりなんてかまってられないわよ!」


 ふたたび、カタリナの頬が鳴り響いた。

 その音の激しさに、ジークはびくりと身をすくめた。

 壁に張りついて息を詰める。


 唇から流れた血をぬぐおうともせず、カタリナは姉を見返した。


「いいわ! じゃあ姉さんが、責任持ってたらしこんでくれるのよね!?」


 そう言い捨てて、カタリナは部屋を出ていった。

 ばん――と、壊れそうな勢いでハッチを閉める。


 気まずい沈黙が長いこと部屋を支配したあとで、アニーは口を開いた。


「――何の用? 黙ってないで、なにか言ったら?」

「そ、その……、オレは……」


 冷え切った表情のアニーに、ジークはもごもごと口を動かした。


「彼女に、カタリナに、姉さんを迎えに来てって――そう、言われて」

「そう。じゃあもういいのよね。――帰って」

「え? いや、でも……」


「聞こえなかった? 帰って――って言ったんだけど? カタリナに言われて来ただけなんでしょ? じゃあそれは、あんたをたらしこむための口実だったんだから、もういいのよね? それともまだ未練があるわけ? いいわよ――あの子を呼んできて、つづきでもなんでもさせたげるから。でもそれが済んだら、ひとりで帰ってくれる?」


「いつオレがそんなこと言ったよ!」


 顔を引き締めて力説する。

 目の前から裸が消えて、ようやく動悸も収まってきた。


「いつまで持ってんのよ?」

「え? ――わわっ!」


 ジークは握りしめていたカタリナの下着を、あわてて投げだした。


「とっ、とにかく! 戻ってくれないと困る! いまたいへんなんだよ。いろいろと――」

「知ってるわ。ニュースで見てるもの。でもお生憎さま。あの偽善者に手を貸すだなんて、冗談じゃないわ。死んでもイヤよ」


「偽善者だって? 誰が? ――クレアさんのことか?」


 アニーの口元が、かすかに引きつった。


「そうよ。そのクレアとかいう女のことよ」

「やめろよ、そんなこと言うのは。あの女性ひとは立派な大統領だよ。懸命になって、自分のやるべきことをやってる人だ」

「じゃあ教えてあげるわ。あの女が奇麗で理想的な観光地のイメージを守るために、どんな政策をいままで取ってきたのか――」


「な、なんのことだよ……」

「この宇宙樹(ユグドラシル)はね、欲望にギラついた観光客のために、非合法のサービスを提供しているの。売春宿やらカジノやら、下じゃ用意できないようなものがいろいろと揃ってるわ。そう――どんなものでもね。甘ちゃんのあんたが想像もつかないようなサービスも、世の中にはあるのよ」

「そっ……」


 ジークは言葉を詰まらせた。

 そんなことは一度も考えたことがなかった。

 たしかに、妙に小奇麗な街並みだとは思ってはいたのだ――。


「あんたはいつだってそう。清らかなヒロインがいいんでしょ。そういう女が好きなんでしょ? だけど、どんな清純そうな女だって、心の中には醜い欲望を飼ってるものよ。そんなこと――考えたこともないんでしょ?」

「み……、みんながみんな、そうとは限らないだろ」


 かろうじて、ジークはそう言った。


「そうかもしれない。でもね、あたしはそうなの。あんたは物の上辺しか見てなくて、自分の幻想だけでものを言ってる坊ちゃんよ。人に幻想を押しつけるのはやめてよ。迷惑よ。重荷なのよ」

「ア、アニー……」

「あたしを……あたしを苦しめるのは、もうやめてよ……」


 アニーは下を向いて、絞り出すように言った。


「帰って。おねがいだから、帰って……」


 うつむいた顔は見えなかった。


 震える顎先から、しずくがぽつりと――床に落ちるのだけが見えた。

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