第24話 絵画
屋敷の、執務室。
そこに俺はいた。
応接用のソファに、俺とテーブルを挟んで、シュリアの父、デールが座っている。
「筆頭宮廷魔術師のシャイア閣下か……。今は王都にはいらっしゃらぬな。ご自分の領地に帰っていらっしゃるはずだ」
ニッキーの入れた紅茶を口に運びながら、デールは俺にそう言った。
「では、どこに?」
「ここから北に320カルマルト、イマルという城塞都市だ。かなり発展した都市だぞ。もともと白金等級の貴族でいらっしゃるからな。私のような田舎の銀等級貴族とは領地の重要度や発展具合が全然違う。そこがシャイア閣下の領地になっている」
白金等級って、確か貴族で一番上のクラスだよな。
地球でいえば公爵レベルか。
宮廷魔術師っていう言葉の印象とはずいぶん違うな。
「320カルマルトと言ったが、それは直線距離の話で、実際にはここから徒歩で二十日以上はかかるだろう。高い山を迂回しつつ山間を行くルートになるからな」
1カルマルトはほぼ1キロメートルだということは、いろいろ試してみてわかっている。というか、俺の身長173cmと、この世界の1.7マルトがほぼ同じだった。そして1カルマルトは1000マルトだってんだからわかりやすい。
320キロか。
東京から俺が住んでいた新潟市までくらいの距離だな。
っていうか現代日本人で車社会の田舎住まいだった俺に、その距離を歩くのはかなり難しい気がする。
いや、身体は若返っているからいけるかもしれないけど……。もともと運動が超得意、ってわけでもなかったし。
「そのイマルまで行こうと思います。紹介状などいただけますか? 俺はその方に会いたいのです」
「なんのために?」
「シュリアさんから譲り受けた、奴隷の刻印を消してやりたいのです」
「それこそ、なんのために? あれは、気が触れている奴隷ではないか。自分の事をライラネック家の令嬢などと……。ライラネック家は三十年も前に断絶している貴族家だしな。そんな奴隷の刻印を消す? なんとも……。目的がわからぬ」
うーん、この世界の価値観に染まり切っている人に、奴隷から解放してやりたいのです、なんて言っても理解されるはずがない。
だから、俺はココのためにホラを吹くことにした。
一言で言えば、嘘をついた。
「俺にもわかりません。ただ、女神様が夢に出てきて、そうせよ、と命じたのです」
デールは俺の顔をまじまじと見た。
この世界の人間は信心深い。
実際に魔法なんてものがある世界だしな。
そして俺は、事実として、ほかの人が使えない魔法を使ってこの村を復興させた。
デールだって村人に聞いてそれが真実だと知っている。
だから、その信仰心に賭けてみようと思ったのだ。
デールは腕組みをしてしばらく考え込んでいるようだ。
はっきりいって、デールにとって俺は扱いに困る人間のはずだ。
俺という存在は、村人たちから救世主として絶対的な信仰を得ているカリスマですらある。
自分が領主だったら、そんな人間にずっと領内にいてほしくないはずだ。
領主としての自分の権威と権力が及ばぬ人間が近くにいてはいろいろと領地経営もやりにくかろう。
とはいっても復興の功労者であるのも事実。
無下に追い出すわけにもいかない。
そんなやつが自分から出ていくというのだ。
「………………わかった、シャイア閣下とはそれなりに親しくさせていただいている。紹介状を書こう。ほかに欲しいものは?」
俺は前の人生で学んだことがひとつある。
謙虚なのが美徳とされる日本社会でさえ、自分が欲しいと思うものは、きちんと口に出さないと手に入らないということだ。
だから、俺はきっぱりと言った。
「丈夫な馬二頭。悪路に強い馬車一台。食料と水。路銀。あと、道に詳しい御者は絶対に欲しいです。その人選は俺にさせてください」
それを聞いてデールはふっふっふ、と笑う。
「まあ、そのくらいは必要だろうがなあ……」
そしてまた考え込む。
しばらくのあいだ、口ひげを撫でながら部屋に飾ってある絵画を眺めていた。
この村の田園風景を描いた、精緻な絵画だった。
「あの絵はな」
デールが言った。
「はい?」
「有名な絵師に描かせたのだ。なかなかの金銭を支払ったよ。奴隷なら、三十人は買えるだろうというくらいの値段だった。……この家は、あの絵ごと焼失したはずだった。あなたがこの家を復元したと聞いたが……」
「そうです」
「まさか、絵画まで……。さきほど、すみずみまで確認したが、どう見ても本物としか思えなかった。額縁を外して裏まで見たが、所蔵を示す私のサインまで完璧に復元されていた。……この家と、絵画。ふふ、あなたのおかげだ。よかろう。望むものを与えることにするよ」
「ありがとうございます!」
「御者は自分で選びたいと?」
「はい。詳しくは言えませんが大きな条件がありますので。一人ひとり、面接したいのです」
そう、俺とココを目的地まで運んでくれる御者には、絶対の条件があった。




