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『親愛なるオリビア。
今、どこぞの莫迦貴族がやらかした事件で、大変お仕事が忙しいと聞いているわ。あなたは昔から無理するところがあるから、体調には気を付けるのよ。お母さまを騙そうたってそうはいきませんからね。でも、それが終わればきっと、通常の仕事に戻るはずよね。そろそろ、実家に顔を見せても良い頃合いではないかしら?皇后宮での生活よりも、お屋敷での生活の方が快適なはずだわ。お母さまにその可愛い顔を見せて、満足するまで抱きしめさせてちょうだいな。良い返事を期待しているわ。
あなたを最も愛しているお母さまより』
『我が国の月であせられる皇后陛下。
皇后陛下が今、件の事件において多忙を極めているのは、当たり前のことだが知っている。何せ、職場が一緒だからな。親子そろって職場が一緒というのは、存外良いことだ。直に成長を見届けることができるのは、親冥利に尽きる。だが、最近は多忙故か何かは知らぬがかなり痩せており、ビビに問えば食事量も減っているという言うじゃないか。心配で心配でまた父の頭は涼しくなる一方。偶には、邸宅に帰っておいで。待っているよ。
皇后陛下を最も尊敬している父より』
『わたくしの美しい妹オリビア。
夫から聞いたわ。とんだ暗愚な貴族がいたものね。後処理は大変だろうけれど、程よく頑張りなさいね。皇帝陛下の管轄内の元暗々裏に行われていた悪事だもの。誰が責任を負うべきかは、張本人が分かっていることでしょうよ。それはそうと、最近、あなたに会えていないからとても寂しいわ。舞踏会にもなかなか出席しないし、お茶会も催してくれないもの。どうしたってあなたに会えっこないじゃないの。まったく、あなたをとても愛している身としては辛いものよ。夫もあなたを可愛がっているものだから、最近はずっと、あなたの成長ぶりを興奮して話してばかりなの、妬けちゃうわ。まあ、冗談はさておき、たまには顔を見せてちょうだい。いつでもあなたの訪れ、お呼びだしを待っているわ。
あなたの麗しいお姉さまより』
『オリビア皇后陛下。
僕はご存じの通り文章能力が著しく低いから、前置きは省略し、単刀直入に言うよ。皇族は離縁はできないけれど、別居はできる。オリビア。屋敷の方がきっと快適だとお兄さまは常々思っているんだけど。どう思う?
オリビアの永遠の味方である兄より』
「まったく、心配性過ぎるわ……」
私は手紙を運んできた鷹と梟の頭を撫でながら、それでも嬉しいなと頬を緩ませる。
こういった実家に帰ってくるようにという催促は、今に始まった話ではない。
皇后宮へ皇帝陛下が1度も足をお運びにはなっておらぬ……そんな、不名誉とも言える噂が社交界に尾ひれを付けて舞っていた時から、噂の渦中に独り置いて行かれている私を憂いて、手紙が毎日のように届けられるようになった。
正規の方法で皇后宮の手紙管理所を通して、私に渡すという方法も無論あるが、時間がかかる上、手紙の内容や危険な細工が成されていないか確認するために、人の手が入る。
となれば、礼儀正しい文章構成と内容、当然ながら家の格を危うくするような内容は書けぬ。しかし、いくら皇后になろうとも相手は家族であり、気の置けぬ仲。
――皇后宮という大門を介して手紙を送ることで、か弱い娘(妹)を不安を慰めることもできぬのならば、直接届けてやろうではないか。なあに、そんなこと屁でもないわい。
そんな少々おかしい思考に陥った家族は、持ち前の能力を遺憾なく生かした、その結果。
利口かつ敵に狙われる心配もない鷹や梟などを手紙配達係として調教し、足に手紙をくくりつけ、伝書鳩のような役割をさせることにした。
鷹や梟を完璧に躾けるその期間は、たったの3日間。驚異の速さだ。
そのことを知ったビビが「流石や公爵一家。なんでもありですね」と驚き呆れていたのを、昨日のように思い出しながら、私は返信を書かんと机に向かおうとして……ふと、後ろを振り向く。
そこには、例の事件について論じるのに疲れ果てた陛下が、長椅子で長い足を折り畳みながら熟睡している。長い睫毛の下で見え隠れしている隈は濃く、疲労と睡眠不足が伺えた。
無理もないわ…。皇太子時代から信頼していた貴族が、私腹を肥やすために、税金泥棒に麻薬密輸、人身売買まで行っていたもの。発覚した時、どれほど衝撃を受けたことか。一族を処刑すると決めるのに、どれほどの見えぬ血を流すほどの苦痛を味わったことか。
頭の弱い私には、想像などできぬ。
その苦痛から守って嗄声挙げることができたら……せめて、変わって差し上げることができたら良いのに……。
しかし、それは物理的にも精神的にも私にはできぬことだと、弱々しい溜息が漏れる。
己惚れては駄目よ、オリビア。
その役割は、あくまでアマリリス妃のもの。
今宵とて、陛下が来てくださった理由は「アマリリスには弱いところを見せてはならないから」という、いっそ殺してほしいと嘆きたくなるほど、辛い理由であった。
お姉さま曰く、殿方は大切な女性には弱いところを見せたくはないらしい。自分の強く、逞しく、男らしく頼れるという輝かしい部分だけを見せようと、努力をなさるらしい。
「だから陛下は、今夜、私を訪ねてきたのですね……」
分かっております、陛下。私は陛下の大切な存在にはなれない……陛下が、卑劣で、愚かな私を愛することはないでしょう。それでも私はとても嬉しいのです、泣いてしまうほど。狂喜で心臓の髄まで満たされる感覚は、いっそ麻薬のようで……。
どうか愛してくださいと……その腕の中に閉じ込めてくださいと……縋りたくなる。
そこで陛下が僅かな身じろぎをしたのを見て……私は、己を掻き乱す纏まりのない思考が一気に散り、慌てて鷹や梟が入ってきた窓を閉め、ゆっくりと陛下に上掛けをかける。
その際に、睡眠を誘う効果が期待できるお香を焚き、部屋を明るく照らしていた光も落とした。
鷹と梟を見ると……流石、家族が手名付けた有能な子たち。静かに羽を休ませ、予め用意させている寝床に身を隠していた。
私は彼らにゆっくりと干し肉を与え……それから、陛下が眠る長椅子の近くの椅子に座る。
(よく眠っていらっしゃるわ…)
月明かりに照らされた中、不謹慎ながらも死んだように眠る陛下は、どこか神秘で、追随を許さぬ美しさが在った。
(嬉しい)
アマリリス妃が独占していた表情をまた、私も見ることが出来た。許された。
そこには純粋な喜びと、どろりと暗澹とした真っ黒な嫉妬が共存しており、仲良く融合しているその様は異様。また、そこに違和感を抱かないのだから、最早理性そのものが使い物にならぬと言っても過言ではないだろう。
こうして、どんどん惨めで汚い女になっていく。
私は瞼をきつく閉じた。
――あの日を境に、陛下は来てくださるようになった。
とは言っても、決して寝台に上がるようなことはせず、お酒を飲んだり、仕事のことで意見を交換したり、チェス等で賭け事をして遊んだりと、至って健全。
しかし、乙女の恋心と言うのは単純明快。それだけで、天にも昇る気持ちを味わい、何度その多幸感に酔ったことか知れない。
それに加え、3週間に1度が、2週間に1度、今では1週間に1度と、短い期間で皇后宮へといらっしゃり……あまりの喜びにこれは夢ではないかとさえ思った。
だがそれは所詮、砂上の楼閣。束の間の幸せな時間に過ぎない。
おそろしいことに、陛下が皇后宮へと通っているという話は瞬く間に社交界に広がり、今では「とうとう皇后陛下が……では、アマリリス妃はご寵愛を失ったか?……そうに違いない、何せ身分が無いもの。捨てられて当然だろう……」なんて、信じ難い噂もあると、ビビが貴族の掌返しに慄きながら報告してくれた。
失神するかと思った。
現実は違う。
陛下は今でもアマリリス妃を愛されており、かなりの頻度で後宮へと足をお運びになっていらっしゃる。
私が下劣な手段に出て、陛下を引き留めた結果に過ぎぬ。
陛下は私のことが今でも、嫌いだ。大嫌いなのだ。名前さえ呼んでくれぬ。髪にでさえ、触れるのを厭う。食事を共にすることも避けている。
「私は、決して陛下とアマリリス妃の仲を引き裂きたいと、思っておりません……」
ただ、陛下に私が決して害のある存在ではないと、身を以て知ってほしかった……それだけ。決して、アマリリス妃に累を及ぼすつもりなど無かった。
――ああ……なんと惨めなことか。
こうやって、愛する者に執心し、狂い、惨たらしい有様へと変貌する。最も愛する者の前で、美しく佇むことでさえできないことは、とても嘆かわしく、みすぼらしい。
何より、ここまで自分が自分勝手で身の程知らずで他人への配慮に欠ける性格だとは、思いもよらなかった。
仲睦まじい恋人の仲を、正室という椅子に踏ん反り返って座り引き裂いただけに足らず、陛下の優しさに付けこむような形で、半強制的に陛下のお時間を拘束し、社交界をどよめかせた。
なんて罪深いことか。
己の欲を優先し、愛する人にとっての害になることを率先して行うなど、それは愛とは言わない。
「……ですが……愛しております。陛下………心から、お慕いしております……」
私は震える手で陛下の美しい髪に触れ……そう独り、呟いた。
――それから1か月後のこと。
私はビビを連れ、皇后宮を後にすることになった。




