捕獲 3
「どこへ行くんだ、リリアン嬢」
突然、手の中から切符がするりと抜けると同時に、男の声がすぐ横から聞こえてきた。驚いて顔をあげたオレンジの髪の少女は、声の主を確認すると真ん丸に目を見開いた。
「あなたは……!」
少女が大分見上げなければならない程の背の高さ。大柄な体つきで、誰もが目を見張る美青年。リリアンの瞳よりも厚みがあって濃い灰色の髪が、陽の光を吸収して鈍く輝いている。今日もどこか無気力でありながらその癖色気の漂う佇まいの男が、なぜか彼女の切符を奪い、しげしげと見つめながら真横に立っていたのだ。
こんな特徴と存在感のある人物を忘れるはずがない、昨夜声をかけてきたあの男だった。
「昨日の。どうしてここに……」
「それは俺の台詞だ、リリアン嬢」
「ですから私は! 昨日も何度も申しあげたとおり、リリスです。リリアンではありません」
しかしジェーダスは構わず質問をする。
「社交界はまだ始まったばかりだが、もう帰るのか?」
「あなた様には関係ないことです」
「しかも……あの馬車に乗るのか。自分のとこのはどうした。子爵家でも馬車くらい持っているんじゃないのか」
「で、っですから、私はその、子爵とか、貴族ではなく、リリスという別の人間で……」
「まあいい。ちょうど君に話があったんだ。領地まではここから半日だろう。話がてらついでに送って行こう」
「って、あの、人の話を聞いて下さい……!」
だがジェーダスはさっさと切符を返金すると、彼女から荷物を奪い去り、ついでに彼女の手も引いて元来た通りを進む。でかい図体の割には動きは俊敏で、通行人にぶつかることもなかった。
「本当に、一体何なんですか!? というかあなたは一体……」
歩幅の大きさが違うため、駆け足になりながら少女が叫んでいる。後ろは振り向かず、ジェーダスはそう言えば名前を名乗っていなかったなと思い出した。
「俺の名はジェーダス。爵位は伯爵。ミシエル伯爵とも呼ばれている」
「それは知ってます! 昨日、あなた様の話は色んな方が話されているのを聞きましたから」
ミシエル伯爵と言えば、社交界でも有名な存在だ。そんな男がその場にいれば、必然人の口にも上がる。あの場にいれば、使用人であっても名前は散々耳にした。
「そうではなくて! なぜあなたは私に関わるのですか? 何の接点もないではありませんか!」
「だからさっきから言ってるだろう。俺は君と話がしたい。リリアン、君に興味があるんだ」
「私はリリスです! 第一私がリリアンだって証拠はあるんですか?会ったことは?」
「ない」
「ないって……。なのに私がリリアンだと断定されるの? 意味が分からない!」
「髪の色と瞳の色、体格に年齢なら知ってる。君はそれに当てはまっている。それにさっきの馬車、クロード領を経由するものだろう」
「それだけですか?」
「ああ。……待たせたな、キエイ。目的地が決まった。クロード領だ」
到着すると主の帰りを待っていた従者は、ジェーダスに手を取られて目を白黒させている少女と主人とを交互に見やると、
「今からですか?」
「そうだ」
「その方もご一緒で?」
「ああ、勿論だ」
するとどこか納得したような顔を浮かべ彼女を見やる。が、それも一瞬のことで、すぐに通常の無表情に戻ると御者に道を確認する。
その間にジェーダスは彼女の手を引いて馬車に乗ろうとする。
「リリアン、さっさと乗れ」
「ですからっ!! いい加減にしてください!」
しかし彼女は掴まれてた手を強引に引き離すと、ジェーダスと距離を取り、キッと睨みつけた。
「勝手に私をリリアンだと決めつけて、強引にここまで連れて来て! 貴族の伯爵様は、こんな横暴をしても許されるとでも言いたいんですか!? そもそも私とあなたは昨日初めて会っただけの仲です。それに身分も全く違います! 平民である立場の私リリスと伯爵様であるあなた様とでお話しすることは何もありません! リリアンという女性と話がしたいなら、直接彼女の元を訪ねればいいじゃないですか! だから荷物を返して下さい! 送って頂く理由もありません!」
だが残念ながら彼の耳は、彼女の言葉を都合よく変換したらしかった。何やら考え込むように顎に手を当てると、
「なら君がリリアンだと証明できれば、大人しくこの馬車に乗って俺に付き合ってくれるということか」
「え、い、や、そういうことではなくて……」
「そういうことだろう。そうだなぁ。………ああ、そういえば、リリアンにはもう一つ、身体的特徴があったな。胸のところに星型のやけどの痣があるらしい。もしも君にそれがなければ、君がリリスと認め解放する。その上謝罪として馬車で目的地まで送らせよう。勿論俺は同行しないし、君が要求するならどんな謝罪も受け入れよう。なんなら土下座をしても構わない。という訳で、見せてもらえないか」
「!?」
今までの様子とは一変し、明らかに狼狽した様子を見せた。
髪の毛や瞳の色はともかく、火傷の痕…しかも変わった形のものを持っている人間は少ないはずだ。今まで本気で忘れていたのだが、このタイミングで思い出せてよかったと思っていると、キエイが冷静な声色で主人に対して口を開く。
「ジェーダス様、さすがに女性にいきなり胸を見せろと言うのはあまりにも失礼な発言かとは思いますが。確かに彼女には胸と呼べるべき部分が………常人よりはかなり劣っているとはいえ」
「いやいやいやいや、キエイ様も十分失礼な発言されてますよ!」
状況はよく分からない御者だったが、この主にしてこの従者ありだな、と思いながら慌てて口を挟む。
対する彼女は顔を真っ赤にさせ、胸(と思しき場所)を両手で押さえながらぷるぷる体を震わせている。
それが羞恥心からくるものなのか、それとも自分がリリアンだという証拠を言い当てられて動揺しているのかは不明だ。
「………そうか。確かに一理ある。ならその辺りを歩いている女性に代わりに確かめてもらうか」
さすがにこれは失礼な物言いをしたと自覚したのか、代替案として第三者の目を借りることにした。キエイも御者もは男なので、この任には適さない。
周囲を見渡せば、馬車を止めたところは人の往来が制限された領域の為、通行人はいない。だが道を一本挟んだ向こう側には大勢の人がいる。その中から誰か一人に声をかけてここまで連れてこよう。
そう考えて足を踏み出そうとした時、小さな声が彼の動きを止めた。
「………その必要はありません」
声につられてそちらを見ると、顔の赤みは引いていない状態だったが、まっすぐにジェーダスを見つめる灰色の瞳があった。
「確かに私には、星型の火傷の痣があります。……ささやかな胸の部分に」
胸がない発言に傷付いてはいるのか、そこだけは目を逸らして言ったが、その後の発言はジェーダスから視線を逸らすことなく、まっすぐ背筋を伸ばして凛とした佇まいになると、少女は諦めたかのような口調で自身の本当の名を、己の口からはっきりと彼に告げた。
「仰る通り、私はクロード子爵家のリリアンです」




