滞在 2
年季の入った音で、屋敷の中へと繋がる扉が開く。
入り口付近のわずかな空間より先は漆黒の闇に覆われており、一度入ったら出られないんじゃないかと人々に思わせる空気感を放っていた。
「蝋燭をつけて参りますので、少しお待ちください」
そう言ってデジリーが暗闇をものともせず、ずんずんと奥に入っていく。
やがてほんのりと廊下が明かりで灯される。それでもまだ薄暗いことには変わりなかったが。
「ごめんなさい、その、うちは蝋燭なんかもできるだけ節約してて………」
「別に気にしてない。どうせ夜は寝るだけだ。大体、無駄に明るくされると眠りにくくて困る」
「ジェーダス様は明るかろうが暗かろうが、昼夜関係なくお眠りになられているではありませんか」
恐縮したようなリリアンに、全く気にしてないようにジェーダスが答えると、すかさず、従者の的確な合いの手が入る。
「とりあえず、暗いので足元には気を付けてください」
二人の様子に、ほっとしたようにリリアンは小さく息を吐くと、先頭に立ち、中へと案内する。
彼女の言っていたように、外観とは違って中はかなり綺麗にされていた。確かに暗い中よくよく目を凝らせば、壁や床はすり減っており、天井がピシッ、ピシッとたまに軋む音や雨の水滴がどこかに垂れているような音は聞こえてくるものの、埃っぽくはないし廃墟独特の負の匂いもしない。
通されたのは客間とおぼしき場所だった。
おぼしき、というのは、ジェーダスが知っているものよりもかなり狭かったからだ。
「ここが一応うちの客間です。昔は向こうの瓦礫の下辺りに広いのがあったんですけどつぶれてしまっているので、こっちを代替えで使ってます」
ジェーダスの顔を見て彼の心を読み取ったのか、聞かれる前に説明をするリリアン。
「今皆さんのお部屋を用意してもらってるので、ここでちょっと待っててください」
「リリアン様、ジェーダス様はともかく、私と御者の彼はただの使用人です。あまり気を使って頂く必要はございません」
お茶も持ってきますね、と言って廊下に戻ろうとしたリリアンに、キエイが声をかける。
「それに、リリアン様は将来、私たちの上にたつお方です。どうか気になさらず、むしろなにか仕事を与えていただけないでしょうか」
「!? 将、来?」
それはもしやあの事か、と彼女が動揺していると、
「そうです。リリアン様はジェーダス様がいずれ妻に迎えるお方です。ならばあなた様は、未来に私たちがお仕えすべき主でございます」
そう淡々と言ってのけるキエイ。
だが彼と違い、リリアンは焦ったように勢いよく顔を横にブンブン振ると、
「あの、その事なんですけど、私一度もお受けするとは言ってませんし、そもそも私では不適決だと散々ジェーダス様にも申し上げているのですが………」
「ああ、そうなのですか? ですが残念ながら我が主は、一度決めたことは頑として覆さない性分でございます。意見を変えて考え直すなど面倒だ、と思うタイプですので。ですから、あの方があなた様を妻に迎える決心をしておられるのならば、おそらくそういう将来を迎えることでしょう」
「わ、私の意思は無視なんですか!?」
するとキエイは無表情のまま、わずかに首を傾げる。
「リリアン様が伯爵家に入ることによって生じる不都合は何一つないように思われますが。むしろリリアン様にとってはこれほど条件のよい婚姻はないかと思います」
確かに彼の言う通りだ。リリアンは今、十九歳。この歳で婚約者もおらず、出会いの場すらない。行き遅れになるのは火を見るより明らかなのだ。しかも貧乏貴族にろくな嫁ぎ先などあるはずもない。更に言えば、性分はともかく、ジェーダスの年齢も容姿も申し分ない。
けれどもリリアンの顔色はやはり優れない。
「確かに私みたいな者が伯爵家に嫁入りするなんて、分不相応ですがこれ以上の幸せはないって思います。だけど、私は………!」
これ以上は言葉にならないのか、ぐっと唇を噛みしめ、ジェーダスの方をリリアンは見つめる。
が。
当の本人はといえば、従者と未来の花嫁のやり取りをよそに、真剣な面持ちで腰掛けたソファの感触を確かめていた。
「ふむ、このスプリングの固さがなんとも言えず俺好みだ。寝転ぶのはさぞ気持ちがよさそうだ」
「………………………」
「………………………」
この時、空気に徹しながら3人の状況をその外側から見ていた御者は感じた。なんとも言いようのない、微妙な空気を。
とりあえず心の中で、ジェーダス様それはないでしょう! と、ひそかにツッコミを入れておくことにした。
無言で浴びせられる三方からの視線に気付いたのか、ジェーダスがふと、ソファから目を上げる。
「? なんだ、皆してこちらを見て」
「………いえ、なんでもありません」
主人を前にして堂々とため息をついたキエイは再びリリアンに向き直ると、
「リリアン様の未来は、今は置いておきましょう。リリアン様、我々は使用人です。状況が状況とはいえ、いきなり押し掛けてきてそちらに迷惑をお掛けしている立場です。泊めて頂くお礼も兼ねて、なにか手伝わせてください」
「そんな………! ここまで送って頂いて、こちらこそお礼をしなければいけない立場なのに……」
すると熱心にソファを叩いたり撫でる作業を終え、座り心地のいい場所を発見しそこに体を満足そうに収めたジェーダスが、ふと口を挟んだ。
「送ったというか、真実を言うなら俺が勝手に、嫌がる君を強引に連れてきたことだ。礼など必要ない。だからキエイの言う通り、こちらが泊めてもらう礼はさせてほしい」
「………………」
どうやら話はしっかりと聞いていたようだ。
ジェーダスもキエイも、己の意見を曲げる気はないらしい。
ミシエル伯爵家の人間を自分のような者が用事を言いつけて使うなんて大それたこと、したくはなかったが、自分がそれを承諾しないといつまでたっても話が平行線になることもまた、彼女は理解していた。
「………分かりました。ではキエイさん、それからそちらの」
「ダイです!」
御者が自分の名前を言いながらびしっと敬礼の形を取る。
「先ほどは、散々失礼な振る舞いをしてしまい、申し訳ありませんでした! 汚名返上の為、何なりと用事を申しつけて下さい! 力仕事や大工仕事が、自分得意であります!」
強面の癖に、お化けとか怖がる御者だが、別にこの屋敷にはそんな存在はおらず、ただ屋敷がぼろいだけだと分かれば怖がる必要はなかった。力強く、はきはきとさり気に自身の得意分野を述べると、キエイもそれに倣って、
「私は手先は器用で、基本的には何でもこなせると自負しております故、ダイとは違う種類の仕事を割り振っていただければお役にたてるかと思います」
二人の言葉を聞くと、リリアンはうーんと少しだけ考え、
「間もなくデジリーが帰ってきますので、彼女に聞いてもらっても良いでしょうか」
と言っていた矢先に、デジリー本人がお茶を持って皆の前に現れた。
なのでリリアンが状況を説明をすると、初めはそんな滅相もないと言っていたが、あまりにも相手の意志が固いのでついには折れ、それぞれに仕事を割り振ることにした。
ちなみにジェーダスはというと、皆が出ていく中、ソファにくつろいだ様子で深く腰掛け、出されたお茶を美味しそうに呑んでいた。
さて、二人きりになり、向かい合ってジェーダスとお茶を飲んでいたリリアンだったが、ややあって言葉を切り出した。
「ジェーダス様。先ほどから申し上げている件なのですが……」
しかし途中でジェーダスが、彼女の台詞を遮るように手で制す。
「君の意見は分かった。要は自分は条件を満たしていないから俺との結婚はできないと」
「はい。……それに、他にも理由があってそのお話を今すぐ受けるわけには参りません」
そう、彼女がこの話を渋るのにはまだ理由がある。
「私には、ご存知かとは思いますが弟がおります。ですが彼はまだ十二になったばかり。領主としての役割を課すにはあまりに若すぎて不安です。その上少し病弱で、そのせいか内気なところがあって……。とてもではありませんが、心配で心配であの子を一人おいてここを去るわけにはいかないんです。他にも、お話をお受けできない理由はいくつかあります。ですから別のお方を探して頂いた方が……」
「そうか。なら、弟の体調も万全になってこの地を任せられるような立派な男になり、他にもある君が憂いに思っている部分が全て解決した後ならどうだ? 別に俺としては、今すぐに君が伯爵家に入らなくても構わない。婚約者になってくれさえすれば、少なくとも煩わしい縁談や口うるさい周囲からの小言もなくなるだろうからな」
「!? そ、そこまでして、ジェーダス様は私を結婚相手にしたいんですか?」
「ああ、そうだ」
「…………」
完全に逃げ道は塞がれてしまった。好条件も好条件だ。目の前で優雅に足を汲んでリリアンを見つめる、誰もが喉から手が出る程欲しがる、結婚相手としては理想的なこの伯爵様は、リリアン側の準備ができるまで待つとまで言ってくるのだ。
ここまで言われてしまってはリリアンも首を縦に振らざるを得ないのだろうが……。
やはり、彼女の顔色は浮かないままだ。
「…………君は、そんなに俺の妻として伯爵家に入るのが嫌なのか? 生理的に俺の存在が受け付けられない程に嫌いか。そこまで嫌われる程のことをした覚えは俺にはないんだが」
「そ、それ本気で言ってますか!?」
結婚相手の条件としてはともかく、リリアンに向けた行動や結婚理由などはなかなかに酷いものだった。なのにまさかその自覚がないとは、ある意味すごいと感心してしまうリリアン。人によっては、馬鹿にしてるのかと怒ってもおかしくないだろう。
だが、リリアンは別に怒ってなどはいなかったし、また嫌ってもいなかった。
「その、嫌いとかそういうのではなくて……」
その後無言で俯いてしまったリリアンを、同じく黙って見ていたジェーダスだったが、ふっと息を吐くとゆっくりと口を開く。
「リリアン、君の事情は俺も少なからず知っている。色々調べさせてもらったからな。だが俺も諦めるつもりはない。……かといって、嫌がる女性を力尽くで、というつもりもない」
「……力尽くで馬車には乗せられましたけれどね」
「それはそれ、これはこれだ。結婚というのはまた別次元の話だろう。しかし、困ったな。これでは二人の意見が永久に交わることはないな」
さて、どうしたものか……とジェーダスは背もたれに自身の背中を預け、考え込むように目を瞑る。
かと思ったら、突然目を開けると、
「とりあえず、この話は今は置いておこう」
そう言ったジェーダスの顔を見た途端、彼女は思った。
この方、多分考えるのが面倒になったんだなと。半日も一緒にいると、なんとなく彼の事が分かるようになってきたリリアンであった。
だが、彼女は知らない。
ジェーダスが、この時頭の中では既に、彼女を攻略すべく色々と考えを巡らせていることを。
彼はキエイの言う通り、一度決めたことは絶対に覆さない男だ。自身の第六感に絶対的自信を持つジェーダスが、この程度でリリアンを諦めるはずがない。
そしてそのことを、後にリリアンは嫌というほど思い知らされるのである。




