24・蜂の魔法使い
「僕は休んでていいですよね?」
ちゃっかりグラスと葡萄果汁の瓶を確保したままのセシリオが、周囲の喧騒とは合わないのんびりした声を出す。何も仕事する気がないのは、明らかだった。
魔法使いは、何でもできるわけではない。
アルフォンソが魔法使いを部下にした時、魔法使いというものを知るところから始めなければならなかった。セシリオが味方になるまで、アルフォンソには平民の魔法使いの部下が一人いて、基礎はその部下から学んだ。
アルフォンソの父も魔法使いを一人抱えていたが、父から詳細を教えられることはなかった。アルフォンソは嫡男ではなかったし、内戦が始まってからは敵対関係だったからだ。
魔法使いの数は少なく、生まれつき魔力のある者は魔法使いの弟子となることが義務付けられ、「神に首輪をつけられて」初めて魔法使いとなることができる。野放しで使わせるにはその力は強すぎて、神により大きな制限がかけられていた。
「僕は、手品程度しか魔法を使えませんし」と、セシリオは楽しそうに笑う。
本人もよく分かっているが、それは事実であって事実ではない。正確に表現するなら「今のセシリオ」は、その通りだ。
神の首輪とは──
第一に、魔法使いではない者と主従関係を結ばなければ魔法を使うことが出来ない。
第二に、魔法使いと細かく禁止事項を取り決める。この禁止事項の範囲が小さければ弱い魔法を、大きければ強い魔法を使うことが出来るようになる。
貴族の女性が使うディローザの祝福とは違い、魔法使いは制限と力の均衡を主が決める。
魔法使いが決めたものをそのまま採用する主もいれば、その家で決まった制限を受け継ぐ主もいる。
アルフォンソは、魔法使いセシリオと徹底的に禁止事項の研究をした。使いたい魔法の方向性が決まっていたからだ。
その結果、いまのセシリオは手に触れられる距離の魔法はそこそこで、距離がある場合は限られた支援魔法以外使えない。
これは、はっきり言って魔法使いとしては弱い。もう一人の平民の魔法使いの方が、まだ強い魔法を使うことが出来る。
ただし、あくまでそれは直接魔法を使う場合のみ。
セシリオの真骨頂は、物への「魔法付与」である。
急いで情報のやりとりをするための紙は虫の形で空を飛び、銃の弾は着弾した瞬間に電撃を発し、被弾した者に触れた者も巻き込んで筋肉を誤作動させ、場合によっては気を失わせることもある。
それらをアルフォンソの部下たちは、装備品として使うことが出来る。セシリオが生存し、制限事項の条件を変えない限り、物に付与された魔法は有効だ。
魔法使いだけ強くても駄目だ。部下全員の能力を引き上げ、情報伝達を密にする──それがアルフォンソの戦いに対する考えであり、彼の強さだった。
セシリオがのんびり晩餐の席に着く前に、彼の魔法付与は全て終わっている。
アルフォンソもそれが分かっているので、手で下がれと指示した。乱戦になった時、セシリオまで守っている余裕はないし、万が一でも死なれては困る。
魔法使いは「どこに行こうかな」と、場にまったくそぐわないのんびりした声できょろきょろした後、するりと臨時防衛温室へと入り込んだ。確かにセシリオにとっては安全な場所だろう。しかし、いま中にいるのは女性たちだ。エウフェミアも当然そこにいる。
さぞや彼女は、複雑な気持ちでセシリオを迎え入れたことだろう。
「あの野郎……」
女性を守る騎士としては問題が山積みな男の居場所としては、かなりまずいがいまはそれどころではない。外の銃声はひっきりなしに鳴り響いている。
そして戦況が、必ずしもこちらが有利ではないことを示す事件が起きた。
屋敷の真上が、突然昼のように明るくなったのだ。
閃光灯が上げられたのである──敵の魔法使いに。
夜戦で自軍の拠点が照らされるのは、どうぞ狙い撃ちしてくださいと丸裸になるようなもの。
その光が消えない。まだ消えない。
本来ならすぐに消すはずである。味方の魔法使いが。
「アルフォンソ様」
ウィルフレドが広間に高速で飛び込んでくる鷹蜂を、慣れた手つきで捕まえて中央でひねる。その瞬間、蜂だったものは紙に変わった。
セシリオが作った伝達用の魔法カードだ。普段はカードの長辺を二つに折りにして蝶にする。緊急時は短辺を二つ折りにして蜂にする。
緊急報告がくる事態が外で発生している、ということだ。
「……魔法使いが落とされたか」
アルフォンソが抱えるもう一人の魔法使いが、この光をどうにもできない状況ということである。敵は優秀な魔法使いを連れてきているようだ。
兵同士の戦いが有利であっても、魔法使いを放置して暴れられると厄介である。
「セシリオを借りれば……私が落とせるかもしれません」
魔法使いの補正をかけた遠距離射撃。ウィルフレドの提案はそういうものだった。しかしそれは、同時にセシリオとウィルフレドの両方を危険に晒すことでもある。もし射撃を外し、魔法使いに発見されれば確実に仕留めに来る。アルフォンソの右腕と魔法使い──敵の魔法使いからすれば垂涎の獲物だ。
「それは、今じゃない」
相手の魔法使いをできる限り早く落としたいことは確かだ。だがここで無理をして失敗すれば全てが終わる。
切り札はいつ切るかが大事だ。それを見定め、号令を出す責任を持つのがアルフォンソの仕事である。
「分かりました。準備だけはしておきま……」
そうウィルフレドが頷こうとした次の瞬間──閃光灯が消え、空が元の暗い色に戻る。
驚いたアルフォンソが窓の外を見ると、危険な窓辺に立って見上げている男が一人。
金縁の眼鏡の奥の目を満足そうに細めている男は、ファウスティノ・デル・バルラガン。
その視線がアルフォンソへと、ちらりと流される。
「やはり……夜は暗くなくてはね」
満足そうに笑う眼鏡の男に、アルフォンソは顔の半分をひきつらせながら笑い返した。
ファウスティノほどの男が、魔法使いの確保をしていないはずもなく。
これまでは晩餐の主催者の顔を立てて、どうやら遠慮してくれていたようだ。腹の立つことに。
しかし、さすがは内戦を生き残った男である。
恩を一番高く売れるタイミングで、切り札を切ってきた。
「……助かりました、バルラガン三位」
顔半分は引きつるものの、本当に味方につけたら頼もしいことこの上ない。腹の立つことに。
「その顔を見られただけで十分元は取れました……ふふふ」
このクソ眼鏡!
アルフォンソは引きつりを投げ捨て、壮絶な笑みを浮かべて返した。




