23・蜂の温室
その瞬間──部屋にいるほとんどの人間が椅子を引いた。
行儀の悪い音が一斉に響いた直後、轟音と共に屋敷が揺れる。シャンデリアも大きく揺れ、部屋の中の光と影が長く短く形を変える。
アルフォンソは、フォークを持って強直しているエウフェミアの腕を、強く掴んで立たせた。
次の瞬間、晩餐の行われた広間の景色は大きく様変わりを始める。テーブルの下に潜ませていた軍人たちが飛び出し、てきぱきと戦う場を作る。テーブルは端の壁に盾のように寄せられた。エウフェミアや、いまだ床で気持ちよさそうに眠っているティアラも含めた女性陣をそのテーブルの向こうに押しやる。
それ以外の使用人含めた男女すべてが、壁にかけられた飾り布の陰から武器をどんどん取り出して武装していく。
剣に銃。ウィルフレドに至っては右の腰も左の腰も銃だ。
「次はもっと近くに着弾します」
一発目は弾着観測。射角を調整され、二発目が飛んでくるのも時間の問題だ。
「二発目が撃たれるようなら砲撃対策班は減俸モノですね……高台の見張りもまともにできないなんて」
ウィルフレドと軍人が手早く会話を交わす。
このわずか一分ほどの間、バルラガン組がおとなしくしているかと言えば、そんなことはない。彼らが駆け寄るのは、さっきまで優雅に曲を奏でていた楽団の方だ。大きな楽器ケースが開けられ、そこから武器が投げ渡されていく。
今宵は楽しい晩餐会。
西軍の残党から見たら、よだれで滝が出来るほどの組み合わせだ。
最初から西軍につかなかったアルフォンソ。
途中で西軍を裏切ったファウスティノ。
西部の領土はまだ安定しておらず、この二人を援護する勢力もいまだ少ない。西軍の残党たちがまとめて恨みを晴らす絶好の機会が、今夜だった。
だからアルフォンソは、最初から襲撃がある可能性で準備していた。ファウスティノと打ち合わせなどしていない。
この男は馬鹿ではない。そういう意味で、アルフォンソは彼を認めている。
だから『晩餐会には、是非うちの楽団を』──向こうからの提案を、アルフォンソは断らなかった。
アルフォンソが悩んだのは、エウフェミアの存在だ。
彼女を巻き込まないために晩餐会に招待しない、という考えも最初はあった。しかし、彼女を呼ばないということは自宅に残すことになり、そこに警備を置き続けなければならない。ただでさえ限定された戦力を、少しでも減らしたくはなかった。
彼女のための警備が惜しいということではない。
敵の標的になるかもしれないエウフェミアは、ここにいる方が守りやすい、という判断だ。
敵の意識をここに集中させるにも良く、こちらの戦力を分散させないで済む。エウフェミアの父親は、今夜は王宮に泊まるように頼んでいた。
この下準備により、アルフォンソは後顧の憂いなく、エウフェミアを守って戦うことが出来るのだ。
憂うところがあるとすれば、エウフェミアにこの話ができなかったことである。
彼女に告げれば、きっと食事の味も分からないほど緊張することだろう。笑顔もきっと強張っていたことだろう。
襲撃されるかどうかは確定事項ではなかったために、せめて食事が終わってから話そうと思っていたが、敵はこちらの予定などお構いなしだった。
「あの早漏どもがっ」
最後のデザートが給仕され、エウフェミアが甘い焼きチーズケーキを、同じくらい甘い期待を込めた顔で口に運ぼうとした時──砲撃が始まった。
テーブルの上の料理は、使用人たちに一瞬にしてクロスに包まれて端に追いやられている。柔らかいケーキなど、皿やグラスに遠慮なく虐げられて原型は留めていないだろう。
これが終わったら、とアルフォンソはテーブルの陰に隠れたエウフェミアの方へと視線を向けた。
いくらでもデザートのやりなおしをしていいからな、と前を向き直ろうとした時、ひょこっとテーブルの盾からエウフェミアが顔を出した。
騒々しい戦闘準備の中、婚約者は青い顔色をしながら、アルフォンソに小さく手招きをしている。何か言いたいようだ。
大股で一気に近づくと、「腕を」と震える声で言った。アルフォンソだけでなく、周囲をぐるりと見回しながら。
一瞬何のことか分からなかった彼は、自分の腕を見た。
彼より早く反応したのは、ロベルティナだった。机の陰から顔を出すと、よく通る声で叫ぶ。
「みんな、この周りに腕を出して! エウフェミア様がここに“温室”を張るわ!」
アルフォンソは、思わず笑い声をあげてしまいそうになった。はっと一度限りの音で留めたが、腕の意味が分かったせいで、愉快さが全身を駆け抜けたことを身をもって知ったのである。
彼の婚約者は──温室を避難用防護壁にするつもりなのだ。
その発想はアルフォンソの頭にはなかった。最終的に、ディローザの温室に逃げ込むということはあるだろうが、戦闘時の簡易基地のような役割で温室を使うなんてことは、考えつきもしなかった。
何故なら、貴族の女性が戦いの場にいるのは緊急事態のみだからだ。
ディローザの温室はすぐそこの中庭にあるものの、現時点で入れるのはレオカディオ組の一部だけだが、ここに作られる臨時の温室基地なら全員登録しても問題がない。
「急いで!」
ロベルティナの掛け声で一気に全員が集まり、腕を内側へと突き出す。
エウフェミアが、震える両手を広げる。
「……花とは命。花とは希望。花とは愛。御身への祈りであるディローザをこの世のすべての嵐からどうかお守りくださいませ」
天井から降りてきた半透明の薄い膜が、エウフェミアの祈りと共にゆっくりと外側へ広がっていく。
その膜がアルフォンソの突き出した拳に触れる。温かい彼女の魔力が、拳から手首、前腕、肘までを包み込み、膜は拡大を止めた。
次の瞬間、彼は剣を片手にぶら下げたまま、膜の中に飛び込んでいた。
エウフェミアは、広げていた手をゆっくりと下したところで。
迷うことなく、その腕を掴む。
えっと顔を上げる、大仕事をやり遂げた彼女の唇を奪ってすぐに離れ、まっすぐにその目を覗き込む。
「……惚れ直した」
称賛と共に離しがたい彼女の腕を解放し、アルフォンソは温室から飛び出した。
苦笑いのロベルティナと、膜に頭を突っ込んで笑っているセシリオ。
後者の首ねっこは掴んで引きずり出す。何を見ているのか、と。
「敵の魔法使いを見つけたら、真っ先につぶせ」
「いいですねー、ちゅっちゅできる女の子と一緒に戦場とか、僕もそんな恋人が欲しいですよー」
人の話を無視してけらけらと笑う魔法使いを一発殴ってやろうかと思ったら、するっと猫のように逃げ出した。
二発目の砲撃は──来ない。
高台の砲撃対策班が仕事をしたようだ。
それに気づいたのは敵も同じらしく、屋敷の外で銃声が始まった。大砲で屋敷を崩して突撃したかったのだろうが、作戦変更を余儀なくされたのだろう。
外には兵は用意しているし、バルラガン三位も兵を配置しているのは知っている。お互い「物々しい」準備だけは万端だった。
「さっさと終わらせて、飲むぞ」
アルフォンソが声を張り上げると、セシリオは魔法でふわりと浮き、ウィルフレドが二丁の拳銃を軽く掲げ、ファウスティノは細身の剣と銃を交差させる。
美酒を味わいたければ、勝つしかなかった。




