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【完結】蜂の膝は花のために  作者: 霧島まるは


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22/29

22・花の足下

 エウフェミアはどきどきしていた。

 しかしそれは、ときめきなどという可愛いものではない。テーブルクロスの下の赤毛こと、ティアラを見つけてしまったせいだ。

 どうして彼女がこんなところで寝ていたのか、ということを問題にしても仕方がない。彼女はそういう人なのだ、としか言いようがないからだ。

 アルフォンソにとってもそれは予定外だったようで、苦い表情は浮かべたものの、いまは冷静な対処に移っている。


 冷静な対処。

 それは、皿の上で切り分けたシカ肉にフォークを突き刺し──ティアラの口に突っ込むこと。

 鳥のひなに給餌するがごとく、淡々とアルフォンソはシカ肉のソテーを天然花師の口に押し込んでいく。そうすることが、いま一番最良の選択であるがごとく。


 ティアラは、花と本能に忠実に生きている女性だ。

 花師の学校に入る前の予備学習の様子を見る限り、ティアラは最低限の教育を最後まで受けたかどうかも怪しい。それが本当かどうかは、実はアルフォンソも知らないという。

 ティアラの正確な年齢も誰も知らなかった。戸籍も調べたが、ティアラという名前はなかった。どう聞いても仇名だからだ。誰が自分の娘に「(ティアラ)」なんて名前をつけるのか。

 だから内戦後に戸籍の再調査があった際に、アルフォンソは彼女を登録したという。


 ティアラは、西軍貴族の屋敷の庭にいたそうだ。

 アルフォンソたちが襲撃している時、彼女はディローザの温室の中で花の手入れを続けていたという。正式な花師は別にいたらしいが、亡くなってしまったために、本当に血縁関係にあったかどうかは分からない。


 貴族の最後の砦は、ディローザの温室だとエウフェミアは教わった。

 ディローザの温室とは籠城にも適している。強制的に膜を開くには、力の強い魔法使いがいないと無理だからだ。強い魔法使いの数は少なく、抱え込んでいる貴族はそう多くはない。

 アルフォンソたちは、西軍貴族を温室にまで追い詰めた。

 そこで粘られて時間を稼がれると、どこから西軍の横やりが入ってくるか分からない。だからアルフォンソは、当時ようやく口説き落と(子分に)した、魔法使いのセシリオを連れてこようとした。


 魔法使いの到着を待っている間、温室の中は混乱を極めていた。女の「花に触るな」「ここを出て行け」という叫びと、それに対する男たちの怒声。殴り飛ばされたのか、赤い毛玉のような汚れた女が、温室から転がり出てくる。

 アルフォンソたちは警戒したが、誰がどう見ても貴族の子女ではない。彼女は血の唾を吐き捨てながら、またも温室に乗り込んでい行く。そして放り出されるを繰り返した。

 それが五回も続けば、放り出された赤い毛玉はぐったりと動かなくなった。アルフォンソは毛玉を仲間の兵士に回収させ、あくびをしながらやってきたセシリオに温室を破裂させ──籠城戦に終止符を打った。


 ボロボロだった毛玉は目を覚ますなり温室に向かったが、そこはもはや最後の戦いで荒らされ、踏みにじられ、ディローザの墓場となり果てていた。その絶望的な風景に、赤い毛玉はぺたりと地面にへたりこんだ。

 アルフォンソはようやく理解したかと思ったらしいが、その毛玉は──ティアラ()である。少しすると立ち上がり、戦いの余波で壊れかけた道具小屋からハサミを取り出すと、花の墓場の前に座り込み、少しでも生きる可能性のあるディローザの側枝を探し始めた。


『置いて行ったら遠からず死ぬだろう……それを俺は惜しいと思った』

 アルフォンソは自分の屋敷のディローザを餌に、ティアラを一本釣りして連れて帰った。彼女が救い上げた、いくばくかの敵の花の側枝と共に。

 アルフォンソの屋敷も何度か西軍に襲撃されたという。だからこんなに屋敷が傷だらけなのだと。

 けれどその傷は、ティアラが来て以降、屋敷まででとどまった。どんな襲撃があっても、ティアラは温室の中で花の手入れを続け、アルフォンソたちは敵をそこまで到達させなかった。

 ティアラの無事は、アルフォンソの誇りなのだとエウフェミアは知った。


 そんな赤毛の女性は、いまおいしそうにシカ肉をほお張っている。

 ティアラは花に関すること以外の興味がとにかく薄い。それでも空腹が満たされていくその様子はどこか満足気だ。

 隣のロベルティナがちらりとエウフェミアの身体をよけるように、二人の間を覗く。驚いた顔をして、その後に笑いをこらえきれないようにぷるぷると震え出す。

「どうかしました?」

 ロベルティナの更に隣のセシリオが反応して、行儀の悪いことに椅子の背を大きく斜めに傾けてまで笑いの元凶を見ようとする。そして見た。

 震えるロベルティナ、困った顔をするしかできないエウフェミア、苦笑いのアルフォンソを見て、ぶっふと大きく噴き出した。

「ロベルティナ……何かあったのか?」

 向かい側の席との空気の差に、さすがにファウスティノが参戦してきたが、

「な、何でも……ふっ……ないの……くっ……おにい、さ、ま……っ」

 息も絶え絶えのロベルティナは、それでもティアラを守ってくれた。


 そのまま晩餐会の食事の一部をたいらげたティアラは、またもテーブルの下に消えていった。エウフェミアも途中で給餌に参加したおかげか、肉だけでも十分に満足したような顔だった。

 時間的には夜。ディローザの面倒は、朝まで見なくていい。だからこのままティアラは、テーブルの下で眠ってしまうのでは、とエウフェミアは心配した。

 ちょうど料理の皿が交換される隙間に、彼女はちょっとだけ天然花師の様子を見ようと、テーブルクロスを膝から少しだけ持ち上げた。行儀がよくないのは分かっていたが、どうしてもティアラが気になったのだ。様子を確認したら、すぐに戻すつもりだった。

 けれど、アルフォンソの指がそれにぴくっと反応する。


「……」

 エウフェミアは、そっとクロスを元に戻した。


 いまのは、何?


 彼女はさっきテーブルクロスの下に見たものを、すぐには理解できなかった。できなかったが、見てはならないものだろうと言うことだけは分かった。だからすぐにクロスを閉じたのである。


 確かにティアラはそこにいた。子犬のようにまるまって眠ろうとするティアラ。

 だが、そこにいたのはティアラだけではなかった。

 そーっとアルフォンソを見る。

 彼はこのことを知っているのか。それをエウフェミアは知りたかった。

 そうすると彼はもう一度、人差し指を自身の唇の前に立てるではないか。エウフェミアが何を見たか、ちゃんと分かっている顔。

 そうすると、途端にエウフェミアの足元から焦燥感がわきあがってくる。見間違いでも何でもない。あれは現実のものなのだと。実感が眩暈のように彼女の視界を揺らす。


 一体、この晩餐会では何が起こるというのか。

 何かが起こることを想定して用意されているとしか思えないそれを、エウフェミアは悪い予感と共に考えなければならなかった。


 晩餐会のテーブルの下に潜んでいたのは、この家の天然花師のティアラ。


 そして──武装した軍人らしき人が三名ほど。


 薄暗がりの中で、エウフェミアはその人たちと目が合ってしまったのだった。



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