19・花の婚姻(練習)
「今日は“花の婚姻”用の温室を準備した」
花師の学校の実技は、淡々と進んでいく。祈りも魔法も使わない花師は、土とディローザと向き合って、日々作業をするしかない。
しかし花の婚姻と言う言葉が出ると、女性の花師候補たちの口元が緩んだ。ティアラだけは興奮状態で、早く先を知りたそうにソワソワし続けていた。おそらく彼女は花の婚姻に立ち会ったことはないのだろう。正式な花師ではないし、年も若い。
貴族同士が結婚する際、ディローザの株を嫁入り道具のひとつにするのである。そして両家の花で次世代のディローザを作るのだ。
花の婚姻用の温室は本当に小さい。植える花は二株のみ。つぼみの状態で植え付け、花が開いたら用意していた鷹蜂を、温室の中に一匹放つ。
鷹蜂は単独で生き、ディローザの花を特に好むので、温室に放てば二輪の花を行き来しながら生きる。その膝に花粉をたくさんつけながら。
「蜂の膝」は、良いものを運んできてくれる、という象徴的な言葉だ。だから蜂は国民に愛されている。ただし鷹蜂は、貴族以外にはあまり好まれない。花がないところでは気性が荒いからだ。
鷹蜂の異名を持つアルフォンソを思い出し、エウフェミアはふふふと笑った。
彼女もこの婚約に問題が起こらなければ、自分の婚姻と花の婚姻をその手で行うこととなる。
それに、と。
ちらとエウフェミアは、校庭の端に控えているカリナを見た。カリナにもまたディローザが必要となり、何か手伝える日が来るかもしれない。
先日の花の会は、エウフェミアの人生で二回目だったが、信じられないほど濃厚な時間だった。
バルラガン三位からの爆弾発言。婚約者と初めてのダンス。
パートナーを変えてバルラガン三位とも踊ることになり、エウフェミアは死ぬほど緊張した。ロベルティナはとても嬉しそうにアルフォンソと踊っており、あまりにお似合いな姿に心に秋風が吹き込んだ。
しかし、そんな悠長に不安や緊張と仲良くしているわけにもいかなかった。目の前にいるのは、金縁眼鏡のロベルティナの兄。アルフォンソより若いと聞いているが、落ち着いた仕事用の笑みをたたえている姿は、年齢がはっきり分からない。
妹を花師の学校に送り出し、アルフォンソの結婚相手として考えていることに反対していない人。むしろ喜んで送り出している可能性があること。
そういった事前情報をウィルフレドに説明され、もし花の会で三位からダンスの申し込みがあったらどうするかも提案された。アルフォンソは「無理せず断っていい」と言っていたが、エウフェミアも彼のことが気にならないわけではなかった。
話を聞くだけならば、アルフォンソと彼は思考が似ている気がした。新しいものを目指している人。それはロベルティナを見ていてもよく分かる。
だから勇気を出して踊ることにした。
「……貴女の目から見て、レオカディオ四位はどんな方ですか?」
踊り始めてようやく足が慌てなくなった頃、そう問いかけられた。
「え、ええと……とても、柔軟な方だと思います」
「ほぉ……」
何故そこで楽しそうな声になるのだろうか。
「彼の印象を女性に聞いた時に、“柔軟”という表現が出ることが珍しいのですよ……勿論私は同意しますが」
「そ、そうですか」
「強く逞しく快活で大らかで……味方を大事にする……そういう人ですよねレオカディオ四位は」
おおよそ必要な誉め言葉が並んだ。声に皮肉はない。本当に褒めているのだろう。
「アルフォンソ様のことが……お好きなのですね」
素直に思ったことを口にすると、彼女の身体を支えている腕が少し揺れた。
「そうですね……けれどどうにもレオカディオ四位には、味方とは思われていません」
にっこりと仕事用の笑みを浮かべて、つるつると言葉を吐き出すその様子は、エウフェミアには読み取るのが難しい。
「だから、ロベルティナ様やカリナとの結婚をお考えなのですか?」
「それもありますね」
バルラガン三位は、ためらうことなく答えた。回る景色の向こう側に、ロベルティナの笑顔がちらりと横切る。婚約者の大きな背中も。
「結婚は、味方になる一番簡単な方法なのです」
「そう……ですか」
殿方は大変なのねと、エウフェミアは思った。大人になって友人関係になるのは、とても難しいのだろう。貴族の階位や派閥がある。更に、会話自体も遠回しなものが多い。そこから互いの腹の探り合いをしているのだから、迂闊に相手を信じたり心を開くことは難しいのだろう。
「でも……カリナ嬢が魅力的なのは本当ですよ」
そう付け足されて、エウフェミアは自然に微笑んでいた。
「ええ、とても素敵な方です」
曲が終わったら──すぐにアルフォンソが迎えに来てくれた。
「バルラガン三位……ですか」
「はい」
自宅の応接室には、エウフェミアとカリナだけ。互いに席に着いて、こうして話をするのは初めてのことだ。
お茶は今日はエウフェミアがいれた。カリナが来るまでそうしていたし、この時間だけは側仕えや護衛の仕事を忘れてほしいと思ったからだ。
カリナの兄もアルフォンソも呼んでいない。カリナが自分の気持ちで決められるように、エウフェミアが作った環境だった。
「カリナのことを見初めて……一度話をする機会がほしいと言うことでした」
「……」
カリナは無駄な会話は少ない。けれど好悪の感情はちゃんとある。エウフェミアのことは大事にしてくれるし、セシリオには辛辣だ。
「わたくし……カリナのことが大好きです」
だからちゃんと、エウフェミアは自分の気持ちもカリナに伝えようと思った。
「……?」
「だからカリナの幸せを願ってやまないのです……カリナの幸せが結婚にないというのでしたら断わっていいと思います。でももし、相手のことを知らないから決めようがない、というのでしたら……話をするのもよいかなと思って……ます」
バルラガン三位は悪い人ではない、と言おうとして、エウフェミアはやめた。エウフェミアはまだ、人を見る目に自信がない。あまりに場数が少なすぎて、彼の言葉が本心かどうかなんて判別できないのだ。
だから、カリナが自分の目と耳で確かめて考えるといいと思った。
向かいの席の彼女は、膝の上で静かに指を組んで考え込み、ついにはこう言った。
「……お会いしてみます」
誰にも縛られない言葉は難しいけれど、カリナの本心からの言葉だといいなとエウフェミアは思った。
そして今日。
花師の学校が終わった後、いつものように学校前には、馬車が二台停まっていた。
片方はエウフェミアとカリナとティアラが乗って帰るもの。もう片方は。
「お兄様~」
「おかえり、ロベルティナ」
バルラガン兄妹の馬車だ。今日は兄自らのお迎えである。
バルラガン三位はこちらを見て、にこりと微笑む。
「今宵が楽しみです」
挨拶を交わした後、三位はカリナを見つめる。
「お待ちいたしております」
カリナは目を伏せながら答えた。
今夜バルラガン三位は、アルフォンソの傷だらけの屋敷を訪ねることになっていた。
「私も楽しみですの」と、ロベルティナ。
「はい、わたくしもです」とエウフェミア。彼女も勿論招待されていた。
それぞれの少ない味方を引き連れて、初めて行われる内輪だけの晩餐会。
昨日までのアルフォンソたちの気合の入りようは、驚くべきものだった。本当に彼らにとって社交とは戦いなのだなと思うほど、顔つきが違う。
これがカリナの恋の入り口なのか、貴族の友情の入り口なのか、それとも暗い地底への入り口なのか、エウフェミアはまだ分からなかった。




