14・花の友
「でも、そんなに難しい話ではないと思うのですよ」
話を続けるロベルティナ。
長袖のエプロンの袖口を整えながら、隣同士の温室の前で午後の授業の始まりを待つ二人。少し前方の温室のティアラが、膜の中に顔を入れたり出したりしているのが見える。
「わたくしたちの婚約とは、自分で選んだものではないでしょう? そうならば、場合によってお相手が代わっても、それが満足のいくものなら問題はないと思いますの」
彼女の言葉に、つい先日婚約を解消しかけた記憶が戻る。結婚したわけではないのだから、場合によっては確かに可能性としてはあるだろう。
「だからわたくし、エウフェミア様によりよいお相手を他に紹介するのが、一番円満かと考えましたのよ?」
ロベルティナは楽し気で強引な笑みを隠さない。
「どうしてそのようなことを?」
彼女の力を跳ね返すほどの力は、エウフェミアにはまだない。だが言葉はいつも跳ね返さなければならないものではないし、真意を知ればまた違う反応もできる。
「それは先ほど申しました通り、お兄様がレオカディオ四位と懇意にしたがっているからですわ。それならば、私が四位に嫁ぐのが良いのではないかしら。一位違いの婚姻なら、よくあることですし」
そして真意は簡単に説明された。ロベルティナがレオカディオの婚約者になりたい、ということだ。しかし既にエウフェミアが婚約しているために、円満な婚約解消を提案されたわけだ。
改めてロベルティナを見る。
貴族でありながら花師の学校に通っている、という点では同じである。そして欲しいものを奪うのではなく、対価によって円満に解決しようとしている。
おそらくだが、ロベルティナはアルフォンソの好きな性質ではないかと思った。もしもエウフェミアとの婚約を決める前にこの話が舞い込んだら、面白がって受けたかもしれない。
しかも相手は三位。家格的にもつり合いが取れているし、誰も文句はつけないのではないだろうか。
見れば見るほどアルフォンソにぴったりだ。
「勿論、エウフェミア様には納得の行くお相手を選ばせていただきますわ。それにお兄様が責任を持って、御父上の後ろ盾にもなることもお約束します」
三位の令嬢が吹けば飛ぶような九位の娘に、出来うる限りの誠意を見せた。
ただひとつ。
ロベルティナは忘れていることがある。
実技の講師が校舎から出てくるのを確認した後、エウフェミアは短く答えた。
「婚約のことは……一人では決められませんので」
「では午後の実技を始める」
「ロベルティナ嬢か……」
学校の帰り、エウフェミアはティアラと共に馬車を下り、アルフォンソの屋敷を訪ねた。
実技の授業中に、カリナがカードをひねっているのを彼女は見た。そのおかげか、エウフェミアが到着してそう時間を空けることなく、アルフォンソとウィルフレドも帰宅した。
応接室の端には、今日はセシリオもいる。魔法使いとエウフェミアの間にカリナが立ち塞がっているのは、彼の素行の悪さが原因だろう。
「何ですかそれ、楽しいじゃないですか」
事情を説明するや、セシリオはいまにも歌い出しそうなほど上機嫌になった。ウィルフレドとカリナの兄妹に睨まれても、これっぽっちも揺るがない。それどころか魔法使いはアルフォンソに向かって、身を乗り出しながら言うのだ。
「だってアルフォンソ様は、ロベルティナ嬢のこと絶対好みでしょう?」
彼の発言は応接室の気温を下げたが、その点についてはエウフェミアも考えていたことだ。納得するしかない。
だが、セシリオの言葉はここまでで終わらなかった。
それに、と付け加えたのである。
「それに……アルフォンソ様はバルラガン三位のこと、結構気に入ってますよね?」
「セシリオ」
その名前を呼ぶ音階は、低く、しかし一定。ウィルフレドの制止する声だ。
アルフォンソは、四位にあるまじきぶすったれた顔をした後、「あいつが西軍のままでいれば、本当によかったのにな」と唸るように言う。
エウフェミアにその意味は分からない。彼がセシリオの言葉を肯定したのか否定したのかさえ、見当もつかない。
「あのねーエウフェミア嬢。僕ね、元は西軍だったんですよ?」
けれどセシリオが、間に立つカリナの身体をよけるように、大きく傾きながらソファの彼女に語り掛けてくる。
「アルフォンソ様の得意技はね……」
ついエウフェミアも、カリナをよけるように首を傾けて彼を見てしまう。どんなに問題児であったとしても、セシリオは「場」を作ることができる男だ。人の耳を引き寄せる力を持っているし、その使い方を知っている。
「アルフォンソ様の得意技はね……ぶん殴って口説く、です」
「ぶん……?」
「エウフェミア様、復唱なさらず顔をお戻しください」
セシリオの「場」に引き寄せられていることに気づいたエウフェミアは、慌ててアルフォンソの方に向き直る。苦々しい婚約者がそこにいた。ぶん殴って口説く男が。
「アルフォンソ様に仕えている人間の、ほとんどが西軍の人間でーす。僕も、護衛も使用人も……ティアラも、ね」
カリナの邪魔など、セシリオは気にしない。
「俺には、ウィルフレドとカリナしかいなかったからな」
レオカディオ家の中で、ただ一人東軍についた男。
第三王子の覚えがいくらめでたくとも、東軍の中でアルフォンソの下につく戦力は、ウィルフレドと王子に借りた騎士団のみ。私兵もなく出せる兵站もない。
しかし内戦初期に、都から西軍の連中を蹴散らし追い出す先陣を切ったのはアルフォンソだ。彼は捕縛した西軍の血縁者などの中から、有用な者を登用した。
「その中の一人が、僕でーす」
「西軍を倒した後に、それぞれの領地に跡継ぎも必要だったからな……だが、お前はそろそろ自分の屋敷をどうにかしろ」
「えー、いやですよ。屋敷の維持って面倒なんですよ。修理して使用人雇って、馬も馬車も買わないといけないし……それだけお金と手間をかけたって、中に入るの僕だけですよ? それならこの家でアルフォンソ様のお金でぐうたらしてた方がよっぽどマシです」
「だから……お前も味方を増やせ」
「そんなもの、僕の人生で増やしたこともないです」
「要するに……」
どんどん会話が脱線していくのを止めたのは、真顔のウィルフレド。
「要するにアルフォンソ様は、バルラガン三位を……捕縛したかったのです。内戦中に。ですが、できませんでした。何故なら彼は成人した途端、西軍を見限って手土産つきで東軍につきましたから」
目を白黒させていたエウフェミアは、ウィルフレドの説明をゆっくりと呑み込んだ。
彼女の婚約者は、ファウスティノ・デル・バルラガンを殴って口説いて味方に引き入れようとしていたが、予想外の形でそれを封じられた、と。
この理論は、エウフェミアに分かるようで分からない。
「いまはもう同じ味方なのですから……普通に仲良くなさったらどうでしょう?」
首を傾げながら問うと、アルフォンソが難しい顔をした。ウィルフレドは真顔だ。セシリオはけらけら笑っている。
この時、答えたのはカリナだった。
「エウフェミア様……殿方の友情には二つあるのです。一つは、相手を認め気に入り、友となる場合……」
カリナは兄のウィルフレドを見た。
そして──
「もう一つは……ぶん殴って口説いて、“子分”にすることで上下関係のある友情を築く場合です。相手の能力は買うけれども気に入らないところが目立つ時は、大変効果的な方法です」
──次に、セシリオを見た。
「子分でーす」
セシリオはにっこり笑ってひらひらと手を振る。
エウフェミアの知らない友情が、そこにはあった。




