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第31話:潜入

 

 近頃ずっと、ジェイルズ=ピケは不機嫌であった。

 第一に、作物の生産量が目に見えて減っている。近く収穫予定の穀物も、見込みよりもずっと少なくなるという報告があった。

 そんな報告は聞きたくない、と言いに来た住人を追い返したものの、その男が脱走した、という。当然手下を使って呼び戻そうとしたのだが、男は死体で帰ってきた。途中で魔物に殺されたらしい。


「殺す手間は省けたがな」


 ジェイルズは笑ったが、隣のスネイルはいつもの暗い顔を保ったままであった。


「死んだのは住民で最も農業に詳しい男でした。これからもっと収穫高が下がることになりますな」


 スネイルはピケの右腕とも言える者だった。有能ではあったが、辛気臭い顔と物言いがピケは気に食わない。だが、小さいとはいえ、集落を支配下に置くには便利であったため、ピケは重用している。

 もっとも、能力が無ければ、ピケにとっては真っ先に殺したい男の一人であった。


――スネイルだけではない。手下はみな信用ならない。


 とさえピケは思っていた。ピケの跡を虎視眈々と狙う油断なら無い連中ばかりだ、と。

 ピケのやり方に表立って文句は言わないまでも、どうも快く思っていない者が増えてきたように感じていた。

 そのことも、機嫌が悪い理由の一つであった。

  

――オレの力が衰えてきたからか。


 とも思う。

 昔からずっと、ピケは次々に襲来する魔物に対して、先頭に立って戦ってきた。

 だが、寄る歳には勝てない、というものか。四十歳を過ぎた頃から、どうにも手下の中でも若い者に一歩譲ることが多くなってきていた。

 それだけに、ピケは最近、住民への締め付けを強めていた。人に言う事を聞かせる手段として、恐怖ほど効果的なものはない。

 その対象は住民だけではなく、同様に手下にも厳しい掟を課していた。当然、それを犯した者に命は無い。


「住民に圧力をかけすぎるのには私は反対です。第二、第三のライナス=ルトリューが現れないとも限らない」


 住民や手下の反乱を懸念するスネイルは、そうピケに言ってきた。

 ピケはスネイルに嘲るような笑みを返す。


「お前は分かっていない。何のためにあいつを生かしていると思っているのか」


 裏切りの象徴としてのライナス。

 その象徴が死なない限り、それこそ裏切り者としての第二、第三のライナスが現れるのでは、と人々が疑心暗鬼に陥るのだ。住民同士が結束できなければ、反抗など出来るわけが無い。


「それに、奴らにそんな元気もないだろうよ」


 それだけ、生産物の取立てを厳しくしている。毎日ボロボロになって働く住民に、反抗する意思など芽生えようもない。なまじ、手を緩めるからこそ、人は余計な事――つまり反抗などという事を考えるのだ。

 ピケはそう信じていた。


「では部下の造反はどうお考えか」


 スネイルは表情の起伏のない顔をピケに向けて言う。

 

――ぬけぬけと言うものよ。


 ピケは内心で吐き捨てた。

 誰よりも油断ならないのはスネイルなのだ。ピケは集落を手中に収めてから、彼の動向から目を離したことは無かった。何事か落ち度があれば、すぐにでも殺そうと考えていたのだが、スネイルはそんな心を読んでいるかのように、その一切にそつが無かった。だからこそ、ピケの右腕にまでのし上がったのだ、とも言える。これまで手下の幹部はピケの手で何人も殺されてきたのだが、ただ一人スネイルは最古参でありながら生き残っていた。


――だが、スネイルなくして集落の支配はありえない。


 というのもまた事実であった。

 集落を支配する立場にありながら、ピケは常に喉元に刃を突きつけられているようなものであった。それでも彼がその座に居られるのは、それだけの力がある、という事もあるし、常に命を狙われる極限状態に耐えるだけの精神力がある、というのもあった。

 すなわち、ピケを討ち果たして首領の座についたところで、今度はその新しい首領が命を狙われる恐怖に怯えることになるのである。

 力だけがものをいう偏った社会では、こうした権力の狂ったような荒々しい部分がむき出しになってくる。間近でピケを見ているスネイルだけに、権力の恐ろしさは、充分にわきまえている、という事なのだろう。


「オレの寝首をかいた所で、次に死ぬのはそいつだ」


 そう言って、ピケは意味ありげに笑って見せた。

 スネイルはそんな顔を見ても、やはり表情を変えることはない。

 

 そんなピケの屋敷にあわただしく入って来る者があった。

 手下の一人である。


「妙な奴がお頭に会いたがっています」


「妙な奴?」


 魔物の侵攻以来、この集落は、魔物がのさばる荒野に置かれた檻のようなものである。檻の中にいるのは当然ピケたち人間のほうなのだが。そんな隔絶された場所を訪れる者などこの二十年なかった。

 ピケは怪訝な顔をしながらも、内心は強い興味と好奇心を覚えた。


「よし、通せ」


 一体何者なのか。それを考えただけでも、鬱々とした気分がスッと晴れていくようだ。

 チラリとスネイルのほうを見るが、それでも彼の表情は石でできているかのように変わることは無かった。


 ややあって、手下に伴われ、二人連れがピケの部屋に通された。

 部屋の入り口にはドヤドヤと手下たちが様子を見に来ていた。スネイルがそれを散らそうとするのを、ピケは制した。これくらいの楽しみはあっていい、というピケの気まぐれである。それだけ、ピケの機嫌は良くなっていた。


「お目通りをお許しいただき、感謝いたします」


 二人連れはそう言うと、膝をついて礼をとった。

 ピケには聞きなれない丁重な言葉遣いである。


「いい。顔を上げろ」


 ピケは思わず、目を見張った。

 一人はヒョロリとして、これといった特徴のない優男。それはいい。

 問題なのが、もう一人の美しい女であった。長い髪を洒落た風に後ろに結い、顔立ちはまるで良く出来た彫刻のように整っている。

 ピケは今まで、これほど美しい女を見た事が無かった。思わず息を飲んだ。


「私どもは、王都より、パンダール王国女王陛下の使いとして参りました。この度、ピケ様とのよしみを通じたく、陛下の親書をお持ちした次第でございます」


 優男はそううやうやしく言った。


「王都? パンダール女王?」


 ピケは突然の出来事に事態を良く飲み込めなかった。

 すかさず、横のスネイルが口を出した。


「北の王都とは魔物の居る砦によって行き来できないはず」


 それを聞いて、ピケもそうだ、と気付き、頷いた。どうなのか、と使者の男に問う。


「北に位置する砦は、陛下の親征によって魔物の手から奪い返しました」


「なんと……」


 ピケはにわかには信じられなかった。だが、目の前にいる者は、確かに集落にはいない者たちである。集落の外の様子はほとんど分からないピケにとっては、信じるより仕方が無い。

 そんな時でも、スネイルは冷静であった。


「パンダール王の親書を見せてくれ」


 おおそうだ、とピケ。

 使者の男はゆっくりと頷くと、懐から大事そうに親書と見られる書簡を差し出した。

 それを、スネイルが受け取り、ピケに渡す。

 ピケは親書を開くと、中身に目を通した。順を追って読み下していき、終わりの部分を読んだ時、ニヤリと笑った。


「なるほど。パンダール王の言葉、確かに承った。ご使者よ、ご苦労だった。」


 上機嫌でピケはそう言った。

 そんなピケの様子を疑問に思ったのか、スネイルが口を出した。


「待ってください。お頭、王は何と言ってきたのです」


「フフ、オレをこの地方を治める将軍に任じたいとあった。そこにいる女は貢物なんだそうだ」


 そう言うと、ピケはねっとりとした目つきで使者の横に控えている女を見た。

 それを聞いたスネイルの眉がピクリと動く。すばやくピケの元に近づくと、小さく耳打ちした。


「話がうますぎます。砦を落としたばかりの王国がお頭の事を知るはずがありません」


 だが、ピケは笑顔をつくったまま、スネイルに下がれ、と命じた。

 そのやり取りを見ていた使者がすかさず口を開いた。


「ここに居る美姫は旅装であります。ピケ様に献じる前に、別室で着替えさせたいのですが……」


「良い。ご使者と一緒に別室で休まれるがいい。その後、歓迎の宴としようではないか」


 ピケは機嫌よく言って、品無く笑い声を上げた。

 これでスネイルは口を挟めなくなってしまった。相変わらず表情は変わらないが、憮然とした風にも見える。


「では、後ほど」


 そう言うと、使者と女はピケの手下の案内で部屋を出た。

 その姿を見送って、またスネイルが冷たい視線を向ける。


「いいのですか。あれほど簡単に信用して」


「見たか、あの女。あんないい女、この集落ではお目にかかれんぞ。それに、たとえ王国の謀だったとして、あんな二人に何ができるというのか」


 王都に砦を落とせるだけの兵力があるなら、こんな小さな集落など、砂で出来た城のようなものだ。そんな意味の事を言って、ピケはまるで取り合わなかった。

 スネイルはやれやれ、といった風に息をつくと、ピケの部屋を出て行った。




――とりあえずは上手くいった。


 レイモンド=オルフェンはそう内心で喜んだ。

 もちろん、王国からの使者というのは、集落に潜入するための真っ赤な嘘である。親書もレイモンドが書いたものだ。

 キュビィに字を教えたのはレイモンドなので、彼女の文字のクセは知り尽くしている。親書にも、所々にキュビィの字のクセを盛り込むといったレイモンドなりのこだわりが施してあった。しかしながら、そもそも彼女を知らないピケを欺くために、筆跡を真似る意味は当然ないのだが。


――それにしても……。


 と、レイモンドは、ピケの手下の案内で同じく別室に向かう、隣のフラム=ボアンを見た。

 貴族の娘のように、優雅にして清楚な仕草で、静々と歩いている。もう怪我の影響はまるで見られない。そもそも美しい顔立ちのフラムであるから、着飾れば相当なものだろう、とレイモンドも思っていたが、実際はその予想をはるかに超えていた。

 上品に結われたたっぷりとした髪は濡れたように黒く、長いまつ毛が涼しげな瞳を形良く装飾していた。

 ピケでなくとも、思わず目を奪われるのも無理はない、とレイモンドも思う。

 だが、ピケを騙すためとは言え、フラムには嫌な役回りをさえることを心苦しく思っている。あの品の無い男の穢れた手が、フラムに少しでも触れる事を考えると、とても許せるものではなかった。

 それは当の本人であるフラムが最も嫌なのだという事をレイモンドも分かってはいる。それでも、ピケに警戒されないように近づくためには、この方法が最も効果的だ、と考えた。

 

――宵のうちに勝負を決める。


 夜が更けてからでは、フラムへの危険が増す。それだけは絶対に避けなければならない。

 幸いにして、レイモンドがにらんだ通り、歓迎の宴が催されることとなった。宴であれば、レイモンドもピケの側にいる事ができる。


 ピケの屋敷を出て、しばらく歩く。

 広くない集落である。そこで暮らす人々の様子が嫌でも目に入った。


――ライナスさんに聞いた通り、ここはひどい所だ。


 住民は皆、粗末な服をまとい、土埃にまみれていた。足元は靴も履いていない。目に生気はなく、本来物珍しいはずのレイモンドたちを見ても、驚きの表情すらない。だが、それだけの余裕がないのだろう。生きて行くだけで精一杯なのだ、と彼らの疲れきった動きが物語っていた。

 ここに比べて、ライナスたちはどんなに豊かだろうか。彼らの目は、輝きに溢れていたではないか。

 ふと、レイモンドの目の前を、ルネと同じくらいの歳の子が横切った。その子の姿もやはり幸せそうには見えない。

 子供がちょうど、レイモンドたちの前に差し掛かったところで、何かに躓いたのか、ドタと転んだ。

 

「どけ、ガキ」


 信じられないことに、ピケの手下はその子供を蹴飛ばした。

蹴られた子供は二回、三回と転がると、その場で小さな声で泣き出した。


――何をする!


 レイモンドにカッと怒りの感情が沸いた。

 子供を蹴飛ばした男はもちろんだが、周りの大人はその様子が目に映らないかのように、何の反応もない。

 レイモンドの拳がブルブルと震える。だが、ここで騒ぎを起こしては、無用な疑いを持たれかねないため、グッと堪える。

 すると、フラムが前に出て、泣いている子供の手を引くと声をかけた。


「大丈夫?」


 子供はよほど意外だったのか、痛みも忘れたかのように泣くのをやめた。そして、そのまま何も言わず、タタッと走り去っていった。

 その時、それを見ていた周りの大人の表情が少し変わったのをレイモンドは見た。自分達の情のなさに気付いたような、なんとも複雑な表情であった。その表情のときだけ、人々の顔に感情が通ったかのように見えた。


――こんな暮らしでも、ここの人々はまだ心を完全に失っている訳じゃない。


 レイモンドは、人々の顔に浮かんだ、その複雑な表情が忘れられなかった。




 レイモンドとフラムが通されたのは、小さいながらも小奇麗な家であった。

 周りにある小屋と言った方がいいような建物とは明らかに違う。


「客を迎える家があるなんて、意外だな」


 ピケの手下が去ったあと、レイモンドはそうフラムに言った。こんな集落に客が来るとも思えない。

 

「きっとピケの手下の中でも幹部が住んでいた家なのでしょう。それが空き家になっているだけでは」


「空き家、という事は……」


 恐らく、家の主はこの世にいない、という事なのだろう。

 ライナスから、次々に不穏分子を粛清するピケの話を聞いていたレイモンドは、小さく嘆息した。

 フラムも表情を暗くしたが、すぐに引き締めてレイモンドに言った。


「ところで、閣下。ピケたちはかなりの手練と見ました」


「ああ、ピケもそうだが、ここまで案内したあの手下でもすごい体つきだったな……」


 そう言ってレイモンドはピケの姿を思い返していた。

 四十代中ごろであろうが、腕の太さは王都の軍務大臣グゼット=オーアを彷彿とさせる。厚い胸板も、まるで鉄で出来ているかのような精悍さであった。

 体格を見ても、レイモンドやフラムと比べれば、大人と子供ほどの違いがあった。それは、案内役の手下も同じようであったし、そのほかで見かけた手下と思しき者も同様であった。

 フラムは凄まじい剣の使い手であるが、女性という事もあって体格はか細い。もし力比べでもすれば、必ずやフラムが負けるであろう。体格がものを言う混戦はなるべく避けなければならない。

 これはレイモンドにとって大きな誤算であった。


「ですが閣下、ご心配なく。奴らの剣が私の剣に触れることはないでしょう」


 フラムは、静かにそう言った。

 敵の剣がフラムの剣を受けることなど無い。すなわちそれは、力比べなどにはならない、という事である。フラムの表情には過信などというものは微塵も含まれていない。ただ、はっきりと事実を伝えたまでである。

 レイモンドにはそれが分かった。


「うん。頼りにしている」


 むしろ心配なのは、レイモンド自身のほうである。フラムのような剣術もなければ、体格もどちらかと言えばフラムに近い。

 

――やれやれ、死なないようにしないとな。


 レイモンドはそう心で呟きながら、宴用のドレスに着替えるフラムのため、家を出た。


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