27Pそして、夜は明ける
アヴィリスの作った障壁が雷を纏うギロチンに切断されて霧散する。
ゴオオオオッ
障壁を切断したのは、不格好ながらどこかひょうきんな姿形の緑色の巨人。
ギロチンの刃をかろうじて避けたアヴィリスは土煙の中から転がり出た。
「ちっ!!」
ナイフを片手にアヴィリスは立ち上がる。
「『其は静寂の主にして、空・水・火・地全てに属さぬ者達の主であり、其もまた理の中にあり、故に其は我が声に応えるだろう!!』」
『始まりの叡智』に記された魔導陣をナイフで地面に刻みつける。
「『我が力を受けて目覚めよ、静寂の王よ。この災いを退け、鎮めよ!!』」
魔導陣が輝き、意味を成す。
魔導陣からあふれた光が巨人の足下で巨人を囲う様に円を描く。
――…ドンッ
光が巨人を覆うほどの壁になる。
おおおお~っ
防御系の魔導の応用で、災いを退ける壁で敵を囲い込んだのだ。
「足止めになってくれよ!!」
アヴィリスは背後を気に掛けながら、いまだに目を覚まさないユーリに駆け寄る。
結界の魔導陣の中でユーリはアヴィリスの上衣を被せられて眠っている。
ルキアルレスの魔導攻撃を受けたせいで、どんな騒音にも地響きにも彼女はピクリとも反応しない。
(あの雷系の魔導。あまり強くはなかったようだが、魔導に耐性のない体にはかなり負担になっている)
魔導とは魔力という世界の根幹にも関わる神秘の力を実体化させるもの。
魔力自体は自然物・人工物に関わらず全ての物に宿っているが、魔導を帯びた魔力は一種独特の波長とでもいうのか、一定の影響を人体に与える。
魔導師は自身の高い魔力量で自衛できるうえに、魔導に関わるうちに徐々に耐性が出来るために危険はない。
けれど、魔導に関わる事のない人や魔力が低い人間、動物にはその影響は有害で、長時間受け続けると心身に悪影響を及ぼし、酷いと廃人になる事もある。
魔導にそうした危険があるために一般人への魔導での攻撃は禁じられている。
その禁忌をルキアルレスは見事に破りやがった。
魔導に対する耐性のないユーリが、宮廷魔導師(一応)の攻撃を受けて無事でいるわけがない。
アヴィリスは満身創痍の体に鞭打って『始まりの叡智』に記された治癒魔導のページを開く。
「『生命の息吹よ、祝福よ。汝、生命の再生を齎すもの達よ。我が力を糧に集い、従い、この者を癒せ』」
『始まりの叡智』に記された治癒魔導陣がふわりと優しく輝く。
詠唱を受けた魔導陣の光がユーリを取り巻き、包み込む。
――……ドゥン!!ドゥンッ!!…ドッカァーンッ
「っ!? もう出て来たのか!!」
おおおおおおぉ~、あああああぁ~
アヴィリスの声に応えるように巨人が大きく両腕をあげて高らかに雄叫びをあげた。
雄叫びは風を纏い、アヴィリスとユーリに襲いかかる。
咄嗟にユーリを庇って立ちはだかったアヴィリスは巨大な巨人を睨みつける。
(こいつからしばらく離れないと)
アヴィリスは光に包まれているユーリを見下ろす。
光が飛び散るまでユーリの治療は終わらないから、時間を稼がないといけない。
「いい気になるなよ、このデカブツ!!」
アヴィリスがナイフ片手に不敵に笑んだ。
お~、ああ~っ
巨人は壊れたギロチンを離し、三日月のような鎌の刃を握る。
その鎌の刃は巨人に掴まれた途端、緑色の炎を帯びた。
「『其は闇より出で、闇に従う!! 闇の理の下、この災いに闇の祝福を!!』」
巨人が振りかぶって鎌の刃を投げるのと、アヴィリスの前に漆黒の壁が出来上がるのはほぼ同時だった。
壁に当たった鎌の刃が吸い込まれるように消える。
ああ、おお~
「っ!?」
突然、足下から石柱が飛び出した。
避ける間もなくアヴィリスは石柱に殴られ、倒れる。
「うあっ」
地面に叩きつけられた衝撃に頭が揺れる。
おお~っ
蹲ったアヴィリスめがけて石柱が投げつけられた。
――ドオンッ
「っ、ぐっ!!」
もうもうとあがる土煙の中から這い出たアヴィリスは霞む視界を必死で繋ぎ合せる。
「くそっ!!」
アヴィリスは口の中の鉄錆びた味のする唾を吐きだしてうめく。
巨人の攻撃とこの部屋にもともと備わっていたのであろう罠がアヴィリスを苦しめる。
しかも、どうやらあの巨人はこの部屋の罠を操っているようだ。
奴の攻撃を防ぐと罠が動いてアヴィリスに襲いかかる。
(どうにかして奴の注意を別に持っていかないと、俺の魔力が尽きたらユーリが目覚めない)
一応ここも図書館の敷地内だから魔導封じの影響を受けているからだろう。魔導が使えても、魔力の消費が激しい。
それに、攻撃系の魔導は一切使えない。
せいぜい防御、加護、治癒系の魔導だけでどうにか巨人の攻撃をしのいでいるだけだ。
このままではアヴィリスの魔力がユーリが目覚める前に尽きてしまう。
(そうなったら……)
魔導もなしにこの巨人を相手どる事になる。
いつ覚めるともわからないユーリの目覚めを待ちながら……。
「は、ははははっ!! いい様だな!!アヴィリス!!」
突然、巨人のほうからルキアルレスの声が聞こえた。
見ると巨人の肩にルキアルレスとエイリーが座っている。
「あ」
巨人の事でいっぱいいっぱいで忘れていたが、そういえば、ルキアルレスが巨人に引っかかっていた。
「生きていたんだな」
しぶといな、と、うっかり見つけた家庭内害虫に吐き捨てるような声色でアヴィリスは呟く。
ルキアルレスはさっきまで泣きべそをかいていた事も忘れた様に勝ち誇った笑みを浮かべてアヴィリスを見下ろす。
「さあ、巨人よ!! あの『堕落した蛇』を捻り潰せ!!」
王者の様にルキアルレスが命令する。
その姿をアヴィリスは胡乱な目で見つめた。
「おい、そこであまり騒がない方が身のためだぞ」
アヴィリスの予想が正しいならば、その巨人はここの番人のようなものだろう。
つまり、ここの罠でルキアルレス達を苦しめていた張本人(?)であるはずだ。
その巨人はルキアルレスの声に反応して、ぴたりと動きを止めている。
高らかにアヴィリスを嘲弄するルキアルレスの方をじっと巨人が見ている。
ざわっ
魔力のざわめきに気づいたアヴィリスは咄嗟にユーリの下に走り寄り、結界を張った。
オオオオオオオオオッ!!アアアアアアッ!!
巨人が雄叫びと共に体を震わせる。
「うっ」
魔力を帯びた“音”という衝撃波を受けた結界が軋む。
巨人から離れているアヴィリス達でさえ耐えるので精一杯な衝撃を間近で受けるとどうなるか?
「ルキアルレス!!」
巨人の肩から彼とエイリーが滑り落ちる。
幸か不幸か、二人は柔らかな草の上に落ちた。
かなりの高さから落ちたにも関わらず、二人は無事らしい。
あああっ、おおお~っ
吹き飛ばされた二人に向かって巨人が突進する。
「まずい、……っ」
ルキアルレスとエイリーが高らかに悲鳴をあげて、わたわたとおぼつかない足取りで逃げようと動く。
けれど、明らかに巨人のほうが早い。
何とかしてやりたいが、アヴィリスは先ほどの結界でほとんど力を使い果たしている。
ルキアルレスとエイリーに巨人の影が覆いかぶさる。
アヴィリスはがっくりとその場に膝をつき、目を閉じた。
巨人を見上げるルキアルレスとエイリーの顔が恐怖に歪み、悲鳴が木霊する。
巨人が足を振り下ろす、
その瞬間。
「【 どうか、静かに
どうか、祈りを
炎は永遠に燃えはしない
闇は永遠に続きはしない
焼けた地からもいのちは生まれる
闇の中であるからこそ光は生える
ああ、どうか、怒りを鎮めて
ああ、どうか、共に嘆こう
失われしいのちは戻らずとも
我ら、そのいのち忘れない
語り継ごう、全てを、永遠に、永遠に 】」
静かな、旋律が響いた。
アヴィリスが顔をあげる。
巨人がぴたりと動作を止めていた。
「ユーリ!!」
アヴィリスが振り返ると、彼の上衣を羽織ったユーリが弱弱しく微笑んだ。
「ありがとう。アヴィリスさん」
ほっと息をついたアヴィリスは、立ち上がろうとするユーリに手を貸した。
その二人の上に巨大な影が落ちる。
見上げると巨人が覆いかぶさるようにユーリとアヴィリスを見下ろしていた。
「!?」
「もう、やめて。 気はすんでいるはずでしょう?」
思わず身構えたアヴィリスをよそに、ユーリは巨人を見上げて言う。
<大丈夫?>
<もう、大丈夫なのか?>
ざわり、ざわりと風が騒ぐ音にユーリを気遣う言葉をアヴィリスは聞いた。
「もう大丈夫だよ。 元に戻って」
ふっと微笑んだユーリが緑の巨人に触れる。
静かになった巨人はすっとルキアルレスとエイリーに向かって腕を向けた。
その腕の先から丈夫そうな蔦が伸び、気を失った二人を拘束する。
それを見届けた巨人がゆっくりとユーリから離れて行く。
ユーリに背を向けて歩く巨人の体から緑の光が零れ落ち、巨人を包みこむ。
あまりの光に目を覆った瞬間、光が弾け、突風が巻き起こった。
「あ」
目を開けると、青い空と緑の草原が広がるのどかな光景が広がっていた。
驚いてアヴィリスがユーリを見下ろす。
「帰ろっか」
ユーリはほっと安堵した顔でアヴィリスを見上げた。
先ほどの殺伐とした光景はどこへ行ったのか、のどかな風景を見ていると何だか考えるのが馬鹿馬鹿しくなってくる。
アヴィリスは溜息のようにただ一言、
「ああ」
頷いて、ユーリの背中に従った。
「っ、と!!」
王立学院図書館の正面玄関、向かい合う鷲と一角獣が来訪者を見下ろす像のちょうど真ん中にユーリは舞い降りた。
鷲の銅像の足下から出て来た彼女は後ろを振り返る。
すると、鷲の銅像の足下の扉からアヴィリスが出てくる。
「やっと着いたか」
溜息をついたアヴィリスにユーリが苦笑する。
「すっかり朝になっちゃったしね~」
柔らかい目覚めたばかりの朝日を浴びて、王立学院図書館の前庭が朝露と共に光る。
清々しい空気と静かな風景にほっと息をついていたユーリは、険しい顔で前を見つめるアヴィリスに気付いた。
王立学院図書館の正門前に金の縁取りをされた白いローブを纏う一団と濃緑の制服を纏った一団が並んでいる。
「チューリの自警団!?」
濃緑を基調にした騎士服を模した制服はチューリの治安維持を担当する自警団のものだ。
しかし、いかにも魔導師らしい白いローブの一団は知らない。
「<クラン>の断罪人?」
アヴィリスが白い一団を見て言う。
「何それ?」
「罪を犯した魔導師を拘束・処罰する魔導師だ」
「そんな人達が何でここに?」
「わたしが呼んだんですよぉ」
少しばかり間延びした特徴的な喋り方と声が図書館の入り口から響いた。
「エリアーゼ館長!!」
驚いて振り返ったユーリに、エリアーゼ館長はにこりと微笑みかけた。
「ユーリさん。無事でしたか?」
「ど、どうして館長がここに!? 帰るのは明日だって言ってませんでしたか?」
にこっと微笑んだエリアーゼにユーリは面白いほど狼狽える。
魔導師相手に一歩も引かなかったユーリの狼狽えっぷりにアヴィリスは目を丸くしてユーリを見下ろす。
「図書館が燃えたと聞いて、大慌てで帰って来たんですよぉ」
エリアーゼはにこにこと聖母のような笑みを浮かべている。
しかし、ユーリにはその笑顔が悪魔の微笑みに見えた。
(目の奥が笑ってない!! 口元が引き攣ってる!!)
つまり、エリアーゼはもうすべて知っているのだ。
炎を消す為に【語られてはいけない歌】を使った事や、『禁制魔導書』達の助力を請うた事、その後に起こった『咎の隠し部屋』での『禁制魔導書』達の暴走も。
一方、アヴィリスはあわあわと動揺するユーリをまじまじと見つめて、感心したようにエリアーゼを見上げた。
ふと、そのエリアーゼの後ろ、図書館の回転ドアから白いローブの断罪人と緑の制服を纏った自警団員がぞろぞろと出て来る。
「アイギス」
両手を魔導を封じる魔道具で拘束され、白いローブを纏った魔導師二人に両脇を固められたかつての弟弟子の名を呼ぶ。
アイギスはアヴィリスを見ようとせずに顔を伏せ、ただ断罪人に従ってアヴィリスの横を通り過ぎた。
アヴィリスがアイギスに何を思ったのか、逆にアイギスがアヴィリスに何を思ったのか。
わかり合えなかった兄弟弟子は互いに思いを打ち明けられないまま、最悪の形での決別を迎えた。
一方、
「離せ!! 離せ!! 私は何も悪くない!! 悪いのは魔導師たちだけじゃないか!!」
自警団員に両脇を固められた副館長が拘束された両腕を振りながら、暴れている。
「往生際が悪いですわねぇ」
ふぅ、と悩ましげに溜息をついたのはエリアーゼ館長。
傍目には、駄々を捏ねる子供を見下ろす母のような優しげな風貌だが、
(うわっ、めっちゃ怒ってる!! かなりイラッとしてる!!)
ユーリはエリアーゼの声に震えあがった。
「ユーリ!! 証言しろ!!私は何も悪くないんだ!!」
はなせぇええええ、と喚く副館長をよそに、自警団員は慣れた様子で副館長を連れていく。
緊迫感も哀愁もへったくれもないどうしようもない様子にユーリとエリアーゼが同時に溜息をついた。
「あ、ルキアルレスとエイリーがまだ図書館の中に!!」
アイギスと副館長を見たユーリは残り二人の共犯者を思い出す。
巨人が消えた後、彼らは『咎の隠し部屋』からいなくなっていたのだ。
「ああ、その二人はもう、そこにいますわよぉ?」
エリアーゼ館長が指差した先には、白いローブの魔導師がルキアルレスを、自警団員がエイリーを抱えて運んでいる姿があった。
「二人は、あなた達より先にこの門の前に気を失って転がっていましたよぉ」
エリアーゼの言葉にユーリはほっと息をつく。
白いローブの魔導師たちの長なのだろう、鎌を模した杖を持った長身の男がアヴィリスの前に進み出た。
「アヴィリス・ツヴァイ=ネルーロウ・スフォルツィア殿。 事情確認のために御同行願いたい」
「わかった」
アヴィリスは頷くと、彼らの後に続く。
「あ、アヴィリスさん!! これ!!」
アヴィリスの背中を見送っていたユーリは、門の前でアヴィリスを呼びとめる。
ユーリが手にしていたのは、<クラン>の紋章とお守り。
「色々、世話になった」
アヴィリスはふっと口元を緩めてユーリに向き合う。
「……大変だったのは、認めますけど……」
アヴィリスの手に紋章とお守りを乗せたユーリはにこりと微笑みかけた。
「また、王立学院図書館に来て下さい。 次はちゃんとここの本を読んで下さいね」
アヴィリスはふっと目を丸くしてユーリを見下ろす。
「ああ、そういえば、ここの図書カードを作ったな」
おかしそうに微笑んだアヴィリスはお守りをユーリに掴ませた。
「持っていろ。 この図書館でどれほど効果があるかわからんがな」
「え? あの!?」
アヴィリスはユーリの狼狽をよそに断罪人達と共に馬車に乗り込んだ。
「また来る」
アヴィリスは不敵な笑顔を浮かべてユーリに手を振った。
ドアが閉まると同時に馬車は走りだす。
「約束!! 守ってくださいよーっ!!」
ユーリの声が届いたか、どうか。
馬車は朝もやの中に消えて行く。
「さて、ユーリさん」
静かになった前庭に、ぴんっと糸が張るような緊張感が舞い降りた。
肩を震わせたユーリは錆ついたブリキ人形のようにゆっくりと後ろを振り返る。
にっこりと聖母の様に微笑むエリアーゼ館長が魔王……いや魔界の女帝に見えた。
「きっちり、説明していただきましょうか」
エリアーゼの手の中で、焼けてしまった本の表紙がへし折れた。
その姿を見て、ユーリは言い訳も説得も無駄な事を悟る。
(あたしは被害者なのにいいいいい!!)
ユーリの悲鳴は誰にも届かずに消えることになる。(確定)




